洗脳された冒険者
「すぐにここを去るわよ」
ヘルが、青ざめた顔でそう言葉を吐き捨てる。
「え……」
戸惑う春香に構わず、ヘルは強い力で腕を掴んだ。
「いいから行くわよ!」
一刻も早くその場から離れようと先を急がせるヘル。だがその直後、春香は洞穴の奥から漂う気配にハッと目を丸くした。
「……まだ、何か来ます!」
去ろうとした足がピタリと止まる。春香の言葉を受けて、ヘルも持っていた手を離し、再び岩穴の奥へと視線を向けた。
——ザッ、ザッ……と、足音が近づいてくる。しかも、1人や2人ではない。
二人が固唾をのんで見つめる中、やがて暗闇から
冒険者のような格好をした6人の男女が姿を現した。
張り詰めた緊張感の中、冷や汗を流しながら見つめる春香とヘル。
先頭に立つのは、圧倒的な巨体を誇る筋骨隆々の大男。
その隣には、腰に剣を差した銀髪の男。いかにも熟練の剣士といった風貌だ。
続いて現れたのは、爽やかで整った顔立ちの緑髪の青年。しかし、その容姿とは裏腹に、服の上からでも分かるほど鍛え抜かれた肉体を持っていた。
さらに、ふんわりとしたピンク髪に、大きな帽子を被った女魔導士。豊かな胸元が目を引く、華やかな容姿の女性だった。
その後ろには、紫色のインナーを覗かせた黒髪ロングの女性。すらりとした体つきに、涼しげな目元が印象的な美女だ。
そして最後に現れたのは、眼鏡をかけた茶色の短髪の女性。片手には一冊の本を携え、知的で落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
容姿も雰囲気も、まるで異なる六人。
春香たちは息を潜め、その一行をじっと見つめていた。
「あれは……」
春香が小さく呟いた、その時だった。
ピンク髪の女魔導士が、ふわりと杖を天に掲げた。
しかし、何も起こらない。
女魔導士は不思議そうに首を傾げると、手にした杖をじっと見つめた。
やがて、何かを思い出したかのように小さく口を動かし、再び杖を大きく振り上げる。
その瞬間――
――ズウンッ!!
空気が震えた。
杖の先に赤い光が集まったかと思うと、それは瞬く間に膨れ上がり、凄まじい熱気とともに巨大な火球へと姿を変えた。
あまりの大きさに、春香は思わず目を見開いた。
「なっ……あれ、は……!?」
春香は目を見開き、言葉を失った。
それも無理はない。春香にとって、剣を介さずに魔法が発動する光景を見るのは、生まれて初めてのことだったからだ。
しかし、驚いている暇などなかった。
巨大な火球が完成したのを確認すると、ピンク髪の女魔導士がゆっくりと顔をこちらへ向けた。
そして――にっこりと微笑んだ。
まるで新しい遊び相手でも見つけたかのような、妖艶で美しい笑み。
だが、その笑顔を目にした瞬間、春香たちの背筋に凍りつくような悪寒が走った。
「しまっ……!」
ヘルが危険を察知し、声を上げる。
しかし、時すでに遅かった。
女魔導士が杖を振り下ろした瞬間――
――ゴオオオオオッ!!
凄まじい轟音とともに、巨大な火球が放たれた。
周囲の木々を赤く照らしながら、圧倒的な熱量を帯びた炎の塊が、春香たちの潜む木陰めがけて一直線に迫ってきた。
(くそっ……!!)
「――パチンッ!」
その瞬間、ヘルの頭上に浮かんでいた黄金の輪が、迫り来る火球の進行方向へと移動する。
そして、輪の内側に神々しい光が広がり、巨大なワープゲートへと姿を変えた。
巨大な火球は勢いを失うことなくゲートへ突っ込み、燃え盛る炎が次々とその奥へ吸い込まれていった。
「来るわよ!」
ヘルが叫んだ、まさにその瞬間だった。
――ギュンッ!
頭上から、一筋の銀光が降り注いだ。
銀髪の剣士だ。
いつの間にか頭上へ跳び上がっていた男が、目にも留まらぬ速さでヘルめがけて剣を振り下ろしてきたのだ。
「っ……!?」
迫る刃に、ヘルが目を見開く。
だが、その一撃が届くよりも早く、春香が動いた。
「はあっ!」
――ガキィィンッ!!
素早く抜き放った剣が、頭上からの斬撃を受け止めた。
「くっ……! おも……っ!」
想像を超える一撃の重さに、春香の腕が震える。
歯を食いしばりながら剣を押し返そうとするが、銀髪の男は表情一つ変えず、淡々と刃を押し込んでくる。
その間にも、視界の端では巨大な火球がワープゲートへ吸い込まれ続けていた。
だが、息をつく暇すらない。
今度はヘルの背後から、緑髪の青年が凄まじい勢いで迫ってきた。
その拳が、無防備なヘルへと振り抜かれる。
「くっ……パチンッ!」
ヘルは咄嗟に右手の指を鳴らした。
直後、青年の目の前に新たなワープゲートが開かれる。
そのまま勢いよく飛び込んでくる――はずだった。
しかし。
「……は!?」
青年はゲートに触れる寸前、ぴたりと動きを止めた。
それも、地面に足をつけることなく。
まるで見えない何かに支えられているかのように、空中で静止していたのだ。
「浮いてる……!?」
ゲートに吸い込まれるはずの男が、目の前で宙に浮いている。その予想外の光景に、ヘルは思わず目を見開いた。
咄嗟に周囲へ視線を走らせる。
すると、少し離れた場所に立つ黒髪ロングの女が、緑髪の青年に向けて片手をかざしていた。
(なるほど……あの女の補助スキルね……!)
ヘルが状況を理解した、まさにその時だった。
――ゴオオオオッ!!
先ほどまで巨大な火球を吸い込んでいたワープゲートが、突如として消失している。
緑髪の青年を迎え撃つため、新たなゲートを展開したことで、それまで開いていたゲートが維持できなくなってしまったのだ。
「くっ…!!」
火球はまだ完全には吸い込まれていなかった。
行き場を失った炎の塊が、再び春香たちへと迫り来る。
先ほどより小さくなったとはいえ、その大きさは依然として凄まじい。まともに受ければ、ひとたまりもない。
「くっ……フウちゃん! しっかり捕まって!」
「ウォンッ!」
フウが慌ててヘルの足にしがみつく。
その瞬間、春香も目の前の剣士が繰り出す重い一撃を、渾身の力で弾き返した。
「はあっ!!」
――ガキィンッ!!
剣士の刃を押しのけ、どうにか体勢を立て直す。
その隙を逃さず、ヘルが春香の腕を右手で強く掴んだ。
「飛ぶわよ!」
バサッ!!
背中の白い翼を大きく羽ばたかせ、二人と一匹は一気に上空へと舞い上がった。
直後――
――ゴオオオオッ!!
巨大な火球が、ほんの一瞬前まで春香たちのいた場所を通過していった。
「はぁ、はぁ……っ!」
間一髪。
しかし、安心している暇などなかった。
眼下に目を向けると、ピンク髪の女魔導士がすでに次の詠唱を唱えていた。
掲げた杖の先には、再び巨大な炎の塊が生まれ始めている。
それだけではない。
地上には無数のオークが群がり、上空の春香たちを見上げていた。
「嘘でしょ……まだ来るの!?」
次の瞬間、女魔導士が杖を振り下ろした。
――ゴオオオオッ!!
二発目の巨大な火球が、容赦なく放たれる。
「クソっ……!」
ヘルが左手を掲げた。
「――パチンッ!」
指を鳴らすと同時に、頭上の黄金の輪が真下へと移動し、巨大なワープゲートへと姿を変える。
ヘルは春香の腕を掴んだまま翼をたたみ、ゲートめがけて一気に急降下した。
だがその時、周囲の光景がほんの一瞬だけ薄暗くなった。
「……影!?」
ハッとして頭上を見上げれば、巨体の大男が投げ放った文字通り巨岩の如き塊が、凄まじい風圧を伴って落下してきていた。
(まずい……このままじゃ……!)
ヘルは直下のワープゲートへの突入を断念せざるを得なくなり、翼を翻して後ろへと急旋回した。投擲された岩はそのままワープゲートに吸い込まれて消えていく。
しかし、回避した先の軌道にも火の玉の脅威は迫っている。春香が慌てて右手から炎めがけて稲妻を放つも、体勢が崩れている上に炎の規模が大きすぎて完全に相殺しきれない。
さらに、紫インナーの黒髪の手をこちらに向け、何かをしてこようとしている。メガネの女は本を開き、何かを書き込んでいる。
太陽のごとき灼熱の火の玉が視界を埋め尽くし、ヘルは極限の切羽詰まった状態に追い込まれていた。
そんな中、背後から――先ほどまで春香と刃を交えていた銀髪の剣士が、容赦なくヘルめがけて鋭い投げ剣を放った。
いち早くそれに気づいたのは、ヘルに腕を掴まれていた春香だった。
「ヘル、危ない——っ!」
叫びと共に春香がヘルの体を強引に押し引きしたおかげで直撃は免れたが、ヘルの翼に浅からず剣が突き刺さる。
「っ……!」
バランスを崩した二人の体が、重力に引かれて一気に地上へと落下していく。
その真下では、無数のオークの群れと、待ち構えていた剣士や好青年が冷徹な臨戦態勢で構えていた。
「……っ!」
ヘルは最後の力を振り絞り、歯を食いしばって左手の指をパチンと鳴らした。
彼女たちのすぐ真下にワープゲートが開く。
その瞬間、緑髪の好青年が凄まじい跳躍力で地面を蹴り、落下してくる春香たちの真上から容赦なく拳を叩き込もうと迫ってきた。
「くっ……」
その瞬間――
――ガァァァンッ!!
凄まじい地響きとともに、緑髪の男が放った渾身の右ストレートが、ワープゲートの消えた地面へと叩き込まれた。
衝撃で大地が大きく揺れ、膨大な土煙が一帯を覆い尽くす。
やがて、土煙がゆっくりと晴れていく。
しかし、そこに春香たちの姿はなかった。
「赤髪に白い翼……そして、黄金の輪……」
その光景を見つめながら、フードの男が静かに呟いた。
「女神の使い……」
男の口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「やはり、噂は本当だったか……」
そして、不敵な笑みを浮かべた。
「面白い……」
フードの男は、春香たちが消えた場所をじっと見つめながら、口元に不敵な笑みを浮かべた。その表情には、獲物を逃した悔しさなど微塵もなく、むしろこれから始まる何かを心待ちにしているかのような、不気味な余裕が漂っていた。




