小学3年生の身体
「聞きたいことはたくさんあるけれど、まずは一度ダンジョンを引き返そう!」
「はい!」
二人は元来た道を戻り、光る魔法陣を踏みしめた。瞬間、視界が眩い光に包まれ、次の瞬間には森の中にあるあの石碑の上へと戻っていた。
「今から、ギルドへ行こうと思うんだ」
「ギルド……?」
ダボダボのジャージをがさがさと揺らしながら、春香は首を傾げた。そんな春香の姿を見て、リングは苦笑いを浮かべる。
「その前に……春香に合う服を買わないとね」
言われて、春香は自分の身なりを見返して顔を赤くした。
「た、助かります……」
「俺が小さい頃からお世話になっている服屋があるんだ。今からそこへ行こう」
「はい!」
二人は鬱蒼とした森を抜け、街へと続く街道を歩き出した。
「春香は……そもそも、どうしてあの森にいたんだい?」
「そ、それが……私、元々この世界の人間じゃなくて……」
「ん? それはどういう……?」
「あの、私、ここじゃない全然違う世界に住んでいて……そこで死んじゃったみたいなんです。信じてもらえないと思うんですけど……本当なんです!」
必死に手振りを交えて説明する春香。その真剣な表情を見たリングは、優しく目を細めると、春香の小さな頭をぽんぽんと撫でた。
「大丈夫だよ、春香、信じるから、安心して話していい」
頭に伝わる温もりと優しい言葉に、胸の奥が熱くなる。すごく、嬉しかった。
「あ、ありがとうございます……! 前の世界で事故に遭って、気づいたらあの森で、姿も変わっていて……」
「姿が変わって……?」
「はい。元の私はこんなんじゃないんです。髪も、体も、顔も……」
「そうなのか。……年齢もかい?」
「年齢は、前は高校生……十七歳で同じくらいでした。今は、こんなですけど……」
「なるほど……。色々と大変だったんだね」
ポツポツと自分のことを明かした春香は、気になっていたことを尋ねた。
「あの……リングさんは、どうしてあんなところに?」
「俺かい? 俺は元々、別の用事であの森に来ていたんだ。そうしたら見覚えのない隠し階段があったから、気になって降りてみたら……驚きだらけだったよ」
楽しそうに笑うリング。そんな会話をしているうちに、二人は大きな街の通りへと足を踏み入れていた。
「わぁぁぁ……っ!!」
春香は思わず声を上げた。
通りには見たこともない料理を並べた屋台がいくつも立ち並び、香ばしい匂いが漂っている。賑やかな活気と人々の笑い声。
(そういえば……凄くお腹がすいたなぁ)
目を覚ましてから、何も食べていないことを思い出す。思わず足が止まりそうになると、春香の様子に気づいたリングが口を開いた。
「何か食べたいものがあるなら、好きなのを選んでいいよ」
「え!? い、いいんですか!?」
「春香の口に合うかは分からないけど。これも経験だ、良さそうなのを食べてごらん」
「じゃあ……あれがいいです!」
春香が目を輝かせて指差したのは、肉の串焼きだった。牛タンのように厚く切られた肉が、炭火の上でじゅうじゅうと音を立てて肉汁を弾けさせている。
「リザードビーフを一つ」
「はいよ!」
店主は手際よく焼き上がった肉を串に刺し、差し出してくれた。
香ばしい焦げ目の匂い、表面から溢れ出る肉汁。見ているだけでお腹が鳴りそうだ。そんな春香の様子を見て、店主の男が豪快に笑った。
「お嬢ちゃん、可愛いな!そんな可愛い顔で嬉しそうに見てくれるならサービスだ! もう一本持っていきな!」
「え!? あ、ありがとうございます……!」
思わず深々と頭を下げる。
可愛いからサービスしてあげる――そんな経験、人生で一度もなかった。嬉しい。それだけで自然と顔がほころんでしまう。
「ほら、冷める前に食べな」
「はい!」
春香は大きな口を開け、肉に噛みついた。
「――っ! お、おいしい……っ!!」
噛んだ瞬間、口いっぱいに広がったのは溢れんばかりの旨味と香ばしさ。柔らかい肉を噛みしめるたび、幸せが全身に染み渡っていく。
「そんなに美味いか?」
「はい! すっごく美味しいです!」
夢中になって頬張る春香を見て、周囲の通行人や店主までもが温かい微笑みを向けていた。
(……あ)
温かい視線に気づいた瞬間、急に恥ずかしさが込み上げて顔が熱くなった。俯きながら、春香はふと思う。
(……私、こんな風に人から見られたことあったかな)
前の世界では、注目されることなんて滅多になかった。大会で優勝した時でさえ、見られていたのは「剣道をしている私」であって、「私自身」ではなかった。
だけど今は違う。ただ美味しくご飯を食べているだけで、周りの人が笑ってくれている。なんだかとても、不思議で誇らしかった。
「リングさん」
「ん?」
「ありがとうございます」
「礼なんていいさ」
リングは優しく笑った。
「着いたよ。ここだ」
しばらく歩いた後、リングが足を止めたのは一軒の仕立て屋だった。店に入ると、若い男性の店主が出迎えてくれた。
「おう、リング! また服でも破いたのか?」
「いや、今回は俺じゃなくてね」
リングが後ろを示すと、ダボダボのジャージに埋もれた春香がモジモジと前に出た。店主は目を見開く。
「リ、リング、オメェその子……まさか……」
「可愛い!!!!」
店主の言葉を遮り、店の奥から奥さんがもの凄い勢いで飛び出してきた。
「まるで女神様の生まれ変わりかしら……! 可愛い! すごく可愛いわ! 可愛すぎる!!」
「あ、あの……っ!?」
抱きすくめられ、頬擦りをされて戸惑う春香。それを見ても、リングは落ち着いた様子で話しかけた。
「その子に合う服を用意してあげてくれないか」
「任せて! 私、可愛い子のためなら何だって頑張れちゃうわ! さあ、行きましょう!」
強引に奥へと連れて行かれる春香。残された夫が呆れたようにリングに尋ねる。
「リング……オメェどうしたんだよ、あの子は?」
「ダンジョンで偶然出会ったんだ。彼女も色々訳ありのようでね。この街のことも知らないみたいだから、案内しようと思ってさ」
「そうかよ……俺はてっきり、お前の隠し子かと……」
「はは、まさか」
奥の部屋では、妻が目を輝かせて春香の髪に手を当てていた。
「お着替えの前に、まずは髪を少し整えましょうね。長くて歩きづらいでしょう?」
「え、ええ……」
「大丈夫、可愛く切ってあげるわ。あなたならどんな髪型でも絶対似合うわよ!」
手際よくハサミが使われていく。可愛いと言われ慣れていない春香は、終始顔を真っ赤にしていた。
「できたわよ!」
鏡を見せられ、春香は息をのんだ。
そこに映っていたのは、毛先が少し内側に丸まった綺麗なショートボブの自分だった。首を動かすたびに、髪がふわっと軽やかに跳ねる。
「これ……私……?」
「やっぱり可愛いわ! 次は服ね、ちょっと待ってて!」
しばらくして、奥から着替えを終えた春香が歩み出てきた。
アイボリーの丸襟ブラウス。襟の縁には細い金のラインが施され、袖は少し膨らんだパフスリーブ。胸元には淡いワインレッドの小さなリボン。下は落ち着いたくすみローズ色のプリーツスカート。
「お、お嬢ちゃん……! 見違えたじゃねぇか!」
夫が驚きの声を上げる。春香は後ろで手を組み、モジモジと足をモジらせた。十七年の人生で、こんなにおしゃれをしたのは初めてだ。
「でしょ! やっぱり私の目に狂いはないわ!」
自慢気な妻に、リングは微笑みながら硬貨を支払った。
「春香、体に合うのが見つかって良かったな」
「は、はい…ありがとうございます……」
「またおいでね! いつでも可愛くしてあげるから!」
服屋をあとにした二人は、本来の目的地であるギルドへと向かった。
「ここが冒険者ギルドだよ」
「わあ……大きいですね!」
「俺たち冒険者が依頼を受ける場所だ」
大きな建物の中へ足を踏み入れると壁一面に大量の紙が貼り出されていた。
「ここでは色々な依頼が掲示板に貼り出されているんだ。難易度はSランクからFランクまで分かれている。手強い魔物を倒すものから、薬草採取や街の補修みたいな仕事まで様々さ。
冒険者はその依頼を受けて報酬を貰っている。」
(よかった……いきなり魔物と戦わなくても、街のお手伝いみたいな仕事もあるんだ)
胸を撫で下ろす春香に、リングは真面目な顔を向けた。
「だが、冒険者として働く以上、命の危険は常に付きまとう。最近では、sランク冒険者パーティーでさえ行方不明になったとの情報も出ている。」
「sランク…」
「最も実力のある冒険者だ…そんな者たちが集まったパーティーでも何があるか分からないってことさ。」
真剣な表情で語っていたリングは、ふっと言葉を区切ると春香を真っ直ぐに見つめた。
「そんなに思い詰めることはないさ…冒険者なんて、あくまで選択肢の1つに過ぎないし、他にも職業はたくさんある。春香がさっき回った屋台だって立派に食料を売っている人たちだったろう。」
ふと、笑顔で食べ物を渡してくれた店主の姿を思い出す。
「どんな職業でも誰かの役には立っているんだ。」
そしてリングは、諭すように柔らかく笑みを浮かべた。
「だから、焦る必要はないよ。春香はゆっくり自分のなりたいものを見つければいいさ」
「自分のなりたいもの…」
その言葉に春香はリングに助けられた時の光景を思い出した。
冒険者として、剣を振るうこと。
けれど、それは命懸けの仕事。怖いと感じるのは当たり前だった。だけど――春香の脳裏に、ダンジョンでの経験や、前の世界の記憶が駆け巡る。
「私のいた世界では私の得意な『剣』を仕事にできる職業はそうありませんでした。……『侍』っていう、実際に刀を使ってた人が昔はいたみたいですけど…」
「サムライ……?」
「はい、だからこの世界にこれて嬉しかったんです。私の得意なことを活かせる職業があるんだって思って……私、この世界で剣を極めて……その…リングさんみたいに誰かを救える『冒険者』になりたいんです!」
まっすぐな瞳でリングを見つめる。
「リングさんに出会えて、そう思いました。私も自分の得意なことで人を助けたい……! でも、命懸けっていうのは、やっぱり怖くて……」
「たしかに……。命を懸けて戦うって響きは格好いいけれど、実際に自分がやるとなると怖いよな。……俺は今でも怖いよ」
「リングさんも……ですか?」
春香が驚いて尋ねると、リングは優しく頷いた。
「もちろんさ。いくら剣のレベルが上がっても、こればかりは慣れないよ。……守るものがある時は、特にね」
その言葉に、春香はダンジョンでリングが自分を守ってくれた時の背中を思い出していた。
「だからこそ、その人を助けられた時の達成感は、何物にも代えがたい。自分がこの子の未来を救えたんだって思えるんだ。あの喜びを知ってしまったら……もう、冒険者は辞められなくなっていたよ」
リングはどこか眩しそうな笑顔を浮かべた。
(……私だって、そうだった)
春香の脳裏に、あの時リングを助けた瞬間の感覚が蘇る。
(私も……あの瞬間が、一番嬉しかった)
胸の奥がじんわりと熱くなり、春香はひっそりと微笑んだ。
「リングさん!」
「ん?」
「私も冒険者を辞められそうにないです!」
春香はとびきりの笑顔で宣言した。
「そうか……決まったんだね」
リングは目を細め、力強く頷いた。
「同じ冒険者として、一緒に頑張ろう!」
「 はい!」
胸の奥がじんわりと軽くなる。一人じゃない。それが何よりも心強かった。
「そうだ、春香。俺と一緒にもう一度、別のダンジョンへ潜ってみないか?」
「えっ、もう一度ですか!?」
「安心してくれ。先ほどとは違うダンジョンだ。それにクリアするためじゃなく、経験を積むのが目的で入る。一度怖い思いをすると足がすくむ人が多いんだ。その経験から冒険者から離れて行く人も多い。早いうちに慣れておいた方がいい」
(トラウマみたいなのものか…)
春香は深く頷いた。
(……恐怖への克服…それに、もっと強くなりたい!)
「私、行ってみたいです!」
「よし、決まりだな!」
新しい服の裾をギュッと握りしめ、春香はリングと共に、二人で挑む初めてのダンジョンへ向かって歩き出したのだった。




