第二十一話「トライクレッシェンド」2
作戦開始まで18時間を切った、深夜の寝室。
大規模な作戦を明日に控え、大きなダブルベッドでアントニオとキャンベルは眠りについていた。
灯りは消え、静寂に包まれているはずの部屋にアントニオの呻き声が苦しげに零れる。
大粒の汗を流し、白いシーツを強い力で握り締める。
アントニオは忘却に追いやりたい過去の記憶と対峙して、睡眠を妨害されていたのだ。
「女である喜びを知ってしまったから……。
これは禁忌を犯した私の罪なのよ」
「そんなことはありえない。生物学的に見ても男女が愛し合い、共生する社会が正しいに決まっている。俺達は間違ってなんていない、全ては偶然に過ぎない」
今よりも感情豊かだったマリアンナの姿が朧げに映る。
自分もマリアンナもあの頃は若かった。
そう言わざるおえない記憶が自分の意志とは無関係に展開される。
「そんなことはないわ。神様はずっと私達の営みを天から見ておられたのよ!
国民のことなど考えず、肉欲に溺れた私達の忌むべき行いを!
だから、エレニアは命を落とし、天に召されてしまったのよ!!
私達の犯した禁忌の象徴だけをこの地に残して!!」
「それは都合のいい解釈だ。今からでもやり直せる。
冷静になれ、マリアンナ。俺の目をちゃんと見るんだ」
ヒステリックに泣き叫ぶマリアンナを必死になだめるアントニオ。
そこにあるのは威厳ある新たな女王でも尊敬の眼差しを受ける王宮音楽家でもなく、夫婦喧嘩を繰り返す男女の姿だった。
「嫌よ!! 理想だけで現実を救えはしないわ!!
貴方はただの音楽家だからそんなことが言えるのよ!!
女王になった私の気持ちなんて分からない!!
この国を背負う立場になった私の重責が、貴方なんかに分かるわけがないじゃない!!
お母様は……。女王はもうこの世にいないのよ!!
私が女王になってしまったんだから!! あああああぁぁぁ!!」
感情を制御できず、己の不幸を呪い、癇癪を引き起こすマリアンナの叫びが王宮の一室に響き渡る。
女王の死により、子を身籠ったまま次代の女王に即位することになったマリアンナ。
幸せな家庭を夢見て大きなお腹となり、妊婦になった彼女に待っていた運命はあまりに壮絶なものだった。
産まれた子が双子であることまではよかったが、片方のエレニアは病を背負い、すぐに死別することになり、残ったのは男性として産まれたエリサのみ。
それは、マリアンナにとって禁忌を犯した自分達を決して赦さないという神からの烙印のように感じられた。
禁忌を犯した二人を神は赦さない。禁忌を犯してしまったマリアンナは女王に即位するも、誰も信じることができないほどに人間不信に陥ってしまった。
国を背負う立場となったマリアンナにとってアントニオは唯一の拠り所。
だが、それさえもやがて失うことになる。
残酷な現実に立ち直ることのできないマリアンナ。
過酷な運命を前に、壊れていくマリアンナを見てきたアントニオもまた、忘れることのできない心の傷を背負うことになった。
明日の作戦に向けて、前だけを見なければならない立場にあるアントニオ。
だが、古に葬り去ったはずの記憶がアントニオの意志に反して蘇る。
それは、謁見の間でマリアンナと再会を果たした日から、毎日のように続き、悲しき思い出ばかりが繰り返し、夢の中で思い出された。
忘れることのできないマリアンナの涙が、激情が今もまだ脳裏にこびり付いて離れない。
当時の記憶は今もまだ、アントニオのトラウマとして染み付いているのだ。




