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第30話 形が違っても、みんな家族です

「返してください!」


 朝の森に、リリィの声が響いた。


 銀狼の口には、焼いたパンが一枚。


 しかも、それはリリィの朝食だった。


「あなたの分はもう食べたでしょう!」


 銀狼は聞こえないふりをして顔を逸らす。


「こっちを見てください!」


 今度は反対側から翼竜の鼻先が伸びてきた。


「あなたまで!」


 翼竜の狙いは、皿に残った半熟の目玉焼きだった。


 リリィは慌てて皿を持ち上げる。


「これは私のです!」


 右に銀狼。


 左に翼竜。


 どちらも十分に朝食を食べたはずなのに、人の皿は別腹らしい。


「元気になった途端、食いしん坊になりすぎです!」


 銀狼がパンをくわえたまま尻尾を振った。


「褒めてません!」


 少し離れたところで、ガイルが腹を抱えて笑っている。


「昨日まで伯爵家と大喧嘩してたとは思えんな」


「喧嘩じゃありません」


「じゃあ何だ?」


「お話し合いです」


「森中の魔物が集まる話し合いってあるのか?」


 リリィは答えず、銀狼へ手を差し出した。


「パン」


 銀狼が目を逸らす。


「返してください」


 さらに逸らす。


「今日のおやつ、減らしますよ」


 ぴたりと動きが止まった。


 数秒後、少し湿ったパンがリリィの手へ戻された。


「最初からそうしてください」


 リリィはパンを見た。


 牙の跡がついている。


「……これはもう、あなたが食べてください」


 銀狼の尻尾がものすごい勢いで動き始めた。


「もしかして、そこまで考えてました?」


 もちろん答えはない。


 だが、妙に満足そうだった。


 翼竜まで期待するように口を開ける。


「あなたにはあげません」


 翼がしょんぼり下がった。


 そんな二匹を見ていると、初めて出会った頃が嘘のようだった。


 銀狼の身体を包んでいた黒い靄は、もうほとんど残っていない。


 呪具を外したあと少しずつ戻ってきた毛並みは、朝日に照らされると白銀に輝いた。


 以前は骨が浮くほど痩せていた身体にも、今ではしなやかな筋肉がついている。


「少し見せてくださいね」


 リリィは銀狼の脇腹へ触れた。


 最初に大きな傷があった場所だ。


 毛を分けて確認する。


「うん。きれいです」


 傷痕はわずかに残っている。


 けれど熱も腫れもない。


 触れても嫌がらない。


 銀狼は確認が終わると、そのままリリィの肩へ顎を載せようとしてきた。


「重いです」


 以前より身体が大きくなったせいで、本当に重い。


「元気になった証拠ですけど、十一歳の肩に全体重を預けないでください」


 銀狼は気にしなかった。


 リリィは押し返しながら、今度は翼竜を見る。


「あなたも確認しますよ」


 翼竜が素直に翼を広げた。


 黒紫色に変色していた翼膜も、ずいぶん本来の色を取り戻している。


 端にわずかな傷痕は残るものの、穴も裂け目もない。


「伸ばしてみてください」


 大きく翼を開く。


「反対も」


 左右とも問題ない。


「飛んでみます?」


 翼竜の目が輝いた。


「でも一周だけです」


 地面を蹴った。


 翼が風を捉える。


 以前のようなふらつきはない。


 木々の上まで滑らかに上昇し、小屋の周囲を大きく旋回する。


「速くなりましたね」


 ガイルが空を見上げる。


「あれ、本当に最初は飛べなかったのか?」


「翼を開くのも大変そうでした」


「信じられんな」


 翼竜は一周すると、きれいに着地した。


 少し得意そうに胸を張る。


「はい。上手でした」


 リリィが首元を撫でる。


「でも今日は、それで終わりです」


 翼竜がもう一度空を見る。


「終わりです」


 銀狼が横で鼻を鳴らした。


「あなたも笑わないの」


 そんな二匹とは違い。


 スライムだけは、今も「治って」はいなかった。


 小屋の脇。


 柔らかな布を敷いた専用の場所に、濁った色の身体がある。


 リリィは朝食を片づける前に、そちらへ向かった。


「おはようございます」


 足音に反応して、スライムの輪郭が揺れた。


「今日も来てくれたんですね」


 最近では、リリィが朝の支度を始める頃になると、決まって寝床から出てくる。


 速くはない。


 少しずつ身体を動かして、小屋の入口近くまで来る。


 まるで朝の挨拶をしに来るように。


「身体、見せてください」


 リリィは手を洗ってから、清潔な布を取った。


 汚れを優しく拭う。


 黒ずみは消えない。


 冷たさも変わらない。


 脈も呼吸もない。


 銀狼や翼竜のように、日に日に強くなることもない。


 それでも以前より、身体の輪郭は安定していた。


 寝床を柔らかくしたこと。


 清潔を保っていること。


 同じ場所に負担がかかり続けないようにしていること。


 どれがどれだけ効いているのか、正確には分からない。


 ただ、急速に崩れていた頃とは違う。


「今日はここ、少し気になりますね」


 身体の端に、わずかに崩れたところがある。


 リリィは布の位置を調整した。


「無理に動かなくていいですからね」


 スライムの輪郭が小さく震えた。


 その横へ銀狼が来た。


 以前なら得体の知れない相手を警戒して距離を取っていたのに、今では近くへ伏せることもある。


 翼竜も反対側へ座った。


 三匹が並ぶ。


 一匹は、呪いから回復した美しい銀狼。


 一匹は、再び空を飛べるようになった翼竜。


 そして一匹は、これからも生き返ることのないスライム。


 形も。


 身体も。


 できることも。


 全部違う。


 リリィは三匹を眺めた。


 以前の自分なら、きっと比べていた。


 どれだけ治ったか。


 どれだけ元気になったか。


 自分がどれだけ救えたか。


 でも今は、そんな数字で見る必要はないと思えた。


 銀狼は元気だから大切なのではない。


 翼竜は飛べるようになったから大切なのでもない。


 スライムだって、治らないから価値がないわけではない。


「家族になるのに、元気かどうかなんて関係ないんですね」


 銀狼が顔を上げた。


 翼竜が首を傾げる。


 スライムの身体が、ぽよんと小さく揺れた。


「はい。みんな家族です」


 リリィは笑った。


 銀狼の頭を撫でる。


 翼竜の首元にも触れる。


 スライムには、崩れないよう指先だけをそっと添えた。


 三匹とも違う。


 だから同じように世話をする必要もない。


 同じものを食べさせる必要も。


 同じ運動をさせる必要も。


 同じ未来を求める必要もない。


 その子に必要なことを、その子に合わせて考える。


 それでよかった。


「さて」


 リリィは立ち上がった。


「洗い物をして、それから今日の薬草を――」


 そこで銀狼の耳が立った。


「どうしました?」


 翼竜も森の入口へ顔を向ける。


 リリィもそちらを見る。


 聞き慣れない音がした。


 枝を踏む音。


 何かを引きずる音。


 そして。


「……声?」


 低い鳴き声が聞こえた。


 一つではない。


 リリィは小屋の前まで出た。


 森の入口。


 木々の間に、いくつもの影がある。


「え……」


 最初に見えたのは、小さな角を持つ獣だった。


 前脚を引きずっている。


 その後ろには、羽の折れた鳥型の魔物。


 さらに身体の一部が焼けたように黒ずんだ獣。


 まだいる。


 一匹ではない。


 二匹でもない。


 傷ついた魔物たちが、何匹も森の道に並んでいた。


 どの魔物も近づいてはこない。


 ただ遠くから。


 リリィのことを見ている。


 銀狼がゆっくり立ち上がった。


 翼竜もその隣へ並ぶ。


 リリィはしばらく呆然としてから、ようやく口を開いた。


「……もしかして」


 また一匹、木の陰から傷ついた魔物が姿を見せる。


「みんな、ここに来たんですか?」




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