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第五十六章



雅由美が愛育病院で穏やかな眠りについていた、その頃。

家族たちの全く知らない、裏社会の深い闇の中では、

血で血を洗う、凄絶な『防衛戦』が繰り広げられていた。


龍神の八代目が産み落とした、次期後継者たる男児。

その存在は、雅由美を失脚させようと目論む一部の敵対勢力や、

海外の暗殺組織にとって、絶好の『標的』であった。


彼らは、雅由美が出産で身動きが取れないこのタイミングを狙い、

病院への襲撃や、神龍寺グループへの破壊工作を企てていたのだ。


しかし。

病院の周囲数キロメートルは、すでに龍神連合会の誇る

完全武装の精鋭部隊によって、鉄壁の包囲網が敷かれていた。


「……お嬢と、若に近づく羽虫は、一匹残らず叩き潰せ」


深夜の暗がりの中。

消音器付きの拳銃を構えた竜也が、冷酷な目で指令を下す。


「おぎゃあ、と若が泣く前に、全て終わらせるぞ」


黒田が、血に濡れたナイフを振るい、闇に潜む刺客たちを次々と狩っていく。

電脳組の結城は、病院のシステムを完全にハッキングして守り抜き、

敵の通信を遮断して孤立させていた。


「俺たちの命に代えても、絶対的不可侵の『ゆりかご』を守り抜け!!」


極道たちの、狂気にも似た忠義。

雅由美が個室で家族と微笑み合っていたその裏で、

彼らは一滴の血も病院に近づけることなく、

全ての敵対勢力を、誰にも知られずに『お掃除』し尽くしていたのである。



そんな血みどろの裏の攻防戦など露知らず。

雅由美の愛育病院での入院生活は、驚くほど優雅で、

そして常識外れなものであった。


「……失礼いたします。本日のご昼食でございます」


恭しく運ばれてきたのは、病院食の概念を覆す、

有名ホテルのシェフが腕を振るった、完璧なフルコースである。

朝は焼きたてのエッグベネディクト。

昼はキャビアを添えた冷製パスタ。

夜は、柔らかな国産牛のフィレステーキと、極上のコンソメスープ。


「まあ、とっても美味しいですわ。……これなら、すぐに体力が戻りそうね」


雅由美は、ペロリとフルコースを平らげた。

さらに、毎日の居合道と五キロのランニングで培われた、

アスリート顔負けの持ち前の体力と回復力は、担当医の目を丸くさせた。


「し、信じられません……。初産で、これほどまでに出血も少なく、

子宮の回復が早い方は、見たことがありませんよ」


「あら、そうかしら? もう走れそうですわよ?」


「絶対に走らないでください!!」


驚異的な超回復を見せた雅由美は、医師の制止を笑顔で振り切り、

なんと出産からわずか三日後には、

「退屈してしまいましたわ」と、ピンピンした姿で無事に退院を果たしてしまった。





退院した雅由美が、息子を連れて向かった先は、

実家である神龍寺の豪邸ではなく、

祖母と同居している、龍神連合会の本部となる広大な邸宅であった。


ここは、数百人の屈強な組員たちが二十四時間体制で警備し、

最新鋭のセキュリティシステムが張り巡らされた、

日本で最も安全な『絶対防衛の要塞』である。


「お帰りなさいませ!! 八代目!! そして……若ァッ!!」


邸宅の広大なエントランス。

ズラリと整列した黒服の幹部や組員たちが、

割れんばかりの歓声と、直角のお辞儀で主君を迎え入れた。


「……皆様、ただいま戻りました。留守の間、ご苦労様でしたね」


雅由美は、純白のおくるみに包まれた息子を胸に抱き、

涼やかに、そして威厳に満ちた声で労いの言葉をかける。


その直後。

最前列に控えていた竜也と黒田が、恐る恐る、

まるでガラス細工に触れるように、おくるみの中を覗き込んだ。


「……っ」


スヤスヤと、天使のように無垢な寝顔で眠る、小さな男の子。

その顔を見た途端。

修羅場を潜り抜けてきた、顔に傷のある屈強な極道たちの目から、

ボロボロと、大粒の涙が溢れ出した。


「う……ううっ……!! お嬢……いや、八代目……!!

なんて……なんて、可愛らしいお顔を……っ!!」


「こ、この小さな命は……俺たち龍神の、希望の光ですぜ……っ!!

うおおおんっ!!」


竜也も、黒田も、そして後ろに並んでいた強面の組員たちも、

皆一様にハンカチで顔を覆い、肩を震わせて静かに男泣きを始めたのである。

それは、彼らが命を懸けて守り抜いた、尊い未来そのものであった。


「ふふっ。あなたたち、あまり大きな声で泣くと、この子が起きてしまいますわよ」


雅由美は、泣き崩れる極道たちを優しく見渡し、

クスリと、心からの笑顔をこぼした。


背中に恐ろしい上り龍を背負いながら、

その腕に、愛に満ちた新しい命を抱く、無敵の母。


要塞のような邸宅の奥深く。

血の繋がらない、しかし誰よりも強固な絆で結ばれた『巨大な家族』に守られ、

雅由美と小さな龍の、新しい、そしてさらに波乱と愛情に満ちた日々が、

眩しい夏の陽光の中で、静かに始まろうとしていた。



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