表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

58/67

第五十九章



東京の空を鋭く突き刺すようにそびえ立つ、全面ガラス張りの巨大な摩天楼。

かつて外資系ファンドが血眼になって争奪戦を繰り広げた、都心の超一等地に、総工費数千億円、地上六十階建ての最新鋭インテリジェントビルが堂々たる姿を現した。

光を反射して眩く煌めくそのビルのエントランスには、重厚な大理石の銘板に金色の文字で、新たな企業の名前が深く刻まれている。


総合商社『神雅しんが商事』。


神龍寺の「神」と、雅由美の「雅」を冠したその巨大企業は、日本経済の表舞台を完全に掌握するために、彼女が創り上げた究極の「器」であった。


最上階、東京湾までを一望できる広大な社長室。

雅由美は、体に美しくフィットした純白の特注パンツスーツに身を包み、イタリア製の最高級レザーチェアに優雅に脚を組んで腰を下ろしていた。


「……見事な眺めですわね。東京の街が、まるで小さな箱庭のようですわ」


「はっ。雅由美社長の思い描かれた通りの、最高の城が完成いたしました」


傍らに控えるのは、かつての特攻服や派手な極道スーツを脱ぎ捨て、英国製のスリーピーススーツを完璧に着こなした竜也であった。

今や彼は、表向きは神雅商事の『専務取締役』という立派な肩書きを持っている。


「ビルの建設から、会社の設立登記まで、滞りなく進みましたわね。……それで、役員の選考と、社員の募集の首尾は、いかがでしたか?」


雅由美が、淹れたてのハーブティーを傾けながら尋ねる。

その言葉に、同じく『セキュリティ本部長』の肩書きを得た黒田が、最新のタブレット端末を操作しながら、恭しく報告を始めた。


「完璧でございます。まず役員陣ですが、五大商社やメガバンクから、最も優秀で、かつ野心的なトップエリートたちを『引き抜き』いたしました」


「ええ。彼らへの『説得』は、スムーズにいきましたの?」


雅由美が小悪魔のように微笑むと、黒田はサングラスの奥でニヤリと笑った。


「ええ。彼らが隠し持っていた裏口座のデータや、愛人との密会写真、果ては過去のインサイダー取引の動かぬ証拠などを、ほんの少しだけ『プレゼン資料』としてお見せしたところ……皆様、顔面を真っ白になさって、『一生、神雅商事のために粉骨砕身働きます!』と、泣きながら土下座で契約書にサインをしてくださったというわけです」


「左様でございます。文字通り、命懸けの忠誠を誓う最強の役員陣が揃いました」


雅由美の冷徹な知略と、電脳組の圧倒的な情報収集能力の前では、表の経済界のエリートたちの弱みなど、赤子の手をひねるようなものであった。


「では、一般社員の募集はいかがでした?」


「こちらも大盛況でございます。初任給を他社の二倍に設定し、圧倒的な資本力をアピールした結果、東京大学や京都大学をはじめとする、超一流大学の学生たちから、一万名を超えるエントリーが殺到いたしました」


「まあ。それは素晴らしいですわね」


「激戦の面接を勝ち抜いた百名の新入社員たちは、我が社を『無限の資金を持つ、クリーンで革新的な夢の総合商社』だと信じて疑わず、希望に目をキラキラと輝かせております」


彼らは夢にも思っていないのだ。

自分たちを採用し、信じられないほどの高待遇を約束してくれた美しき女社長が、日本最大の暴力団のトップであり、この会社の莫大な資本金が、政治家の裏金やマフィアの資金を完璧にロンダリングした『血塗られた金』であるということを。


「ふふっ。何も知らない純粋な若者たちの情熱は、国の宝ですもの。彼らには、表の光の当たる場所で、存分に実力を発揮していただきましょう」


雅由美は、紅茶のカップをソーサーに置き、涼やかに微笑んだ。



数日後。

神雅商事の本社ビル最上階、広大なルーフガーデンと直結したレセプションホールにて、政財界のVIPたちを招いた、盛大な『設立記念パーティー』が開催されていた。


「……神雅商事の設立、誠におめでとうございます。雅由美社長の若き手腕に、日本経済の未来を託したいと存じます」


マイクの前に立ち、ガチガチに緊張した面持ちで祝辞を述べているのは、一国の内閣総理大臣その人であった。

スピーチの原稿を持つ手は微かに震え、時折、上座で微笑む雅由美の顔色を、怯えたように窺っている。


「総理、素晴らしいご祝辞をありがとうございますわ」


雅由美は、夜景にも負けないほどの輝きを放つ、深紅のシルクのイブニングドレスに身を包み、優雅にグラスを掲げた。

その息を呑むほどの美しさと、圧倒的な威厳に、会場に集まった財界の重鎮たちは、ただ圧倒されるばかりである。

続いてマイクの前に立ったのは、経団連のトップである白川会長であった。


「えー、本日は……っ。神雅商事という、新たな巨大商社の誕生に立ち会え……誠に、光栄の至りであります……っ」


白川会長の額からは、滝のように脂汗が流れ落ちていた。

彼は知っている。この美しい摩天楼が、どのような力で建てられ、目の前の女社長が、どれほど恐ろしい「底なし沼」であるかを。


「我が経団連も……神雅商事の事業拡大を、全面、全面的にバックアップし……っ」


(……少しでも逆らえば、明日には私の社会的な命が絶たれる……っ!)


白川は、引き攣った笑顔を顔に貼り付けたまま、心の中で絶叫しながら、必死で祝辞を読み上げた。


一方、会場の片隅では、何一つ裏の事情を知らない、純粋な新入社員たちが、目を輝かせて歓談していた。


「すごいよな、うちの会社! 設立パーティーに総理大臣と経団連会長が来るなんて!」


「雅由美社長、綺麗すぎて直視できないよ……。俺、一生この会社についていく!」


希望に満ちた若者たちの背後に、音もなく、巨体の男たちがスッと近づいてきた。


「……おい、若いの。グラスが空いてるぜ。シャンパンはいかがかな?」


「ひっ!?」


振り返った新入社員たちは、思わず悲鳴を上げそうになった。

完璧なスーツを着こなしてはいるものの、顔に走る傷跡と、隠しきれない極道のオーラを放つ、竜也と黒田である。


「あ、あ、ありがとうございます……っ! せ、専務……っ!」


「おう。しっかり食って、しっかり働けよ。……社長の顔に泥を塗るようなヘマをしたら、東京湾の底の冷たさを教えるからな」


「えっ……と、東京湾……?」


「ガッハッハ! 冗談だ、冗談! これがいわゆる、ブラックユーモアってやつだ!」


竜也たちが豪快に笑いながら肩を叩くと、新入社員たちは「あ、ははは……」と引き攣った笑いを返すしかなかった。

彼らはまだ気づいていない。それが決して冗談ではないという事実に。



盛大なパーティーが終わり、招待客たちが帰路についた深夜。

静寂を取り戻した最上階のルーフガーデンで。

雅由美は、夜風に深紅のドレスの裾を揺らしながら、煌びやかな東京の夜景を見下ろしていた。


「……お疲れ様でございました、雅由美社長」


背後に控える竜也が、シャンパングラスを差し出す。


「ありがとう、竜也。……これでようやく、盤が整いましたわね」


雅由美は、グラスを受け取り、琥珀色の液体を月の光に透かした。


「龍神連合会という『裏の暴力と資金』。そして、神雅商事という『表の経済力と社会的信用』。この二つが完全に融合した今、私たちに不可能なことは何一つありませんわ」


莫大な裏金は、神雅商事の投資案件として合法的に市場へと流れ込み、海外のマフィアとの怪しい取引は、「グローバルな貿易事業」として、堂々と表の帳簿に記載される。

そして、何かトラブルが起きれば。

表では優秀な弁護士団が法の網の目をかいくぐり、裏では黒帯の暗殺者たちが物理的に障害を排除する。

それは、国家権力でさえも手を出すことができない、完全無欠の帝国の完成であった。


「……全ては、獅雅斗のため。あの子が成長し、この世界を背負うその日までに。私は、この日本のあらゆる汚れを浄化し、最も美しく、最も強固な『玉座』を創り上げておかなければなりませんから」


雅由美の鳶色の瞳に、母としての深い愛情と、絶対的な支配者としての冷徹な光が交錯する。


「俺たちはどこまでも、お嬢……いや、雅由美社長の思い描く未来へとお供いたします」


竜也と黒田が、夜景を背に立つ主君に向かって、極道としての深い敬意と、ビジネスマンとしての洗練された所作で、同時に、深く頭を下げた。


「ふふっ。頼りにしていますわよ、あなたたち。さあ、帰りましょう。……獅雅斗が、絵本の続きを待っていますから」


表の経済界を震撼させる冷徹な女社長は、愛する息子の顔を思い浮かべ、ふわりと、この上なく優しい聖母の笑みをこぼした。


摩天楼の最上階。

星空に最も近いこの場所で、表と裏の世界を完全に手中に収めた無敵の令嬢は、夜風に美しい黒髪をなびかせながら、新たなる伝説の始まりへと、優雅な足取りで歩み出していくのであった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ