12、涙の理由があるんなら
所持金が、もう無いに等しかった。
もう本格的に乞食にでもなって、道端に座って缶でも置かないと生きていけないんじゃないかと思った。そんな不安で押しつぶされそうだったものの、乞食になるのはプライドが許さなかった。
ホームレスまではセーフで、通行人から恵んでもらうのは無理だった。だったら何とか仕事を探せば良さそうなものだが、ホームレスとして何処かで働くのもプライドが許さなかった。
俺は卑怯な人間だ。
本当に最低のクズだ。
だから仕方ないだろう、クズなんだから。
俺は、決断した。
このまま金銭が獲得できなかったら、料金未払いではなく踏み倒し、債務不履行に陥ってしまう。それは、名家の血を引くプライドが絶対に許さないことだ。
そこで俺は、ひったくりをする決断を下した。
仕方ない。仕方なかった。本当にもう、仕方ないんだ。
でもだって、そうするしか道は無いと思ったんだ。働き始めても間に合わないし、そもそも、雇ってもらえるかもわからないし、長続きするかどうかもわからない。実績が無いから自信の持ちようが無い。
だから、このときの俺には、ひったくりをする以外に思いつくことがなかった。
栄養不足だったのかなと思う。
たとえそうであっても、やっていいことと悪いことがあって、明らかにやってはいけないことだったのだけれど、金が無いと自らの身が終了するという事態に置かれて冷静さを欠いていた。
二十三年間生きてきて、冷静だったためしなんて、無いような気がするけれど。いつだって、様子見を決め込むばかりで、それを冷静とは言わないとわかっていたけれど……。
公園の前を、いかにもこれからキャバクラ的なところでお仕事ですというような、派手な格好した女が歩いていく。小さな光沢あるバッグには、大金が隠されているだろうと想像する。
お金を持っているひとから、少し借りるだけ。
そう、借りるだけなんだ。
そんな風に自分に言い聞かせて、全く正当化にならない正当化を試みる。
極限状態のためか、何と正当化に成功してしまった。
もうすぐ日が沈みそうであったが、春らしい生暖かい風が吹く。
標的は、小さくて可愛らしい人であった。
身長が百五十センチほどくらい、痩せているが痩せ過ぎているというレベルではない。少しだけ髪を盛って大きく見せ、目は化粧やらつけまつげやらでパッチリと開かれているように見え、黄昏時の光を浴びてか赤みがかったキャミソールワンピースと赤くて光沢のある小さなバッグを装備している。年齢は二十歳前後くらいに見える。女の年齢なんてよくわからないが、大学生の頃によく眺めた眩しい級友に少し似ていた。落ち着かない感じで、ぴょんぴょん飛び跳ねそうな雰囲気の。あまり夜の仕事なんかには向かない感じの無垢さも残っていた。
草むらから機をうかがう。
目の前を通り過ぎた時、とても甘い、いい匂いがした。
草むらを飛び出し、背の低い女の小さな背中を小走りで追いかける。そして、手にぶら下げていた小型のバッグを、奪い取ろうと手を伸ばす。
標的が、背後からの不審な物音に気付いたようで、喉を鳴らしながら振り返ろうとした。
「ひゃっ!」
標的が悲鳴を上げたと思った時、俺はすでに薄暗い空を仰いでいた。
何が起きたのか、よく、わからなかった。
仰向けに、倒された?
「何ですか、あなた」
俺は無言を返すしかなかった。
何が、起きたのか――。
バッグに飛びついた瞬間に、そのバッグは咄嗟に引っ込められた。俺の腕は空を切り、刹那、反転した彼女の左足が俺の脚を引っ掛け、そのままうつ伏せに地面に飛び込もうかといったところで、彼女のバッグを持っていない方の腕に片手の袖を引っ張られ、結果的に仰向けに倒れる形になったのである。
後頭部を軽く打ったからだろうか、なんだかものすごい量の涙が出てきてしまった。
そうだな、頭を打ったら、涙が出てしまうのも仕方ないよな。
頭を打った以外に涙の理由があるんなら、教えてほしいものだ。
「……ぅ……ぁあ……」
地面に寝転がりながら、そんな風に声を漏らして泣きまくる俺を、しゃがみこんだ彼女がキョトンとした顔で覗き込んでいた。
控えめな谷間が眩しいとか、小動物的な顔立ちが可愛らしいだとか、だばだばと涙を流しながら場違いに思った。
「何か、あったの?」
彼女はそう言って、クズの手を握った。




