白龍召喚
――ゲート突入前
黄金のゲートを前に、春香は意を決して一歩を踏み出そうとした。
その時だった。
「ちょい待ち」
背後から飛んできた声に、ヘルが春香の肩を軽く叩く。
「ん?」
春香がくるりと振り返る。
ヘルは腕を組み、ただでさえ鋭い視線をさらに細めて春香を見据えていた。
「春香。一人で行こうとしてたくらいなんだから当然、何か作戦とか考えてあるんでしょうね?」
「も、もちろんだよ!」
春香は図星を突かれた動揺を隠すように、慌てて胸を張ってみせる。
「私だって、それなりに考えてるんだから!」
「へぇ~」
ヘルが疑わしげに目を細めた。
「なら、どうするつもりだったのか言ってみなさいよ」
「えっと……」
春香はわずかにたじろぎ、頭を悩ませる。
「ま、まず、あのフードの男が洗脳して皆さんを操ってるわけでしょ……!」
「えぇ、そうね」
「だから、あの人を速攻でやっつけたら、皆は元に戻るかなって……!」
「…………」
ヘルの目が、あきれの色を通り越して冷ややかなものに変わっていく。
「たくっ…ホントアホ」
「えっ」
「本当に死んでたわね…」
ヘルはやれやれといった様子で深く息を吐き出した。
「洗脳使いが、みすみす自分を狙われるような陣形組むわけないでしょ」
「…………」
春香の顔からサーっと血の気が引いていく。
「……う、うぅ……」
「私に考えがあるわ」
ヘルは青ざめる春香の横をすっと通り過ぎる。
「もう少し、先を見据えた話をしましょう」
◇
しばらくして――。
静まり返っていた森の中に、じわじわと敵の気配が集まり始めていた。
木々の奥から這い出るように現れる魔獣たち。
そして、その後ろから無機質な足取りで姿を見せる冒険者たち。
やがて、先ほど戦った者たちが、ほぼ隙間なく周囲を埋め尽くすように勢揃いした。
「……ヘルの言った通り、全員集まってきた」
春香は緊張で喉を鳴らしながら、ぐるりと周囲を見渡す。
◇
「まず前提として、さっきワープしたところへ迂闊に戻るだけでも、はっきり言って命取りなの」
ヘルは周囲の気配を値踏みするように、静かに口を開いた。
「な、なんで?」
「あいつ、魔物も支配下においてたでしょ?」
「うん…」
「だったら、この森に住んでいる魔物のほとんどは、すでにあいつの支配下にあると考えた方がいいわ」
ヘルは視線を森の奥深くへと向けた。
「もし私たちが、さっきの場所でワープしているところを魔物に見られてたらどうなる?」
「……すぐに報告される…」
「そういうこと」
ヘルは冷静に言葉を継ぐ。
「けど、あいつらを倒しに行くなら、ワープであの場所に戻るしかないわ」
「…………」
「あそこに転移した瞬間から勝負の始まりよ。一瞬たりとも気を抜かないこと」
ヘルの声が低く、重みを帯びる。
「少しでも場所に違和感があれば、すでに敵が待ち構えていると思いなさいね」
「でも……」
春香はヘルの言葉を聞いて考えを巡らせると、新たな不安に駆られ、おそるおそる口を開いた。
「でも、敵も私たちが戻ってくるって思ってたら、待ち構えられて、また大人数で追い詰められるんじゃ……」
「いいえ」
ヘルは迷いなく首を横に振った。
「その可能性は低いわ」
「どうして?」
「敵からすれば、私らはもう戻ってこないと思ってるかもしれないし、意地になってまたあの戦った場所に再度ワープしてくると踏んでるかもしれない」
ヘルはスッと一本の指を立てた。
「あっちも私たちの出方を一つに絞りきれない以上、偏った陣形は組めないはずよ」
「なるほど……!」
「おそらく、まずはさっき戦った場所で様子を見るか、あいつ自身が最後のワープ地点を確かめに来るはずよ」
ヘルは洗脳された仲間たちの虚ろな目を思い浮かべる。
「今のあいつらを見る限り、まともな会話はできないはず……だから、様子見でワープ地点に来てたとしても――来てるのはフードの男とその周りに2、3人いる程度ね」
「おぉ……!」
春香の表情に、パッと光が戻る。
「そこで敵が手薄なうちに、あの人を一気に倒すんだね!」
「いや……逆よ」
「逆……?」
「全員、まとめて集結させる」
「えっ……!?」
春香は耳を疑い、大きく目を見開いた。
「な、なんでわざわざそんな危険なことを……!?」
「私の鑑定は、相手のすべてのスキルや魔法を完全に把握できるわけじゃないの」
ヘルの表情に、わずかな緊張が走る。
「もし相手に何か予測不能の奥の手があって、そこで足止めを食らったらどうなる?」
「…………」
「その状態で長引き、体力を消耗したあとに、後から数千の群れに囲まれたら……」
ヘルは静かに、しかし残酷な現実を告げた。
「その時点で私たちの詰みよ」
春香はごくりと固唾を呑み込んだ。
「でも……結局、後から全員集結させたら、どのみちピンチなんじゃ……」
「ええ、ふつうにやればね」
ヘルは振り返り、春香をじっと見据えた。
「そこで――『友達』の力を借りるわ」
「友達って……」
春香は少し照れくさそうに顔を赤らめ、おそるおそる自分自身を指差した。
「……私?」
「たくっ…ホントバカ、救いようがないわね」
「え….…」
あきれ返るヘルに対し、春香は恥ずかしそうに頬を染める。
だが、その呆れたような横顔の奥で、ヘルの瞳には隠しきれない優しさと僅かな迷いが揺れていた。
(本当は……こんな危ない戦いに、これ以上巻き込みたくはないんだけど……)
小さく息を吐き、ヘルは気持ちを切り替えるように前を向いた。
そして――。
◇
黄金のゲートから現れたのは、眩い閃光を纏った存在。
――白龍。
純白の巨体が、ヘルの周囲を優雅に、そして圧倒的な威圧感を放ちながら旋回する。
その神々しい姿は、周囲の空気を一変させるほどに美しかった。
「……っ!」
春香は息を忘れて見上げる。
「あれが……ヘルの、友達」
あまりにも規格外の存在を前に、春香は一時的に言葉を失った。
それは敵とて同じらしく、フードの男でさえもその巨大な白龍から一瞬たりとも目を離せずにいた。
だが、混乱の時間は長く続かなかった。敵側も即座に行動に移る。
ピンク髪の魔法使いが素早く杖を構え、呪文を紡ぎながらその先端に禍々しいほどの巨大な炎の塊を現出させる。
本を抱えた女は無言のまま狂ったようにページをめくり、文字を殴り書きしていく。
頑強な鎧をまとった大男は分厚い盾を地面に突き刺し、フードの男を死守する構えをとる。
黒髪に紫色のインナーカラーの女は、不気味な笑みを浮かべながら白龍へと手を伸ばした。
素手の男も拳を固めて臨戦態勢に入る。
そして――。
銀髪の剣士が、殺気すら纏わぬ足取りで、純白の龍めがけて駆け出した。
◇
「おそらく、あの剣士は私の友達を見たら、迷うことなく真っ先に攻撃を仕掛けてくる」
ヘルはあらかじめ、敵の出方を冷静に予測していた。
「どうして……?」
「それだけ脅威だと認識するからよ。姿を見ただけで誰でもそう思うわ」
「そ、そんなに……」
春香はどんな友達なんだろうと、心の中で筋肉ムキムキのマッチョな姿を勝手にイメージして身構える。
「もしかしたら、あのぶん殴り野郎も突っ込んでくるかもね……」
ヘルは淡々と話を続ける。
「他のやつらも距離を保って何かしら仕掛けてくるはず……でも、私らなら多少の攻撃はいなせるわ…けどそれは…目の前の敵に足止めされなければの話よ」
ヘルはふっと表情を引き締め、鋭い視線を春香に向ける。
「だから――もしあの剣士が、一番に飛び込んできた時は……」
◇
「行かせません!」
白龍へと迫る凶刃の軌道に、春香が跳躍して割り込んだ。
「キンッ――!!」
森の木々がどよめくほど鋭い金属音が、空間を切り裂くように響き渡る。
剣と剣が激しく噛み合い、その衝撃で春香も騎士も大きく地面へと押し戻された。
騎士は一瞬の隙もなく体勢を立て直し、再び白龍の背中を狙って駆け出そうとする。
だが――春香はその進路を完全に塞ぎ、一歩も引かなかった。
(春香が私たちを守り抜きなさいよ)
脳裏に響いたヘルの言葉が、春香の小さな体に底知れぬ力を与える。
その瞬間だった。
「――ヴォォォォォン……ッ!!」
白龍が、天を揺るがすほどの猛々しい咆哮を上げた。
轟音とともに、白龍の全身から溢れ出していた純白の光が一気にその輝きを増していく。
周囲の空間に漂っていたマナの粒子が、まるで吸い寄せられるように白龍の体へと集中していく。
魔法の均衡が揺らぐ。魔法使いの杖の先で燃え盛っていたはずの炎の塊が、みるみるうちに縮こまり、やがて音もなくかき消えていった。
そして――視界のすべてを支配する光までもが、白龍の圧倒的な引力へと奪われていく。
緑豊かな森から、色彩という色彩がみるみるうちに消え去っていく。
眩いはずの光の中にいるというのに、周囲は急速にモノトーンの世界へと変貌していった。
ただ立ち尽くし、ただ白龍を見上げる事しかできない。
――絶対的な格の違いの前に、あらゆる抵抗が無力化されていく。
白龍は静かに両手を広げ、周囲のすべてを慈しむように、そして包み込むように柔らかく空間を抱き締めた。
そして――。
ふぅ……。
白龍が、静かに息を吹きかける。
次の瞬間。
ヘル、春香、フウ、そして目の前の剣士を除く、その場にいたすべての敵が――抗う間もなく、一つの巨大な光の塊へと吸い寄せられていった。
「本当なら、この瞬間――もう勝負アリなんだけど…」
ヘルは冷ややかに微笑み、光の群れへと左手を向けた。
そして、小気味よい音を立てて指を鳴らす。
「――パチンッ!」
その硬質な音を合図にするように、光の足元に巨大な黄金の輪が浮かび上がった。
黄金のゲートが開く。
光の繭に囚われた者たちは、まるで吸い寄せられる磁石のように、次々とその異次元の穴へと飲み込まれていった。
◇
「一番厄介な剣士は、春香に任せるわ。」
ヘルの信頼に満ちた声が、鮮明に蘇る。
「だから残りのザコは、私らに任せなさい。」
◇
「ありがとう、レイちゃん」
ヘルが白龍に優しく声をかける。
その言葉と共に、白龍を包み込んでいた眩い光がスーッと収束していった。
光の消失と同時に、その場に集められていた敵の群れは、残らず黄金のゲートの向こうへと綺麗に消え去る。
「私らも行きましょう。行くわよ、フウちゃん」
ヘルは足元で警戒態勢をとるフウをひょいと抱き上げた。
「ウォン!」
フウが頼もしく鳴き声を上げる。
ヘルは翼を大きく羽ばたかせ、ゲートへと向かってふわりと飛び立った。
「――キィィィン……!」
白龍が高く、美しく鳴き声を響かせる。
その巨大は、ヘルの後を追うように優雅に宙を舞う。
ゲートが完全に閉じきるその直前――。
ヘルはふと振り返り、地上に立つ少女に視線を投げた。
「春香」
ヘルは空中でピッと拳を春香へ突き出す。
「――勝ちなさいよ」
春香は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに表情を和らげ、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「もちろん!」
「もちろん!」
春香もまた、負けじと力強く拳を突き上げ、空に向かってぶつけるような仕草をした。
「フウちゃん! ヘルのこと、しっかりサポート頼んだからね!」
「ウォンッ!」
フウが一声、元気いっぱいに返事をする。
仲間の背中を見送ったあと、春香はすっと息を吸い込み、構えていた剣を握り直した。
その凛とした横顔を見たヘルは、満足そうにわずかに口元を緩め、白龍とともに黄金の光の向こうへと消えていった。
静寂の戻った森に、ただ二人だけが残される。
春香と、洗脳されたままの精悍な剣士。
木々の間を吹き抜ける一陣の風が、殺伐とした空気の中を通り過ぎていく。
春香は重心を落とし、愛剣を真っ直ぐに構えた。
――ここからは、自分の戦いだ。




