5話
昼休み。
俺は屋上の塔屋の陰に座って、弁当を広げていた。
あぁ〜、風が気持ちいい……
とか、そんなもんで気が晴れるわけねえけど。
「なぁ、千亜希。やっぱ俺には、こういうの向いてないんだよ」
「はい」
目の前には、同じように弁当を広げた千亜希。
――百合の件のあと、昼休みにラインで呼び出したのは他でもない、この子だった。
「いや、こういうのってさ、向き不向きあると思うんだ。……いや、向いてちゃダメなんだけど!」
「はい」
「とりあえず俺には才能がない。さっき痛いほど思い知った。俺はただのヘタレカスだって!」
「はい」
「だからその……もっと女慣れしてて、イケメンで、こう……やれる男のほうがいいと思うんだ!」
「はい」
「も、もちろん俺も手伝うよ!? お前の姉さんたちを“落とせそうな男”探しとか、作戦のサポートとか!」
「はい」
「……わかってくれる?」
「はい」
「よかったぁ……」
「……」
千亜希は箸を止めて、俺の話を最後まで聞くと――にっこり笑った。
「お話、終わりました? それじゃ、引き続き頑張ってください」
「あれぇ!? おかしいな!? 今“わかってくれる”って言ったよね!?」
「はい。トシ先輩がナツ姉を寝取る自信がないこと。だから他の人に頼もうとしてること。
そして自分はサポートに回るってこと。――全部、ちゃんと理解しました」
笑顔のまま、千亜希は軽く首を傾げる。
「そして――却下です」
「へ?」
ぞわりと背筋が冷たくなる。
笑ってるのに……怖っ。
「そもそもヘタレなトシ先輩が、ナツ姉を簡単に堕とせるなんて――微塵も思ってません。安心してください」
「ぐぅ……」
そこは、言い返せない……。
「でも、玉砕したって話は――バカ面白かったですよ」
「笑うんじゃねぇ!」
「あ、ちなみに。私がトシ先輩を選んだ理由って、女慣れしてるとか……そういうのも若干ありますけど」
千亜希は箸をくるくる回しながら、にこりと笑った。
「一番の理由は――私の命令に逆らえなそうだからです」
「畜生め……」
笑顔で毒を吐く千亜希に、俺は唇を噛み締めるしかない。
「まあ、さすがにトシ先輩に丸投げしたのは、ちょっと悪かったかなって思ってます」
千亜希が、ほんの少しだけ申し訳なさそうに言う。
(……そう思うなら最初からやらせるな。てか、もういいから解放してくれ)
「そうだ千亜希! あいつ、大学生の彼氏いるって言ってたけど、お前なんで言わなかったんだよ! ヤバいじゃん!」
千亜希は少しだけ考え込んで――
「……それはそれで、面白いと思いますよ?」
「面白くねえよ!!」
きょとんとした顔で言う千亜希に、俺は思わず怒鳴った。
「俺、てっきりお前からって意味だと思ったのに……これじゃ、普通に寝取りになってるじゃん!」
「私、そういうの好きですので」
「うるせえ!!」
「ええい、いちいちそんなこと気にするからヘタレなんですよ、このヘタレ童貞! 男は黙ってノンストップで突っ走らんかい!!」
◇◇◇◇
昼飯を食べ終わり、千亜希と別れたあと。
俺は重い足取りで、教室へ戻る階段を降りていた。
(……はぁ。結局、どうにもならんのか)
ため息を吐きながら踊り場で足を止める。
ふと、別れ際に千亜希が見せた“あの顔”が脳裏をよぎった。
『じゃあ、私のほうでも、何かいい方法考えときますんで♪』
にこ〜っと笑いながら言った、その顔が――めちゃくちゃ悪い顔だった。
(あの笑顔……絶対ロクなこと考えてねぇ……!)
思い出すだけで背筋がゾワッとする。
(……何させられるんだ、俺)
考えるだけでおぞましい。できることなら、まともなやつにしてほしい。
――まあ、絶対ないだろうけど。
願いとも愚痴ともつかない祈りを胸に、俺は人混みに紛れて廊下をトボトボ歩く。
そのとき。
少し前を歩く生徒の手から、ポトリと何かが落ちた。
「……ん?」
足元を見ると、可愛らしいデザインの手帳が落ちていた。
淡いピンクのカバーに、小さな花の模様。いかにも女の子が使いそうなやつだ。
「落としましたよ」
声をかけながら拾い上げ、前を見る。
すると――俺の声に反応して、彼女が振り返った。
真っ直ぐ伸びたセミロングの黒髪。
背筋の伸びた立ち姿。
そして、俺の好みの範疇を思いっきり超えた胸の大きさ。
(……でっっっっっかぁ!!?)
いや、見とれてる場合じゃねえ。
よりによってこの人の落とし物を拾っちゃうとは……。
「え、あ、本当だ!」
彼女は俺の手にした手帳を見るなり目を丸くして、小走りで近づいてきた。
うちの学校の生徒会長であり、学校一の美少女であり、
そして──あいつらの姉。
百合遥香が、そこにいた。
「良かった……ありがとう」
百合先輩は安心したように息をつくと、包み込むような柔らかい笑顔を見せた。
……本当に、あいつらの姉なのか?
そう疑いたくなるくらい、優しい。その笑顔ひとつで、彼女が学校一の美少女と呼ばれる理由がよく分かる。
俺は手帳を渡そうとしたが、彼女の両手はファイルの山で塞がっていた。
「荷物、預かりましょうか?」
「あ、ごめんね」
言われるままに、ファイルを半分ほど受け取る。
……うわ、思ったより重いな。これ全部ってなると、女の子にはきついだろ。
手帳を渡すと、百合先輩はほっとしたように笑った。
「これがないと、今日あったこととかメモできなくなっちゃうから……拾ってくれてありがとう」
あいつらの姉だけあって、面影は確かにある。
けど、この人は落ち着きがあって――正直、本当に姉妹なのか疑いたくなるくらいだ。
悪魔みたいなあいつらとは違って、天使……いや、女神。
この穏やかな空気だけで、さっきまでの精神的ダメージがふわっと癒される気がした。
「あ、君、和泉君だね」
「え、あ……はい。和泉です」
まさか百合先輩が俺のことを知ってるなんて思ってなくて、声が裏返った。
……ちょっと恥ずかしい。
「百合先輩、僕のこと知ってたんですか?」
「ふふん。生徒会長だからね」
えっへん、と胸を張る百合先輩。
――いや、そのポーズで張られると、こっちの視線のやり場に困るんですが。
「あはは、なんてね。君、菜月ちゃんのクラスメイトでしょ? だから知ってただけだよ」
「……そうですか」
いたずらっぽく微笑む百合先輩。
知っててくれたのは嬉しかったけど、理由を聞いた瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。
だって、もしかして――って、ほんの一瞬でも思っちゃったじゃん。
……俺だってお年頃の男の子なんだ、そういう妄想くらいするんだよ。
「それ、持っててくれてありがとうね。重かったでしょ?」
「いえ……。これ、運ぶの手伝いますよ?」
「え、悪いよ。拾ってくれただけでも助かっちゃったのに」
「また落としますよ?」
「わっ、痛いところ突いてくるね、君。……ふふ、それじゃ、ちょっとだけ甘えちゃおっかな」
いたずらっぽく笑うその顔が、また反則級に可愛い。
廊下を歩く間、すれ違う生徒たちの視線がチラチラ刺さる。特に男子。
――わかる。わかるよ、君たちその気持ち。
俺だって逆の立場なら羨ましがる。
学校一の美少女と噂される百合先輩と並んで歩いてたら、そりゃ注目されるに決まってる。
でも悪いね!
これは仕方ない。荷物運びの手伝いだ。仕事、仕事……!
当の百合先輩はこっちの焦りなんて露知らず、のんびり話しかけてくる。
「あ、そうだ。和泉君」
「はい、なんでしょう?」
「菜月ちゃん、クラスだと……どうかな?」
――ここに来て、百合の話か。
姉として妹の様子が気になるんだろう。家では知らないけど、教室じゃバリバリの陽キャギャルだ。
「クラスの人気者ですよ」
「具体的には?」
え、やけに食いつきてきたな……
いや、そんな詳しく知らねぇし……
「えっと……女の子グループの中心、って感じですかね」
「ふふっ、そっかー」
「まあ、百合先輩と似て可愛いですからね」
「……っ、そうなんだよ和泉君!」
急に目がキラッと輝いた。
「菜月ちゃんはね、可愛いんだよ! もう、こう……言葉にできないくらいすっごく……っ!」
あれぇ……なんか、スイッチ入った?
「ねえ、千亜希ちゃんって知ってる? 私のもうひとりの妹で、1年生なんだけど!」
うわっ、めっちゃ、喋るスピード速っ。テンション高っ!!
「あ〜えっと……知りません」
俺はぷいっと顔を背ける。
――いや、知ってるけど。なんなら、さっき一緒に飯食ってたけど。
……あんなヤバいやつと知り合いとか、なんか普通に嫌だ……。
「そっかー。千亜希ちゃんもね、すっっごく良い子で素直で……!」
……良い子?
……素直?
うん、確かに“素直”ではある。主に自分の性癖に、だけど。
「……そうなんですね」
引きつった笑みを浮かべながら、そっと目を逸らす。
「ほんと、可愛いんだ〜。でねでね――」
「あの、百合先輩……」
「ん? なにかな?」
「……着きました」
俺たちは目的地――生徒会室の扉の前に立っていた。
「……ほ、ほんとだ!」
百合先輩は目をぱちくりさせて、驚いたように笑う。
「和泉君……君、転移魔法とか使える?」
「無理です」
「マジトーンで言わないでっ……!」
百合先輩は恥ずかしそうにツッコミを入れながらも扉を開けた。俺も後を追って入る。
室内はシンプルなのに整っていて、どこか落ち着く。――空気まで綺麗に感じる。
「よいしょ……っと」
百合先輩がファイルを丁寧に長机へ置く。俺も隣に、受け取った分をそっと並べた。
「いや〜助かったよ、和泉君。ありがとね」
「いえ。ほかにも手伝うことがあれば……」
「ううん、大丈夫。ここまで運ぶだけだったから」
「そうですか」
「ごめんね、昼休みなのに」
「気にしないでください。僕が勝手にやったことなんで」
「そっかそっか」
百合先輩は軽く頷いて、ふんわり笑った。
その笑顔が柔らかすぎて、胸のあたりが少しくすぐったくなる。
――やっぱ、この人が学校一の美少女って言われるのも納得だわ。
そんなことを思った瞬間、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「ありゃりゃ、もう時間か。気をつけて戻るんだよ、和泉君」
百合先輩はいたずらっぽく笑って、片目をパチンとウインクしてみせる。
「百合先輩こそ、また落とさないでくださいね」
「手厳しいよぉ〜」
そう言って笑う彼女の姿が、また可愛く見えた。




