第七章
三月。都内の一流ホテル、メインバンケット。
まばゆいシャンデリアの光が降り注ぐ中、オーケストラの生演奏が優雅なワルツを奏でている。
歴史ある名門女子校の卒業記念パーティーは、
華やかに着飾った令嬢たちとそのエスコート役の男性たちで溢れ返っていた。
その喧騒の中心から少し離れた壁際で、竜也は眉間に深い皺を刻み、
タキシード姿で腕を組みながら、周囲を鋭い眼光で睨みつけていた。
(組の若い衆は外に配置したが、牙島の連中がどこに潜んでいるか……)
極度の緊張で胃がキリキリと痛み、額には微かな脂汗が浮かんでいる。
しかし、その険しい表情を遠くから見つめていた三人娘――
麗華、栞、そして潜入した茉莉恵の解釈は、真逆を突っ走っていた。
「ああ……なんて独占欲の強い、情熱的なナイト(騎士)なのかしら!」
「雅由美さんに近づく殿方を、あの鋭い視線で牽制していらっしゃるのね」
「竜也お兄様、ワイルドでかっこいいです! 愛の護衛ですね!」
見当違いの大興奮でキャーキャーと黄色い歓声を上げる三人。
そんな彼女たちの視線の先、竜也が命がけで護衛している当の雅由美は、
真紅のドレスを美しく着こなしながら、ビュッフェのケーキを堪能していた。
「この苺のタルト、とても美味しいですわ」
「お嬢、呑気にケーキなど食べている場合ではありません。
いつ牙島の奴らが仕掛けてくるか……」
「竜也さん。せっかくのパーティーですもの、少し肩の力を抜いて」
完璧な令嬢の微笑みを浮かべる雅由美の背中には、
ドレスの生地の下で、完成したばかりの昇り龍が静かに眠っている。
パーティーが中盤に差し掛かった頃だった。
雅由美は、シャンパングラスを運ぶウェイターに変装した不審な男の
視線に気がついた。その歩き方は、ホテルの従業員のそれではない。
(……来ましたわね)
一般の生徒たちを巻き込むわけにはいかない。雅由美は竜也に目配せし、
わざと一人で、人気のないホテルの空中庭園へと歩みを進めた。
ガラス扉を開けると、早春の冷たい夜気が頬を撫でる。
テラスには、ライトアップされた夜桜が淡いピンク色の花を咲かせていた。
月明かりの下、雅由美が庭園の中央に立ち止まると、
背後の扉が内側から施錠され、暗がりから次々と黒服の男たちが現れた。
退路は断たれた。竜也も別の場所で足止めを食らっているのだろう。
「……おとなしく誘い込まれるとは、随分と世間知らずなお嬢様だ」
下劣な笑みを浮かべて前に進み出たのは、武闘派の大幹部・牙島だった。
「牙島様。このような場所で、何用でしょうか」
「決まってるだろう。お前を人質にして、あの老いぼれ会頭に
引退と跡目を迫るのさ。大人しくついてきてもらおうか」
武装した屈強な男たちが、下卑た笑い声を上げながら雅由美を包囲する。
しかし、雅由美は一切怯むことなく、冷たく美しい微笑みを浮かべた。
「……お祖父様の代紋の重さ。あなたに背負えるとは到底思えませんわね」
「ああん? 世間知らずのガキが、舐めた口を……」
牙島の言葉が終わるより早く、雅由美は優雅な仕草で
真紅のドレスの背中に手を回した。ジジジ、と微かな音が鳴り、
背中が大きく開いたドレスのファスナーが下ろされる。
同時に、戦闘の邪魔になるドレスの長い裾を、自ら躊躇いなく引き裂いた。
「な、何をしてやがる……!」
月光の下。露わになった傷一つない白磁の肌。
そこに刻み込まれた、鮮やかな色彩を放つ「昇り龍」が完全に姿を現した。
彫りたての龍が熱を帯び、今にも天を割って咆哮しそうなほどの
凄まじい気迫と生命力が、夜の庭園を支配する。
「りゅ、龍神の刺青……!? この小娘、まさか……!」
ただの令嬢だと思っていた牙島と部下たちは、その圧倒的な覚悟の証に
本能的な恐怖を覚え、一斉に息を呑んで後ずさった。
雅由美はピンヒールを静かに脱ぎ捨て、裸足で大理石の床に立った。
テラスに置かれていた、装飾用の重厚な閉じたパラソルを手に取る。
「お祖父様の庭を荒らす害獣は、私が全て駆除いたしますわ」
「ひるむな! 相手はただの女だ、やっちまえ!」
牙島の号令で襲いかかってくる男たち。
しかし、雅由美はパラソルを居合の太刀筋で振るい、夜桜の下を舞い踊った。
合気道の流麗な体捌きで男たちの力をいなし、急所を的確に突く。
血を一滴も流させることなく、圧倒的でエレガントな動きで
屈強な大男たちを次々と月下の庭園に沈めていく。
「がはっ……!」
「い、痛え! 腕が……!」
数分後。立っているのは雅由美ただ一人だった。
最後に残った牙島は腰を抜かし、大理石の床に這いつくばっている。
雅由美はパラソルの先を牙島の喉元に突きつけ、絶対的な声で告げた。
「私が龍神連合会、新人会頭の神龍寺雅由美です。……お下がりなさい」
「ひっ……! も、申し訳ありませんでしたぁっ!」
牙島は完全に戦意を喪失し、震えながら平伏した。
「お嬢っ!!」
その直後、ようやく包囲を突破した竜也が血相を変えてテラスへ駆け込んできた。
しかし、そこにはすでに牙島たちが土下座状態で平伏し、
真紅のドレスを纏った雅由美が涼しい顔で夜桜を見上げている。
「え……? お嬢、これは一体……」
竜也が呆然と立ち尽くしていると、後ろからさらにバタバタと足音が響いた。
「雅由美さん! ご無事ですか!」
心配した麗華、栞、茉莉恵の三人がテラスに飛び込んでくる。
彼女たちは、裾の裂けた真紅のドレス姿の雅由美と、
彼女の元へ駆け寄った竜也、そして周囲に倒れ伏す男たちを見て、
両手で口を覆い、感極まったように瞳を潤ませた。
「ああ……秘密の恋人を守るため、ついに駆け落ちを決行したのね!」
「なんてドラマチックなの! この障害を乗り越えて、お二人は……!」
「お姉様、竜也お兄様! お幸せにーっ!」
「違うって言ってんだろ! だいたいこいつらは牙島の……!」
竜也の必死のツッコミも、夜桜の舞う空中庭園には虚しく響くばかりだった。
雅由美はパラソルをそっと置き、冷たい夜風に少し癖のある
ロングレイヤーヘアを揺らしながら、小さくため息をついた。
「……本当に、ケーキより甘い想像力ですこと」
完璧な令嬢としての表の顔と、新人会頭としての裏の顔。
二つの世界が交差したまま、
春の月明かりの下で、最高に美しいプロローグを迎えた。




