7話
電車に揺られてしばらく。
駅の改札を抜けた瞬間、目の前にそびえ立つのは――国内でも屈指の高さを誇る高層ビルだった。
海沿いの一帯は、近未来っぽさを前面に押し出して再開発されたエリア。
オフィス街にショッピングモール、遊園地、美術館。色んな施設がぎゅっと詰まっていて、今じゃ県内でも有数の観光地――ついでに、鉄板のデートスポットとしても知られている。
そんな場所に俺がいるのは、昨夜の電話がきっかけだった。
バイト先から「昼にもう一件、お願いできないか」と連絡が来たのだ。向こうからかけてくるなんて滅多にないから、正直ちょっと驚いた。
どうやら本来の担当が急に風邪で倒れたらしく、その穴埋めで俺を指名したらしい。
もちろん、断る権利はある。
――でも、「少し上乗せしとくからさ」なんて言われたら、断る理由なんて消し飛ぶ。
しかも、元の担当が気を利かせてくれたのか、当日のプランまでバイト先経由で回ってきた。
だから正直、(楽できそうだな〜)なんて思ってた。
……思ってたんだけど。
蓋を開けてみれば、相手は想像以上に真面目な人だった。
デートの流れも行き先も、細かく綺麗に組まれすぎてる。
楽になるどころか――それを頭に叩き込むのが、結構きつかった。
けど、まあ、そこはさすが俺。――ちゃんと覚えた。
そして今、待ち合わせ場所の近く。
店のショーウィンドウに映る自分の姿をちらりと確認する。
土曜なだけあって、電車の中はぎゅうぎゅうだった。
身だしなみが崩れてないか心配だったけど――
(……よし)
服装自体、お世辞にも“いい”とは言えない。
こういうバイトならブランド物で固めたほうが いいのかもしれないけど、そんな余裕があるなら母さんたちに少しでも渡したい。
だから俺の服は、お手頃価格の量産型。
――けど。
隣を歩く女性が恥ずかしい思いをしないように、服選びだけは気をつけてる。
清潔感、サイズ感、シワなし。
見栄よりも、「相手に不快感を与えない」を最優先。
――その時、ポケットの中でスマホが震えた。
取り出すと、今から会う相手からのライン。
『待ち合わせ場所に着きました。黒のカーディガンにグレーのワイドパンツ、ブラウンのハンドバッグを持ってます』
──早いな。集合時間、もうちょい先なんだけど……まあ、いいか。
「はい、わかりましたっと――」
――送信した、その瞬間。
(……やっっっば!!)
とんでもないことを思い出した。
根本的に、いっっっちばん大事なことを――忘れてた。
俺、今から会う人がどんな人なのか……全く把握してねぇ!!
と、とにかくプロフィール確認しないと!
焦ってスマホを操作し、バイト先の専用アプリを開く。
顧客リストをスクロールして――
(えっと、ニックネームは……)
「――あのっ!」
耳元で急に声をかけられ、反射的に振り返る。
そこに立っていたのは――ひとりの女の子だった。
白のキャミソールに、黒のカーディガン。
グレーのワイドパンツに、ブラウンのハンドバッグ。
シンプルなのに、隙がない。大人っぽいのに、ちゃんと可愛い。
近づいた瞬間、甘い香りがふわりと流れてきて、思わず息をのむ。
きらめく金色のミディアムヘアに、視線がさらっと持っていかれた。
――けど、驚いたのは「美人だから」じゃない。
彼女が――百合菜月だったからだ。
……なんで、こいつが……ここに?
たまたまクラスメイトを見かけて声をかけた――とか?
いや、ない。絶対にない。
自分で言うのもなんだけど、あいつは俺のことを「変に絡んでくるめんどくさいやつ」だと思ってるはずだ。
そんな相手を見かけて「声かけました!」なんて、するか? 俺ならスルー一択だ。見なかったフリで終わり。
「……えっと……トシさん、でしょうか? 人違いだったらごめんなさい」
「……え、はい! トシです! 間違ってません!」
「……良かった」
彼女はほっとしたように、ふうっと息をついた。
……うん。やっぱり、なんか違う。
俺の知ってる百合は、もっと強気で気の強いタイプのはずなのに。
目の前の彼女は――別人みたいに落ち着いている。
(いや、でも……似すぎだろ)
「……あの、なにか?」
困惑したように首を傾げる彼女。
――やば。似すぎてて、ガン見してた。
「あ、いや……ちょっと、知り合いに似てて」
「……そうですか」
……切り替えろ。
今考えるべきは「別人かどうか」じゃない。
目の前のお客さんを楽しませる。それが俺の仕事だ。
「……えっと、ナツさんでよろしかったでしょうか?」
「え、あっ、はい。ひゃ――ナツです! 今日はどうかよろしくお願いします!」
「いえ、こちらこそ」
「……それにしても、今日は暑いですね」
(……暑い、だと!? それは遠回しに“早く移動しろ”ってことか!?)
確か今日の気温は三十二度。昼過ぎともなれば、体感はそれ以上。
アスファルトの照り返しも容赦ない。
(マズい……! 待ち合わせで立たせっぱなしとか、印象が悪すぎる)
くそ、レンタル彼氏として最低限、楽しい時間にしないと。
「そうですね。すぐに移動しましょう」
「え、あ……はいっ」
一瞬、戸惑う返事。
俺は彼女の歩調に合わせて、半歩だけ前に出る。
まるで手を引くみたいに――でも、触れない。
その距離を保ったまま、プラン通りのカフェへ向かった。




