友達
——ズスンッ!
眩い光が収まると同時に、春香たちは巨大な岩の上へと倒れ込んだ。もはや綺麗に着地する余裕など、彼女たちには残されていなかった。
ワープで飛ばされた先は、春香が初めてヘルと出会った、あの場所だった。
空中に開いた黄金のゲートから落下した二人と一匹。しかし、本来なら平らだったはずの地面には、いつの間にか巨大な岩が転がっていた。
先ほど大男が投げつけてきた巨岩が、奇しくも彼女たちより先に転移していたらしい。その岩が結果的に足場となり、落下の衝撃を幾分か和らげてくれたのだ。
だが、安堵する間もなかった。
すぐ傍らで、ヘルが翼を押さえ、激しく苦しんでいたのだ。
「うっ……ぐっ……!」
「ヘル……っ!」
ヘルに抱えられていたフウも、苦しむ彼女を心配そうに見つめている。
(早くヘルの手当てを……っ!)
ヘルの翼には、あの銀髪の剣士が放った刀身が深く突き刺さったままだった。
(これ、抜いて大丈夫なのかな……!? 血がたくさん出たりしない……!?)
一瞬、春香の手が止まる。
しかし、苦しそうに息を吐くヘルの顔を見た瞬間、迷いを振り払った。
今は一刻も早く治療しなければならない。
「ヘル、ごめん……! すぐ治すから…!」
春香は剣の柄を固く握り締め、一気に引き抜いた。
「うぅぅっ……!」
血こそ流れなかったものの、ヘルは苦痛に顔を歪めた。
春香は抜き取った剣を傍らに置くと、すぐさま傷ついた翼へ両手をかざした。
意識を集中させ、体内に宿る温かな力を呼び起こす。
幾度となく治癒スキルを使ってきたことで、その扱いは以前よりも格段に洗練されていた。
——ふわり。
春香の手から溢れ出した優しい光が、ヘルの全身を包み込んでいく。
「うっ……あ……」
やがて光が静かに消えると、深く傷ついていたヘルの翼は元の美しい姿を取り戻していた。
痛みから解放されたヘルが、ゆっくりと上体を起こす。
「はぁ……! よかったぁ……!」
春香は胸を撫で下ろし、張り詰めていた肩の力を抜いた。
「ウォン、ウォンッ!」
フウも嬉しそうに尻尾を振りながら吠える。
「アンタ……怪我も治せるのね。助かったわ」
ヘルは素直に礼を述べると、寄り添ってきたフウの頭を優しく撫でた。
「いえ……私の方こそ。ヘルがいなかったら、今頃私たちは……」
言葉を詰まらせ、俯く春香。
そんな彼女を見て、ヘルは小さく首を振ると、静かに立ち上がった。
「そうね……。それより、一刻も早くここから離れるわよ。あいつらが追って来ないとも限らないわ」
「わ、分かりました……!」
ヘルが右手の指を鳴らす。
すると、目の前の空間が裂け、再び黄金のワープゲートが姿を現した。
春香たちは互いの無事を確かめながら、その中へと足を踏み入れた。
——ゲートを抜けた先に広がっていたのは、息をのむほど美しい花畑だった。
「ここは……」
視界いっぱいに咲き誇る色とりどりの花々。
その向こうには透き通った湖が広がり、降り注ぐ陽光を受けて水面が宝石のように輝いている。
前世でも見たことのない幻想的な光景に、春香は思わず目を奪われた。
しかし、つい先ほどまで命を懸けた戦いの中にいた彼女には、その美しさを素直に楽しむ余裕などなかった。
「ウォ〜ン!」
そんな中、緊張から解放されたフウだけが、嬉しそうに花畑を駆け回っていた。
「場所なんてどこだっていいでしょ……」
ヘルはそう言って歩みを止めた。
春香はしばらくその背中を見つめていたが、やがて胸の奥に残っていた疑問を口にした。
「あの人たち、なんで急に私たちを襲ってきたのかな……?」
「さぁね……イカれた奴らの考えなんて分かんないわよ。……ただ」
「ただ……?」
「あいつらがどういう奴らかは分かったわ」
ヘルの口調が、わずかに鋭さを帯びる。
「えっ……!?」
「鑑定したのよ。あのフードの男……『洗脳スキル』を持ってたわ」
「洗脳……ってことは……!」
「えぇ…間違いなく、あいつらはフードの男に洗脳されてるわね」
「そんな……あの人たちが……っ! じゃあ、なんで私たちは洗脳されずに済んだの……?」
「洗脳にも条件があったみたいよ」
「条件……?」
「えぇ。触れた者にしか効果がないらしいわ。それに……同時に洗脳できる人数にも制限があるみたいね」
「触れる……それに人数制限……」
「何人までかは分からないけど…」
その説明を聞いた春香は、ふと先ほどの異様な光景を思い出した。
「でも……あのフードの男、森の魔物まで従えていました。それも何体も……。人数制限があると言っても、かなりの数を洗脳できるんじゃ……」
「いいえ…魔物の方は、おそらくその『数』には入ってないわね」
「え……どうして……?」
「あいつらは多分『契約』しているのよ。洗脳じゃなくてね」
「魔物と契約……? でも、魔物は人間に攻撃的だから、普通は契約なんてできないんじゃ……」
「えぇ、普通はありえないわよ。けど、あいつの『洗脳スキル』があれば不可能じゃない」
ヘルの言葉に、春香は思わず息を呑んだ。
「一度魔物を、洗脳させ、従わせている間に『契約』を結ぶ。そうすれば、洗脳を解除しても契約の力で言うことを聞かせ続けられる」
「そんなことが…できるんですね……」
「えぇ。契約に必要なのは『両者の意思の一致』だから……洗脳して意志を操ってしまえば、簡単ね」
ヘルは忌々しげに息を吐いた。
そして、話を終わらせるように春香へ向き直る。
「さ、これに懲りたらもうあそこには近づかないことね」
「え……」
春香は耳を疑った。
「なによ」
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
「だから何!?」
「あの洗脳されている人たちを……放っておくんですか!?」
「えぇ、当たり前でしょ? 縁もゆかりもないんだから。それとも何、アンタの知り合いでもいたわけ?」
ヘルは何のためらいもなく言い切った。
そのあまりに淡々とした態度に、春香は思わず一歩踏み出す。
「いません……けど……あの人たちだって、好きで洗脳されてるわけじゃないと思います……誰かが助けに行かないと、一生あのまま……!」
「たくっ……ホントバカ。ゾンビを助けに行って、自分もゾンビになりたいわけ!?」
唐突な例えだったが、ヘルの言わんとしていることは痛いほど伝わってきた。
「一度助かったんだからそれで十分でしょ! ああなる危険があるって分かってて戻るのは、ただのバカとしか思えない!」
鋭い言葉が春香の胸に突き刺さる。
ヘルの言い分が間違っていないことは、春香にも分かっていた。
だが、それでも譲れないものがあった。
「じゃあ……! じゃあヘルは、自分が契約した魔獣が洗脳されても同じことが言えるの!?」
「契約関係にある者同士は、外部からのスキルの影響を受けないのよ。成り立たない例えね」
即座に切り返され、春香は一瞬言葉に詰まった。
「そ、そういうことじゃなくて……! じゃあ、洗脳じゃなくて捕まってたらどうするの!?」
「…………」
今度はヘルが黙り込んだ。
しかし、それもほんの一瞬だった。
「……けど、アンタにとってあの人たちは仲間でも、契約関係でも、知り合いでもないでしょ。話が全然違うわ」
「違わないよ!! 関係があるから助けるんじゃない! 誰かが困ってたら何とかしたいって思う気持ちは……そんなにおかしいことなの!?」
春香の声が花畑に響き渡る。
互いに一歩も引かない二人の言い争いに、少し離れた場所で遊んでいたフウも足を止め、不安そうに二人の顔を交互に見つめていた。
「正義ぶってんじゃないわよ!!」
ヘルがとうとう声を荒らげた。
「自分がやりたいことと、できるかどうかは別の話でしょ!? そんなことも分からないわけ!? 』
それに追い打ちをかけるように春香へ厳しい言葉を浴びせる。
『私たち、死にかけたのよ!? ここにいる誰かが欠けた瞬間、全員がやられてた! 死んだらそこで終わりなの! 洗脳されてようが、あいつら6人はまだ生きてる! それでいいじゃない!!」
それは、これまで春香が見たこともないほど感情を剥き出しにしたヘルの姿だった。
怒りに満ちた声。
しかし、その言葉の一つひとつには、先ほどの戦いで誰よりも危険を知った彼女なりの切実さが込められていた。
春香も、それを理解していないわけではなかった。
だからこそ、しばらく口を閉ざしていた。
だが——その瞳から、決意の光が消えることはなかった。
静かに顔を上げ、真っ直ぐにヘルを見つめる。
「けど……自分の意思もなく操られて生かされるのって、死ぬことより怖いことだと思わない?」
その問いに、ヘルの表情がわずかに歪んだ。
「ハッ……他人のことだから、どうとも思わないわね」
ヘルは吐き捨てるように言うと、ぷいっと顔を背けた。
春香はその背中を見つめた。
本当に、そうなのだろうか。
他人のことなど、どうでもいい。
もし本当にそう思っているのなら——。
「じゃあ……なんであの時私を助けてくれたの!?」
「……っ」
ヘルの肩が、ぴくりと揺れた。
「私だけじゃない……フウも一緒に! あの時……ヘルなら、一人で逃げようと思えば逃げられたよね!? なのに、自分の羽を傷つけてまで……私達を連れて逃げてくれたじゃん……!」
ヘルは振り返らなかった。
ただ黙って、春香の言葉に耳を傾けていた。
「ヘルの中でも……何かが変わってるんじゃないの……!?」
(何かが……変わってる……?)
思いもよらない言葉に、ヘルは胸の内で問い返した。
(確かに……今までの私なら、迷わず1人で逃げてた……どうして……?)
自分でも分からなかった。
あの時、なぜ二人を見捨てなかったのか。
なぜ、自ら危険を冒してまで助けようとしたのか。
その疑問とともに脳裏に浮かび上がったのは、激しい戦闘の最中、自分を守るために銀髪の剣士の前へ飛び出した春香の姿だった。
「ヘル、言ってたじゃん! 『いいな』って思った相手とは、対等でいたいって!」
「……っ」
「あの言葉を聞いて、私、すごいなって思ったよ! 自分とは違う生き物でも、ちゃんと相手のことを考えられるヘルがすごいって!」
ヘルの眉が、かすかに動いた。
けれど、何も言い返さない。
「私、この世界に来てから……本当にたくさんの温かい心を持った人たちに出会えたの」
春香の脳裏に、これまでの出来事が次々と蘇る。
命懸けで自分を守ってくれたリング。
危険を顧みず、助けに来てくれたヘル。
新しい服を着た自分を、まるで我が事のように喜んでくれた服屋の夫婦。
そして、自分と、一緒にいてくれるフウ。
この世界に来てから出会った人たちの笑顔が、春香の胸を温かく満たしていく。
「だから……! 私は、その大切な心を奪うような人を……絶対に許せない!」
春香は力強く言い切った。
その瞳には、もう一切の迷いもなかった。
ヘルはしばらく春香を見つめていたが、やがて腕を組み、再び背を向けた。
「たくっ…ホントバカ。行くなら一人で行きなさいよ……私は知らないから」
突き放すような言葉。
それを聞いた春香は静かに頷いた。
「……分かった。じゃあ、最後に一つだけお願いしてもいい?」
「はあ!? なに!?」
「ワープで、私をもう一度あそこに飛ばしてほしいの」
その声に、ためらいはなかった。
春香は静かにフウのもとへ歩み寄ると、小さな頭を優しく撫でた。
「ごめんね、フウ。ちょっとの間、お留守番しててね」
「くぅ……ん」
フウは寂しそうに鼻を鳴らし、春香を見上げた。
春香は安心させるように微笑むと、もう一度ヘルの正面へと歩み寄った。
「助けてくれてありがとう。……この世界でできた最初の友達が、あなたでよかった」
春香は、心からの笑みを浮かべた。
別れを惜しむような悲しさも、決意を揺るがす迷いも、その表情にはなかった。
「じゃあ……お願い…」
春香はヘルに向かって、静かに告げた。
しかし、その言葉を聞いたヘルは、すぐには動かなかった。
(友達……まだ出会って一日も経ってないこいつが……。人間の友達なんて、今までいたこともない……こいつが……)
友達。
その言葉が、ヘルの胸の奥で何度も繰り返される。
やがて脳裏に、春香と過ごした短い時間が次々と浮かんできた。
春香と勝負して敗れた時。
銀髪の剣士から自分を守ろうと、春香が飛び出してきた時。
そして、自分が春香の腕を強引に掴み、フウとともに空へ飛び立った時。
傷ついた翼を、春香が優しい光で治してくれた時。
さらには、互いの考えをぶつけ合い、激しく言い争った今この瞬間。
それでも春香は、最後に自分を「友達」だと言って微笑んでくれた。
ヘルは静かに目を伏せた。
(この過程あっての……対等……。……なるほどね)
不思議だった。
出会ってから、まだ一日も経っていない。
考え方も、生き方も、何もかもが違う。
何度も呆れ、何度も苛立たされ、つい先ほどまで本気で言い争っていた相手。
それなのに——。
あれほど煩わしいと思っていた人間との関わりが、今は不思議と嫌ではなかった。
胸の奥に渦巻いていた迷いが、少しずつ晴れていく。
やがてヘルは、小さく息を吐いた。
「たくっ…ホントバカ。勝手に友達だと勘違いして死んだら……あんた私のこと呪うんじゃないの」
腕を組んだまま、呆れたように言い放つ。
「それに……」
——パチンッ!
ヘルが左手の指を鳴らした。
次の瞬間、頭上に浮かぶ黄金の輪が眩い光を放ち、目の前の空間に巨大なワープゲートが出現する。
「私の輪っかを一人で使うつもり? 贅沢してんじゃないわよ」
そう言うなり、ヘルはすたすたと歩み寄り、春香のすぐ隣に並び立った。
「え……」
予想もしなかった行動に、春香は呆然と目を見開く。
「たくっ……ホント無理。私、こいつに洗脳でもされたのかしら。じゃないと、一緒に行くなんておかしいわよ。絶対そう」
ヘルはいつものように高飛車に胸を張り、そっぽを向いた。
その姿を見た瞬間、春香の顔に自然と笑みが溢れた。
そして、そっと右手を差し出す。
「何よこれ」
「ありがとう……!」
春香は真っ直ぐにヘルを見つめていた。
その瞳は、どこまでも澄み切っていた。
「たくっ…ホントバカ。友達ぶってんじゃないわよ?」
ヘルはふんと鼻を鳴らした。
しかし、差し出された手から視線を外すことはなかった。
そして、何かを確かめるように口を開いた。
「アンタ……名前何て言うのよ」
「宮本春香! 『春香』で!」
「そう……」
ヘルは小さく呟いた。
そして、差し出された春香の手をパチンッと叩くと、不敵な笑みを浮かべた。
「行くわよ、春香!」
「うんっ!」
二人は顔を見合わせ、互いに笑みを浮かべた。
その先に待ち受けるものが、どれほど危険な相手であろうとも。
もう、迷いはなかった。
二人は肩を並べ、光り輝くワープゲートの中へと力強く一歩を踏み出した。




