足りないもの
突然のリングからの拒絶に、春香は驚きを隠せなかった。
「どうしてですか……!? 私もリングさんと一緒に——」
「ダメだ」
言葉の途中で、リングが静か、だが決して揺るがない声で遮る。
「ここからの行動は、国全体に関わることだ。ダンジョンの異常事態は国家の危機に直結する。……そんな危険な場所に、これ以上春香を巻き込むわけにはいかない」
「そんな……! 私だって、リングさんの力になりたいんです!」
「確かに春香は強い。今回の戦いでそれは痛いほどよく分かったよ。それに……体の成長を遂げた今なら、あの時以上に強くなっているかもしれない」
「だったら——!」
「だからこそなんだ」
リングの瞳に、重く暗い影が落ちる。
「戦場では、強い人間が必ず生き残るとは限らない。」
春香は息を潜め、静かにその言葉に耳を傾ける。
「誰かの犠牲になることだって当然あり得る。純粋な戦闘能力と、戦場での『経験値』はまったくの別物なんだ。……春香は、目の前で仲間が命を落としても、冷静でいられる自信があるかい?」
リングの発言に、春香は思わず言葉を詰まらせた。
(……誰かが、死ぬ……?)
頭の中に仲間たちの顔が不吉に思い浮かび、胸がキュッと締め付けられる。春香は何も言えず、ただ突っ伏すようにうつむくしかなかった。
「感情に左右された者から真っ先に命を落とす。例え本人じゃなくても、その隙のせいで周囲の誰かが犠牲になるんだ。だから俺たちは、戦いの腕だけでなく、経験を兼ね備えた者を募らなければならない。人数が増えれば増えるほど、目の当たりにする死体の数も増える……それを覚悟するのが『戦』だ。今日ダンジョンに入ったばかりの春香に、そんな重荷は背負わせられない。」
そう語るリングの表情は、切ないほどに悲しげだった。
「……それって、リングさんにも命の危険があるってことですよね」
「戦いだからね」
「……私が、戦場での経験不足だってことは分かります。正直……誰かが命を落としたら、この前みたいに足がすくんで動けなくなると思います。誰かに迷惑をかけるのは、絶対に嫌です。……だけど!」
春香はバッと顔を上げた。その瞳には、あのデーモンタランチュラを前にして腹をくくった時と同じ、揺るぎない覚悟の炎が宿っていた。
「リングさんが危ない目にあっていることすら知らずに、ここで何もできないでいるのは……もっと嫌なんです! 給水係でも荷物持ちでも何でもします! 剣を使うなと言うなら使いません、何でも指示に従います! だから……お願いです、私を連れて行ってください!」
リングはその真っ直ぐな瞳を受け止め、ふっと小さく息を吐いた。
「……分かった。」
「リングさん……っ!」
「ただし——今から俺と一勝負してもらう」
「えっ……? リングさんと……?」
「そうだ。使うのは木刀でいい、一本勝負だ。春香が俺に勝つことができたら、望み通り連れて行く。だが、もし俺が勝ったら……大人しく俺の言うことを聞いてもらうよ」
突然の提案に一瞬の不安がよぎったものの、春香が覚悟を決めるのに時間はかからなかった。
「分かりました! お願いします!」
力強い返事を刻み、二人は静まり返った屋外へと足を進めた。
「ルールは一本勝負。相手に一撃が決まった時点で勝利とする」
(一撃……?……)
春香は少し戸惑いながらも、身に染みついた感覚で確認を入れる。
「あの……頭と手首、横腹……あと、おでこへの『突き』もアリですか……?」
「ふっ、全然大丈夫だ。どこだろうと決まれば春香の勝ちだよ」
「分かりました。……では、よろしくお願いします!」
ピリッとした緊張感が、夜の空気を支配する。
「では……行くぞ!」
リングが言葉を発した瞬間、その脚が爆発的な踏み込みを見せた。一直線に距離を詰め、木刀を鋭く一閃させる。
ガツンッ——!
春香は冷静に木刀を滑らせ、その初撃を完璧に防ぎ切った。
「やるな」
リングは低く呟くと、即座に左へと身体を回転させ、春香の無防備な右脇腹目掛けて木刀を振りかざす。
(速い……! けど、見える!)
鋭い横一文字の打突を、春香は木刀の身で受け流す。手応えのなさを察したリングは、即座に後ろへ大きくジャンプして距離を取った。
(やっぱり……身体の変化に応じて、動体視力も身のこなしも格段に良くなってる。以前の私なら、今の脇腹への一撃で終わってた……!)
自分の成長を実感したのも束の間、リングが再び間合いを潰して迫ってくる。
(上からの——フェイント……!)
頭上からの大振りと見せかけた騙し打ちにも、春香の身体は完璧に反応していた。
「やっぱり強くなってるな、春香」
「ありがとうございます!」
「けど、守ってばかりじゃ勝利は引き寄せられないよ?」
「はい! リングさんはやっぱり凄いです……カウンターも狙っていましたが、隙が全くありませんでした。……だから、こちらから行きます!」
踏み込んだ瞬間、春香の姿が消えた錯覚すら覚えるスピードで、一気にリングの懐へと潜り込んだ。
(速い……!?)
リングの目が見開かれる。すかさず防御の構えを取るが、春香の連撃は止まらない。
「やぁぁぁーーーっっ!!!つ!」
愛らしい容姿からは想像もつかない、気迫に満ちた鋭い咆哮。しなるような木刀の乱舞は、リングに一切の反撃の隙を与えない。
(まずい……!)
連続の打ち合いの末、春香の鋭い払いによってリングの手首が弾き飛ばされ、その姿勢が完全に崩れた。無防備な胴体が晒される。
(しまっ——)
「めぇぇぇぇんっ!!」
頭上から一直線に叩き落とされる木刀。完全な勝ち筋。しかし——振り下ろされるその瞬間、春香の視界にリングの顔が映り込んだ。
(このままだと……傷つけてしまう……!?)
ほんのコンマ数秒の、躊躇い。
そして、百戦錬磨の剣士がその致命的な隙を見逃すはずがなかった。
弾き飛ばされたはずの右手が一瞬で返り、空を切った春香の無防備な首元へ、リングの木刀がピタリと突きつけられる。
「っ……!」
「そこまで。……一本だ、勝負あり」
「うぅ……っ」
首元を軽く叩かれた痛みに耐えながら、春香はガックリと肩を落とした。勝てたはずの勝負を落としたショックで落ち込む春香を見つめ、リングが静かに尋ねる。
「なぜ、最後の一瞬で躊躇ったんだい?」
「そ、それは……その……」
いくら木刀とはいえ、防具なしのリングを思い切り叩くことに恐れをなした……とは、口が裂けても言えなかった。
「情けか、あるいは優しさか……。やっぱり春香は、まだまだ実戦の経験が足りないな。もし僕が魔物に操られ、君に襲いかかってきたとしたら……同じように手を緩めるかい?」
「…………」
春香は何も言えず、ただ唇を噛みしめた。
「戦場では、その一瞬の余計な感情が命を左右する。……痛いほどよく分かっただろ? 剣のキレや実力では僕も春香に及ばなかったが、勝ちには変わりない。約束通り、俺の言うことを聞いてもらうよ」
「……はい」
「春香には、俺たちがダンジョンへ出発するまでの間、ある『修行』をしてもらう」
「修行……ですか?」
「あぁ。街を出て、森で魔物と戦い、少しでも実戦の空気に慣れてもらう。今の春香にはそれが一番必要だ。俺と一緒にダンジョンへ潜り、どんな魔物だろうと一瞬で薙ぎ倒せるほどの実力を身につけてもらうためにね」
「それじゃあ……!」
リングはフッと優しく息を吐き出し、眩しそうに春香を見つめた。
「俺が仲間集めを終えた時、もう一度だけ勝負をしよう。その時に春香が俺に勝てたら……一緒に行こう」
「リングさん……!」
春香の落ち込んでいた顔が、パッと花が咲いたような歓喜に変わる。
「次が本当に最後のチャンスだからね。それまでに剣の腕はもちろん、どんな局面でもブレない『心』も鍛えておいてくれ」
「はいっ……!」
「明日、修行にうってつけの場所を教えるよ。あのデーモンタランチュラほどの化け物はいないが、絶対に油断は禁物だ」
「はいっ!! ありがとうございます……! 私、全力で頑張ります!」
春香の瞳には、これまでのどんな時よりも強く、真っ直ぐな情熱の炎が宿っていたのだった。




