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第三十八章



初夏の風が、青葉を揺らして心地よい音を立てる季節。

永田町の地下水脈から吸い上げた、途方もない額の『裏金』は、

雅由美の完璧な資金洗浄クリーニングの手を経て、

龍神連合会の活動資金として、金庫から溢れんばかりの潤沢さをもたらしていた。


「……お嬢。警視庁と検察庁のルートからの回収も、全て完了しましたぜ。

連中、自分の汚職がバレる恐怖で、文字通り一円残らず吐き出しやがりました」


神龍寺本邸の地下深く。

要塞のような電脳室で、結城が疲労と興奮の入り交じった声で報告する。

メインモニターに表示された連合会の総資産額は、

もはや国家の裏予算と見紛うほどの、天文学的な数字に膨れ上がっていた。


「ご苦労様、結城。……ですが、これはまだ『枝葉』に過ぎませんわ」


雅由美は、涼やかな薄藤色のワンピース姿で、

特注のハーブティーのカップを優雅に傾けながら、ふわりと微笑んだ。


「枝葉……ですか? これだけの額を巻き上げておいて?」


「ええ。政治家の方々が懐に入れている裏金は、

所詮、どこかから『お小遣い』として流れてきたものですもの。

……その源流。巨額の裏金献金を行っている企業と、

彼らが税金逃れのために作っている『二重帳簿』の存在。

そちらの方が、はるかに水脈としては太くてよ」


雅由美の鳶色の瞳が、モニターの光を受けて妖しく、

そして底知れぬ知性を帯びて煌めいた。


「政治家たちの資金ルートを逆探知なさい。

どの企業が、どのダミー会社を経由して、政界に裏金を流しているか。

そして、その企業がどれほどの利益を隠匿しているか。

……全て、日の下に晒してちょうだい」


「なっ……! そ、それはつまり、

日本を代表するような大企業やメガバンクの裏帳簿を、

端から端まで全部ハッキングしろってことですか!?」


結城が、信じられないものを見るような目で悲鳴を上げた。


「ええ、そうよ。少しばかり骨の折れる作業になるでしょうけれど、

結城たち電脳組なら、必ずできますわ。期待しておりますわよ?」


「うおおおおっ……! また俺たちの寿命が縮むゥゥッ!

野郎ども、エナジードリンクの在庫を箱で持ってこい!

お嬢の至上命令だ、一社残らず身ぐるみ剥がしてやる!!」


ハッカーたちが半ばヤケクソのような雄叫びを上げる中、

雅由美は「頑張ってね」と天使のような微笑みを残し、

優雅な足取りで地下室を後にした。



雅由美が底無しの大企業の闇を洗い出させている間。

彼女の目は、裏社会の覇権や巨額の資金ばかりではなく、

もっと温かく、そして切実な場所へと向けられていた。


数ヶ月後。

東京都下の、緑豊かな閑静な郊外。

真新しい、陽光をたっぷりと取り込むように設計された

広大な施設の庭には、子供たちの明るい笑い声が響き渡っていた。


「……とっても、良い施設になりましたわね」


雅由美は、日傘を傾けながら、芝生で駆け回る子供たちを

目を細めて見守っていた。

彼女が巨額の私財(クリーニングした裏金)を投じて建設した、

三ヶ所からなる大規模な孤児院の一つである。


もちろん、表向きは厳しい審査をクリアした

正規のNPO法人『星辰せいしん福祉会』として認可を受けている。

この施設は、単なる孤児院ではない。

親を亡くした子供たちだけでなく、家庭の事情で居場所を失った家出人や、

東京の繁華街で行き場を失った『トー横』の浮浪児たちまでを、

広く、そして温かく受け入れる、巨大なセーフティネットであった。


「お姉ちゃーん! 見て見て、シロツメクサの冠作ったの!」


小さな女の子が、雅由美の元へパタパタと駆け寄ってくる。


「まあ、とっても綺麗。あなた、手先が器用なのね」


雅由美が優しく頭を撫でてやると、女の子は嬉しそうに笑って

再び友達の輪の中へと戻っていった。


「……お嬢。まさか、我々が裏で巻き上げた金が、

こんな立派なガキどもの施設に化けるとは、思いもしませんでしたぜ」


背後に控えていた竜也が、感深げな声で呟く。

彼と黒田も、今日は威圧感を消すために柔らかい色合いのシャツを着て、

両手には大量の絵本と菓子折りを抱え、

必死に「近所の気の良いお兄さん」を演じている。


「光が強くなれば、その分、影もまた濃くなるものですわ」


雅由美は、青空を見上げながら、静かな声で語った。


「私が龍神として裏社会を統べ、秩序を守ったとしても、

表の社会の隙間からこぼれ落ちてしまう子供たちは、後を絶たない。

……彼らに、帰る場所と、未来を選ぶための『切符』を

用意してあげるのは、力を持つ者の義務ですのよ」


この孤児院では、高校卒業までの衣食住と教育を完全に保証している。

さらに、素質と意欲のある子供には、奨学金制度を設け、

大学進学や、専門的な技術を身につけるためのサポートまでを行うという、

至れり尽くせりの体制が整えられていた。


「さあ、竜也さん、黒田さん。子供たちがお菓子を待っていますわよ。

……くれぐれも、極道スマイルで泣かせないようにね」


「お、おうっ! 任せてくだせえ、お嬢!

ほーらお前ら、おやつだぞーっ!」


屈強な極道たちが、顔を引き攣らせながら必死に笑顔を作り、

子供たちに揉みくちゃにされる微笑ましい光景。

雅由美は、その様子を扇子の陰からクスクスと笑って見守っていた。



その数日後。

東京都心にそびえ立つ、神龍寺グループ本社ビルの社長室。


「……み、雅由美。今日は、一体どうしたんだ……?」


父である社長は、ふらりと社長室を訪れた娘の姿を見て、

反射的に胃の辺りを押さえ、顔を引き攣らせていた。

同席していた兄の貴哉も、サッと顔色を変えて身構えている。


無理もない。

彼女が社長室にやって来る時は、大抵、国家元首クラスのトラブルか、

裏社会の巨大な抗争が持ち込まれる時だからだ。


「お父様、お兄様。ごきげんよう。

そんなに警戒なさらないで。今日は、神龍寺の誇る建設部門に、

少しばかり大きなお仕事の発注をお願いに上がりましたの」


雅由美は、最高級のクロコダイルのバッグから、

分厚いファイルを取り出し、父のデスクに優雅に置いた。


「発注……? うちの建設部門に?」


父が恐る恐るファイルを開くと、そこには、

緻密に計算された巨大な建物の設計図と、事業計画書が綴じられていた。


「私、今運営している孤児院の子供たちのために、

『専門学校』を設立しようと思いまして」


「せ、専門学校だと!?」


「ええ。子供たちが社会に出た時、しっかりと自分の力で生きていけるよう、

IT、調理、介護、そしてデザインなど、

現代で人気の高い専門職のスキルを身につけられる学校ですの。

もちろん、認可の要件を満たすための書類は、全て私が完璧に揃えておりますわ」


父と兄は、信じられないものを見るように、

計画書と雅由美の顔を交互に見つめた。


「こ、これは……マフィアの隠れ蓑でも、武器の密輸拠点でもなく……

本当に、純粋な、子供たちのための教育施設なのか……?」


「まあ、お父様ったら。娘を何だと思っていらっしゃるの?

教育は国家の百年の計ですわ。立派な慈善事業でしてよ」


雅由美が小首を傾げて可憐に微笑むと、

父は、震える手で目頭を押さえ、ついに大粒の涙をこぼした。


「う、うおおおんっ……!! 雅由美が、真っ当な事業を……!

裏で血を流すこともなく、誰も脅迫することのない、

こんなに素晴らしい、社会に貢献する仕事を……っ!!」


「父さん、良かったです!

俺たちの妹は、ちゃんと光の当たる世界でも、立派に生きていけます!」


男二人が、手を取り合って号泣している。


(……まあ、この学校の建設資金も、運営資金も、

全て永田町の先生方から『頂戴した』裏金なのですけれどね)


雅由美は、心の中でひっそりと呟きながら、

「お父様たちのお力添え、よろしくお願いいたしますね」と、

完璧な令嬢の笑顔で一礼するのであった。



さらに季節は巡り、秋の気配が色濃くなってきた頃。

龍神連合会本部の地下電脳室では、ついに歓喜の雄叫びが上がっていた。


「お嬢ォォォッ!! やりました、やりましたぜ!!」


何日も徹夜を続け、完全にゾンビのような顔つきになった結城が、

狂喜乱舞しながら雅由美の前に飛び出してきた。


「議員たちの資金ルートから逆算し、ダミー会社を一つ一つ潰して、

ついに、裏金献金を行っていた企業の全貌を洗い出しました!

大手のゼネコン、製薬会社、ITメガベンチャー……。

奴らが隠し持っていた二重帳簿と、税金逃れの証拠データ、

全て完全に、この結城がぶっこ抜いてやりましたぜ!!」


「まあ。本当にご苦労様、結城。……それで、額はどのくらいになりまして?」


雅由美が涼やかな声で尋ねると、結城はゴクリと唾を飲み込み、

震える指でモニターの集計画面を指し示した。


「……議員連中から巻き上げた額の、軽く数十倍は下りません。

もはや、一つの小国の国家予算レベルです」


「ふふっ。素晴らしいわ」


雅由美は、その莫大な、底無しの強欲が詰まった数字の羅列を見つめ、

優雅に扇子を広げた。


「企業の方々も、これほど多額の現金を隠し持つのは大変でしょう。

私たちが、社会のために有意義に『クリーニング』して差し上げなければ。

……これで、新しい専門学校の最新設備も、孤児院の子供たちの大学の学費も、

未来永劫、心配いりませんわね」


日本の政財界の奥深く、誰も触れることのできなかった絶対的な闇。

しかし、若き龍の放つ圧倒的な知略と力の前に、

その闇の資金は全て、光の世界の子供たちを育む『ゆりかご』へと、

見事なまでに転換されていくのであった。


「さあ、お掃除の仕上げにまいりましょうか」


雅由美の、冷酷でありながらも、どこまでも気高く美しい微笑みが、

モニターの青白い光に照らされて、静かに咲き誇っていた。




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