決着
「これでぼくのもの……」
耳元で蛇のように不気味に囁きながら、フードの男が背後から春香へ向けて生温かい手を伸ばす。
そして——春香の身体を強奪と洗脳の渦へ巻き込むべく、力任せに抱きしめようとした、まさにその瞬間!
「——なりません……っ!!」
春香は己の恐怖を力でねじ伏せ、背後から伸びてきた男の腕を両手で力強く掴み取った!
「なっ……!?」
すかさず重心を低く沈め、身体を鋭く翻す——!
ドォォォォンッ!!
威力を乗せた見事な一本背負いで、フードの男の巨体を激しく地面の岩盤へと叩き落とした!
「クッ……な……なぜだ……確かに触れたはず……!?」
「はぁぁぁぁぁぁっっ!!」
男の驚愕の声を打ち消すように、春香は倒れた男の上から愛刀を渾身の力で振り下ろした。
男は正気を失った顔で咄嗟に両手を上空へ掲げ、交差させた腕で春香の刃をギリギリで受け止める!
「くっ……ガハッ……!」
「はぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
互いの全存在を賭けた雄叫びが、静まり返った夜の森へ激しく響き渡る。
バチバチバチバチッ!!
春香の全身から、今までにないほど眩く強烈な紫銀の電撃が暴走するように駆け巡った。
刃を通じて、高密度の雷光が男の肉体へと容赦なく流れ込んでいく。
「クッ……くっ……! バカな、力が……ッ!?」
男の硬化した両腕が、春香の圧倒的な威圧感と重圧に押され、じりじりと胸元まで押し込まれていく。
「あなたなんかに……ッ!」
春香は自身の限界を超えて、刀へ全身の重みを叩きつける!
「絶対に……負けはしないッッ!!」
ギギギ……と音を立て、春香の刃がついに男の胸元へと突き刺さる。
そして——!
「やぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
バリバリィィィィッ!!
男の全身を覆っていた硬化の障壁に、クモの巣状の巨大な亀裂が走った。
そこへ、春香の全魔力を込めた極大の雷撃が直撃する!
「ぐ……あぁぁぁぁぁぁッッ!!」
世界を白く染め上げるほどの強烈な閃光が、森全体を眩しく照らし出した。
ピカァァァァァッ!!
そして——。
光の収束とともに、男の身体から完全に力が抜け落ちた。
「……」
男は白目を剥き、崩れ落ちるように地面へぐったりと倒れ伏した。
「や……やりました……っ」
春香は愛刀を杖代わりにしながら、その場へ力なく膝をつき、ペタリと座り込んだ。
張り詰めていた緊張の糸が切れた瞬間、全身を猛烈な疲労感と脱力感が襲ってくる。
その時——。
春香の目の前に、見慣れた青白い表示が透過して浮かび上がった。
【春香 レベルアップ】
【レベル 57】
【治癒スキル レベル3】
【フウ レベルアップ】
【レベル 51】
【封印スキル レベル3】
【ヘル レベルアップ】
【レベル71】
【ワープスキル レベル4】
「……あっ」
春香は文字を目で追う。
「フウたちのレベルも上がってる!よかった……やっぱりちゃんと生きてる!」
そして、新たに獲得したスキルのレベルへ視線を移した。
「スキルのレベルも上がってる……」
ふと、先ほど男がヘルたちの「ワープ」を使った悪夢のような場面が脳裏をよぎる。
(ヘルの能力を奪ったって言ってたけど……ヘルたち、本当に大丈夫かな……)
春香はフラつきながらも、必死に立ち上がった。
(……いや、心配してばかりじゃ駄目だ……!)
倒れている洗脳された冒険者たちへ視線を向ける。
(今は……私にできることをやらないと……!)
春香が一人ひとりを治療しようと歩き出した、まさにその時——。
目の前に見覚えのある黄金のゲートが突如として現れた。
「……え?」
春香が足をとめる。
「嘘……まだあの人……!?」
思わず、先ほど倒したフードの男へ視線を向けた。
だが——男はぴくりとも動かず気絶している。
すると、ゲートの向こうから——。
『たくっ…ホントイヤ』
聞き覚えのある、愛おしいツンとした声が響き渡った。
「……!」
春香の表情が一変する。
黄金のゲートの中から、優雅に背の羽を休めた赤髪の天使が姿を現した。
「ヘル……っ!!」
春香の顔に、パッと眩しい太陽のような明るさが戻る。
ヘルのすぐ後ろからは、神々しい姿の白龍がゆったりと続いて現れた。
そして——。
「……フウ……!?」
春香は目を丸くして絶句した。
最初に出会った頃の愛くるしい子犬のようなサイズとは比べものにならないほど、一回りも二回りも巨大化したフウが、威風堂々と歩いてくる。
もはや白龍の頭の上に乗るサイズではなく、大人の人間を背中に余裕で乗せられるほどの立派な巨体へと成長していたのだ。
「急にワープが使えなくなって、マジで焦ったわ……」
ヘルは不機嫌そうに周囲の惨状を見渡す。
そして、泥だらけで立っている春香を見つけると——。
「あれ? なんかアンタも、少し大きくなって……」
「ヘルーーーッ!!!」
春香は我慢の限界とばかりに、勢いよくヘルへ向かって跳びついた。
「ちょ、ちょっと!?」
そのままの勢いで、へルの華奢な体を抱きしめる。
「触ってんじゃ——」
「よかった……っ!!」
春香の大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「本当に……無事で……本当によかった……っ!!」
ヘルは何か文句を言おうと口を開きかけたが——。
涙を流して自分を案じる春香の真摯な姿を見て、結局、最後まで振り払うことはできなかった。
「……」
やがてヘルは真っ赤になった顔をそっと横へ背けた。
「たくっ…ホントバカ。大袈裟なのよ……」
しばらくして、少し落ち着いた春香がヘルの肩へ手を置く。
「だって……帰って来なかったから、本当に心配したんだよ……?」
そして、先ほどの激闘を思い出す。
「それに、あの人が……『ヘルのワープスキルを奪った』って言ってたから……」
「能力を奪う……?」
ヘルの整った眉がピクリと動く。
「アイツ、そんなスキルまで…….なるほど…」
ヘルは呆れたように小さくため息をついた。
「結構ヤバかったのね、私……」
ヘルは春香の手をそっと掴むと、いつまでも抱きつかれているのが照れくさいのか、自分の腰のあたりまでゆっくりと下ろさせた。
「けど……」
ヘルが優しくフウを見つめる。
「フウちゃんのおかげで、ここまで戻って来られたのよ」
「フウの……?」
春香が振り返る。
「……やっぱりフウなんだよね!?」
「ウォンッ!」
春香が確認するように声を出すとフウが嬉しそうにフリフリと大きな尾を振る。
「まぁ、無理もないわね……私も驚いたし…」
ヘルはフウを見つめながら、少しだけ口元を緩めて笑った。
「アイツにスキルを奪われたから、私が帰れなくなったわけ…」
「うん」
「それで向こうにいる間、フウちゃんの身体がことあるごとに大きくなってたのよ」
ヘルが成長したフウの頭を優しく撫でる。
「それで、もしやと思って『鑑定』し直してみたら……」
ヘルの目の前に、透過されたフウの最新のスキが映し出された。
【封印スキル レベル3】
【対象者を見ることで、対象者の得意かつ苦手な能力を封印する】
【対象者に触れることで、対象者にかけられたスキルを封印できる】
【自分や仲間にかけられた「封印スキル」を無効化できる】
「……っ!」
春香は目を見開いた。
「そう」
ヘルがフッと満足げに頷く。
「フウちゃんに直接触れてもらうことで、私に掛けられていた『スキル』そのものを封印してもらったのよ」
——少し前。
閉じ込められた空間で、ヘルの目の前に成長したフウがちょこんと座っていた。
『……フウちゃん。ちょっといいかしら?』
『ウォン?』
ヘルがフウのふかふかな体を愛おしそうに抱き寄せる。
『……あぁ、フウちゃんの手、モフモフで可愛い……』
そして、ヘルが自身の右手の指を響かせた。
——パチンッ!
天使の輪が輝きを放ち、空間が綺麗に割れて黄金のワープゲートが開く。
『……使えるわ!』
ヘルは不敵に小さく笑った。
『思った通り…これで戻れる!』
——現在。
「そうだったんですね……」
春香は胸にそっと手を当てた。
「本当に良かった……!」
「正直……」
ヘルは静かに森の奥の闇を見つめた。
「アイツらが移動して、私たちが完全に置き去りにされた時は……終わったと思ったわ」
「ヘル……」
春香が労わるようにヘルを見つめる。
しかし——。
「けど……まあ、よくやったんじゃない?」
ヘルがチラリと春香を見た。
「春香にしては……ね」
「……っ!」
「はぁぁぁ!? ヘルーーーッ!!」
嬉しさのあまり、再び春香が勢いよく抱きつこうとする。
しかし——!
ヘルはフッと身を翻し、ひょいっと身軽にかわしてみせた。
「たくっ…ホントバカ!」
「なんで避けるの!?」
「余韻に浸ってる場合じゃないでしょ」
ヘルが凛とした足取りで前へ歩き出す。
「春香が言ったんじゃない。『みんなの目を覚まさせなきゃ』って」
春香はハッと口をつぐんだ。
「……うん!」
ヘルが不敵に振り返る。
「ほら。さっさと目覚まさせるわよ」
そして、フウへ優しく手を伸ばした。
「後でたっぷり文句言ってやるんだから」
「その前に……レイちゃん」
「キィィィン」
ヘルの呼びかけに応じるように、白龍がゆっくりと顔を近づけた。
「こんなことに巻き込んじゃって……本当にごめんね」
「キィィン」
白龍は、まるで気にするなと言わんばかりに、そっとヘルの額に自分の額を重ねた。
「……ありがとう。レイちゃんがいなかったら、私たち、間違いなく終わってたわ」
ヘルは白龍の顔を優しく見つめる。
「だから……今度、ちゃんとお礼をさせてね」
「キィィン! キィィィン!」
その言葉が嬉しかったのか、白龍はヘルの周囲を楽しそうに飛び回った。
「ウフフ……楽しみにしててね! 本当にありがとう!」
ヘルは珍しく、屈託のない笑みを浮かべた。
「あ、あの……レイ……さん!」
そのとき、春香がおずおずと声をかけた。
すると――。
先ほどまで嬉しそうに宙を舞っていた白龍が、ぴたりと動きを止めた。
ゆっくりと春香へ顔を向ける。
その表情は、ヘルに見せていたものとはまるで違っていた。
まるで神のような威厳を漂わせ、春香をじっと見下ろしている。
「きょ、今日は巻き込んでしまって、本当にごめんなさい!」
春香は勢いよく頭を下げた。
「レイさんがいてくれたから……私は、大切なものを守ることができました!」
そして、もう一度深く頭を下げる。
「本当に……ありがとうございました!」
「…………」
白龍は何も答えず、ただじっと春香を見つめていた。
やがて――。
「キィィィン」
先ほどとは違う、どこか力強く、真剣な鳴き声が響いた。
「……?」
春香は顔を上げる。
しかし、その鳴き声が何を意味しているのか、まるで分からなかった。
「……『さん』はいらないって」
「え……?」
隣で腕を組んでいたヘルが、何でもないことのように口を開いた。
「レイちゃんが言ってるのよ。『さん』なんてつけなくていいって」
「そ、それって……」
「……あんた、周りに恵まれてるわね」
ヘルは小さく笑みを浮かべると、右手を持ち上げた。
――パチンッ!
指を鳴らすと同時に、空中に黄金の輪が出現する。
眩い光を放つワープゲートが、ゆっくりと広がっていった。
「ありがとう、レイちゃん。今日はゆっくり休んでね。また会いましょ!」
「キィィィン!」
白龍は嬉しそうにひと鳴きすると、軽やかに宙を舞った。
そして、そのままワープゲートへと向かっていく。
その姿を見つめていた春香が、思わず声を上げた。
「レイ!!」
白龍の動きが止まる。
「私にも……お礼をさせてください!」
「ヴォンッ!!」
春香に続くように、フウも力強く吠えた。
すると――。
「……キィィン」
白龍はちらりと春香たちを振り返り、静かに鳴いた。
その声を聞いた瞬間、春香はふっと笑みを浮かべた。
(……うん。きっと、また会えるよね)
言葉が分かったわけではない。
それでも、不思議とそう言ってくれたような気がした。
白龍はそれ以上振り返ることなく、黄金の輪の中へと姿を消していった。
やがて、ワープゲートが静かに閉じる。
「さてと……フウちゃん、おいで」
「ヴォンッ!」
ヘルの呼びかけに、フウが力強い足取りで駆け寄る。
春香も愛刀をしっかりと収め、力強く立ち上がった。
進んでいく春香たち背中。
その佇まいは——ただ成長した肉体だけではない。
これまで命を懸けて共に戦い、傷つき、支え合ってきた深い絆の時間そのものが、眩い光となって森の中に輝いていたのだった。




