「レベル1」 5歳児からの再出発
「えっ……なんで、こんなに小さく……!?」
驚きで声を裏返しながら、春香は必死に自分の身体を確認した。
混乱する春香の視界に、突如として半透明の光る画面が浮かび上がった。
【春香 レベルダウン】
【レベル1】
「何これ……? レベルダウンって、どういうこと……!?」
分からないことだらけで頭がいっぱいになる。だが、呆然と佇む春香の目の前には、薄暗いダンジョンの道が淡々と奥へ続いていた。
(この先に行けば……元に戻れるの……?)
他にアテもない。春香はダボついたジャージの裾を気にしながら、不格好に歩を進めた。
「ぶかいな……けど、脱いだら脱いだでそれも嫌だし……」
あまりにも理不尽な環境にため息をつく。
その時だった。奥の暗闇から、カサカサと不穏な音が響いてきた。
「……なに……?」
春香はその場でピタリと足を止める。脳裏に浮かぶのは、さっきの階層で戦った緑色の皮膚を持つ魔物――ゴブリンの姿だ。
(そういえば、さっきはあんなのが襲ってきた……。次も、同じようなのが来るってこと……?)
怖くなり、足元に転がっている竹刀を両手で掴み上げようとする。しかし――
「重っ……!?」
レベル1に落ちた幼い身体では、竹刀を持ち上げることすら一苦労だった。自分の非力さを突きつけられ、冷や汗が吹き出す。
(やっぱり、引き返そう……! 戻れるかは分からないけど、先に進むよりは絶対安全だし……!)
恐怖に負け、後ずさりを始めたその時だった。
通路の奥から、ギラギラとした【赤い光】が射し込んできた。
「なに、あれ……っ!?」
恐る恐る顔を覗き込むと、その赤光の正体が姿を現した。
――ガルルルル……。
ダラダラと不快な涎を垂らしながら迫ってくる、一匹の大きな狼の魔物――【ウルフ】。
春香はこれまでにも色々な動物を見てきたが、目の前のそれはどれにも当てはまらない、人を『エサ』として殺気立つ獣の目をしていた。
「やだ……来ないで……!」
引きずりながらも竹刀を必死に構え、後退りして距離を取る。
前世でどれほど素振りを重ねていても、今の身体では太刀打ちできないと直感が告げていた。自分の構えに、これほど自信が持てないのは人生で初めてだった。
春香の怯えを察したのか、ウルフは前脚に力を込めると、一目散に跳ね上がった!
「ぐぉおぉッ!!」
「き、来た――ッ!?」
鋭い牙が、春香の小さな喉元を噛みちぎらんと開かれる。
竹刀を構えようにも、恐怖で全身が金縛りに遭ったように動かない。
(だ、誰か……助けて……っ!!)
絶望の中、春香はきつく目を瞑った。
跳躍したウルフの影が、目の前まで迫った――その瞬間。
――バチバチバチッッ!!
鼓膜を刺す放電音と共に、暗闇を貫いて一筋の稲妻が飛来した。
「グァァッ!?」
空中盤で電撃をダイレクトに浴びたウルフは、全身をピクピクと痙攣させながら、地面へバタリと叩きつけられた。
「え……?」
「無事か!?」
背後から響いたのは、凛とした温かみのある男の声だった。
安堵のあまり一気に膝の力が抜け、春香はその場にへたり込んでしまう。知らず知らずのうちに、ボロボロと大きな涙が溢れ出ていた。身体が小さくなったせいか、涙腺まで幼くなっているようだった。
駆け寄ってきた茶髪の男が、屈み込んで視線を合わせてくれる。
「怪我はなさそうだね。よかった……立てるかい……?」
男は優しく手を差し伸べてくれた。春香はその手を、藁にもすがる思いで握り返す。
「あ、ありがとうございます……っ」
「うん、無事でよかった」
起き上がるのを手伝ってくれた男は、まだ恐怖に怯える春香を安心させるように、にっこりと微笑んだ。
「俺はリング・スプリンガー。君の名前は?」
「み、宮本春香です……」
「ミヤモト、ハルカ……珍しい名前だね。春香、って呼んでもいいかい?」
「はい……!」
温かい笑顔に、少しだけ心が落ち着く。リングは真面目な表情になり、尋ねてきた。
「春香、こんな危険な場所にどうして一人で?」
「石に手を置いたら階段が出てきて……進んでここまで来たら、急に体が小さくなっちゃって……」
「身体が小さく……?」
リングは顎に手を当て、深く考え込んだ。
「なるほど……どうやらこの階層には【弱体化】が施されているらしい。…症状には個人差があるようだが……俺もこの階層に入ってから、身体にひどい違和感と重さを感じている」
「じゃ……弱体化……?」
「ああ。ダンジョンの特殊な仕様だよ。これほどの仕様は珍しいが……俺自身、思うように身体が動かせない。ここは一度、外に出よう」
そう言って引き返そうとした二人の前に、低く凶暴な唸り声が重なった。
――ガルルルル……。
通路の陰から、先ほどのウルフと同種の魔物が二匹、三匹と続々と現れる。
「ウルフ……! まだいたのか……っ」
「ヒッ……!」
(まずいな……身体がおかしい。この状態でこの数を……しかも、この子を守りながら……!)
苦悩するリングの思考を置き去りにし、ウルフたちが襲いかかってきた!
「ぐぉぉッ!」
「クッ……!」
リングは頭上に剣を構え、力任せに振るい抜く。
先ほどと同じ電撃が放たれたが、先ほどよりも一回り小さく、弱々しい。
「ぐぉっ!?」
「やはり……威力が落ちている……! それに……っ」
電撃の隙を突いて、二匹のウルフが同時に肉薄する。
飛びかかってくる一匹に対し、リングは刃を閃かせて口内から切り裂いた。ウルフは真っ二つになって崩れ去るが、リングは肩で激しく息を乱していた。
「はぁ……はぁ……! 少し動いただけで……まずい……!」
その隙を見逃さず、残るもう一匹が、リングの後ろにいる春香を目掛けて跳んだ!
「しまった! 逃げろ、春香!」
「わ、わあああぁぁっ!?」
「くそっ、はぁぁぁッ!!」
リングは振り向きざまに決死の覚悟で剣を振り下ろし、電撃を放つ。ウルフは直撃を受けて地面にバタリと倒れた。
「はぁ、はぁ……大丈夫か……っ、ぐ……!?」
「リングさん!?」
春香の元へ歩み寄ろうとしたリングが、その場にガクリと膝をついた。春香はダボダボのジャージを揺らしながら、必死に彼の元へ駆け寄る。
「クソッ……やはり身体がおかしい……ここまでの弱体化……このダンジョン、まさか……っ!」
苦しそうに激しく喘ぐリング。
――その時だった。
春香の視界の隅で、最初に電撃で倒したはずのウルフが、ピクリと身震いをして起き上がった。
「あ……あ……っ、リングさん、あれ……!」
「うっ……」
春香が焦って叫ぶが、リングにはもう振り返る体力すら残っていないようだった。
――ガルルルル……。
最初に受けた電撃の痺れが残っているのか、ウルフは脚をふらつかせながらも、ヒタヒタと執念深く二人へ歩み寄ってくる。そして、徐々に速度を上げ、こちらへ突進してきた!
「リングさん、来ます……っ!」
「春香……! 君だけでも逃げろ……!」
「で、でも……っ!」
「早く――ッ!!」
ウルフの直進は止まらない。
リングは動けない。
このままでは――この人も殺されてしまう。
「……っ!!」
その瞬間、春香の視界に一振りの剣が入った。
膝をついたリングの手から滑り落ちた、彼の長剣だ。
春香は考えるより先に、小さな手を伸ばした。
「……これっ……!」
掴む。
「お、重い……っ!!」
想像以上だった。レベル1の小さな身体では、持ち上げることすら困難な金属の塊。
それでも――春香は歯を食いしばり、両手で柄を固く握りしめた。
ウルフが目前に迫る。
(怖い……身体が震える……!)
前世で身につけた剣道。相手の隙を見極める眼と、身体の芯。
恐怖の限界を超えた時、春香の身体が勝手に動いた。
「やぁぁぁぁぁっ!!」
小さな身体から出せる限界の声を張り上げ、剣を前へ押し出す。
遅い。小さすぎる踏み込み。間に合わない――そう思われた瞬間。
春香の身体は、無意識のうちに鋭く沈み込み、体重のすべてを剣先へ乗せていた。
ズンッッ――!!
必死の突きが、突進してきた大狼の額を深々と貫いた。
――バチチチチッッ!!
「……え!?」
剣身から眩い雷光が溢れ出し、ウルフの体内へ一気に流れ込む。
「ギャオオオオオッッ!!」
凄まじい絶叫を上げ、大狼が激しく苦しみながら地面を転がり回る。
あまりの衝撃に尻餅をついた春香の前で、やがて大狼はドサリと動かなくなった。
「……」
静寂が戻る。春香は自分の小さな手と、倒れた大狼を交互に見つめた。
「……や、やった………?」
何が起こったのか分からない。
その時だった。
――ピコンーー
目の前に、またしても青い光の文字が浮かび上がった。
【春香 レベルアップ】
「……?」
表示された数字が、目まぐるしく変化していく。
【レベル1】 ➔ 【レベル15】
「……15……?」
さらに、その下へと新たなテキストが刻まれた。
【治癒スキル獲得】
「スキル……?」
訳が分からず首をかしげる春香だったが、ハッと我に返ってリングのもとへ駆け寄った。
「リングさん……! リングさん!」
「は、春香……君が……あいつを……」
苦しそうに呼吸を荒らげるリング。何とかして助けたい。けれど、どうすればいいのか分からない。
春香は祈るような心地で、リングの背中に小さな手のひらを当てた。
「大丈夫ですか……!? どうしよう、すごい苦しそう……どうしたら……っ」
すると――身体の奥底から、温かな『何か』が満ち溢れてくる感覚があった。
嫌な感じではない。むしろ、包み込まれるような心地よさ。春香はその感覚に、素直に身を委ねた。
――ふわっ……。
春香の手のひらから、優しく温かい黄金色の光が溢れ出し、リングの身体を包み込んでいく。
「こ、これは……!?」
光が引くと同時に、リングはハッとしたように息を吹き返し、ゆっくりと身体を起こした。先ほどまでの苦悶の表情が嘘のように消え去り、驚いたように自分の手を見つめている。
「……身体が、軽い……。春香、何かしてくれたのか?」
「い、いや私も何が何だか…」
春香が1番混乱している。
リングは後ろを振り返り、頭を貫かれて倒れているウルフへと視線を向けた。
「あのウルフを……」
驚きに目を見開いたあと、リングは春香に向かって、心からの柔らかい笑みを向けた。
「春香……ありがとう。おかげで助かったよ」
「い、いえ……そんな……! 私の方こそ…」
照れくささで俯いてしまう。
でも――すごく、嬉しかった。
前の世界では、ただ「剣道が強いだけ」の自分で、女の子として誰かに肯定されたことなんて一度もなかった。
だけど異世界に来て、初めて出会った優しい人が自分を助けてくれて、今度は自分がその人を助けることができた。
その事実が、胸が熱くなるほど嬉しかった。
その時。リングがふと不思議そうな顔をして、春香をじっと見つめてきた。
「……ん?」
「……? どうかしましたか?」
「春香……」
リングは春香の顔と身体を交互に見比べながら、ぽつりと呟いた。
「――なんだか、少し大きくなってないか?」
「……え?」
言われて、春香は自分の手元に視線を落とした。
ダボダボだったジャージの袖から、小さな手首が覗いている。
(あれ……?)
さっきよりも、ほんの少しだけ。
指が長く、腕が太く、脚も伸びている。ジャージのダボダボ感も明らかに和らいでいる。5歳児の小さな身体は影をひそめ、まるで小学三年生くらいの、まだ幼さの残る少女の姿へと一気に成長を遂げていた。
(……私……大きくなってる……!?)
胸の奥で、ドクンと大きな鼓動が跳ねた。
レベルアップ。
そして――レベル上昇に伴う『身体の成長』。
剣しか知らなかった少女の、本当の異世界冒険がここから始まるのだった。




