第13話 森で倒れている人を見つけました
森で薬草を集めていたリリィは、最初に血の匂いに気づいた。
「……待ってください」
足を止めると、隣を歩いていた銀狼もすぐに動きを止めた。少し後ろでは、翼竜が大きくなり始めた翼を畳み、首を上げる。
銀狼が鼻先を風へ向けた。
「分かります?」
返事の代わりに、銀狼は右手の茂みへ顔を向けた。
リリィもそちらを見る。草の先に赤黒いものが付着している。その先にも、数歩おきに血の跡が続いていた。
「誰か怪我をしています」
籠をその場へ置き、血の跡を追う。
銀狼が先に立ち、翼竜も続いた。
森の奥へ十数メートル進んだところで、人が倒れていた。
「……人!」
若い男だった。
旅装に革の胸当て。背中には大きな荷物。街道を歩く商人か旅人らしい。
だが右脚は血に濡れ、額にも傷がある。
うつ伏せに近い姿勢で倒れ、動いていなかった。
銀狼が低く唸る。
「待って」
リリィはその背中へ手を置いた。
「敵かどうかは、あとです」
男へ近づく。
頭の中が自然に切り替わった。
まず意識。
呼吸。
大きな出血。
そして、今すぐ命に関わるものがあるか。
「聞こえますか?」
肩へ軽く触れる。
反応がない。
もう一度、少し強く呼ぶ。
「聞こえますか?」
「……う……」
小さな声が返った。
「よかった」
意識は完全には失っていない。
リリィは顔を横へ向け、呼吸を確認した。
速いが、きちんと息はしている。
胸の動きにも大きな左右差はない。
次は出血。
右脚の膝より少し下に深い裂傷があった。布が赤く染まり、まだ血がにじんでいる。
「ここですね」
リリィは持っていた清潔な布を取り出した。
傷へ当て、上から圧迫する。
男が苦しそうに呻いた。
「痛いですよね。でも、少し我慢してください」
自分よりずっと大きな大人だ。
それでも、なぜか迷いはなかった。
銀狼を助けた時と同じだった。
目の前に怪我をしている相手がいれば、やるべきことが先に見えてくる。
出血を押さえながら、他の場所も確認する。
額の傷は浅い。
腕にも擦り傷。
右脚は動かさない方がよさそうだった。
折れている可能性もある。
「全部は治せません」
リリィは小さく呟いた。
治癒魔法は使えない。
骨が折れていれば、それを完全に元へ戻すこともできない。
内側に見えない怪我がある可能性だってある。
けれど。
「今、死なせないことはできます」
まず出血を止める。
身体を冷やさない。
安全な場所へ運ぶ。
できることと、できないことを分ければいい。
「グル?」
銀狼がリリィを見る。
「この人を小屋へ運びたいです」
問題はそこだった。
十一歳のリリィ一人では到底運べない。
銀狼なら力はある。
ただし、背中へそのまま乗せれば負傷した脚へ負担がかかる。
「どうしよう……」
周囲を見る。
枝。
蔓。
布。
以前、銀狼を運んだ時には布を引きずった。
今回はそれだけでは難しい。
リリィは太くまっすぐな枝を二本拾った。
その間へ丈夫な布を結ぶ。
「これなら」
簡単な担架になった。
男を動かす前に身体を確認し、できるだけ姿勢を変えないよう少しずつ乗せる。
「ごめんなさい。動かしますよ」
「……うう……」
「もう少しです」
翼竜が近づいてきた。
「そこ、押さえてくれます?」
もちろん言葉が完全に通じるとは思っていない。
だが翼竜はリリィが示した担架の端へ鼻先を寄せた。
「そうです。そこ」
銀狼も反対側へ回る。
「二匹とも、お願いします」
人間の怪我人を十一歳の少女と魔物二匹で運ぶ。
客観的に見れば、かなり奇妙な光景だった。
それでも役割分担は意外とうまくいった。
銀狼が担架を引き、翼竜が横から支える。リリィは負傷した脚が揺れないよう見ながら歩く。
何度か休み、小屋へ着く頃には日が傾き始めていた。
「ここへ」
傷病個体用に作った場所へ男を寝かせる。
人間が使うことになるとは想定していなかったが、清潔にしておいて正解だった。
リリィはもう一度傷を確認した。
圧迫していたおかげで出血はかなり減っている。
「よかった」
傷をきれいに洗い、新しい布を当てる。
脚は添え木でできるだけ固定した。
額の傷も洗う。
銀狼と翼竜はその間、少し離れた場所からじっと見ていた。
「大丈夫ですよ」
どちらへ言ったのか、自分でも分からなかった。
男なのか。
魔物たちなのか。
あるいは自分自身なのかもしれない。
しばらくすると、男の呼吸が落ち着いてきた。
リリィは水を少量用意し、目を覚ますのを待った。
夕方。
「……ここは……」
男が目を開けた。
「気がつきました?」
リリィが顔を覗き込む。
男はぼんやりこちらを見る。
「子供……?」
「リリィです。森で倒れていたので運びました」
「森……」
まだ意識がはっきりしていないらしい。
男は身体を起こそうとした。
「動かないでください。右脚を怪我しています」
「脚……そうだ、魔獣に……」
そこで男の視線がリリィの後ろへ向いた。
動きが止まる。
銀狼が座っている。
黒い靄はかなり薄くなったとはいえ、赤い瞳と大きな牙はまだ十分に恐ろしい。
さらに反対側には、黒紫色の翼を持つ翼竜。
「ま、魔物……!」
男が飛び起きかけた。
「動いちゃ駄目です!」
「いや、後ろ! 後ろにいる!」
「いますね」
「逃げろ!」
「大丈夫です」
「何が大丈夫なんだ!」
銀狼が男の大声に反応し、少し耳を伏せた。
翼竜も首を傾げる。
リリィは二匹を見てから男へ向き直った。
「この子たちが運ぶのを手伝ってくれたんですよ」
「……は?」
男の動きが止まった。
その時、銀狼が立ち上がる。
「ひっ」
男が身を固くした。
銀狼は襲いかかることなく、水の入った器を鼻先で押した。
リリィの近くまで運ぶ。
「あ、ありがとうございます」
リリィが受け取ると、銀狼は元の場所へ戻った。
男は口を開けたまま見ている。
今度は翼竜が、床へ落ちていた布を口で拾った。
リリィの横へ置く。
「そっちもありがとうございます」
男の視線が銀狼と翼竜を往復した。
「……何なんだ、こいつら」
「優しい子たちですよ」
「いや、そういう問題じゃ……」
言葉が続かない。
恐ろしい姿の魔物たちが、十一歳の少女の手伝いをしている。
理解が追いつかないらしい。
「今日はここで休んでください。脚はまだ動かさない方がいいです」
「君が手当てしたのか?」
「はい。できることだけですけど」
男は自分の脚を見る。
きれいな布で固定され、血も止まっている。
「君、一人で?」
「運ぶのは三人です」
リリィは銀狼と翼竜を指した。
「三人……」
男はまた絶句した。
しばらくして。
ぐううううう。
小屋の中に、妙に大きな音が響いた。
リリィが瞬きをする。
銀狼の耳が立つ。
翼竜まで男の腹を見る。
男の顔が赤くなった。
「……今のは忘れてくれ」
リリィは思わず笑った。
「お腹が空いているなら、いいことです」
立ち上がって鍋を手に取る。
「では、次はご飯ですね」




