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第7話 出立

よろしくお願いします!

二日に一話更新予定です!

 出立の日の朝は、妙に静かだった。


 いや、屋敷の中が本当に静かだったわけではない。使用人たちは動いているし、馬車の準備も進んでいる。荷箱を運ぶ音もするし、廊下には人の気配もある。けれど、それでもいつもと違った。皆、少しだけ声を抑えていた。何かを壊さないようにしているみたいに。


 たぶん、壊れかけているものが実際にあったのだと思う。


 アルトは窓辺に立って、庭の向こうに見える馬車を見ていた。侯爵家の紋章は入っていない。飾り気の少ない、実用本位の馬車だ。父が許したのはそれだけだった。侯爵家の看板を背負わせる気もなければ、体面を整えるつもりもない。辺境へ行くなら勝手に行け、という意思表示としてはだいぶわかりやすい。わかりやすいが、息子の門出としてはかなり寂しい。いや、寂しいを通り越して、だいぶ嫌な感じではある。


 もっとも、いまさら父に何か期待しても仕方がない。


 期待しないと決めたわけではない。たぶんまだ、どこかでは少し期待しているのだと思う。子どもだから。けれど、それを前提に動くには、この家の現実はずいぶん冷たかった。


「兄様」

 後ろからルカの声がした。

 振り返ると、ルカが半分眠そうな顔で立っていた。その横にはフィオナもいる。二人とももう着替えを済ませていた。えらい。特にルカがえらい。朝のルカはわりと丸くなっていることが多いので、ちゃんと起きて立っているだけで少し褒めたくなる。

「おはよう」

「おはようございます、お兄様」

「……おはよう」

 ルカの返事はやや小さかった。


 そうだよね、と思う。今日は出立の日だ。怖くないはずがない。これまで暮らしてきた屋敷を離れ、辺境へ向かう。父に切り捨てられたような形で。大人だって平気ではいられないだろう。七歳の子どもに平気でいろというほうが無理だ。


 アルトはしゃがみ込み、双子の目線へ合わせた。


「眠れた?」

 フィオナが小さくうなずく。

「少しだけ」

 ルカは正直だった。

「ちょっとしか眠れなかった」

「そっか」

 アルトは二人の頭を順に撫でた。

「でも、今日は一緒だから」

 ルカがアルトの服の裾を握る。

「うん」

 フィオナも、少し迷ってから袖にそっと触れた。

「……はい」


 その返事に、アルトは少しだけ笑った。大丈夫だと言い切ることはできない。辺境行きも、その先の五年も、簡単ではない。けれど一緒だとは言える。それだけは本当だった。


 部屋を出ると、廊下でエドガーと鉢合わせた。


 兄はもう身支度を整えていて、白銀の髪を後ろで軽く束ねていた。赤い瞳が、まず双子へ向き、それからアルトを見る。相変わらず無口な顔だが、目だけでだいぶいろいろ喋っている。今日に限っては、普段の三割増しくらい喋っていた。要するにすごく心配している。


「兄様、おはようございます」

「ああ」

 それだけ言ってから、エドガーは双子の前に膝をついた。珍しい。かなり珍しい。兄が自分からしゃがみ込むのは、だいぶ大事なときだ。

「フィオナ、ルカ」

「はい、兄上」

「……うん」

「馬車の中では無理をするな」

「はい」

「勝手に一人で出るな」

「はい」

「知らないものを見つけてもすぐ触るな」

 これはたぶんルカ向けだった。ルカがちょっと目を逸らす。心当たりがありすぎる顔である。

「食事はきちんととれ」

「はい」

「寒ければサラに言え」

「はい」

「アルトの言うことも聞け」

 そこでアルトは少し笑ってしまった。

「兄様、それだと僕がすごくしっかりしてるみたいです」

「違うのか」

「いや、しっかりします」

「ならそれでいい」


 相変わらず不器用だなあと思う。でも、その不器用さがありがたかった。兄はたぶん、言えることを必死に並べている。言わなければ落ち着かないくらい、心配しているのだ。


 玄関前にはもう馬車が用意されていた。荷は積まれ、カイルが御者台の確認をしている。まだ一緒に旅へ出るのだという実感は薄いが、彼は仕事になると無駄口がない。いや、仕事じゃなくても無駄口は少ないのだが、その少なさがさらに減る。結果として、かなり頼れそうに見える。実際、頼れるのだろう。


 サラは荷の最終確認をしており、ミレイアは淡々と薬品箱を点検し、ガレスは馬の状態を見ていた。皆、もうすでに“出る側の顔”をしている。


 そこへ、母エレノアが姿を見せた。


 アルトは思わず背筋を伸ばした。母はいつも通り端正だったが、今日はその整った顔の奥に、隠しきれないものがあった。強い人だ。強い人だが、だからこそ今日ここへ来てくれたことの意味がわかる。


「母上」

「……来ましたよ」

 その声音は静かだった。


 まず母は、フィオナとルカの前へ立った。双子は自然と背を伸ばす。母は二人の顔を順に見て、そっと頬へ手を添えた。


「よくお聞きなさい」

「はい」

「はい」

「泣いてもいい。怖くてもいい。けれど、生きなさい」

 フィオナの目が揺れる。ルカも唇を噛んだ。

「あなたたちは生きていてよいのです」

 その言葉に、双子の目からまた涙がにじんだ。あの日からずっと、必要ないと言われた痛みは消えていない。だから今のこの言葉は、たぶん何より深く沁みたのだろう。


 次に、母はアルトの前へ来た。


 しばらく何も言わず、青い瞳をまっすぐ見つめてくる。その視線に、アルトはただ立っていた。やがてエレノアは手を伸ばし、アルトを強く抱きしめた。


 驚くほど強かった。


 アルトは一瞬息を止めた。母が抱きしめてくれること自体は、なくはなかった。だがこんなふうに、迷いなく、力を込めて、というのは初めてに近かった。


「強くなさい」

「……はい」

「そして、生きなさい」

 胸の奥へ、言葉が深く落ちてくる。

「何より、それを忘れては駄目です」

「はい、母上」

「勝ち負けより先に、生きて帰ることを考えなさい」

「……はい」


 アルトはそっと母の背へ腕を回した。七つのころにはできなかったことが、今なら少しできる。けれど、やっぱり母の腕のほうが強かった。


「生きて、帰ります」

 そう言うと、母はほんの一瞬だけ腕に力を込めた。

「ええ」


 そのあと、静かに離れたエレノアの表情は、また元の凛としたものに戻っていた。でも目元だけは、ほんの少しだけ赤かった。


 そして最後に、エドガーが前へ出た。


 兄の顔は、やはり複雑だった。苦しさも、悔しさも、罪悪感も、全部ある。あの日、自分の提案がアルトにとって途方もない重荷になったことを、兄は今も飲み込めていないのだろう。それでも、長兄として立っている。そのこと自体がもう、兄の意志だった。


「アルト」

「はい」

「双子を頼んだ」

 短い。けれど、それだけで十分だった。


「うん」

 アルトはしっかりとうなずいた。

「任せて」


 そこで少しだけ間があった。アルトは兄の顔を見た。兄もまたアルトを見ている。その目にはまだ苦しさがある。でも、それだけではない。信じたい気持ちも、ちゃんとある。


 だからアルトは言った。


「兄様」

「何だ」

「僕、ちゃんとやり遂げてみせる」

 エドガーの目がわずかに見開く。

「領地も、双子のことも、全部」

 胸の奥にあるものを、そのまま言葉にした。

「だから、僕を信じて待ってて」


 エドガーはしばらく黙っていた。次にどんな顔をするのだろうとアルトが思ったとき、兄の表情がほんの少しだけやわらいだ。


「……そうだな」

 その声は、思っていたより穏やかだった。

「お前なら、できるさ」


 それを聞いて、アルトは少しだけ胸が軽くなるのを感じた。兄が信じてくれている。その事実は、何より心強かった。父が見ようとしないものを、兄はちゃんと見てくれている。ずっとそうだったし、きっとこれからもそうなのだろう。


 アルトは双子を連れて馬車へ乗り込んだ。サラが続き、荷が揺れぬよう確認する。カイルが御者台へ上がり、手綱を持つ。ミレイアとガレスは馬で脇を固めた。


 車輪がゆっくりと動き出す。


 屋敷が、少しずつ離れていく。


 窓越しに見えた母と兄の姿は、やがて小さくなり、見えなくなった。


 レーヴェン侯爵家次男アルト・レーヴェンの、本当の意味での旅が、そこで始まった。


 馬車の中では、しばらく誰も喋らなかった。


 ルカはアルトの袖を握ったままだし、フィオナも窓の外を見ている。サラは二人の様子を気にしながら、毛布を整え、水筒を手元へ寄せていた。


 アルトはゆっくり息を吐いて、双子の手をそれぞれ軽く握った。


「だいじょうぶ?」

 ルカが小さくうなずく。

「……ちょっとだけ」

 フィオナはほんの少し間を置いてから答えた。

「行くんですね」

 その言葉に、アルトは胸がきゅっとした。“行ってしまう”ではなく、“行くんですね”だった。自分もそこに含まれている言い方だった。

「うん」

 アルトはやわらかく笑う。

「でも、一緒だから」

「……はい」

 フィオナは小さくうなずいた。


 少し空気が落ち着いたころ、馬車の小窓からミレイアが声をかけてきた。


「そろそろ、ルーウェンの説明をしましょうか」

「お願いします」

 アルトが答えると、休憩を兼ねて馬車が少しゆるむ。御者台のカイルはそのままだ。最初のころの警戒はまだ残っているが、仕事はきっちりする。むしろ必要以上にきっちりしている。


 地図を広げながら、ミレイアが説明する。


「向かう先は北東の外れ、ルーウェン地方です。正式な領名というよりは、侯爵家預かりの余剰領に近いですね」

「つまり放置領」

 アルトが言うと、ミレイアは少しだけ笑った。

「ええ。率直に言えばそうです」

 ガレスが馬上から付け加える。

「森と丘陵が多く、街道からも外れている。冬は厳しい」

「農地も豊かではありません」

 サラが続けた。

「ですが、水脈は悪くないそうです」

「水脈」

 アルトはその言葉を心に留めた。水属性の自分にとって、それはきっと無関係ではない。


 旅は数日に及んだ。最初は整っていた道も、北東へ進むにつれて荒れていく。森は深くなり、人の気配は減り、荷馬車の通りも少なくなる。辺境へ向かっているのだと、景色そのものが語っていた。


 魔物と遭遇したのは、出発して四日目の昼過ぎだった。


 林道へ差しかかったところで、ガレスが手を上げる。馬車が止まり、空気が変わる。アルトにも気配がわかった。複数。しかも近い。


 次の瞬間、茂みの奥から飛び出してきたのは狼型の魔物だった。灰色の皮膚、赤い目、普通の狼より一回り大きい。三体。いや、後ろにさらに二体。五体だ。


「下がっていてください!」

 ガレスの声が飛ぶより早く、最初の一体が飛びかかった。だがその体は、横から叩きつけられた水塊に弾き飛ばされた。ミレイアの水術だ。圧を持った水の塊が、鈍い音を立てて魔物を横へ吹き飛ばす。


 二体目の足元には、地面を走る水の帯。滑ったところへガレスが踏み込み、一閃。三体目は風のような勢いで横へ回ろうとしたが、ミレイアの生んだ水膜が視界を塞ぎ、その隙にガレスの剣が喉へ届く。


 終わるまで、ほんの数息だった。


 馬車の窓から見ていたルカが、ぽかんと口を開く。


「おわった」

「おわったね」

 アルトもついそう答えてしまう。もっと緊張感のある感想を言うべきかもしれないが、本当におわったとしか言えなかった。あまりにも終わるのが早かったので。


 フィオナが静かに言う。

「先生方、すごいです……」

「ええ。まだ雑魚です」

 ミレイアの返しが若干物騒だった。

「先生、それはちょっと怖いです」

「事実ですから」

 たしかにそうなのだろうが、子どもの前での表現としては少しだけ強い。いや、辺境ではこのくらい普通なのかもしれない。もし普通だとしたら辺境はちょっと厳しすぎる。


 だが、それで終わりではなかった。


 少し離れた林の向こうから、争う音が聞こえた。誰かの叫び声。金属音。別口の戦闘だと、ガレスがすぐに判断した。


「人がいます」

 アルトが言うと、ガレスは即座にうなずいた。

「行きます」

 カイルは御者台のまま短く言った。

「馬車は見てる」

「頼みます」

 アルトが答えると、カイルはそれ以上何も言わなかった。


 林を抜けた先で、四人組の若い冒険者たちが魔物に追い詰められていた。斥候らしい軽装の少女、杖を持った少年、剣士の少年、盾役の少女。若い。まだ年端もいかない、とまでは言わないが、アルトやエドガーに近い年頃だ。だが動きは悪くない。数と位置が悪いのだ。


「伏せてください!」

 アルトが叫ぶと同時に、ミレイアの水蒸気が戦場へ滑り込む。視界が白く曇り、魔物たちが一瞬戸惑う。そこへガレスが突っ込み、前列二体をまとめて薙ぎ払う。


 アルトも遅れて水球を放った。横から回り込もうとした個体の脚を崩し、剣士の少年がそこへ斬り込む。盾役の少女が前へ出て仲間を守る。連携自体はかなりいい。若いのにちゃんとしている。だからこそ、生きてここまで来られたのだろう。


 戦闘が終わるころには、四人とも肩で息をしていた。だが全員立っている。死傷者なし。上出来だと思う。


 最初に礼を言ったのは、斥候の少女だった。


「助かりました!」

 かなり元気な声だった。さっきまで襲われていたとは思えない元気さである。生命力が強い。

 次に杖の少年。

「ありがとうございます! ほんとにやばかったです!」

 わかりやすい。たぶん本当にやばかったのだろう。

 剣士の少年はきちんとしていた。

「危ないところを助けていただき、感謝します」

 盾役の少女も息を整えながら礼を言う。

「ありがとうございました」


 若い冒険者たちだな、とアルトは思った。元気で、素直で、ちょっと危なっかしい。どこか憎めない。たぶん放っておくとまた無茶をする。なんとなくそんな予感がした。


「大丈夫ですか?」

 アルトが声をかけると、斥候の少女が胸を張った。

「このくらい平気です!」

 横で盾役の少女がぼそっと言う。

「さっきまで泣きそうだったのに」

「泣きそうではなかったです!」

「ちょっと泣きそうではあった」

 剣士の少年まで追撃した。仲がよさそうである。魔法使いの少年が「今それ言う?」という顔をしているのも含めて、少しだけ場が和んだ。よかった。命の危機の直後は、少し笑えるくらいでちょうどいい。


 アルトは簡単に事情を話した。辺境の村まで向かう途中であること。ルーウェン地方へ向かっていること。


 すると四人は顔を見合わせた。


「ルーウェンまで?」

 剣士の少年が聞く。

「はい」

「かなり先ですね」

 盾役の少女が眉を寄せる。

「この先、街道の外れは魔物も増えますよ」

「やっぱりそうなんですね」

「はい」


 そこで斥候の少女が、ぱっと顔を上げた。


「じゃあ、あたしたち護衛します!」

 アルトは目を瞬いた。

「え?」

「助けてもらったお礼です!」

 杖の少年が慌てて補足する。

「お、俺たちもちょうど北寄りへ向かう依頼帰りなので!」

 剣士の少年も頷いた。

「実際、この先は人数が多いほうが安全です」

 盾役の少女が短く言う。

「恩は返したい」


 思ってもみなかった申し出だった。アルトは一度、ミレイアとガレスを見る。二人は揃ってうなずいた。悪くない、という顔だった。


「じゃあ、お願いしてもいいですか」

 アルトがそう言うと、斥候の少女はにっと笑った。

「任せてください!」


 こうして旅路は、思っていたより少しだけ賑やかになりそうだった。問題が減ったわけではない。領地のことも、双子のことも、父の課した条件も、何ひとつ軽くはなっていない。けれど、それでも同行者が増えるというだけで、道のりの見え方は少し変わる。


 悪くない。


 アルトはそう思いながら、若い冒険者たちを見た。元気で、素直で、少しだけ無茶をしそうで。つまり、ちょっと目が離せない。あれ、これ双子を見るときの感覚に近いのでは、と思ったところで、アルトはそっと視線を逸らした。認めたらたぶん少し面倒だ。兄属性はときどき勝手に拡張されるので困る。


 ともあれ。


 辺境への旅は、まだ始まったばかりだった。

高評価やコメントが励みになります!


別サイトにて掲載もありますのでそちらも気になる方は見てくださると嬉しいです!


Xでは作品にかかわるイラストや関係ないこともつぶやいてますのでよかったら見てみてね!

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