剣しか知らなかった高校生
私の名前は宮本春香。
私の人生には、剣しかなかった。
物心ついた頃から剣道を始めて、中学、高校と、ひたすら竹刀を振り続けた。
朝は誰よりも早く道場へ行き、放課後は誰よりも遅くまで残る。
休日だって、大会や練習試合。
友達が遊びに行こうと誘ってくれても、私はいつも断った。
別に、それが嫌だったわけじゃない。むしろ、好きだった。
大会で相手に勝てた瞬間。
あの瞬間だけは、何もかも忘れられた。
だから私は、剣道に自分の人生を捧げてきた。
――女の子らしさなんて、知らなかった。
おしゃれにも興味がない。
恋愛なんてしたこともない。
容姿だって、特別いいわけじゃない。
当然、誰かに告白されたことなんて、一度もなかった。
それでも、私は気にしていないつもりだった。
……つもりだった。
ある日の部活帰り。
いつものように竹刀袋を背負って歩いていると、前方に男女のカップルがいた。
「今日は楽しかったね」
「うん。また明日ね」
二人は楽しそうに笑いながら歩いている。
私は何となく、その二人を目で追っていた。
ふと、自分の手を見る。
竹刀を握り続けてできた豆。
鍛えられた腕。
決して細いとは言えない身体。
そして、もう一度、女の子へ視線を戻す。
綺麗な手。
細い腕。
長くて艶のある髪。
私とは、何もかも違っていた。
私にパートナーがいるとすれば、この背負っている竹刀袋の中にある竹刀くらいだ。
――可愛いな。
そんなことを思った自分に、少し驚いた。
「……私も、スポーツなんてしなかったら、あんなふうになれたのかな」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「……一度でいいから、可愛いって言われる自分になってみたかったな」
そう言いながら、私は何となく髪を一つに括った。
特に意味なんてなかった。
ただ、何となく。
その瞬間だった。
――キキィィィッ!!
耳をつんざくようなブレーキ音が響いた。
「……え?」
顔を上げる。
一台の車が、さっきのカップルへ向かっていた。
「危ないっ!」
考えるより先に、身体が動いていた。
二人を思い切り押す。
視界が大きく揺れた。
結んだばかりの髪がほどける。
バラバラと髪が舞い、地面へ落ちていく。
そして、目の前に転がった竹刀を、ふらつきながらも掴んだ。
――生まれ変われたら……。
そこで、意識が途切れた。
◇
「……ん」
目を開ける。
「……ここ、どこ?」
見渡す限り、木、木、木。
見たこともないほど巨大な木々に囲まれた、深い森だった。
「……夢?」
身体を起こそうとして、ふと違和感に気づく。
――何かいつもと違う。
「……?」
寝ぼけているのだろうか。
目を擦ろうとして、右手を顔の前へ持ってくる。
「……え?」
手のひらを見る。
いつもならあるはずの豆が、ない。
それどころか、肌は驚くほど滑らかだった。
「……この手……」
自分の手とは思えない。
そのとき、肩から垂れている髪が視界に入った。
「……え?」
金色。
陽の光を受けて、きらきらと輝いている。
「何これ……金色の髪……」
恐る恐る、その髪に触れる。
さらさらしていた。
「……これ、私の?」
立ち上がり、自分の身体を確認する。
服は変わっていない。
学校の白いTシャツに、紺色の長ズボンのジャージ。
けれど、身体は明らかに違っていた。
肌も綺麗になっている。
腕も以前より細い。
そして――。
「……なんか、身体まで……」
自分でもよく分からない。
ただ、以前の自分とは何かが違う。
私は周囲を見回した。
鏡のようなものはないだろうか。
すると、少し離れた場所に、光沢のある平たい石があるのが見えた。
「あれ……?」
気になって近づく。
石の表面を覗き込む。
そこに映っていたのは――。
「……え?」
くるりとしたまつ毛。
さらさらの金髪。
整った前髪。
そして、金色に近い、綺麗な瞳。
「何これ……私?」
頬に触れる。
石に映った自分の顔を、何度も確かめる。
そして、思わず呟いた。
「……可愛い」
自分で言ってから、少し恥ずかしくなる。
念のため、頬をつねってみる。
「……痛い」
夢じゃない。
「やっぱり……夢じゃない……」
胸が高鳴る。
転生。
前の世界で死んでしまったのだろう。
そのことを考えれば、悲しいはずなのに。
それでも今は――。
「……なんだろう」
自然と笑みがこぼれる。
「すごく……嬉しい」
背格好も、年齢も、以前の自分と大きくは変わっていない。
なのに、身体そのものが違う。
知らない自分。
新しい自分。
「……新しい自分」
そう呟きながら、石に両手を置いた。
その瞬間だった。
――ゴゴゴゴゴゴ……。
「え?」
石が突然、光り始めて見たことのない紋様が浮かび上がった。
そして、大きな音を立てながら横へずれていく。
「な、なに!?」
春香は慌てて後ずさる。
石が止まったあと、その下から現れたのは――地下へ続く階段だった。
「こ、これは……」
覗き込んでも、先は暗くて見えない。
「石に触ったら……動いた……」
しばらく考える。
そして、ふと周囲を見ると――。
「あ……!」
最初に自分が倒れていた場所に、何かが落ちている。
駆け寄る。
「……竹刀」
なぜここにあるのかは分からない。
けれど、それを手にした瞬間、不思議と安心した。
前世。
事故に遭った直前、最後に握った竹刀。
それを思い出す。
春香は竹刀を構え、軽く素振りをした。
――ブンッ。
「……動ける」
もう一度。
――ブンッ。
「身体に違和感もない」
竹刀を握り直す。
「やっぱり……これがあると心強い」
春香は階段へ向き直った。
「よし」
竹刀を強く握る。
そして、暗い階段を下りていった。
◇
階段を下りた先には、広い空間が広がっていた。
そこから先には、さらに奥へと続く道がある。
「……どこまで続いてるんだろ」
不安はある。
それでも、春香は歩き出した。
しばらく進んだ、そのとき。
――ピタッ。
春香の足が止まる。
「……何か、いる」
耳を澄ます。
――タッ、タッ、タッ。
複数の足音。
「な、なに……?」
竹刀を握る手に力が入る。
やがて、暗闇から姿を現したのは――。
「……え?」
身長は百センチほど。
緑色の肌。
尖った耳。
手には粗末な武器。
そして、人間とは明らかに違う顔つき。
「これって……ゴブリン……?」
一匹。
二匹。
三匹。
次々と現れ、全部で五匹。
ゴブリンたちは春香を見つけると、一斉に敵意をむき出しにした。
「え、え……」
後ずさる。
怖い。
頭ではそう思っているのに――。
一匹のゴブリンが地面を蹴った。
「き、来た……!」
迫ってくる。
身体が動かない。
もう目の前まで来ている。
――その瞬間。
春香の身体が勝手に動いた。
「……!」
一歩。
ゴブリンの攻撃を紙一重でかわす。
そのまま身体をひねり――。
「面!」
――バンッ!
竹刀がゴブリンを捉えた。
「……え?」
ゴブリンの身体が、まるで吹き飛ばされたかのように後方へ飛んでいく。
ドォンッ!
壁に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
「……今の、私が?」
驚いて自分の手を見る。
だが、考える暇はない。
残ったゴブリンたちが一斉に襲いかかってきた。
「わっ!」
一匹目。
踏み込む。
「面!」
――ドンッ!
二匹目。
「胴!」
――バンッ!
三匹目が背後から迫る。
春香は振り返りざまに攻撃をかわし、そのまま距離を詰めた。
「……遅い」
――ブンッ!
竹刀がゴブリンを捉える。
気づけば、五匹すべてが倒れていた。
「……」
静寂が戻る。
春香は竹刀を握ったまま、自分の手を見つめた。
「これが……私?」
さっきまでとは違う。
明らかに違う。
「速い……」
そして――。
「力も……すごい」
胸が高鳴る。
怖いはずなのに。
不思議と楽しい。
もっと試したい。
もっと知りたい。
「……私、強くなってるんだ」
春香の口元が自然と緩んだ。
「よし!」
そのまま、奥へ走り出す。
それからは、現れる魔物を次々と倒していった。
一匹。
二匹。
さらにその先へ。
戦うたびに、身体が軽くなっていくような感覚があった。
剣道で培った動きが、この身体ではさらに鋭くなる。
「やっぱり……そうだ」
迫る魔物をかわす。
「私、強くなってる!」
そして、さらに奥へ。
やがて道の先に、淡い光を放つ魔法陣が現れた。
「……何だろう、これ」
春香は警戒しながら近づく。
けれど、好奇心が勝った。
「……ちょっとだけ」
――パァァァッ!
「えっ!?」
強い光が身体を包み込む。
次の瞬間――。
景色が変わった。
「……ここは?」
別のフロア。
そう思った瞬間だった。
「……え?」
身体に、異変が起きた。
胸が苦しい。
身体が熱い。
「な、なに……これ……?」
足に力が入らない。
そして――。
身体が、縮んでいく。
「うっ……!」
視界がどんどん低くなる。
腕が細くなる。
足が短くなる。
着ていたジャージも、みるみるうちに身体に合わなくなっていく。
「いや……なに、これ……!」
必死に踏ん張ろうとする。
けれど、身体は止まらない。
そして数秒後。
そこに立っていたのは――。
大きすぎるジャージを身にまとった、五歳ほどの少女だった。
「……え?」
袖が長すぎて手が隠れる服の上からでも分かる小さな手。
膝元からは服がペチャンコになった小さな足。
そして、春香は震える手を見つめた。
さっきまで軽々と振っていた竹刀が、すぐそばに転がっている。
それを持ち上げようとする。
「……重い」
持ち上がらない。
その瞬間、初めて理解した。
――身体が、弱くなっている。
「……うそ」
その声は、五歳の少女のように小さかった。




