連れていけない
服屋をあとにした二人は、街の少し奥まった一角にあるリングの自宅へと到着した。
木と石で造られた建物はどこか古風で温かみがあり、長年使い込まれた冒険者の家といった佇まいだ。
「ここが、リングさんの家ですか?」
「そう。まぁ、冒険に出ていると何日も帰れないことがよくあるんだけどね」
春香は目珍しそうに異世界の民家の様子をボーツと眺める。そんな彼女を見て、リングは優しく目を細めた。
「さて、今日は色々あって疲れたろ。まずはご飯にしようか。少し待っていてくれ、今何か作るよ」
そう言ってリングは奥の台所へ向かった。
春香は通されたテーブルの椅子に腰を下ろし、トントンと包丁を振るう音や、鍋から立つ湯気の音にじっと耳を澄ませる。
(そういえば……この世界に来てから、ちゃんとした『家』で温かいご飯を食べるのって、これが初めてだ……)
ほんの少し前までダンジョンで命を懸けて戦っていたことが、まるで遠い出来事のように感じられた。
しばらくすると、リングが木の皿をふたつ抱えて戻ってきた。
「大したものじゃないが、食べてくれ」
テーブルに並べられたのは、具だくさんの温かいスープと香ばしく焼かれたパン、そしてジューシーな肉料理だった。
「いえ! 料理ができるだけでものすごく尊敬します。ありがとうございます」
「では、いただきます!」
春香は両手をキュッと合わせ、ペコリと頭を下げる。
この世界では見慣れないその独特な所作に、リングは「ほう」と興味深そうに目を丸くした。だが、春香がすでに嬉しそうに匙を伸ばし始めていたため、野暮な質問は野暮かと微笑んで言葉を呑み込んだ。
「どうだ? 口に合うかい?」
「はいっ! すっごく美味しいです! あの……私にもよければ作り方を教えてください!」
「あぁ、もちろんだとも」
リングがニッコリと頷く。
現代日本の洗練された料理に比べれば、味付けはシンプルで質素なものかもしれない。けれど、過酷な戦いの後、自分のために心を込めて作ってくれた料理の温もりが胸に染み渡り、春香は心から「美味しい」と感じていた。
「ところで……春香は前世でも剣を振っていたと言っていたけれど、正直、あのデーモンスパイダーと戦った時の動きは見たことがないものだったな」
肉を一口運んだリングが、ふと思い出したように身を乗り出してきた。
「まるで一本の木のようにブレない軸を持った構えに、体と一体化したかのような無駄のない腕の使い方……俺もこれまで色んな剣士を見てきたが、初めて目にする身こなしだった。何か特別な流派があるのかい?」
「いえ、私のいた世界では流派というのは特になく…『剣道』という競技として行われていました。」
「剣道…」
聞き馴染みのない言葉を、リングは口の中で確かめるように呟く。
「はい…剣道では、同時に二本の剣を使う『二刀流』の構えはありますけど……基本はみんな同じです」
「ほう……両手に一本ずつ……。では、基本の形は同じで、それ以外に大きな違いはないということか?」
「はい。それでも強さには結構な差が出ます。間合いの取り方とか、踏み込みの速さ、相手の動きを読む力は人によって全然違うので」
「なるほどな……それは俺たちの剣術とも共通する部分だ。今日の春香の動きを見たら春香の世界の剣道をもっと見てみたくなったよ。」
感心したように頷くリングを見て、春香の胸がほこほこと温かくなる。自分の知っている「剣道」を認めてもらえたことが素直に嬉しかった。
「よかったら、今度リングさんの剣術も教えてください! リングさんが魔物の糸や足を瞬時に斬り払ったの、すごく格好良かったです!あの時
、魔物の足が斬られていなかったら…私、絶対倒せていませんでした」
目をキラキラと輝かせて身を乗り出す春香。
だが、リングの表情は一瞬で曇り、切ないような深刻な影が落とされた。
「……そう言ってもらえると嬉しいよ。ただ、教えるのは少し先になりそうだな」
「え……?」
視線をふっと逸らしたリングの表情に、春香は思わず声を漏らす。
「実は先ほどのダンジョンで、かなりの異常事態が発生しているようなんだ」
「異常事態……ですか?」
「あぁ。あのデーモンタランチュラだが……本当はダンジョンの三十階まで降りないと姿を現さないような、高レベルの魔物なんだ。それがなぜか、一階で突然現れた」
「三十階……!?」
あまりの階層の違いに、春香は息を呑んだ。
一階の魔物すらギリギリで倒したというのに、三十階の化け物がなぜ一階にいたのか。あの異常な威圧感と恐怖の理由が、一気に繋がっていく。
「ギルド長に報告したところ、ダンジョンの深層で何らかの変異が起き、強い魔力に押し出された高階層の魔物たちが、上の階へと逃げ登ってきているらしい。このままだと、地上へ魔物が溢れ出す事態になりかねない。もしかしたら……あのデーモンタランチュラ以上の化け物が、もう一階付近まで迫っている可能性もある」
「あれよりも強い魔物が、地上に……」
春香はゴクリと固唾を呑んだ。
「ギルドの方で急ぎ封印の結界を張る予定だが……それも持ちこたえて3日ほどだろう。それほどまでに溢れ出ている魔力が膨大なようなんだ」
リングの話を聞きながら、春香は前世の知識と直感を働かせて小さく首をひねった。
「あの……じゃあ、いっそのこと洞窟の入口ごと崩して壊してしまうのはダメなんですか? 瓦礫で塞いでしまえば、魔法陣も埋まって魔物も出られなくなるんじゃ……」
「確かにそれが出来れば一番安全なんだが……そう単純な話でもないんだ」
「というと……?」
「ダンジョンというのは、ただ魔物を退治するためだけの場所じゃない。街の人々が生きていくための『物資の調達場所』でもあるんだ」
「物資……?」
「あぁ。この国で使われている希少な食材や武具の素材、そして何より『魔石』のほとんどは、ダンジョンから採取されている」
リングは部屋の天井でぼんやりと温かな光を放つ器具を指さした。
「あの魔石というのは、ほんの少しの魔力を込めるだけで光や熱を発してくれる。調理や暖房、街灯に至るまで、俺たちの生活には欠かせないエネルギー源なんだよ。そしてそれは、ダンジョンという環境でしか生まれない」
「なるほど……ということは……」
「あぁ。ダンジョンを完全に封鎖・破壊してしまうと、あらゆる物資の供給がストップする。そうなれば物資は高騰し、経済は崩壊し、人々は一気に貧困へ叩き落される。……そして、そんな弱り切った状況が他国に知れ渡れば、間違いなく隙を突いて侵略してくるだろう。俺たちの敵は、魔物だけじゃないんだ」
春香の背筋に、ヒヤリと冷たいものが走った。
日本のような法と平和に守られた世界とは違う。一歩間違えれば国が滅び、人々が踏みにじられる――この異世界が突きつけてくる厳格な現実を、春香は初めて痛感していた。
「だから俺は、今すぐダンジョンの内部調査に向かわなければならない。もし最悪の事態になりダンジョンを封鎖せざるを得なくなった場合、今のうちに奥底にある物資を限界まで回収しておく必要がある。そのための精鋭を集めるよう、ギルド長から直接依頼されたんだ。一刻を争う事態だから、もう時間がない」
「そういうことだったんですね……仲間を集めて、すぐ調査に……」
「あぁ、そういうことだ」
事情を全て理解した春香は、しっかりとリングの目を見つめて言った。
「じゃあ、私も一緒に行きます! 役に立てるように頑張ります!」
だが――春香の言葉が終わるか終わらないかの瞬間、リングは静かに、けれど断固としたトーンで遮った。
「いや。春香は連れて行けない」
「え……!?」
拒絶されるなど思ってもいなかった春香は、突然の言葉に丸く目を見開いた。




