間話 双子の決意
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二日に一話更新予定です!
フィオナとルカは、自分たちが不幸な子どもだったと思ったことは、これまであまりなかった。
もちろん、父レオンハルトと母エレノアが、いつも傍にいてくれるような家ではなかった。侯爵家は忙しい。父は執務と視察と社交に追われ、母もまた家を切り回し、領や人を見ていた。だから、平民の家のように毎日親が手を引いてくれるわけではない。抱き上げてくれる回数だって、きっと多くはなかった。
でも、それで足りなかったかといえば、少なくとも昔のフィオナとルカはそう思っていなかった。
母からは、たしかに愛情らしきものを感じていたからだ。
それはわかりやすく抱きしめてくれるようなものではなかったけれど、体調を崩せば必ず様子を見に来たし、言葉は厳しくても目はちゃんと見てくれた。父ほど冷たくはなかったし、忙しいなりに気にかけていることは伝わっていた。
乳母のマルタもやさしかった。侍女のサラもあたたかかった。屋敷の中には、ちゃんと「守られている」と思える場所がいくつもあった。
そして何より。
兄たちがいた。
エドガーは不器用だった。あまり喋らないし、顔もそんなに変わらない。けれど、フィオナとルカは知っていた。あの兄が、見ていないふりをしてだいたい見ていることを。転びそうになれば一歩出てくるし、危ないことをすれば無言で止める。厳しい顔をしていても、手は乱暴ではなかった。
でも、アルトはもっとわかりやすかった。
とてもわかりやすかった。
笑う。褒める。撫でる。抱き上げる。心配する。慌てる。大丈夫だよと言う。今日もかわいいね、えらいね、すごいねと言う。たぶん少し過保護だった。いや、少しではないかもしれない。かなり過保護だった。
フィオナは早くから、それに気づいていた。
この兄は、自分たちを特別に大事にしている。
ルカはそこまで言葉にしなかったけれど、感覚ではわかっていた。アルトが自分たちのことで笑い、自分たちのことで怒り、自分たちのことで必死になる。その全部が嘘ではないことを、子どもなりに知っていた。
だから、フィオナとルカは、自分たちは愛されて育っているのだと思っていた。
たとえ父と母の手が常に傍になくても。たとえ家の空気が少し冷たくても。兄たちの存在が、その穴をきちんと埋めていた。
だからこそ、あの日のことは、ひどく恐ろしかった。
適性検査の日。
小礼拝室の空気は冷たく、静かで、そして逃げ場がなかった。水晶へ手を伸ばすだけのことなのに、どうしてあんなに怖かったのか、フィオナには今でもよくわからない。ただ、父が見ていたからだろうとは思う。あの目で。価値があるかないかを測る、あの冷たい目で。
フィオナは、水晶に触れた。
何も起こらなかった。
もう一度触れた。
やはり、何も起こらなかった。
その瞬間、頭のどこかが真っ白になった。まずいことなのだと、子どもでもわかる。だって、部屋の空気が変わったから。母が息を呑み、兄たちが固まり、老司祭の声が重くなったから。
ルカも同じだった。
何も起こらない水晶を前にして、目に見えて顔色が変わっていくのがわかった。まっすぐで、勢いでどうにかしてしまいそうな弟が、あのときばかりは本当に小さく見えた。
そして、父が口を開いた。
あの声を、フィオナはたぶん一生忘れない。
静かで、冷たくて、少しも迷いがなかった。
価値がない、と。
適性なき者に侯爵家の名は不要だ、と。
今ここでその手にかかるか、貴族籍を剥奪されて追放されるか、選べと。
その言葉の意味を、フィオナは全部理解したわけではなかった。ルカもそうだろう。けれど、ひどく恐ろしいことを言われているのだとだけは、はっきりわかった。怖かった。どうしようもなく怖かった。身体が動かなかった。声も出なかった。ただ涙だけが勝手に落ちた。
そのときだった。
アルトが、前へ出た。
自分たちと父のあいだへ、ためらわずに身体を入れた。
あの背中を、フィオナは今でもはっきり覚えている。
白銀の髪。
まだ子どもの細い肩。
けれど、一歩も退かない背中。
あんなに頼もしく見えたことはなかった。
あんなに、安心したこともなかった。
父がどれほど怖くても、あの背中が目の前に立った瞬間、少なくとも自分たちはひとりではないのだと思えた。兄がいる。お兄様が、自分たちのために前へ立ってくれている。それだけで、世界の終わりみたいだった部屋の中に、細いけれど確かな一本の道ができた気がした。
――でも。
フィオナは、見てしまった。
アルトの背中が、わずかに震えていたことを。
ほんのわずかだった。
父も、母も、ルカも、たぶん気づかなかっただろう。
けれどフィオナは見た。
怖くないわけがないのだ。アルトもまだ子どもなのだ。父の前に立つことが、平気なはずがない。それでも、自分たちを守るために前へ出てくれた。
その事実が、フィオナにはあまりにも痛かった。
あの背中は、頼もしかった。
でも同時に、あまりにも細かった。
こんなに震えている兄に、自分たちは何も返せないのだと、そのとき初めて思い知らされた。
ルカもまた、言葉にはしなかったが、同じものを見ていた。
アルトの背中を見つめながら、ルカは泣いていた。怖かったから泣いていた。けれどそれだけではなかった。守ってくれる兄が、あまりにもかっこよかったから。かっこよすぎて、自分が情けなかったから。何もできないことが悔しかったから。
父の言葉が落ちるたび、アルトの背はますます前へ出るように見えた。
そして、エドガーもまた前へ出た。
長兄はいつも不器用だ。大切なときほど、言葉が足りない。けれどあの日、兄は兄なりの方法で道を作った。辺境へ。余り領地へ。五年という、あまりにも重い条件つきで。
フィオナにはその内容のすべてはわからなかった。ルカも同じだろう。けれど、エドガーの顔がぐしゃぐしゃだったことはわかった。あのいつも崩れない兄が、泣きそうな顔をしていた。苦しそうで、悔しそうで、どうしようもなく辛そうだった。
その顔を見て、フィオナは思った。
お兄様たちは、自分たちのために傷ついている。
アルトも。
エドガーも。
兄たちばかりが前へ立って、兄たちばかりが痛い顔をしているのに、自分は何もできない。
それが悔しかった。
あまりにも悔しかった。
あの日以来、フィオナの中で何かが変わった。
父への感情は、そこで切れた。
もともと近くにいた人ではない。大好きだった記憶もない。だから、失うというより、理解したのだと思う。この人は自分たちを愛していないのだと。少なくとも、守るべき家族とは思っていないのだと。
それがわかった以上、もう期待する意味はない。
必要なのは、別のものだ。
兄たちが生きるために。
兄たちが笑うために。
アルトがあんなふうに震えなくて済むように。
エドガーがあんなふうに泣きそうにならなくて済むように。
そのためには、父には早く退いてもらわなければならない。
七歳の少女にしては、だいぶ物騒な結論かもしれなかった。けれどフィオナの中では、静かで、自然な決意だった。
一方でルカは、もう少し単純だった。
父への感情を、嫌いな人の棚へ放り込んだ。
好きではない。たぶんずっと好きにならない。けれどそこへ深く考え込むより先に、ルカの意識はアルトへ向く。兄が傷ついた。兄があんな顔をした。なら、兄を困らせるものは全部ぶっとばしたい。ルカの感情は、たぶんそれだけでかなり完成していた。
フィオナは冷たく研がれていく。
ルカはまっすぐ熱を持っていく。
形は違っても、向かう先は同じだった。
お兄様たちのために。
その思いだけは、ふたりとも同じだった。
けれど、そのことをアルトは知らない。
知らないままでいい、とフィオナは思っている。アルトはやさしいから、きっとそんなことを知ったら困ったように笑って「そこまでしなくていいんだよ」と言うだろう。それはたぶん本心だ。けれど、こちらにもこちらの本心がある。
守られてばかりではいたくない。
あの震える背中を、もう二度とひとりで立たせたくない。
ルカも同じだった。フィオナほど言葉にしないだけで、思いはまっすぐ燃えている。
あの日、自分たちは何もできなかった。
怖くて、泣くことしかできなかった。
でも、次は違う。
次はちゃんと立つ。
次はちゃんと手を伸ばす。
次は、お兄様の背中の後ろで震えているだけでは終わらない。
それが今のフィオナとルカの、小さくて、それでも確かな誓いだった。
この二人は兄二人の強火オタクになる予定ですが
若干、アルト>エドガーの優先順位はついてるかもしれません。
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