表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

62/67

第六十三章



春光うららかな、四月。

慶應義塾幼稚舎の歴史ある正門前は、真新しい制服に身を包んだ新入生たちと、

最高級のスーツや着物で着飾った保護者たちで、華やかな熱気に包まれていた。


「……さあ、獅雅斗。今日からあなたは、この立派な学舎の生徒ですわよ」


「うん! ママ、ぼくドキドキしてきた!」


少し離れた場所に停められた漆黒の最高級セダンから、

雅由美は、獅雅斗の小さな手を引いて優雅に降り立った。

今日の雅由美は、背中に眠る上り龍の恐ろしい覇気を完全に奥底へと封じ込め、

三十一歳という年齢に相応しい、気品溢れるセレブの装いに身を包んでいた。


淡い桜色の、極上のシルクで仕立てられたノーカラーのセットアップ。

胸元には小ぶりながらも最高級の真珠が輝き、

足元は完璧に磨き上げられたルブタンのパンプスである。

そのあまりの美しさと洗練された佇まいに、周囲の保護者たちが思わず道を譲る。


「まあ、あの方……女優さんかしら?」


「お付きの人(※強面の極道たち)が遠巻きにガードしているわよ……。

どこの財閥の奥様かしらね」


ヒソヒソと交わされる羨望と好奇の視線を涼しい顔で受け流し、

雅由美は獅雅斗と共に、荘厳な入学式の会場へと足を踏み入れた。


式典が厳かに始まり、幼稚舎長の挨拶が済んだ後。

「本日は、ご来賓として……内閣総理大臣より、お祝いのお言葉を頂戴いたします」


司会の言葉に、会場内の保護者たちが「おおっ」とどよめいた。

たかが小学校の入学式に、なぜ現役の総理大臣が駆けつけるのか。


しかし、登壇した総理大臣は、会場の隅に座る雅由美の姿を視界に捉えるなり、

ビクッ、と肩を震わせ、額からダラダラと脂汗を流し始めた。


「えー……本日は、輝かしい未来を担う新入生の皆様、ならびに……

そ、その……大変ご立派な保護者の皆様……ご入学、誠におめでとうございます……ッ!」


(なぜ総理が来ているかって? そりゃあ、日本の真の支配者のご子息が

入学されるのだから、何をおいても駆けつけなければ、私の政治生命が……っ!)


総理は、マイクを握りしめ、明らかに雅由美の席の方向ばかりをチラチラと見ながら、

必死のゴマすりスピーチを繰り広げた。


「未来の日本を背負って立つ……い、いや、すでに背負っておられるような、

偉大な才能が、ここから羽ばたくことを……わ、私は確信しておりますッ!」


その不自然すぎる祝辞に、他の保護者たちは首を傾げていたが、

雅由美だけは、扇子の陰で「ふふっ、総理もご苦労なことですわね」と、

極上の笑みを浮かべていた。



式典が終わり、それぞれのクラス割の教室へと移動する。

担任教師からの温かい挨拶、膨大なカリキュラムの説明、

そして真新しい教科書の受け渡しが済むと、

いよいよ、保護者同士の『自己紹介』の時間がやってきた。


「……はじめまして。主人は外資系金融機関の役員をしておりまして……」


「うちは、代々続く総合病院を経営しておりますの。よろしくお願いいたしますわ」


教室の中に、セレブママたちによる見えないマウントの取り合いと、

探り合いの空気がピリピリと張り詰める。

やがて、雅由美の順番が回ってきた。

全員の視線が、一際目を引く美貌の母親へと集中する。


「……神龍寺獅雅斗の母でございます。本日はお日柄もよく……」


「あの、神龍寺様。ご主人は、どのようなお仕事をされていらっしゃるの?」


好奇心旺盛なボスママ風の女性が、単刀直入に切り込んできた。

雅由美は、少しも動じることなく、ふわりと柔らかく微笑んだ。


「主人、ですか? ……おりませんの。私はシングルマザーでございますわ」


「えっ……? ま、まあ……」


その言葉に、教室の空気が一瞬だけ奇妙に静まり返る。

しかし、雅由美の放つ圧倒的な気品と、身につけている超一級品の装いは、

ただの苦労人ではないことを明白に物語っていた。


「私、少しばかり『貿易関係』の会社を経営しておりまして。

海外とのやり取りが多く、家を空けることも多い未熟な母親ですが、

獅雅斗共々、皆様と仲良くさせていただければ幸いですわ」


「貿易会社……。あ、ああ、女社長様なのですね!」


「すごいわね、お一人で……」


(ええ、まあ。マフィアとの裏取引や、石油の価格交渉といった、

少しばかりスケールの大きな『貿易』ですけれどね)


雅由美は心の中でブラックジョークを呟きながら、

適当に当たり障りのない会話ではぐらかし、

完璧なアルカイックスマイルを崩さないまま、早々に帰路に就くのであった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ