第15話 怖い魔物ほど、やさしかった
村の入口で、鐘が鳴った。
「魔物だ!」
「門を閉めろ!」
「子供が襲われてるぞ!」
さっきまでガイルの帰還を喜んでいた村人たちが、一斉に騒ぎ始めた。
木製の門へ男たちが集まり、何人かは槍や農具を持ち出している。
リリィは慌てて両手を振った。
「違います! 襲われてません!」
しかし、その横にいる銀狼を見れば、村人たちが怯えるのも無理はなかった。
身体を覆っていた黒い靄はかなり薄くなったものの、まだ首や背中には禍々しい影が残っている。瞳も赤いままだ。普通の狼よりはるかに大きく、牙も鋭い。
さらに頭上では、翼竜が旋回している。
傷は回復してきているが、翼膜にはまだ黒紫色の変色が残っていた。村の上をそんな竜が飛んでいれば、襲撃だと思われても仕方がない。
「待て! 門を閉めるな!」
担架の上からガイルが叫んだ。
「その二匹は俺を助けてくれたんだ!」
「でもガイル、その狼……」
「見た目だけで決めるなって!」
村人たちは戸惑った。
信じたい相手はガイルだが、信じたくない相手が銀狼と翼竜だった。
リリィは銀狼の頭を撫でた。
「大丈夫です。ここで待ちましょう」
無理に村へ入れば、ますます怖がらせるだけだ。
ところが村の方から、小さな男の子が走ってきた。
「父ちゃん!」
「こら、待ちなさい!」
母親らしい女性が追いかける。
少年はガイルを迎えに来た誰かの家族らしく、周囲を見ずに道へ飛び出した。
その向こうから、一台の荷馬車が来ていた。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。
少年もようやく気づいたが、足が止まってしまった。
次の瞬間、銀狼が走った。
「えっ?」
リリィが声を上げるより早い。
銀狼は少年と荷馬車の間へ入り、自分の身体で少年を道の端へ押し戻した。
馬車が目の前を通り過ぎる。
銀狼は少年を倒さないよう、鼻先でそっと支えた。
村人たちが静まり返った。
少年も呆然と銀狼を見ている。
赤い瞳。
大きな牙。
すぐそばで見れば、なおさら怖いはずだった。
銀狼は少年が立ったことを確認すると、自分から数歩下がった。
「……助けた?」
母親が呟いた。
少年は銀狼を見上げる。
「ありがとう」
小さな声だった。
銀狼の耳がぴくりと動く。
そして何事もなかったように、リリィのところへ戻ってきた。
「よくできました」
リリィが首元を撫でる。
「でも急に走ったから、あとで脚を見ますからね」
銀狼の耳が少し下がった。
「そこは別です」
ガイルが担架の上で笑った。
「ほらな。言っただろ」
村人たちの構えが、少しだけ緩んだ。
それでも全員がすぐ安心したわけではない。
村へ入ることになっても、人々は銀狼と翼竜から距離を取った。
特に幼い子供は、母親の後ろへ隠れている。
銀狼はそれに気づいたらしい。
子供がいる側へは近寄らず、道の反対側を歩き始めた。
「ちゃんと分かってるんですね」
リリィは感心した。
翼竜も低く飛ぶのをやめ、屋根より高い位置まで上がった。
その方が人間を怖がらせないと理解したのだろうか。
村の中央へ向かう途中、一人の老人が杖をつきながら歩いてきた。
「ガイルか?」
「ああ。心配かけたな」
「生きて帰れば十分だ」
老人はゆっくり近づいた。
その歩幅に合わせるように、銀狼の歩く速度も落ちる。
老人が立ち止まれば、銀狼も止まった。
「……こいつ、わしを待っておるのか?」
「たぶん」
リリィが答えた。
「歩くのが速いと危ないって分かってるんだと思います」
「狼が?」
「優しい子なので」
リリィにとっては、それだけの話だった。
老人は半信半疑のまま歩き出した。
銀狼もゆっくり進む。
何度かそれを繰り返したあと、老人は杖をついたまま笑った。
「妙な狼だな」
声からは、もう恐怖がかなり消えていた。
さらに進むと、迎えに出た村人の一人が荷物を抱え直そうとしていた。
ガイルの荷物を回収してきたらしく、大きな革袋を二つも持っている。
「重そうですね」
リリィが言った。
「これくらい――うわっ」
男の腕から袋が一つ滑り落ちた。
地面へ落ちる寸前。
翼竜が降りてきた。
爪ではなく前脚で器用に袋を受け止める。
「ひっ!」
男は悲鳴を上げた。
翼竜は首を傾げた。
そして袋を抱えたまま、男の横を歩き始める。
「……持ってくれるのか?」
翼竜はそのまま進む。
リリィが笑った。
「たぶんそうみたいです」
「竜に荷物持ってもらう日が来るとは思わなかったぞ……」
男が呟く。
周囲から小さな笑いが起きた。
その頃には、槍を構えている者はもういなかった。
怖がっていた子供たちも、少しずつ母親の後ろから顔を出す。
ただ、銀狼が近づこうとすると、一人の女の子がびくりと身体を固くした。
銀狼はすぐに止まった。
それ以上は近づかない。
代わりにその場へ伏せ、顔まで低くする。
「怖いって分かったの?」
女の子が母親へ尋ねた。
「そうみたいね……」
しばらくすると、女の子の方から一歩近づいた。
銀狼は動かない。
もう一歩。
それでも動かない。
最後まで銀狼から距離を詰めることはなかった。
リリィはその様子を見て、少し嬉しくなった。
優しいというのは、何かをしてあげることだけではない。
怖がっている相手には、近づかない。
それも、この子なりの優しさなのだろう。
ガイルの家へ着く頃には、村人の反応はすっかり変わっていた。
「本当に森でガイルを?」
「ああ。俺が意識を失ってる間、この狼と竜が運んでくれたらしい」
「この子が手当てもしてくれました」
ガイルはリリィを指す。
「飯もうまかったぞ」
「そこまで言わなくても」
「大事なところだろ」
集まった村人たちから笑い声が上がった。
その中で、先ほどの老人が銀狼を眺めながら言った。
「森の化け物だと思っておったがな」
別の男が翼竜を見る。
「化け物にしちゃ、人間より気が利く」
「守ってくれたんだろ? ガイルも、さっきの坊主も」
誰かがぽつりと言った。
「だったら、森の守護獣ってところか」
「守護獣?」
「悪くないな」
言葉が村人たちの間へ広がっていく。
「森の守護獣か」
「確かに、そっちの方が合ってる」
リリィは銀狼と翼竜を見た。
二匹とも、自分たちの呼び名が決まりつつあることなど分かっていない顔をしている。
「この子たちは普通に優しいですよ?」
そう言うと、村人たちが一斉にリリィを見た。
ガイルが苦笑する。
「リリィ。それを普通だと思ってるのは、多分お前だけだ」
「そうなんですか?」
「そうなんだ」
よく分からなかった。
帰り際、村人たちは食料を分けてくれた。
野菜。
卵。
焼きたてのパン。
少量の肉。
「ガイルを助けてもらった礼だ」
「こんなにいただけません」
「いいから持ってけ」
断っても聞いてくれなかった。
結局、翼竜が大半を運ぶことになった。
森へ戻る道で、リリィは銀狼を見る。
村まで往復しても、ほとんど疲れた様子がない。
脚取りは力強く、身体も以前より一回り大きくなったように見える。
翼竜も同じだった。
黒紫色の変色こそまだ残っているが、翼は以前より大きく開く。荷物を持って飛んでも安定していた。
瀕死だった頃とは、まるで違う。
森の小屋へ戻ると、リリィは二匹を改めて眺めた。
「ずいぶん元気になりましたね」
銀狼が尻尾を振る。
翼竜も翼を一度広げた。
食事。
休息。
少しずつ身体を動かすこと。
その積み重ねで、ここまで変わった。
ならば、これからはただ回復させるだけではなく、それぞれの身体に合った育て方を考えてもいいのかもしれない。
銀狼と翼竜では、必要な食事も運動も違う。
リリィの頭の中に、前世で見ていた体調表や食事記録が浮かんできた。
「もう少し、この子たちに合った育て方を考えてみましょう」
二匹がそろってリリィを見る。
その視線がなぜか期待に満ちて見えた。
「ただし、ご飯を増やすだけじゃありませんからね」
銀狼の尻尾が止まった。




