冒険者としての一歩
デーモンタランチュラが八本の脚をゆっくりと動かしながら、こちらを見つめている。
(後ろの糸を……何とか剣で切れないか?)
リングは一瞬だけ背後へ視線を向けようとする。
だが、すぐに思い直した。
(いや……駄目だ。後ろを見た瞬間に糸を撃たれたら終わる)
「春香!」
「は、はい!」
「こいつは本来、一階で出てくるような魔物じゃない!」
リングの表情は険しかった。
「異常事態だ。絶対に背を向けるな!」
「……はい」
春香は怯えながら頷いた。
次の瞬間。
「――はぁっ!」
リングが先に動いた。
剣を振り抜く。
その刃から稲妻が走り、デーモンタランチュラへと直撃した。
「やったか……?」
そう思ったのも束の間。
「ギィィィィィッ!」
蜘蛛が耳をつんざくような奇声を上げた。
「――っ!」
デーモンタランチュラの口から、無数の糸が放たれる。
春香へ向かって真っ直ぐに飛んできた。
「……ダメ……」
足が動かなかった。
恐怖で身体が固まってしまう。
その瞬間――。
バチィッ!
リングが割って入り、剣から放った電撃で糸を切り裂いた。
「大丈夫か!」
「は、はい……ありがとうございます」
「こいつは普通の魔物より知能が高い。しかも耐久性もある」
リングはデーモンタランチュラから目を離さない。
「絶対にやつから目を離すなよ、春香」
「……!」
「コイツは糸で獲物を絡めて動けなくなったところを捕食する――」
「ほ、捕食……」
「だから絶対に糸に触れるな」
リングは剣を構え直した。
「さっきので分かった。魔力を込めた剣なら、この糸は切れる」
だが――次々と糸が飛んでくる。
「くっ!」
リングは剣を振り続けた。
飛んでくる糸を、次々と切り裂いていく。
しかし、いくら切っても終わりがない。
「キリがない……!」
リングが叫ぶ。
そして、春香へ視線を向けた。
「春香!」
「はい!」
「剣を振るだけでいい!」
「え……?」
「あいつに向かって振れるか!」
「……は、はい、分かりました!」
足はまだ震えている。
それでも――手はなんとか動く。
春香は剣を握りしめる。
「……っ!」
剣を振り抜いた。
稲妻が蜘蛛へと飛んでいく。
直撃。
しかし――。
「ギィィィィッ!」
先ほどと同じだった。
一瞬だけ動きを止めたものの、すぐに立ち直る。
「くっ……駄目か……」
リングは歯を食いしばった。
そして、デーモンタランチュラを睨みつける。
「春香!」
「はい!」
「あいつにダメージを与えるには、遠隔攻撃じゃ駄目だ!」
「……!」
「俺があいつを斬る」
リングは剣を握り直した。
「春香は援護してくれ」
「ど、どうやって……?」
「さっきのように、あいつへ向かって剣を振ってくれ」
「……!」
「その一瞬だけ、俺が近づく時間を作れるはずだ」
「わ、分かりました!」
「俺が合図したら頼む」
「はい!」
デーモンタランチュラが糸を放つ。
春香は震える手で剣を構えた。
そして――。
「今だ!」
「――はいっ!」
春香が剣を振り抜く。
稲妻がデーモンタランチュラへと命中した。
「ギィッ!」
蜘蛛の動きが止まる。
その瞬間。
「――っ!」
リングが走り出した。
(この一瞬が勝負だ!)
跳躍。
蜘蛛へと斬りかかる。
(いける!)
春香の胸に、初めて希望が生まれた。
しかし――。
デーモンタランチュラの口から糸が放たれた。
「――っ!」
リングへ向かって飛んでいく。
「リングさん!」
春香の顔から血の気が引いた。
だが――。
「その攻撃は、さっき見たよ!」
リングは空中で剣を振った。
糸を横薙ぎに切り裂く。
消滅の勢いを利用して身体を一回転させ、蜘蛛の目へ向かって斬り込んだ。
――バチィィィィッ!
凄まじい稲妻が蜘蛛の身体を包み込む。
数秒後。
デーモンタランチュラの脚が力なく折れた。
巨体が地面へ倒れ込む。
「……すごい……」
春香は唖然とした。
初めて目の前で見た、本物の剣術。
その凄まじさに言葉が出なかった。
「……ふぅっ」
リングは息を吐く。
しかし、油断はしなかった。
「念のためだ」
デーモンタランチュラの八本の脚を一本ずつ切り落としていく。
「これで動く心配はないな」
そして最後に、頭へ向かって剣を構えた。
「――最後だ!」
跳躍。
デーモンタランチュラの頭へ斬りかかろうとした、その瞬間。
倒れていたデーモンタランチュラの口が開いた。
「――なっ!」
糸が発射される。
「リングさん!」
「その攻撃は――」
リングは剣を振る。
糸を切り裂いた。
そして再び一回転し、デーモンタランチュラへ斬り込もうとした。
その時だった。
「――な!?」
デーモンタランチュラの身体から伸びた尾が大きくしなり、頭上から糸が放たれる。リングの斜め前方から、鋭い一撃が襲いかかった。
「しまった!…避けきれない。」
リングの身体に糸が絡みついた。
「ぐっ……!」
そのまま床へと引き倒される。
「春香! 逃げろ!」
リングの叫び声。
だが、デーモンタランチュラは容赦なく糸を放ち続ける。
リングの身体が、次々と糸に覆われていく。
「助けなきゃ……!」
春香は剣を握りしめる。
(でも、電撃を浴びせたらリングさんまで……)
糸だけを切ろうとしても――。
デーモンタランチュラはまだ動いている。
八本の脚は切られているため、思うように動けない。
それでも身体を這わせるようにして、少しずつリングへ近づいてくる。
「春香!」
糸の中から、リングの声が聞こえた。
「こいつはこの脚だと、そこまで動けないはずだ!」
「……!」
「その間に戻って逃げろ!」
デーモンタランチュラは着実にリングとの距離を縮めていく。
「死ぬぞ!」
「…………」
春香は動けなかった。
助けなければ。助けたい。
なのに――足が動かない。
デーモンタランチュラがリングの目の前まで辿り着いた。
(助けなきゃ……)
春香は震える手で剣を振った。
稲妻がデーモンタランチュラへ飛んでいく。
しかし――止まらない。
(ダメだ……!)
蜘蛛がゆっくりと口を開く。
その光景を見ながら、春香の脳裏に一つの記憶が蘇った。
初めてリングから剣を渡された時。
そして、自分が冒険者になると口にした言葉。
『私も、誰かに道を示してあげられる』
『そんなカッコいい冒険者に…』
春香は剣を握り直した。
(私の頑張ってきた過程を、褒めてくれた人がいた)
(心から、こんな人になりたいと思える人に出会えた)
身体は震えている。
それでも――。
「私が……」
春香は顔を上げた。
「リングさんを助ける!」
デーモンタランチュラがリングへ襲いかかろうとする。
その瞬間――。
春香は座ったまま、後ろ足で床を蹴った。
身体を前へ滑らせる。
「――っ!」
そして、剣道で面を打つように、剣を頭上から振り下ろした。
――バチィィィィッ!!
凄まじい稲妻がデーモンタランチュラを包み込む。
「ギィィィィィィッ!」
デーモンタランチュラの巨体が、大きく後ろへ吹き飛んだ。
「……!」
春香はすぐさまリングへ向き直る。
剣を動かし、絡みついた糸を少しずつ切り裂いていく。
「大丈夫ですか!」
「春香……!? 何してる……逃げ……」
リングが咳き込む。
「ゴホッ……!」
「リングさん!?」
リングは苦しそうに顔を歪めた。
(糸にも……毒の作用が……?)
しかし、その瞬間。
倒れていたデーモンタランチュラが起き上がった。
「――っ!」
口と身体の後方。
二か所から同時に糸が放たれる。
「春香!」
リングは叫んだ。
(ダメだ……!)
春香の姿が、糸の向こうへ消える。
次の瞬間。
――バシュッ!
糸が切れた。
「……え?」
リングは目を見開いた。
春香はその場から動いていない。
それなのに――凄まじい速さで剣だけが動いていた。
「なんだ……あの動きは……!?」
リングには理解できなかった。
「上半身をほとんど動かさずに……手首だけで……!?」
春香は剣を構え直した。
そして、リングへ静かに言った。
「リングさん」
「……?」
「冒険者を選んだ選択にやっぱり間違いはなかったです。」
「……!」
「だって――」
春香は振り返らない。
「今の私……これ以上ないくらい喜びを感じてます」
(ーー大切な人を助けられる喜びを)
そう言い残すと、春香は走り出した。
その背中は――先ほどまで怯えていた少女とは思えないほど、堂々としていた。
まるで、一人の騎士のようだった。
「――速い!」
春香は走りながら、飛んでくる糸を次々と斬り裂いていく。
そのままデーモンタランチュラへ接近する。
「――ここ!」
最後の一歩を踏み込んだ。
剣を突き出す。
――突き。
デーモンタランチュラの糸を貫き、そのまま目へと突き刺さった。
「ギィィィィィィッ!!」
――バチィィィィィィッ!!
稲妻がデーモンタランチュラの身体を駆け巡る。
今までとは比べ物にならないほどの電撃。
デーモンタランチュラの巨体が大きく揺れ――。
ドォンッ!
地面へ倒れ込んだ。
そして――。
春香の視界に、文字が浮かび上がった。
【レベルアップ】
【レベル30】
【治癒スキル レベル2】
「…………」
春香は、しばらくその表示を見つめていた。
そして――。
「リングさん!」
振り返った春香の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「私、やりました!」
「…………春香……なのか?」
「はい!」
春香はリングのもとへ駆け寄る。
「恐怖に打ち勝てたら人は変われるものですね!」
「いや……」
リングは苦笑した。
「変わりすぎじゃないか?」
「そ、そんなにですか?」
照れくさそうに笑う春香。
その瞬間だった。
「……あれ?」
春香が自分の服を見下ろす。
「なんか……キツい?」
なぜか、先ほどまで普通だった服が妙に窮屈になっていた。
「……え!?」




