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第三十五章



十月上旬。

秋晴れの高く澄み渡る空とは裏腹に、永田町の地下水脈は、文字通り『阿鼻叫喚の地獄絵図』と化していた。


「……無い! 無いぞ!! スイスの口座も、ケイマン諸島のダミー会社も、見事にスッカラカンだ!!」


「俺の三十年分の裏金が……ゼロ円!? ハッキングだ、警察を呼べ!!」


「馬鹿野郎、裏金を盗まれたなんて警察に言えるわけないだろうが!!」


総理との密約により、雅由美の手で『資金洗浄クリーニング』された大物政治家たちは、突然消滅した己の命綱(裏金)を前に、誰にも言えず、ただ泡を吹いて気絶するしかなかった。


そんな中、裏金を失って完全に発狂寸前となったある大物政治家が、金の力で長年抱き込んでいた『警視庁の大物幹部』を密かに動かした。

「いいか、非公式だ! サイバー犯罪対策課のトップエリートを極秘で動かし、消えた俺の金の行き先を這いつくばってでも探し出せ!!」と。



その数時間後。

龍神連合会本部の地下深く、エナジードリンクの空き缶がピラミッドのように積み上げられた『電脳室』では、けたたましいアラートが鳴り響いていた。


「……おや?」


キーボードを叩いていた結城が、ニヤリと肉食獣のような笑みを浮かべた。


「お嬢! どうやら、餌のなくなった池で、泥をすすって嗅ぎ回っている野良犬たちがいるようですぜ!」


「あら。まあ」


電脳室の奥に用意された豪奢なアンティークチェアで、優雅にハーブティーを飲んでいた雅由美が、小首を傾げた。

本日の雅由美は、柔らかなカシミヤのカーディガンを羽織った、秋らしい清楚な装いである。


「野良犬、ですの?」


「ええ! 警視庁のサイバー部隊です。裏金をすっ飛ばされて発狂した大物政治家が、飼い犬である警視庁の大物幹部を動かして、強引に金の流れをトレースしようとしてやがります!」


結城が楽しげにモニターを指差すと、電脳組のハッカーたちも「クククッ……警察の坊ちゃんたちが、俺たちにサイバー戦を挑んでくるとは、百年早いぜ!」と、悪党丸出しの笑顔で指を鳴らした。


「いかがいたしますか、お嬢。一瞬で連中のサーバーを焼き切って、警察庁のシステムごとブラックアウトさせてやりましょうか?」


物騒極まりない提案をする結城に、雅由美は扇子を口元に当てて、クスクスと小鳥が囀るように笑った。


「ダメよ、結城。せっかく一生懸命に嗅ぎ回っているワンちゃんたちを、いきなり叩いては可哀想ですわ。……そうだわ。少しばかり、彼らと『ゲーム』をいたしましょう?」


「ゲーム、ですか?」


「ええ。とっても美味しそうな『ダミーの巨大預金口座』を、見えやすい場所にポツンと作ってあげるの。そして、消えた裏金が全てそこに流れたと見せかけて……食いついた瞬間に、彼らの懐の中まで、綺麗に裏側から覗き込んで差し上げなさい」


雅由美の極悪非道、かつ極めてエレガントなハニートラップの提案に、結城たち電脳組は「うおおおっ!! 最高に性格が悪い!!(※褒め言葉)」と歓喜の雄叫びを上げた。


「さすがはお嬢! 了解です、特上の『毒入りドッグフード』をご用意いたしますぜ!!」



その日の深夜。警視庁・極秘捜査室。

「……やりました、幹部! 消えた裏金の流れをキャッチしました! 中東のダミー口座に、莫大な資金がプールされています!!」


大物政治家から命令を受けた警視庁の幹部が、報告を聞いて下品な笑いを漏らした。


「でかした! すぐにその口座のアクセス権を奪い、資金をこちらへ移せ! これで先生(政治家)から、さらに多額の『お小遣い』がもらえるぞ……!」


幹部が舌舐めずりをした、まさにその瞬間。


『——Welcome to the Dragon's Den.(龍の巣へようこそ)』


警視庁のメインモニターに、突如として巨大な『龍』のアスキーアートが浮かび上がった。


「な、なんだこれは!? ウイルスか!?」


「か、幹部! ダミー口座にアクセスした瞬間、逆探知されました! バックドア(裏口)を開けられ、我々のシステムから……警視庁幹部や検察庁の『極秘の裏口座データ』が、猛烈な勢いで吸い出されています!!」


「な、なんだとォォォッ!?」


警視庁の幹部は、白目を剥いてひっくり返った。

ミイラ取りがミイラになるどころではない。罠に首を突っ込んだ結果、警察と検察が、政治家からどれだけの賄賂を受け取っているかという『国家の恥部』を、ハッカー集団に全自動でプレゼントしてしまったのである。



翌朝。神龍寺の地下電脳室。

「わーっはっはっは!! 大漁だ、大漁だぜお嬢!!」


結城が、腹を抱えて大爆笑していた。


「連中の通信記録と裏口座のパスワード、全部抜けました!

政治家から金をもらって事件をもみ消していた警視庁の大物幹部!

さらに、そのおこぼれに預かっていた検察庁のトップ連中!

金の流れと、癒着の実態が、見事なまでに芋づる式で炙り出されましたぜ!!」


「あらあら。随分と泥だらけのワンちゃんたちでしたのね」


雅由美は、出力された『警察・検察の汚職リスト』の分厚い束をパラパラと捲りながら、涼やかなため息をついた。


「法を司る番犬たちが、これほどまでに虫歯だらけでは、日本の治安が心配になってしまいますわ。……このリストも、綺麗にまとめておいてちょうだい」



数日後。

秋の深まりを感じさせる、都内の超高級料亭『吉兆』の離れ。


そこには、日本の政財界の奥の院に鎮座し、総理大臣すら赤子のように扱う真のフィクサー、『御堂筋翁みどうすじのおきな』が、和服姿で悠然と座っていた。

年齢は八十を超えているはずだが、その眼光は老いてなお、獲物を狙う鷹のように鋭い。


「……ほう。雅由美ちゃん。今日は随分と、分厚いお土産を持ってきてくれたねぇ」


翁が、しゃがれた、しかし腹の底に響く声で笑う。

雅由美は、美しい訪問着姿で三つ指をつき、翁の前に桐箱に入った極上の銘菓と共に、数枚の『特製ファイル』を差し出した。


「お久しぶりでございます、翁。

先日、総理とのお話し合いの末、少しばかり永田町の『お掃除』をさせていただきましたの。そのご報告に上がりまして」


「かっかっか! 聞いとるよ! 永田町の狸どもが、こぞって『財布を落とした』と泣きついてきおったわ! あ奴らの青ざめた顔を、雅由美ちゃんにも見せてやりたかったわい!」


翁が愉快そうに膝を叩いて大笑いする。


「ですが、お掃除の途中で、少しばかり『お行儀の悪いワンちゃん』たちが噛み付いてきましてね。……こちらを、ご覧いただけますか?」


雅由美が差し出した二冊目のファイル。

それを開いた翁の動きが、ピタリと止まった。


「……ほぅ。警視庁のトップと、検察庁の幹部連中……。

政治家どもから、これほどの裏金を受け取り、飼い慣らされておったか」


「はい。資金の行き先を探ろうとした彼らに、少しばかり『甘いおやつ』をあげましたら、自分たちの汚職の証拠を、全て尻尾を振って渡してくれましたの」


雅由美が、扇子で口元を隠してクスクスと笑うと、翁は一瞬あっけにとられ、そして……料亭の屋根が吹き飛ぶのではないかというほどの大爆笑を放った。


「わーーっはっはっは!! 傑作だ!! 国家の権力機構が、たった一人の女子大生の手のひらで、見事なまでに踊らされておるわ!!」


翁は笑い涙を拭いながら、雅由美に向かって深く頷いた。


「雅由美ちゃん、お見事の一言に尽きる。

警察も検察も、少しばかり増長しすぎていると感じておったところだ。

このリストがあれば、あ奴らの首根っこを完全に押さえ込める。

……日本の裏の秩序は、お嬢ちゃんが完全に制圧したな」


「もったいないお言葉ですわ、翁。

私はただ、日本の美しい四季を、埃にまみれることなく楽しみたいだけですの」


雅由美は、極上のお茶を上品に啜り、可憐に微笑んだ。


「そういえば翁。このリストに載っていた方々の裏金も、私が綺麗に『クリーニング』しておきましたわ。後日、龍神の口座から、翁の財団の社会貢献事業へ、多額の『匿名の寄付』があるかと思いますので、よろしくお受け取りくださいな」


「かっかっか! なんと見事なロンダリングだ!

悪党の金が、一瞬にして日本の未来のための浄財に変わるとは!

神仏も腰を抜かす見事な手際よ!」


秋の夜長の高級料亭。

日本の真の支配者であるフィクサーと、世界を統べる無敵の若き龍は、国家の番犬たちの愚かさを肴に、夜が更けるまで優雅で痛快な談笑を弾ませるのであった。



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