中学生の身体
春香と剣士が繰り出す剣と剣の激突音が、静まり返った森の中に激しく響き渡っていた。
先ほどまであれほど無数に群がっていた魔物も、洗脳されたSランク冒険者たちも、もうここにはいない。ヘルと白龍の手によって、丸ごとワープゲートの彼方へと隔離されたからだ。
残されたのは、静寂に包まれた深い森と——二人の剣士だけだった。
——キィィインッ!
鋭い金属音が空気を引き裂く。
「……っ!」
春香は衝撃に耐えながら、一歩後ろへ地面を滑らせた。
(この人……やっぱり強い……!)
剣道で長年培ってきた体裁きと間合いの計り方、そして異世界で磨いた技を次々と繰り出していく。
踏み込み、斬り込み、一瞬で間合いを詰める。
しかし——。
ガキンッ!
キィンッ!
春香の放つ渾身の攻撃は、相手の精密機械のような剣技によってことごとく受け流されていく。
(攻撃が……全然通らない……!)
春香は一旦、大きくバックステップを踏んで距離を取った。
呼吸を整え、愛刀を高く振りかぶる。
「——はぁ!!」
バチィィッ!!
剣先から放たれた白銀の雷光が、銀髪の騎士へ向かって一直線に地を這う。
しかし——剣士は最小限の動作で身体をわずかに傾けただけで、その雷撃をすれ違いざまにかわしてみせた。
「なっ……!」
その刹那。
踏み込みの予備動作すらなく、剣士が一気に春香の不可侵領域(間合い)へ滑り込んできた。
「クッ……!」
振り下ろされる必殺の一撃を、春香は咄嗟に剣を交差させて受け止める。
ガキィンッ!
そこから、剣士の容赦ない連撃が始まった。
右。
左。
上段からの唐竹割り。
一転しての横薙ぎ。
畳みかけるような鋭い斬撃の嵐を、春香は必死の思いで剣を合わせて防いでいく。
(これでも……この人の一番得意なスキルか魔法が封じられているなんて……!)
重い。一撃一撃が腕を痺れさせるほどに重い。
それでも春香は何とか踏みとどまり、愚直に剣を合わせ続けた。
だが——。
(このままじゃ……!)
追い詰められかけた、その時だった。
春香の視界の隅に、青白く輝く透過ウィンドウが浮かび上がる。
【春香 レベルアップ】
【レベル42】
さらに、連鎖するように文字が躍る。
【フウ レベルアップ】
【レベル 30】
【ヘル レベルアップ】
【レベル 63】
(これは……!)
遠く別の空間で戦っている仲間たちの経験値が共有され、春香のステータスが底上げされたのだ。
春香がその青い表示に一瞬だけ目を奪われた、まさにその瞬間——。
「——!」
剣士が一気の踏み込みで間合いを潰してきた。
迷いも、猶予も与えない。
振り下ろされる銀閃を、春香は身体の反射だけで受け止める。
ガキィンッ!
(……あれ?)
さっきまでとは、明らかに感覚が違う。
(対応……できる……!)
先ほどまであれほど速かった剣士の剣筋が、ほんの少しだけ遅く、明確に見える。
いや——違う。
(私が……速くなってるんだ……!)
春香は手首を返し、剣士の剣を力強く横へと薙ぎ払った。
勢いを削がれた騎士の剣先が、地面へと鋭く突き刺さる。
バチンッ!
ガラ空きになった騎士の頭部へ、春香はそのまま鋭い突きを繰り出そうとした——その瞬間。
「……!」
春香の動きが、ピタリと止まった。
(ダメ……っ!)
剣士は、そのほんのコンマ数秒の迷いを見逃さなかった。
ドンッ!
重い蹴りを見舞われ、吹き飛ばされた春香の身体が砂塵を巻き上げて地面を滑る。
「くっ……!」
剣士は地面から手際よく剣を引き抜くと、間髪入れずに追撃の跳躍を見せた。
春香は地面に手を突きながら、迫り来る刃を必死の形相で受け止める。
ガキィンッ!
「クッ……あぁぁ!」
全身の力で弾き返し、なんとか体勢を立て直して大きく後ろへ飛び退いた。
距離が開く。
剣士は剣を正眼に構えたまま、微動だにせずこちらを見据えている。
(ダメだ……)
春香は震える手で剣を握り直した。
(攻撃……できない……)
目の前にいる騎士は、あくどいフードの男に洗脳され、操られているだけだ。
頭では分かっている。
分かっているのに——。
(この人を傷つけてしまうのは……)
けれど、ここで自分が躊躇すれば、自分だけでなく、別の場所で大軍勢と戦っているヘルたちまでもが命の危険に晒される。
(どうしたら……)
葛藤に押し潰されそうになったその時。
春香の脳裏に、かつて共に戦った仲間——リングの言葉が静かに蘇った。
『もし……俺が操られていたらどうする?』
『そのときも、同じように躊躇するのかい?』
「……」
春香は、静かに騎士を見つめ返した。
(あのときと……同じだ……)
(私……何一つ変わってなかった……)
異世界に来て、魔物を倒して。
レベルを上げて、自分は強くなったのだと……どこかで思い上がっていた。
けれど——。
(『強くなる』ってことの本当の意味を、私は何も分かってなかった……!)
(自分自身の覚悟さえ決まっていないくせに、綺麗な理想ばかりを相手に押しつけて……!)
そのとき、春香の脳裏に、これまでのヘルの姿が次々とよみがえった。
危険を承知で、自分に力を貸してくれたこと。
何度も窮地から救ってくれたこと。
そして今も、自分のために戦い続けていること。
最後に、あのときのヘルの言葉が鮮明によみがえった。
『春香――勝ちなさいよ』
(ヘルは……今この瞬間も、あの場所で命を懸けて戦ってる……!)
春香は、握り締めた柄に力を込めた。
(勝つんだ……仲間のために!)
迷いが消え、春香の瞳に澄み渡った強い決意の光が宿った。
「……あなたは、強いです」
春香は、ゆっくりと騎士へ向かって一歩を踏み出した。
「ごめんなさい」
さらにもう一歩。
「手加減は……できません!」
そして——。
「痛い思いをさせるかもしれません……!」
春香は静かに、だが揺るぎない構えを取った。
「だけど……向こうで一緒に頑張ってくれている『友達』がいるから!」
一瞬だけ、強く目を閉じる。
「もう……迷わない!」
そして、カッと目を開いた。
「あとで……絶対に一緒に痛みごと背負いますから……!!」
地面が爆発した。
春香が疾走する。同時に、騎士も地を蹴った。
二人の距離が、一瞬でゼロになる。
「——ッ!」
「——ッ!」
剣と剣が、火花を散らして真っ向から激突した。
キィンッ!
ガキィンッ!
互いの全存在を乗せた刃が交錯し、激しい火花が夜の森を照らし出す。
一撃。
二撃。
三撃。
その攻防は音を置き去りにし、加速していく。
「はぁぁぁぁぁぁっっ!!」
春香の剣速が、踏み込みが、さらに鋭さを増していく。
剣士が必死の剣技で受け止める。
しかし——春香の連撃は止まらない!
右。
左。
斜め下からの返し刃。
溢れ出る圧倒的な踏み込みが、剣士を徐々に後退させていく。
(もっと……もっと速く……!!)
春香の剣速が、限界を超えて加速する。
追い詰められた剣士は、最後の力を振り絞るように高々と剣を振りかぶった。
上段からの、すべてを穿つ渾身の一撃。
春香は逃げない。その一撃を、正面から重厚に受け止めた!
ガキィィィンッ!!
その瞬間——力と力が拮抗し、剣士の胴体が僅かにガラ空きになった。
「——今っ!!」
春香は身体を低く滑り込ませた。
必殺の踏み込みとともに、剣士の吸い付くような胴へ向けて、魂の乗った一太刀を叩き込む!
「胴ォォォォォォ筋!!」
——ズバァァァァンッ!!
鋭い衝撃音が森に響き渡り、春香はそのまま剣士の横を閃光となって駆け抜けた。
数歩進んだところで、ピタリと足を止める。
身じろぎひとつせず、剣を構え直す。
——残心。
森に、静寂が戻る。
そして、その背後で——。
膝から崩れ落ちるように、ドサッ……と剣士が地面へ倒れ伏した。
春香は振り返らない。
ただ静かに、溢れる想いを胸に剣を強く握りしめていた。
その時——視界に眩い光が弾ける。
【春香 レベルアップ】
【レベル 45】
【治癒スキル レベル3】
【オーラスキル 獲得】
【フウ レベルアップ】
【レベルアップ35】
【封印スキル レベル2】
【ヘル レベルアップ】
【レベル 64】
レベルアップの表示が次第に消えていく。
倒れ伏した剣士を背に、春香はまっすぐに立っていた。
心だけではない。
レベルアップの光が収まるとともに、その全身の佇まいは一回り大きく、逞しく変化していた。
それまでの幼さが残る子どもの体つきから、まるで中学生ほどの年格好へと引き締まった少女の肢体へ——。凛とした覚悟が、その表情と背中に確かな威言となって宿っている。
その瞬間——。
パチンッ。
後ろで金髪をキュッと束ねていた髪留めが、膨れ上がったオーラに耐えかねるように弾け飛んだ。
束ねられていた髪がふわりとほどけ、夜の森を駆け抜ける風に乗って神々しくなびいていく。
——春香は、また一つ、本当の強さを手に入れたのだった。




