第三章
週明けの月曜日。
歴史ある私立女子高の、シャンデリアが眩い光を放つ豪奢なカフェテリア。
高い天井まで届くアーチ状の窓からは、冬の柔らかな日差しが差し込み、
磨き上げられた大理石の床に白く四角い模様を描き出している。
昼休みを迎えた生徒たちの、鈴を転がすような華やかな笑い声が響く中、
神龍寺雅由美は、いつものように背筋をピンと伸ばして席についていた。
(……やはり、少し熱があるわね)
制服のブラウスの下、白磁の背中から腰にかけて彫り進められた筋彫り。
それが引き起こす「墨熱」と呼ばれる特有の発熱が、雅由美の体を内側から
じりじりと焦がしていた。
肌着が擦れるだけでも焼けるような痛みが走るが、彼女の表情は凪いでいる。
完璧な令嬢としての矜持が、一切の弱音を許さなかった。
「雅由美さん。今日のダージリン、少し蒸らしすぎじゃありませんこと?」
向かいの席で、親友の西園寺麗華が、ティーカップを傾けながら小首を傾げた。
華やかな巻き髪が、冬の光を受けてきらきらと輝いている。
雅由美は、はっとして自分のカップを見つめた。
「あら、そうかしら。……ごめんなさい、少し考え事をしていて」
「珍しいですわね。雅由美さんがお茶の淹れ方を間違えるなんて」
隣に座る九条栞が、手元の洋書から顔を上げ、静かに微笑んだ。
知的な縁なし眼鏡の奥で、その観察眼の鋭い瞳が雅由美を的確に捉える。
「……それに雅由美さん、今日はお顔が少し赤いですわ。お熱でも?」
栞の指摘に、雅由美は少しだけ肩を揺らした。
そのわずかな動きだけでも、背中に鋭い痛みが走り、息が詰まる。
「……いいえ、大丈夫よ。カフェテリアの暖房が、少し効きすぎているのかしら」
「ごまかしては駄目よ、雅由美。なんだか息も少し熱っぽいですわ」
麗華が身を乗り出し、心配そうに雅由美の顔を覗き込んでくる。
ほんのりと朱に染まった頬と、潤んだ鳶色の瞳。
普段の隙のない彼女からは想像もつかない、どこか艶やかな表情だった。
「本当に、大したことはないの。週末に少し、無理をしてしまって……」
嘘ではなかった。週末の二日間、伝説の彫師の工房にこもり、
想像を絶する痛みにひたすら耐え続けたのだから。
しかし、その言葉を聞いた瞬間、麗華と栞がパッと顔を見合わせた。
二人の瞳に、心配とは別の、好奇心と確信めいた光が同時に灯る。
「週末に、無理を……? 雅由美さん、もしかして……」
「え……? もしかして、とは?」
栞が周りの生徒たちの視線を少し気にしながら、声をひそめて身を乗り出してきた。
「隠さなくてもよろしくてよ。後輩の子たちから、噂を聞きましたの」
「噂……? 私が、何か噂になっているの?」
「ええ。週末、雅由美さんが年上の素敵な男性と、お車で出かけていたと」
「……っ」
竜也のことだ。迎えに来た竜也の車に乗り込むところを、
運悪く後輩の誰かに見られていたらしい。
彫師の工房へ向かっていただけなのだが、裏の事情を話せるわけがない。
「あ、あれは……その。親戚の兄のような人で、ただの護衛ですわ」
「ただの護衛と、休日にお出かけになりますの? あんなに頻繁に?」
麗華が、ふふっと意味深な笑みを浮かべて、艶やかなネイルに彩られた
指先でそっと口元を覆った。
「雅由美。私たち、親友でしょう? 水臭いですわ」
「違うの、麗華。本当に、そういう関係では……」
「では、なぜそんなにお顔を赤くして、熱を出しているのです?」
「それは……痛みに、耐えているから……」
背中の刺青の痛みを指して言ったのだが、二人の解釈は完全に違った。
栞が、はぁっと熱い感嘆の溜息を漏らす。
「痛み……。許されざる恋の情熱が、雅由美さんの体を焦がしているのですね」
「え……? 許されざる、恋?」
「分かりますわ。お家柄の違いか、あるいは年齢差か。結ばれないと
分かっているのに、惹かれてしまう胸の痛み……!」
麗華が両手を胸の前で組み、うっとりとした瞳でカフェテリアの天井を見上げた。
「違うわ、麗華、栞。私が耐えているのは、もっと物理的な……」
「物理的な……! まあっ、雅由美さんったら、大胆!」
栞が頬を真っ赤に染め、読んでいたフランスの恋愛小説で顔を隠した。
雅由美は完全に困惑し、美しい鳶色の瞳を瞬かせた。
「待って。あなたたち、何を想像しているの? 私はただ、彼に
付き添ってもらって、秘密の場所で……」
「秘密の場所……!」
親友二人の声が見事に重なった。
「大人の、証を……いえ、消えないものを、残すようなことを……」
刺青のことを言いたかったのだが、激痛を堪えながら言い訳を探す雅由美の言葉は、
最悪の形で途切れ途切れになり、ますます誤解を深めていく結果となった。
「……それ以上は言わなくてよろしくてよ、雅由美さん」
麗華が、優しく、しかし力強く雅由美の手を握った。
「私たちは、あなたの味方ですわ。どんな障害があろうとも」
「そうよ。東大への進学も、ご実家のことも、今は忘れて……その熱に
身を任せるのも、青春ですわ」
「だから違うと言っているでしょう? 彼はただ、私が大人の階段を上るのを、
ハラハラしながら見守ってくれているだけで……」
「大人の階段……っ!」
栞が限界を迎えたように机に突っ伏し、肩を震わせた。
まったく話が通じない。
完璧な令嬢として、いかなる難問も涼しい顔で解き明かしてきた雅由美だったが、
恋愛という未知の領域の勘違いにおいては、完全に防戦一方だった。
「もう……あなたたちには、何を言っても無駄なようね」
雅由美は小さくため息をつき、すっかり冷めてしまったダージリンティーを口に運んだ。
火照った頬を冷ますように、窓枠の冷たいガラスに視線を向ける。
「でも、雅由美さんが恋をするなんて、本当に驚きですわ」
「ええ。ずっと、恋愛には興味がないのだと思っておりましたから」
「……興味は、今もありませんわ。私には、果たすべき覚悟がありますもの」
雅由美が静かに呟いたその言葉には、極道の世界に身を投じるという
凄絶な決意が込められていた。
しかし、親友たちの耳には、全く別の響きを持って届いていた。
「果たすべき覚悟……。駆け落ちすら辞さないというのね……!」
「美しいわ、雅由美さん。まるで現代のロミオとジュリエットのようですわ」
ますます加熱していく二人の妄想に、雅由美はついに反論を諦めた。
制服の下で、背中の昇り龍が熱を帯びて微かに疼く。
この痛みが引く頃には、自分の愛する居場所を守るための戦いが本格的に始まる。
今は、この他愛のない親友たちとの時間を、ただ大切に守りたかった。
「……そうね。今はただ、この熱が下がるのを待つしかないわ」
雅由美が困ったように、しかしどこか優しげに微笑むと、
麗華と栞は無言で、けれど力強く、何度も深く頷いた。
冬の柔らかな日差しに包まれたカフェテリアには、
三人の少女たちの、絶妙に噛み合わない、けれど温かな笑い声が響いていた。
原案100%筆者。
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