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第十九章



一月。

新しい年を迎え、厳しい寒さが日本列島を包み込む中、

北海道・ニセコの最高級スキーリゾートは、見渡す限りの白銀の世界に覆われていた。

雲一つない澄み切った冬の青空と、太陽の光を受けてダイヤモンドのように

きらきらと輝く壮大な峰々が、訪れる者たちの心を奪う。


「皆様、雪質も最高ですわね。まるで雲の上を滑っているようですわ」


雅由美は、純白の生地に淡い水色のラインが流れるように入った、

エレガントで美しい最新のスキースーツを完璧に着こなしていた。

雪の反射光を和らげる白いゴーグルを額に上げ、

冷たい空気にほんのりと頬を桜色に染めて微笑むその姿は、

まさに白銀の嶺に舞い降りた雪の精霊のようであった。


「本当ですね、お姉様! こんなにフワフワの雪、初めてです!」


「転んでも全然痛くありませんわ。……あっ、栞さん、そちらは滑りますわよ!」


「きゃあっ! もう、茉莉恵ったら!」


彩美や麗華、栞、茉莉恵たちが、色とりどりのウェアに身を包み、

楽しそうな歓声を上げながら緩やかな斜面を滑り降りていく。

瑞希も、少し不器用ながらも一生懸命にボーゲンで雪を掻き分けていた。


そんな優雅で平和な令嬢たちのバカンスの背後で、

ズシン、ズシンと、雪山を揺るがすような重い足音が響いていた。


「……お嬢様方、スピードの出しすぎにはご注意を」


「……リフトの乗り降りは、慎重に」


専属のスキーインストラクターとして同行している、竜也と黒田である。

最新の黒いゴーグルと分厚い防寒ウェアで完全に全身を覆い、

背中には万が一のためのサバイバルリュックを背負った屈強な大男二人。

その尋常ではない威圧感と、一切の隙のない警戒した身のこなしは、

どう見ても「雪山に潜む未知の怪物イエティ」か、

「極秘任務中の特殊部隊の傭兵」にしか見えなかった。


「まあ、インストラクターのお二人とも、とっても頼もしいですわね!」


「ええ、なんだか屈強な雪の精霊さんが守ってくださっているみたい!」


麗華や茉莉恵が、全く怯えることなく無邪気に手を振る。

(ゆ、雪の精霊……っ。俺たちは極道だぞ……)

竜也は、雪の中に胃薬の瓶を落とさないよう必死にポケットを押さえながら、

ゴーグルの奥で深くため息をついた。



やがて、数時間ほどスキーを楽しんだ後。

一行は、ゲレンデの中腹にある高級ロッジのカフェテラスで、

温かいホットチョコレートを両手で包み込みながら暖を取っていた。


「はぁ……冷えた体に甘さが染み渡りますわね」


雅由美がカップに口をつけた、まさにその時だった。

親友たちが談笑に夢中になっている隙を突き、

竜也が周囲に聞こえない声で、極度に緊迫した報告を入れた。


「……お嬢。至急、耳をお貸しください」


「どうなさいましたの、竜也さん」


「先月、お嬢が王龍様やヴィンチェンツォ様と『世界三大同盟』を

結ばれたことが、国内の裏社会にも知れ渡り始めております。

その圧倒的な力に恐れをなし、完全に包囲される前に

若き会頭を暗殺しようと企む、国内の独立系過激派組織が動きました」


竜也の声が、氷点下の空気よりも冷たく張り詰める。


「プロの狙撃手と暗殺部隊が、このニセコの雪山に入り込んでおります。

我々の警備網を抜けて、すでにリゾートの敷地内に……」


「……まあ」


雅由美は、ホットチョコレートの入ったカップを静かにテーブルに置いた。

鳶色の瞳から、先程までの令嬢の温かな光が完全に消え去り、

極寒の雪山よりも冷たく、澄み切った「会頭」の刃の光が宿る。


「……雪の白さは、人の心を清らかにするためのもの。

それを、薄汚い欲望や血で染めようとする不作法は、許されませんわ」


愛する家族と、大切な親友たちの笑顔。

その無垢な喜びを脅かす者は、決してこの庭には生かしておかない。


「竜也さん。この後の予定を、少しだけ変更いたしますわ」



午後。

先程までの快晴が嘘のように、山の天候が急変した。

強烈な吹雪が吹き荒れ、視界を真っ白に染め上げる

「ホワイトアウト」がゲレンデを包み込み始めたのだ。


「皆様、急激に冷え込んでまいりましたわ。

危ないですから、すぐにロッジの中へ戻りましょう」


雅由美は、親友たちを素早く、かつ安全に温かな室内へと誘導した。

全員が無事にロビーの暖炉の前に落ち着いたことを確認すると、

雅由美は、困ったように小首を傾げてみせた。


「ごめんなさい、私、先程のテラスにハンカチを落としてしまったみたい。

すぐに見つけてまいりますから、皆様はここで温まっていてちょうだい」


「えっ、でもお姉様、外はすごい吹雪ですよ!」


「大丈夫よ。すぐそこですから」


彩美が止めるのも聞かず、雅由美は一人、ロッジの扉を開けて猛吹雪の中へ。

それは、一般の訪客や親友たちから敵を引き離し、

安全な場所へと誘い込むための、美しき囮の舞であった。


コースを外れ、立ち入り禁止のバックカントリー(雪山)へと滑り出す。

純白のスキースーツは、吹き荒れる吹雪と完全に同化し、

雅由美の姿は、まるで雪の幻影のように風景に溶け込んでいた。


「……追いついたぞ。あの女だ、殺せ!」


背後から、雪を蹴立てるスノーモービルの低いエンジン音と、

スキーを履いた数人の暗殺部隊が迫ってくる。

猛吹雪で視界が効かない中、彼らは熱源センサーを頼りに、

雅由美へと銃口を一斉に向けた。


だが、銃弾が放たれる刹那。


「……雪山でのかくれんぼは、静かに遊ぶものですわよ」


吹雪の中から、鈴を転がすような、しかし絶対零度の声が響いた。

雅由美は、急斜面を利用してフワリと宙に舞い上がると、

両手に持った二本のスキーポール(ストック)を、双剣のように構えた。


「なっ……消えた!?」


男たちが銃の狙いを外した直後、雅由美は流麗な滑りで彼らの懐へと潜り込む。

そして、遠心力とスキーのターンが生み出す強烈な運動エネルギーを利用し、

ストックの先端で、男たちの手首や急所を的確に打ち据えた。


「がぁっ……!」


「ひっ……この女、雪の中で……目が見えているのか!?」


「合気道の基本は、相手の力を利用すること。

雪山の斜面は、その力を何倍にもしてくれますのよ」


雅由美は、真っ白な吹雪の中で軽やかに舞い続けた。

襲いかかってくる男たちの力を受け流し、スキー板の絶妙なエッジ操作で、

彼らの体勢を鮮やかに崩していく。

そして、彼らが悲鳴を上げる間もなく、フカフカの新雪が積もる

深い雪溜まりの中へと、次々に、音もなく沈めていった。


一滴の血も流させず、白銀の雪を一切汚すことのない。

それはまさに、氷の華が咲き乱れるような、芸術的で冷徹な制圧劇であった。



数十分後。

まるで嘘のように吹雪が止み、夕陽が雪原を美しい黄金色に染め上げる頃。

雅由美は、何事もなかったかのように、ロッジのロビーへと帰還した。


「お姉様! ご無事でよかった……っ」


「雅由美さん、お怪我はありませんか? ハンカチは……」


心配して駆け寄ってくる親友たちに、雅由美は天然な笑顔でふわりと微笑んだ。


「ええ、大丈夫ですわ。ハンカチは……見つからなかったのだけれど、

きっと、森の雪の精霊さんにプレゼントしてしまいましたと思いますわ」


「もう、お姉様ったら。でも、無事で本当によかったです」


安堵の笑い声が、温かな暖炉の火と共にロビーに広がる。

雪に埋もれた暗殺部隊は、すでに竜也たちが秘密裏に回収し、

二度と日の目を見ない場所へと運ばれていた。



その日の夜。

冷たい雪がしんしんと舞い散る中、一行は貸し切りの豪奢な露天風呂にいた。

湯船の周りには雪が積もり、風流な「雪見風呂」が楽しめる。


「はぁ……冷たい雪を見ながらの温泉、最高ですわね」


「本当に。今日一日の疲れが、お湯に溶けていくみたい」


雅由美は湯船の浴槽の岩に背中を任せ、親友たちと、肩まで温かな湯に浸かりながら、

立ち上る湯気の向こうに広がる、静寂に包まれた冬の夜空を見上げていた。


「ねえ、皆様。私、大学を卒業したら、もっとたくさんの本を読んで、

いつか図書館の司書になりたいんです」


瑞希が、ふと、少し照れくさそうに将来の夢を口にした。


「素敵ですわ、瑞希さん! 私は、お父様の会社を少しでも手伝えるように、

経営のお勉強を頑張ろうと思っていますの」


麗華が目を輝かせて続く。

少女たちは、それぞれの思い描く未来の夢や希望を、

雪空の下で、楽しげに、そして真剣に語り合った。


「……雅由美お姉様は、将来、どんな風になりたいですか?」


妹の彩美に尋ねられ、雅由美は湯船のお湯をそっと掬い上げた。

世界の裏社会を統べる冷徹な『会頭』としての運命を、

その華奢な肩に背負っていることは、誰にも言えない。

けれど。


「私は……そうね。皆様とこうして、ずっと笑っていられるような、

温かくて、穏やかな未来を守っていきたいですわ」


それは、極道のトップとしてではなく、一人の少女としての、

嘘偽りのない、切実な願いであった。


「ふふっ、お姉様らしいですわ!」


「ええ、私たち、ずっとずっと、こうして親友でいましょうね」


冷たい雪が舞い散る中、少女たちの温かい笑い声が響き渡る。

完璧な令嬢の仮面の奥で、誰も知らない孤独な戦いを続けながらも、

雅由美は、親友たちとの決して壊れることのない尊い絆を、

白銀の雪空に、静かに、そして強く誓うのであった。




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