天使との決着
木々の隙間から射し込む陽光の中、春香と天使の少女は距離を保って対面していた。
緊迫した空気が流れる中、少し離れた茂みの影から、フェンリルが心配そうに耳を伏せて二人の勝負を見守っている。
「……すみません。確認したいのですが、勝負は何をもって決着と……?」
「は?そんなの……相手が動けなくなったらとかでいいんじゃない?」
春香の真面目な質問に対し、天使の少女から返ってきたのは何とも大雑把で曖昧な答えだった。
(てきとう…)
「分かりました。では、それで……ありがとうございます」
「なに、勝つつもりなわけ?」
丁寧なお礼に対し、少女は鼻で笑うように煽ってくる。
だが、春香は一切怯むことなく、まっすぐな瞳で言い返した。
「でないと受けませんから」
「フッ……少しは言うじゃん。じゃあ、いつでもきなさいよ」
少女は胸を張り、余裕たっぷりに顎をしゃくる。
「――では、いきます!」
春香は一気に踏み込み、刀を鞘から滑らせるようにして振り抜いた。
放たれたのは、刀身からほとばしる鋭い稲妻。
バチバチと青白い閃光を散らしながら迫る電撃を前にしても、少女は微風でも浴びるかのように落ち着き払っていた。
「たくっ……ホントバカ」
呆れたように呟くと、少女は右手で――パチン、と気取った音を立てて指を鳴らす。
……しかし。
その瞬間、何も起きなかった。
「あれ……?」
驚く暇すら与えなかった。
放たれた青白い稲妻が、そのまま逃げ場のない少女の身体へ直撃する。
「ぎゃああああああっ!!!???」
さっきまでの余裕ぶった態度が嘘のように、少女は白目を剥いて豪快に吹き飛び、地面へと倒れ込んだ。
……あまりにも呆気なさすぎる勝負の決着に、春香は刀を構えたまま固まる。
「えーと……」
恐る恐る近寄り、倒れた少女の目前へと立つ。
「これで……いいんですかね?」
「ま、まいったわよ……」
地面に突っ伏したまま、虫の息で返事が返ってくる。太々しい態度の名残だけはしっかりと残っていた。
――その瞬間。
春香の視界の隅に、パッと輝く表示が浮かび上がる。
【春香 レベルアップ】
【レベル 35】
【フェンリル レベルアップ】
【レベル 8】
(えっ……レベル32!? )
予想を遥かに超えるレベルの上昇幅に春香が唖然としていると、表示はすっと消え去った。
一方、戦闘に参加していないはずのフェンリルは、なぜか身体に力が湧いてきたようで、嬉しそうに春香の周りをぐるぐると駆け回っている。
(あ……)
春香は我に返り、倒れている少女の傍らに膝をついてそっと手を取った。
(そういえば人に使ったのは初めてだ……大丈夫かな)
祈るように手を当てると、あのタランチュラ戦やフェンリルの治療の時と同じように、体の中から不思議な力が溢れてきた。
(この感じ……!)
春香は湧き上がる温かな力にそのまま身を委ねる。
優しい光が少女の全身を包み込んでいき――やがて光が収まると、少女は「くっうぅ……」ときつそうに苦悶の声を漏らしながら、なんとか上半身を起こした。
だが、その表情を見る限り、どうやら身体は癒えたものの全回復とまではいかないらしい。
「大丈夫……?」
春香が心配そうに覗き込むと、少女は右手で顔を覆い、そのまま深いため息をついた。
「……死ぬかと思ったわよ……」
「ご、ごめんなさい……」
思わず謝る春香を、少女はジト目で呆れたように見つめる。
「……あんた、治癒魔法なんて使えんのね」
「ん……魔法なのかは、よく分からないんですけど……」
自分の両手を見つめながら首をかしげる春香。
少女はいやそうに天を仰ぎ、苛立ちを隠さずに吐き捨てた。
「まぁ、何でもいいわよ。たくっ…ホントイヤ、何なのよ全く……!」
その不自然な怒り方に、春香はふと疑問を抱く。どう考えても、彼女の自滅には何らかのアクシデントがあったように見えた。
「あの……何かあったんですか?」
「あんたに関係ないでしょ。……てか、あんたのスキルじゃないでしょうね……?」
少女がそう呟くと、頭上に浮いていた天使の輪がすっと滑るように片目の前へと動いた。
まるで単眼鏡のように、輪っか越しに春香を凝視してくる。
「レベリング……ふ〜ん、見たことないわね。けど、私の転移を邪魔するような関係はなさそう……」
ぶつぶつと呟く少女に、春香は呆然とするばかりだ。
すると、少女は何かを思い立ったようにハッと目を見開いた。
「まさか……!?」
首の角度をガクンと変え、勢いよく振り向いた先――そこにいたのは、無邪気に首をかしげるフェンリルだった。
輪っか越しにフェンリルをじーっと見つめる少女。
次の瞬間、少女は驚愕に目を見開いた。
「何これ……相性最悪じゃん……もーーーっ!!」
世界の終わりを見たかのように落ち込む少女。
「あの……」
「あ…なに!?」
少女は心底ウザそうに春香を突き放すような視線を向けた。
だが、そんな一蹴するような態度にも春香はまったく怯まなかった。それどころか、恐怖や遠慮よりも純粋な好奇心が上回り、身を乗り出すようにして聞き返した
「いや、その輪っかで見ると……何か見えるんですか?」
「は? 何であんたにそんなこと教えなきゃいけないの! ?うっさいからもうどっか行きなさいよ!」
あまりの理不尽な暴言に、春香の眉がぴくっと跳ね上がる。
我慢の限界が近づいていたが、春香は努めて穏やかな声を出した。
「勝ったら……『全てを決める』って……」
「たくっ…ホントウザ、勝ったから『その子は私のもの』とか言うんでしょ!? 分かったからさっさと行けって言ってんの!」
投げやりな態度でシッシッと手を追い払う少女。
――バチン。
春香の中で、何かが完全に切れ落ちた。
「……あのー?」
春香はすっと立ち上がると、満面の笑顔を浮かべたまま天使の少女を見下ろした。
先ほどまでの遠慮がちな雰囲気は綺麗に消え去り、瞳の奥に一切の光がないその微笑みからは、ただならぬ圧が溢れ出ている。
「私さっき、あなたに電撃を浴びせた時に『レベルアップ』って表示が出たんです。自分でもビックリしました。人にするのは初めてだったので」
そう言いながら、春香は腰の刀の柄へそっと手を添え、握り込んだ。
「え……?」
天使はその所作を見逃さなかった。
ニコニコとした満面の笑み。だが、瞳の奥には一切の光がなく、手元ではいつでも刀を抜ける構えを取っている。
「だから……治して、倒して、を繰り返して自分を成長させるのも……ありだな、って」
ニコニコとした満面の笑み。
だが、その瞳の奥には一切の光がなく、ド黒い威圧感が溢れ出ている。
「……分かった…分かったから落ち着きなよ…!」
青ざめつつも必死に強がり、引きつった笑みを浮かべながら手をかざして制してくる。
先ほどの太々しさは完全に霧散し、命の危機を感じて口を開く。
「私、この輪っかを通じて物をワープさせる能力を持ってんのよ!」
そう言うと頭上に浮いていた輪っかが意思を持っているかのように、フワッと自ら顔の前に動いて見せつける。
「す、すごい…それってそんな便利な使い方が…」
春香は驚きを隠せずに呟いた。前の世界で知っていた『天使の輪』には、少なくともそんな機能があるという知識はなかったからだ。
「はっ?当たり前でしょ…飾りなんていらないのよ」
少女は当然と言わんばかりに胸を張る。
その言葉に、春香は自分の腰に差した刀に対して、かつてこの少女が口にしていた言葉をふと思い出していた。
「そ、そうでしたね…それでワープって何を…!?」
「 人でも物でも……相手の魔法攻撃でもサイズが合えばなんでもいけるわ」
「す、すごい!」
想像以上の凄まじい能力に、春香は目を輝かせて大興奮する。
「けど…あんたが攻撃した時、なぜかスキルが発動しなかった…」
天使は少し落ち着いたトーンで淡々と切り出した。
「どうして……?」
「それを知るために、こうやって『鑑定』してたの……この輪っかを通して見たら、対象のスキルとか得意魔法とかが分かんのよ!」
「え!? そんなことも……!」
春香が目を丸くして、さらに身を乗り出した。天使はその春香に対して少し顔をのけぞらせる。
「そう……そんでその原因を探してたら……あの子だったってわけよ」
そう言って少女が手をかざした先――そこにいたのは、「きゅ?」と無邪気な顔をしたフェンリルだった。




