もう少しいてあげるわよ
「もう聞きたいことは済んだかしら?」
天使の少女が、春香へ向けてだるそうに尋ねる。
「は……はい。色々教えてくださり、ありがとうございました」
「じゃあ、もう私は行くわ。あんた、その子。大切にしなさいよ」
そう言い残すと、少女はそっけない仕草で春香たちに背を向けた。そして右手を高く掲げる。
「……パチンッ」
指を鳴らした。
しかし——不気味なほど何一つ起こらない。
「…………」
固まる少女。その背中が、ピキリと強張った。
「……そうだったーーーーーっ!!」
突然、少女が美しい赤髪を振り乱して頭を抱えた。
「え!? なに!? もう私、一生ワープ使えないわけ!?」
先ほどまでの神々しい威厳は霧散し、完全にパニックに陥っている。
「そんなのイヤーーーーーっ!」
あっちへドタバタと走り回り、こっちへ駆けずり回る。やがて悲しそうな顔になると、春香の腕の中にいるフェンリルへ一直線にすがりついた。
「お願い! もう飛ばしたりしないから許して~!」
「えっ……」
「ワープが使えないのはイヤ〜……!」
その場にへたり込み、地面にペシペシと手を打ち付ける少女。フェンリルは春香の腕の中で、困り果てたように首をかしげている。
春香は、そんな天使の情けない姿をじっと見つめていた。
(さすがにちょっと…かわいそう…)
春香はフェンリルをそっと地面に下ろすと、あごに手を当てて思考を巡らせる。
(顔を見られたら得意なスキルや魔法が使えなくなる……)
思考の糸を手繰り寄せる。フェンリルと出会った直後、自分は電撃を使うことができた。
(私が電撃を使えたのは……あの時、すでにこの子の仲間になっていたから?)
ハッとして少女へ視線を向ける。
「あの~」
「なによ」
地べたに突っ伏したまま、むすっとした声が返ってくる。
「私の仲間になりませんか?」
「…………は?」
少女がゆっくりと顔を上げた。額に土がついているのも気にせず、信じられないものを見る目を向けてくる。
「いや……私の仲間になってくれたら、もしかしたら——」
「ざっけんじゃないわよー!」
バッと跳ね起き、声を張り上げる少女。
「こっちは真剣なのよ! バカじゃないの、ホント!!」
「お、落ち着いてください!」
春香は慌てて両手を前に突き出した。
「この子に顔を見られた人は、得意なスキルや魔法が使えなくなるんですよね?」
「……そうよ」
「だったら、私も剣を振ったときに電撃は出なかったと思うんです。あれは、私の中で一番得意で強力な攻撃のはずなのに」
「……!」
少女の動きがピタリと止まる。
「それに私、この子とおでこを合わせた直後、頭『仲間になりました』って表示が出てきたんです。仲間になったからこそ、この子のスキルの対象外になったんじゃないかって」
「仲間って……そんなの出てくんの?」
少女が不思議そうに身を乗り出してきた。少しの間、思案するように首をひねる。
「契約と似てるわね」
「そうなんですか……?」
春香も興味深そうに耳を傾ける。
「えぇ。契約は両者の意思が合致して、互いに触れ合うことで成立するわ。その際……出るのは表示じゃなくて、紋様だけどね」
「紋様……」
「えぇ。まぁ、紋様が浮かぶのは一瞬だけどど……まぁ、何にしろ契約は人間同士じゃできないわ。片方が人間なら、相手は聖獣か魔物に限られるの」
少女がそう語ると、春香は顎に手を当てて少し思案し、真剣な眼差しで答えた。
「でも……私のスキルでは、契約じゃなくて『仲間』って出てきました。レベリングのスキルによる違いがあるのかもしれません。やってみる価値はあると思いませんか?」
「…………」
少女は黙り込み、腕を組んでジト目で春香を凝視する。葛藤で眉間にシワが寄り、視線が泳ぐ。
「アンタ……私をよく分からない『仲間』とかいう形で縛って、いいように使う気じゃないでしょうね?」
「しませんよ。そんな、縛るなんて……」
困り顔で苦笑する春香を見つめ、少女は「はぁーっ」と大げさに息を吐き出した。
「……いいわ。やってあげるわよ」
すっと立ち上がり、いつもの生意気そうな表情を作ってみせる。
「言っとくけど、仮に私に仲間の表示が出たとしても、アンタに従うことはないからね」
「わ…分かりました。それで大丈夫です」
春香も予想していた回答に、苦笑交じりに快く受け入れる。
「では、おでこを……」
その瞬間、春香はフェンリルとおでこを合わせた時のことをふと思い出す。
「あ……心の底から仲間になりたいっていう気持ちを持っていた方が、確実かもしれないです」
少女の眉がピクッと跳ねた。
(コイツの仲間に……心の底から……イヤだわ……)
自らのプライドと複雑な感情から、とてつもなく拒絶反応を示す少女。
(でも……ワープが使えないのは、もっとイヤ……!)
少女はギュッと目を閉じた。背に腹は代えられない。
「……分かったわよ。」
「ありがとうございます」
「アンタ、目瞑りなさい!」
「え? なんでですか?」
「たくっ……ホントバカ。なんでアンタと至近距離で目見開きながら額を合わせなきゃいけないのよ!」
「わ、分かりました……」
春香は素直に目を閉じる。無防備に差し出された春香の顔を前に、少女が一瞬だけ躊躇し——そして。
——ゴンッ!
「いっつぅぅぅ……!」
容赦のない衝撃。春香は痛みに眉をひそめ、おでこを押さえてしゃがみ込んだ。
「何するんですか……」
涙目で顔を上げた春香の視界に、半透明の淡い光のウィンドウが浮かび上がる。
『——【仲間:女神の…… レベル60】』
(あ、名前のとこ読めなかった……けど……!)
「仲間になったって出ました!」
「……え?」
少女の目が見開かれる。
「ホント!?」
「はい! やりましたね!!」
春香は嬉しさのあまり立ち上がり、思わず少女の両手をぎゅっと握りしめた。
「ちょ、ちょっと! 気安く触ってんじゃないわよ……っ!」
少女は顔を真っ赤にして慌てて手を振りほどくと、プイッと横を向いた。
「たくっ……ホントバカ……まだ肝心な確認が残ってるでしょうが。浮かれすぎなのよ」
「あ、そうですね」
「これができなきゃ仲間なんて意味ないのよ」
不機嫌を装いながら、少女は右手をツンと高く掲げた。
「……パチンッ」
指が鳴った瞬間、彼女の頭上に浮かぶ黄金の輪がドッと神々しい光を放った。空間が割れ、その中心に美しい紋様の描かれたワープゲートが鮮やかに展開する。
「……出た」
少女がぽつりと漏らす。
「すごい……!」
春香がパッと表情を輝かせ、少女に笑いかけた。フェンリルもその様子を見てはしゃいでいる。
「やりましたね!」
溢れ出る光と風を浴びながら、少女はようやく安息を得たように胸を撫でおろした。
「まぁ……一応、感謝してあげるわ」
素直じゃない言葉とは裏腹に、その口元は少しだけ緩んでいた。
「いえ! では……お気をつけて」
「フンっ」
春香の見送りの言葉を受けて、そのままゲートへ向かって歩き出す少女。しかし、一歩踏み出したところでピタッと足が止まる。
「……?」
春香が首を傾げたその時、頭上の黄金の輪が静かに光を収め、ゲートがスッと消滅した。
「えっ!?」
少女は振り返り、腕を組みながらふんぞり返った。
「……やっぱ、やめたわ」
「えっ!?」
「もう少しいてあげるわよ。感謝しなさい」
唐突な撤回に呆然とする春香の足元で、フェンリルが「くぅう」と小さく鼻を鳴らす。
一人で強くなるための力だと思っていた『レベリング』。
その真価は今、旅を共にする「仲間」という形をとって、静かに動き始めていた。




