新たな日常
冒険者ギルドに到着すると、オルクスたちは足を止めて振り返った。
「俺たちは、今からギルド長に今回のことを報告しに行くよ。これから、この男にも尋問することになるだろうしね。何か分かり次第、春香たちにもすぐに知らせるよ」
オルクスがそう言い、春香たちへ丁寧に向き直った。
「分かりました。……では、オルクスさんたちもどうかお気をつけて」
春香は刀を腰に収め、丁寧に頭を下げる。
「へますんじゃないわよ」
ヘルは腕を組んだまま、相変わらず容赦ない言葉を言い放つ。
「……はは、善処するよ」
苦笑いを浮かべるオルクス。
すると——。
「あ、ちょっと待って」
本を持った魔法使いの女・ミラが足を止め、抱えていた分厚い本を開くと、ページに何かを滑らかに書き始めた。
書き終えると、そのページから淡い光を放つ魔法陣が、浮かび上がる。
春香が不思議そうに目を丸くして見つめていると、魔法陣の中心からズシリと重そうな二つの革袋が収穫物のように現れ、ミラの手に落ちた。
ジャラッ……と硬質な金属音が響く。ずっしりと丸く膨らんだ二つの袋の中には、大量の高級硬貨が詰め込まれているようだった。
ミラはそれらを手に取ると、優しく微笑んで春香へ差し出してきた。
「急なことでごめんなさい。今はこのくらいしか感謝の形を表せないのだけれど……せめて、私たちからお礼として受け取って….」
「い、いえ……っ! そんな、こんな大金を受け取るなんて悪いですよ……!」
春香は慌てて両手をブンブンと振って辞退しようとした。
「受け取ってくれないか?」
オルクスが穏やかな眼差しで重ねて尋ねる。
「春香たちは、最近この王都の国に来たばかりなんだろう?」
「はい…」
「なら、ぜひこの国の色んな店を巡ってみるといい。ここは食べ物も装備も、一級品が揃っている大都市だ。きっと春香たちの気にいるものが見つかると思う」
「お洋服とかも興味ないのかしら〜? こ〜んなに可愛いのに」
ルナが妖しく微笑みながら、春香の艶やかな金髪を指先ですくい、楽しそうに尋ねてきた。
「え、そ、そんな……服とかは……別に……」
そう答えながら、春香は思わず自分の着ている衣装へ目を落とした。
(服か……。言われてみれば、体が少し大きくなってから……服がちょっとキツくなったかも。特に……胸のあたりとか……)
レベルが【Lv.53】まで上がり、少女から少し中学生ほどの女の子へと成長した春香。今着ているのは、リングが買ってくれた大切な洋服だった。
(そういえば、あの時、リングさんがお金を出して買ってくれたんだよね……)
いつまでもお金のことで誰かに甘え続けるのは申し訳ない。
そう考えると、春香の視線はほんの少しだけ革袋へと引き寄せられた。
「何か欲しいと思った時は、ぜひこれで買ってくれると嬉しい。もちろん、これで命の恩を完全に返せたなんて思ってはいないが……せめて今は、これくらいさせてほしいんだ」
オルクスは真摯な瞳で春香をまっすぐに見つめた。
「……」
春香は少しだけ思案するように迷った。
「まぁ、使えるっていうんなら貰っておいてあげるわよ」
ヘルは堂々と当然のような顔で自分の革袋を受け取る。
「ヘル……」
春香は思わず苦笑した。
そして——。
「そういうことでしたら……ありがたく使わせていただきます!」
春香はペコリと頭を下げて革袋を受け取った。
「それじゃ、私たちはここで! ……また会いましょう!」
「ええ。また!」
こうして、Sランク冒険者たちとはここで一旦別れることになった。
◇
久しぶりに——。
春香とヘル、そして大きくなったフウ。
三人だけの時間が戻ってきた。
「ヘルは、この町に来るのは初めてなの?……」
ギルドの前を歩き出しながら、春香が尋ねる。
「えぇ、そうね……というか、私、あんまり『人のいるところ』に降りてこないし」
「……?」
春香は少し首を傾げた。
だが、すぐにパッと笑顔を弾けさせる。
「……じゃあ、この町は私が案内してあげるね!」
「偉そうに……」
ヘルは呆れたように眉をひそめて呟く。
「まぁ……案内されてあげるわよ」
「やった!」
春香が嬉しそうに笑った。
フウも春香の隣を歩きながら、
「ヴォンッ!」
と嬉しそうに尾を振って大声をあげる。
——平和な日常が戻ってきた。
そんな温かい予感が胸に満ちていく。
しばらく歩いていると、やがて見覚えのある賑やかな景色が視界に飛び込んできた。
かつてリングと一緒に歩いた、活気あふれる商店街の屋台通り。
様々な珍味や料理から漂ってくる香ばしい匂い。
賑やかに行き交う大勢の人々の歓声。
春香はどこか懐かしさを感じながら、ゆっくりと歩いていた。すると、街の人々がヘルの翼や頭上の輪、そしてフウの姿に目を奪われていることに気づく。
「なんだか……目立ってるような……」
春香が苦笑いを浮かべながら呟く。
「いちいち気にしてんじゃないわよ。そんなの気にしてたらキリがないわ」
ヘルはすっかり慣れた様子で、周囲の視線など気にも留めずに歩き続けた。
「そ、そうだね……」
春香はそう答えながらも、周囲の視線を気にしつつ、なるべく意識しないように歩き続けた。
その時——。
ふと、先ほど倒したあのフードの男の不気味な言葉が脳裏をよぎる。
『女神の使徒か……』
春香は隣を歩くヘルへ視線を送った。
(そういえば……あの時、ヘルを見て『女神の使徒』って言ってた。……あれって、一体どういう意味だったんだろう)
「ねぇ、ヘル……」
疑問を尋ねようとした、まさにその時だった。
「へぇぇぇ〜っ!!」
すぐ隣から、珍しく素直な驚きと感嘆の混じった大きな声が聞こえた。
「え?」
春香が振り返る。
ヘルの輝くような視線の先には——食欲をそそる煙が立ち上る屋台通りがあった。
「結構面白そうな場所じゃない……!」
目をランランと輝かせたヘルは、突然背中の美しい白い翼をバサリと大きく広げた。
「ちょ、ヘル!?」
次の瞬間——バサッ!
ヘルは一直線に一番近くの屋台の前へと飛んでいってしまった。
突然舞い降りた美しくも異質な翼を持つ少女に、通行人たちが驚いて足を止めて振り返る。
屋台の店主も目を丸くして固まった。
「い、いらっしゃい……嬢ちゃん」
「良い匂いね!」
ヘルは屋台から漂う芳醇な香りに、顔を近づけて鼻をクンクンと鳴らす。
「この黄色くてフワフワした食べ物は、何かしら?」
「これはこの地方ので採れる卵を使った『エッグフワット』って料理だ……銅貨3枚で6個だ!」
店主が手で3本の指を立てて威勢よく説明する。
「へぇ……」
ヘルはミラから貰った革袋の紐を解いた。
そして——中から光り輝く分厚い【金貨】を贅沢に3枚も引っ張り出した。
「これで、足いいかしら?」
「じょ、嬢ちゃんっ!?」
店主の顔が一瞬で引きつる。
「そ、それは【金貨3枚】だぞ!? そんな大金、流石に受け取れねぇよ!!」
たった銅貨3枚のストリートフードに対して、あまりにも桁が違いすぎた。
「……? よく分かんないわね」
「……」
その様子を少し離れた場所から見ていた春香は、額を押さえた。
(まるでセレブだ……)
ヘルは首をかしげながら、今度は袋の中から少し小ぶりな【銀貨】を1枚取り出した。
「じゃあ、この銀色の硬貨ならどうなのよ?」
「おぉ……これでも全然多すぎるが……まぁ、お釣りを出すから構わねぇよ!」
銀貨1枚を受け取った店主は、困り顔をしながらもジャラジャラとお釣りの銅貨を手渡してくれた。
「これが……『お釣り』?」
ヘルは掌の上の銅貨を珍しそうに眺める。
そして、もう一度屋台のおいしそうな料理を見た。
「へい毎度!」
出来立て熱々のエッグフワットが入った小箱がヘルへと手渡される。
「わぁ……!」
ヘルの大きな目が宝石のように輝いた。
「指で触ってみると、見た目以上にフワフワしているわね……!」
一つ摘まみ、そのまま小さな口へちょこんと運ぶ。
「……っ!?」
次の瞬間。
「おいし〜〜〜〜いっ!!」
ヘルの表情が一気にぱぁっと華やかに明るくなった!
「こんなに美味しい食べ物、……初めてだわ!」
「ほら、春香も食べてみなさいよ!」
「え?」
春香が驚いていると、ヘルがニコニコしながらエッグフワットを差し出してくる。
「フウちゃんも食べてみる?」
「ヴォン?」
フウも目を丸くして鼻を鳴らす。
「あ、ありがとう…」
春香は戸惑いながらもそれを受け取り、口へと運んだ。
「……! 美味しい……っ!」
外はカリッと香ばしく、中は信じられないほどトロトロの卵が口いっぱいに広がる。
「確かに、すごく美味しい!」
「ヴォンッ!」
フウも差し出されたお菓子を一口でパクリと平らげ、嬉しそうに尻尾を千切れんばかりに振る。
「ヴォンヴォンッ!」
「でしょ!」
ヘルは鼻高々に嬉しそうに笑った。
そして——。
ヘルの食欲は止まらなかった。
一つ。
また一つ。
さらに一つ。
愛らしい頬に手を当てて「おいしいわ!」と悶絶しながら、どんどん小箱の中身を平らげていく。
「何よここ! 最高じゃない!」
ヘルのテンションが見たこともないほど跳ね上がっていく。
そして、その食の喜びに完全に毒されたのはフウも同じだった。先ほどのエッグフワットで絶品料理の味を覚えてしまったらしい。
「この丸いの渡したら美味しい食べ物が出てきて、しかもまたくれるなんて……最高じゃない!」
「……」
春香は少し心配そうな目で二人を見る。
(それは……ヘルの袋の中に元々いっぱいお金が入ってるからであって……)
「面白すぎるわ! どんどん巡るわよ!」
「ヴォンッ!!」
「ヘル、それにフウも落ち着いて……っ!」
春香が冷や汗をかきながら苦笑する。
「お金の価値とか、ちゃんと理解してないと後で困ることになるよ……?」
(まぁ、私もあんまりよく分かってないんだけど……)
しかし、ヘルは春香の忠告など耳に入っていない様子で、革袋を高々と掲げた。
「……食べ尽くすしかないわね!」
「え!?」
どうやらヘルの頭の中は、すっかり食べ物のことでいっぱいのようだった。
「フウちゃんも行きましょう!」
「ヴォンッ!」」
「レイちゃんにも食べさせてあげよ!」
そう言った直後——!
ヘルとフウは凄まじい大爆走で屋台通りの中へと消えていった。
「ちょ、ちょっとヘル!? フウ——っ!?」
みるみるうちに、人込みの奥へと二人の姿が遠ざかっていく。
「……」
春香はその場にポツンと一人立ち尽くした。
そして、遠い目で小さく呟く。
(……これ、当分戻ってこないやつだ……)
「またここに戻ってきてくださいねーーーーっ!!」
人混みの奥へ届くかどうかも分からない。
それでも春香は、夕空の下で精一杯の声を張り上げるのだった。
——久しぶりに戻ってきた、日常。
その始まりは、どうやら想像以上に賑やかで騒がしいものになりそうだった。




