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第四章



カフェテリアでの昼食から数日が過ぎた、金曜日の放課後。

冬の短い日はすでに傾き、街は濃い夕闇に沈みかけていた。

学校の正門前で待つ黒塗りの高級セダンに乗り込むと、

暖かな空気と高級な革の匂いが雅由美を優しく包み込んだ。

運転席には無口な組員、そして後部座席の隣には竜也が座っている。

車が静かに発進し、ネオンが灯り始めた街並みが窓の外を流れていく中、

竜也が周囲を警戒するように声を潜めて口を開いた。



「お嬢。先日、茉莉恵お嬢様に絡んできたチンピラどもの素性が割れました」


「……そう。それで、どこの者でしたの?」


「牛頭組、という新興の半グレ集団です。跡目争いの噂を聞きつけ、

うちのシマを荒らして勢力を拡大しようとしている厄介な連中でして」


雅由美は膝の上に置いた鞄にそっと手を添え、鳶色の瞳を細めた。


「お祖父様がご病気であることに付け込んで、好き勝手をしているのね」


「ええ。それだけではありません。奴ら、資金源の確保として、

ある老舗の高級洋菓子店に目をつけて、強引な地上げを始めているようです」


「洋菓子店……?」


「はい。西園寺様のご親族が経営されている、『ル・プティ・ボヌール』です」


その名を聞いた瞬間、雅由美の纏う空気が氷のように冷たく張り詰めた。

そこは、麗華や栞たちと頻繁にお茶を楽しむ、彼女にとって大切な居場所だ。

親友の美しい笑顔が、下劣な悪意によって脅かされている。


「お嬢、ご安心ください。すぐに若い衆を数人集めて、

奴らの事務所ごと跡形もなく潰してやりますから」


竜也が凄みのある低い声で告げるが、雅由美は静かに首を横に振った。


「駄目よ、竜也さん。そのような真似は許しません」


「しかし、お嬢! このままでは西園寺様のお店が……」


「今、派手な抗争を起こせば、お祖父様のご心労になるばかりか、

龍神連合会の代紋に泥を塗ることになりますわ。……私が参ります」


「は……? お嬢が、自ら出向くというのですか?」


「ええ。あそこは、麗華たちとの大切な場所ですもの。

お祖父様のお庭を荒らす不作法者には、私が直接お話を伺いに参りますわ」


「直接お話をって……! 背中の筋彫り、まだ熱を持っているんでしょう!?」


驚愕する竜也をよそに、雅由美は冬の夜空に浮かぶ三日月を見つめ、

ふっと冷たく、しかし最高に美しい微笑みを浮かべた。



週末の土曜日。

繁華街の裏手にある雑居ビルの三階。牛頭組のダミー会社である、

コンサルタント事務所の扉が、重い音を立てて開かれた。

煙草の煙と安酒の匂いが充満する下品な空間に、場違いな三人が足を踏み入れる。


「おいおい、なんだてめえら。ここはガキの遊び場じゃねえぞ」


ソファにふんぞり返っていた屈強な男たちが、一斉に立ち上がる。

先頭に立つ雅由美は、最新の流行を取り入れたハイブランドの、

漆黒のパンツスーツをスタイリッシュに、かつ一切の隙なく着こなしていた。

その手には、イタリア製の高級な黒檀のウォーキングステッキが握られている。


「突然の訪問、失礼いたします。少し、お話を伺いに参りましたの」


極めて優雅なお嬢様言葉で微笑む雅由美の後ろで、竜也が苦虫を噛み潰したような

顔をして立っている。さらにその後ろからは、


「お姉様、秘密のデートって、こんなワイルドな場所だったんですね!」


なぜか嬉しそうに目を輝かせる茉莉恵が、勝手についてきていた。


「帰れ帰れ! 怪我したくなかったら、おとなしく……」


男の一人が威嚇するように怒鳴りながら、雅由美の肩を掴もうと手を伸ばす。

しかし、その手が彼女に触れることはなかった。


「……レディに気安く触れるのは、感心いたしませんわね」


雅由美の右手に握られた黒檀のステッキが、居合の太刀筋で閃いた。

鈍い音と共に、男の腕が不自然な方向へと弾かれ、悲鳴を上げて床に蹲る。

木刀代わりに鍛え上げられた黒檀の重撃は、骨の髄まで響く威力だった。


「なっ……てめえ、何しやがった!」


怒り狂った残りの男たちが、一斉に雅由美へと襲いかかってくる。


「お嬢! 無理です、傷が開きます! 下がっていてください!」


竜也が焦燥に駆られた声で叫ぶが、雅由美は流麗な足捌きで前に出た。

背中の激痛など微塵も感じさせない、舞を踊るような合気道の体捌き。

ステッキで急所を的確に突き、男たちの力を利用して次々と床に沈めていく。


「傷……? こいつ、怪我してんのに俺たちを……!?」


「ひぃっ! 深い傷を負いながら恋人を守ってやがる……化け物かよ!」


竜也の叫びを聞いた男たちは、雅由美を「深い傷を負いながらも男を守る、

伝説の女ヒットマン」だと完全に勘違いし、恐怖に顔を引き攣らせた。


「違います、俺が護衛で……!」


「お姉様、すごい! やっぱり愛の力は無敵なんですね!」


竜也の必死の訂正も虚しく、茉莉恵の的外れな声援が事務所に響き渡る。

血を一滴も流させることなく、男たちをエレガントに制圧した雅由美は、

床に這いつくばる牛頭組のリーダー格を見下ろし、冷ややかに告げた。


「ル・プティ・ボヌールへの嫌がらせを、即刻おやめなさい」


「ひっ……わ、わかった! 二度と近づかねえ! 許してくれ!」


「……よろしい。二言はありませんわね?」


完璧な令嬢の笑顔の奥にある、絶対的な威圧感。

男たちは震えながら、二度と洋菓子店には近づかないという念書にサインをした。



騒動を完全に片付け、雅由美が実家の屋敷の自室へと戻ったのは、夜も更けた頃だった。

部屋の明かりはつけず、窓から差し込む冷たい冬の月明かりだけが、

大理石の床を青白く照らし出している。


雅由美は一人きりになると、小さく息を吐き、衣服を一枚ずつ解いていった。

大きな姿見の前に立ち、ゆっくりと背中を向ける。

肩越しに鏡を覗き込むと、激しい動きのせいで微かに血が滲んだ背中があった。

熱を持ち、赤く腫れ上がった筋彫りの昇り龍が、月光を浴びて生々しく浮かび上がる。

まるで、彼女の肌の上で本当に息づき、天を目指して咆哮しているかのようだった。


(……痛い)


アドレナリンが切れ、想像を絶する痛みが波のように押し寄せてくる。

しかし、雅由美の鳶色の瞳に後悔の色は一切なかった。

麗華たちの愛する場所を守り抜き、祖父の組織の外末端の乱れを、

己の手で、誰の血も流させることなく正したのだ。


「完璧な令嬢」としての表の顔と、「極道の新人会頭」への道を歩む裏の顔。

決して交わることのないはずの二つの世界が、今、彼女の中で確かな熱を帯び、

一つになって回り始めている。


雅由美は冷たい鏡面にそっと指先を触れ、静かに、誰にも聞こえない声で呟いた。


「……お祖父様。私、少しずつですが、覚悟の重さを知りましたわ」


冬の澄んだ夜空に輝く月が、痛みに耐えて微笑む彼女の横顔を、

どこまでも優しく、そして美しく照らし出していた。




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