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第五十一章



過酷な一日を終え、あらゆる密談と会合のスケジュールをこなし、

御堂筋邸へと戻ってくる頃には、時計の針はとうに午後十時を回っている。


「……はぁ。今日も一日、よく歩き、よく喋ったわい。

雅由美ちゃんも、さぞかし疲れたじゃろう」


「いいえ。今日も一日、とても勉強になる素晴らしい時間でございました」


雅由美は、玄関で翁を出迎えると、手際よくその着物を解き、

くつろいだ浴衣姿へと着替えさせた。

そして、静かな奥座敷で、翁の晩酌の相手を務めるのも、彼女の重要な日課である。


日本の未来の行く末、裏社会のパワーバランスの変化、

そして、人間の持つ果てしない欲望と業の深さについて。

年の離れた二人の怪物は、静かに杯を交わしながら、

夜が更けるまで、深い、深い対話を重ねていく。


「……人間というのは、いくら金や権力を持っても、決して満たされることはない。

むしろ、持てば持つほど、失う恐怖に怯え、さらなる力を欲するようになる」


翁が、猪口を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「ええ。その恐怖心こそが、彼らを操るための最も細い『糸』になりますわ。

……本日の〇〇大臣も、随分とご自身のスキャンダルに怯えておいででしたね」


「かっかっか。お前さんのその冷徹な観察眼には、背筋が凍るわい」


和やかな、しかし常人には決して理解し得ない高次元の会話の後。


「さて、そろそろ、ひと風呂浴びるとするか」


翁が立ち上がると、雅由美も静かに立ち上がった。


「私が、お背中を流させていただきますわ」


「……良いのかね? 年寄りの、シワだらけの醜い背中など、

天下の絶世の美女が見るようなものではないぞ」


「ふふっ。書生としての、大切な務めですもの。

それに、翁の背中に刻まれたシワは、日本の歴史そのものでしょう?

私にとっては、とても尊いものですわ」


広大な、総檜造りの重厚な内風呂。

芳醇な木の香りと、湯けむりが白く立ち込める中、

雅由美は脱衣所で静かに着物を脱ぎ捨てた。

そして、透き通るような白い肌の上に、

湯浴みゆあみぎとして『一枚の極上の薄絹』だけを纏い、

素足で静かに浴室へと入った。


お湯の熱気と蒸気を含んだ薄絹は、彼女の華奢でありながらも、

女性として完璧に成熟した妖艶なプロポーションに、ぴったりと張り付く。

それは、全てを隠すよりもかえって官能的な美しさを際立たせ、

一枚の芸術画のような凄絶な色香を放っていた。


「……失礼いたします」


雅由美は、洗い場の椅子に座る翁の背後に静かに膝をつき、

温かいお湯をかけ、柔らかい手ぬぐいで丁寧に、優しく背中を流し始めた。

その手つきは、どこまでも優しく、労りに満ちている。


その時である。

背後から流れてくる心地よい香りと共に、

翁がふと振り返った、その視線の先に。


お湯と蒸気に濡れそぼり、肌に完全に張り付いた薄絹の背中から、

鮮やかに、そして生々しく透けて浮かび上がる、

『巨大な上り龍』の姿があった。


「……ほう」


翁は、思わず息を呑み、言葉を失った。


二十三歳の、この上なく美しく可憐な女の背中に彫られた、

恐ろしいまでに緻密で、まるで今にも命を得て動き出しそうな、青と金の龍。

温泉の熱を帯びて微かに桜色に染まった肌の上で、

その龍は、圧倒的な暴力の象徴でありながら、

同時に、息を呑むほどに悲しく、美しい芸術品でもあった。


それは、彼女がこれまでの人生でどれほどの修羅場を潜り抜け、

どれほどの血を流し、どれほどの重圧をその細い肩に背負って生きているのかを、

無言のうちに、何よりも雄弁に物語っていた。


「……重い獣を、飼っておるのだな。雅由美ちゃん」


翁の、深く、静かな声が、湯けむりの中に響いた。


雅由美は、背中を流す手を静かに止め、

濡れて肌に張り付いた黒髪を、色っぽくかき上げた。

そして、翁に向かって、妖艶で、どこか切なげな微笑みを浮かべた。


「ええ。とても大きく、そして、とても重い獣ですわ」


雅由美は、自らの肩を抱きしめるようにして、静かに言葉を継いだ。


「ですが、この龍が私の背中にいてくれるからこそ……

私は決して折れることなく、涙を見せることなく、

前を向いて歩いていけるのです。

この獣は、私の覚悟であり、私の魂そのものですわ」


湯けむりの中。

薄絹越しに浮かび上がる龍の刺青と、

それを背負って立つ無敵の令嬢の、壮絶なまでの覚悟。

翁はただ静かに、深い畏敬と愛情の念を抱いて、目を閉じたのであった。




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