第16話 守護獣専用、育成プログラムを作ります
銀狼には、銀狼の身体がある。
翼竜には、翼竜の身体がある。
当たり前のことなのに、リリィは今まで二匹を「怪我をした魔物」として一緒に考えすぎていたことに気づいた。
「同じご飯を食べて、同じくらい運動すればいいわけじゃないんですよね」
小屋の前に座り、帳面を開く。
目の前には銀狼と翼竜。
二匹とも期待に満ちた顔でリリィを見ている。
「先に言っておきますけど、ご飯をいっぱい食べる計画ではありませんよ」
銀狼の尻尾が止まった。
翼竜も首を傾げる。
「どうして二匹とも残念そうなんですか」
リリィは苦笑した。
村まで行った時、二匹の身体が以前とは比べものにならないほど強くなっていることに気づいた。
銀狼は長い距離を歩いても疲れない。
翼竜も荷物を抱えて安定して飛べるようになった。
しかし、ただ食事を増やし続ければいいわけではない。
身体には使い方がある。
休ませ方もある。
前世の記憶の中で、リリィは運動する人たちの身体を何度も見ていた。
競技によって必要な筋肉が違う。
食事も違う。
疲労の抜き方も違う。
同じ人間ですらそうなのだから、狼と竜ならなおさらだった。
「まずあなたからです」
リリィは銀狼を見る。
銀狼が胸を張った。
「なんだか得意そうですね」
帳面へ書き込む。
銀狼。
走ることが得意。
瞬発力が高い。
森の中でも木や岩を避けながら素早く動ける。
反対に、以前傷めていた脇腹や脚へ急に大きな負担をかけるのは避けたい。
「短く走って、しっかり休む。最初はそれでいきましょう」
リリィは小屋から少し離れた木を指した。
「あの木まで行って、戻ってきてください」
銀狼が走り出した。
「速っ!」
銀色の影が木々の間を抜ける。
あっという間に指定した木へ到着し、そのまま折り返してきた。
リリィの横へ戻ると、まだ走れますと言いたげに尻尾を振っている。
「今日は一回です」
耳が下がった。
「元気だからって、やりすぎると怪我します」
銀狼は不満そうだったが、リリィが示した場所へ伏せた。
「休むところまでが運動です」
次は翼竜。
「あなたは飛ぶ練習ですね」
翼竜が嬉しそうに翼を広げる。
黒紫色に染まっていた翼膜は、かなり本来の色を取り戻している。
ただ、一部にはまだ硬い箇所が残っていた。
「高く飛ばなくていいです。今日は小屋の周りを一周だけ」
翼竜が地面を蹴る。
ばさりと風が起きた。
少しふらつきながら上昇し、小屋の屋根より少し高いところを一周する。
以前なら翼を広げるだけでも苦しそうだった。
今は自分の力で飛んでいる。
「いいですよ。ゆっくり降りてください」
着地。
少しだけ前につんのめった。
「はい、今日は終わりです」
翼竜がもう一度翼を開く。
「終わりです」
閉じる。
「よろしい」
銀狼が横で鼻を鳴らした。
翼竜が睨む。
「笑わないの」
二匹とも順調だった。
だからこそ、リリィは焦らないようにした。
食事もそれぞれ変える。
銀狼には肉を中心に、森で採れる根菜や木の実を組み合わせる。走った日は少し量を増やす。
翼竜には肉だけでなく、魔力を多く含む実も使う。翼を動かす日の前後では、身体の回復を意識して内容を調整する。
そして、必ず休む日も作る。
「毎日頑張れば、その分だけ強くなるわけじゃありません」
リリィは帳面へ丸印をつけた。
休養日。
書いた瞬間、胸の奥が少しざわつく。
前世の自分は、この言葉がずっと苦手だった。
休む。
休ませる。
必要だと知っていたのに、自分にはできなかった。
『まだ大丈夫です』
『もう少しできます』
そんな記憶が浮かびそうになり、リリィは帳面を閉じかけた。
その時、銀狼が鼻先で手を押した。
「大丈夫ですよ」
以前なら反射的にそう答えていた。
しかしリリィは少し考え直した。
「……ちょっと疲れました」
銀狼の頭を撫でる。
「なので、私も休憩します」
木陰へ座る。
銀狼も隣へ伏せ、翼竜も反対側へ座った。
自分で決めて休む。
それだけのことが、妙に新鮮だった。
数日後。
二匹の変化ははっきり現れた。
銀狼は森の斜面を駆け上がっても息が乱れにくくなった。
翼竜も低空なら長く飛べる。
食事量をむやみに増やしているわけではない。
運動と休息を組み合わせ、身体に必要な分だけ食べさせている。
その結果として、筋肉がつき、動きが安定してきた。
「強くしようとしたわけじゃないのに」
リリィは帳面を見ながら呟いた。
「健康になると、自然と強くなるんですね」
銀狼が嬉しそうに尻尾を振る。
翼竜も翼を大きく広げた。
「だからって、今日は追加しません」
二匹が揃ってしょんぼりする。
リリィは笑った。
そして、少し離れた場所へ目を向ける。
そこにはスライムがいた。
今日も同じように、小屋の近くまで来ている。
「……あなたは」
リリィの笑顔が少しだけ曇った。
銀狼。
翼竜。
二匹は変わった。
食事を変えれば反応する。
休めば疲労が抜ける。
運動すれば身体が強くなる。
しかしスライムだけは違った。
何日経っても食事を取らない。
リリィが近づけば逃げない。
むしろ以前より近くまで来るようになった。
それなのに、食べ物には全く興味を示さない。
「今日は、これを試してみますか」
リリィは皿を用意した。
普通の木の実ではない。
村人から教えてもらった、魔力を多く含む果実を柔らかく煮たものだ。
甘みもある。
水分も多い。
魔力も豊富。
銀狼や翼竜なら匂いだけで寄ってくる。
皿を置く。
「どうぞ」
スライムは動かない。
少し待つ。
やはり食べない。
「これも駄目ですか」
リリィはしゃがんだ。
スライムの輪郭は相変わらず崩れている。
以前より悪くなっているようにも見える。
「どうして……」
食べ方が違うのだろうか。
必要な栄養が全く違うのか。
そもそも普通のスライムではないのか。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
銀狼を助けられた。
翼竜も回復している。
なら、この子にも何か方法があるはずだ。
「私のやり方が足りないんでしょうか」
口にした瞬間、胸の奥がざわついた。
足りない。
もっとできる。
もっと考えれば。
その言葉には、どこか覚えがあった。
けれどリリィは、その違和感を追わなかった。
代わりに帳面を開く。
これまでスライムへ試したものを書き出した。
果実。
根菜。
薄いスープ。
甘いもの。
水分の多いもの。
魔力の強い実。
全部駄目。
「だったら、全部を組み合わせたら……」
頭の中に前世の知識が浮かぶ。
身体を維持するために必要な栄養。
エネルギーになるもの。
身体を作るもの。
調子を整えるもの。
水分。
さらに、この世界特有の魔力。
どれか一つではなく。
必要なものを全部、負担の少ない形へまとめる。
「この子専用のご飯を作りましょう」
リリィは立ち上がった。
今までの試し方とは違う。
銀狼や翼竜へしてきたように、スライムだけのために考える。
その日から、リリィは食材を集めた。
消化しやすい根菜。
森で採れる栄養価の高い実。
魔力の強い果実。
少量の肉から取った出汁。
水分も十分に入れる。
食べやすいよう、形が残らないほど煮込んだ。
何度も配合を変える。
濃すぎれば薄める。
刺激の強そうなものは外す。
前世で学んだ栄養の知識と、この世界で知った魔力の性質。
今のリリィが使えるものを、ほとんど全部注ぎ込んだ。
夕方。
鍋の中には、なめらかな薄金色の食事が完成していた。
「できた……」
リリィは小さな器へ移す。
自分でも、これ以上はすぐに思いつかない。
「今度こそ」
スライムの前へ置いた。
銀狼と翼竜も、少し離れた場所から見ている。
リリィは待った。
一分。
二分。
スライムの輪郭がかすかに揺れる。
「……!」
リリィは息を止めた。
けれど。
スライムは皿へ近づかなかった。
食事を見ることさえなく。
ただいつものように、リリィだけを見つめていた。




