誓いのポニーテール
街を出てリングに連れてこられた場所は、かつて春香がこの世界に降り立ち、右も左もわからず彷徨ったあの森だった。
「ここは……」
「あぁ、そうだ。俺たちが出会ったダンジョンのある森だよ」
「やっぱり……」
見覚えのある木々に、春香は小さく息を漏らす。
「この森のさらに奥は、凶暴な魔物の縄張りになっていてね。特に力のある個体が勢力を広げていて、この付近を通る人々にも被害が出ていたんだ」
「魔物による被害……」
「あぁ。だから俺はあの日、その大元を討伐するつもりでこの森に来ていたんだよ。……そしたら、見慣れない地下階段があったというわけさ」
「そうだったんですか……」
自分の始まりの場所であり、リングと出会えた奇跡の場所。その理由を知り、春香は感慨深く頷いた。
「春香には、これからここで修行をしてもらう。この場所なら、ダンジョン内での経験と同じくらいの戦いと実践を積むことができるはずだ」
「実践経験……!」
その言葉に、春香の胸がキュッと鳴った。
「春香は、俺と初めてダンジョンに行った時よりも確実に強くなっている。……剣を交えてみて、それはよく分かった」
真剣な眼差しでそう語るリングに、春香は力強くお辞儀をする。
「あ、ありがとうございます!」
「だからこそ……冒険者として最も大切なのは、決して油断しないこと…いいかい?」
「はいっ!」
春香のまっすぐな返事に、リングの表情がふっと和らいだ。
「よし! まずはこの周辺の魔物から倒してみるといい。慣れてきたら、少しずつ奥の方へ進むといいよ。……もし休息が必要になったら、昨日行ったあの服屋に行きなさい。店主にはもう話を通してあるからね」
「リングさん……本当にありがとうございます」
「ここで一旦、お別れだ。……次に会った時の春香の『成長』を楽しみにしているよ」
「はい! リングさんの期待以上に成長してみせます!」
「はは、次に会った時は大人の姿になっているかもしれないな」
悪戯っぽく笑うリングに、春香は一瞬で耳まで真っ赤になった。
「そ、そういう意味の成長では……っ!」
オドオドと慌てる春香を見て楽しそうに目を細めると、リングは懐から小さな何かを取り出した。
「……これを使うといい。髪がまとまっていた方が、動きやすいだろう?」
差し出されたのは、上品で可愛らしい髪留めだった。
「あ……ありがとうございます!」
「使い方は分かるかい?」
「はい、大丈夫です!」
「そういえば……この国には古い言い伝えがあってね。『女性が髪を結う際、自分の中で誓いを立てながら髪を結ぶと、その誓いは果たされる』と言われているんだ。髪を結び終えるのが早ければ早いほど、叶うのも早い……なんてね。」
「なるほど……それなら」
春香は迷うことなく、しなやかな指先で金髪の美しい髪をすくい上げた。
幼少期から剣道で手ぬぐいや髪を扱い慣れた手つきで、颯爽と風になびく金の髪をまとめる。
「――『強くなる』」
誓いの言葉と同時に、一瞬でポニーテールを結び終えた春香は、パッと顔を上げてリングを見つめた。
「それ以外、ないですね!」
朝日に照らされたその笑顔は、どこまでも爽やかで、澄み渡っていた。
「うん……いいね。やはりとても似合っているよ」
「ほ、ホントですか……!?」
「あぁ、実に動きやすそうだ」
(……あ、思っていた褒め言葉とちょっと違う……)
思わずズコッと胸の中で脱力するも、切り替えの早い春香はすぐに表情を引き締めた。
「じゃあ春香、頑張るんだぞ」
「はい! リングさんも、どうかお気をつけて!」
二人はそれぞれの背を向け、真逆の道へと歩き出した。
別々の方向へ遠ざかる足音。
春香は足を止め、一度だけ振り返る。
木々の隙間へと消えていく、リングの大きな背中。
そっと、自分の髪を結んだ髪留めに手を触れた。
「……強くなる」
その誓いを固く胸に刻み、春香は森の奥へと足を踏み入れた。
――ガサッ。
前方の草むらが揺れる。
春香の足が、ピタリと止まった。
暗がりから姿を現したのは――一頭の大きな牙を持つ『大狼』だった。
その姿を見た瞬間、春香の脳裏にあの日の光景が鮮明によみがえる。
ダンジョンで遭遇し、圧倒的な力の差に怯えることしかできなかった……最初の恐怖。
「…………」
大狼が低く唸りを上げ、地を蹴る。
鋭い爪を剥き出しにし、一気に距離を詰めて迫ってくる。
――だが。
春香の目には、その躍動する狼の動きが、驚くほど緩やかに映っていた。
(――遅い)
あの日とは違う。
怖くないわけじゃない。息が詰まるほどの緊張感はある。
けれど――今の春香には、戦う術と、培った軸がある。
春香は静かに息を吸い込んだ。
すり足で一歩、深く踏み込む。
鯉口を切り、抜き放たれる刀身――。
――一閃。
刃が空を切り裂く澄んだ音。
次の瞬間、大狼は何が起きたかも理解せぬまま、その場にどさりと崩れ落ちた。
春香は静かに刀を鞘へと収める。
指先まで神経を行き渡らせ、ゆるやかに構えを解いた。
――残心。
倒れた大狼を見つめながら、春香は自身の掌をギュッと握り締めた。
あの日なら、刃を抜くことすらできず食い殺されていたはずの存在。
(……私、本当に……強くなったんだ)
胸の奥から湧き上がる確かな手応え。
春香は視線を上げ、どこまでも続く森の深部を見据えた。
「待っていてください、リングさん」
風に揺れる金色のポニーテール。
春香は一歩も躊躇うことなく、未知なる深遠へと歩みを進めた。
ここからが――本当の修行の始まりだった。




