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第3話 魔術適性は…水?

よろしくお願いします!

二日に一話更新予定です!

 水晶に触れた瞬間、ひやりとした感触が手のひらから腕へ、腕から胸の奥へとすうっと入り込んできた。


 冷たいのに嫌ではない。不思議と落ち着く感覚だった。床に刻まれた陣が淡く光り、部屋の空気がわずかに震える。アルトは息を止めそうになるのをこらえて、じっと前を見た。


 水晶の内側に、最初は小さな光が灯った。それがふわりと揺れ、やがて透明な球の中で青く滲む。淡い、澄んだ青だった。湖面に朝の光が落ちたような色だ、とアルトは思った。


 けれどその青は、ただ静かにそこへ留まっていたわけではなかった。


 球の中をするりと巡り、輪を描き、細くのび、粒となって散り、また一つにまとまる。流れて、形を変えて、止まらず動く。見ているだけで、ただ穏やかなだけのものではないとわかる動きだった。


「……水」

 老司祭が静かに目を細めた。

 ミレイアはすぐに頷く。

「ええ。明確な水属性適性です」


 アルトは小さく瞬きをした。


 水。


 自分の適性が、今この瞬間に決まったのだ。もっと派手なものを想像していなかったわけではない。炎がどんと燃え上がるとか、風がぶわっと吹くとか、そういう見た目にわかりやすい何かを。けれど目の前で示された水は、ただ静かだったわけではない。流れ、まとまり、散り、また集まる。見ているだけで、いろいろなことができそうだと感じさせる動きだった。


「……水、なんですね」

 思わずこぼれた声に、ミレイアがやわらかく答える。

「はい、アルト様。とても良い反応です」


 母エレノアは、ほっとしたように息をついた。

「そう。よかったわ」

 後ろに立つエドガーは何も言わなかったが、目が少しだけやわらいだのがわかった。兄は火属性の適性を持っている。だからといって水を軽んじるような人ではない。むしろ、アルトに適性が出たこと自体を喜んでくれているのだと、その表情でわかった。


 問題は、父だった。


 レオンハルトは水晶を見たあと、ほんのわずかに眉を動かしただけだった。驚きでも喜びでもない。評価を修正するときの顔だ、とアルトは思った。父はそういうとき、目つきが少しだけ鋭くなる。


「水か」

「……はい、父上」

「そうです、侯爵閣下」

 老司祭が穏やかに補足する。

「明確な水属性でございます。反応も安定しておりますゆえ、見誤りはありますまい」

 父はそれに短く頷いた。

「そうか」


 その「そうか」だけで、だいたいわかった気がした。喜んではいない。落胆している、とまでは断言できないが、少なくとも父の中では「火や風ほど目立たない結果」なのだろう。


 実際、この国ではそういう見方が一般的だった。火と風は攻撃魔法の印象が強い。火は燃やし、爆ぜ、押し切る。風は切り裂き、加速し、貫く。戦場で目立ちやすく、見栄えもいい。対して水と土は、補助や防御に回ることが多いと広く思われている。


 もちろん、それはあくまで雑な印象でしかない。突き詰めればどの元素でも攻撃はできるし、補助もできる。火で視界を遮ることもできれば、風で感知を広げることもできる。水で切断もできれば、土で圧殺もできる。だが、世間の印象というのはたいてい雑である。そして父は、その雑な印象をかなり真顔で採用するタイプだった。


 つまり今この場で父の頭の中には、「エドガーは火、アルトは水か」という比較が、かなりわかりやすく並んでいる。


 いや、別に水が悪いわけではない。僕としてはさっきの反応、かなり格好よかったと思う。だが、父がそう思うかどうかはまた別問題だった。レオンハルト侯爵は、偏見を偏見と思わずに持てる稀有な才能の持ち主である。あまりありがたくない方面の才能だ。


「では、これで検査は終わりですな」

 老司祭がそう言うと、アルトはそっと水晶から手を離した。青い光はゆっくり薄れ、球の中は再び透明に戻っていく。妙な緊張がほどけ、急に自分の指先が少し冷たくなっていることに気づいた。


 ミレイアが前へ出てきて、アルトの肩に手を置いた。

「お疲れさまでした。よくできましたよ」

「……ありがとうございます」

「怖かったですか?」

「少しだけ」

「それで十分です。怖さがあるのに手を伸ばせたのなら、それは立派なことです」


 そう言われて、アルトは少しだけ胸を張った。父はきっとそういう褒め方をしない。だからこそ、こういうひと言がじんわり染みる。


 部屋を出るとき、エドガーがさりげなく近くへ寄ってきた。


「水だったな」

「はい」

「きれいだった」


 短い、でもちゃんとした言葉だった。アルトは嬉しくなって、つい口元をゆるめる。


「兄様の火みたいに、ばーんって感じではなかったですけど」

「ばーんとは何だ」

「こう……ばーんって」

「説明が雑だな」

「兄様の火、なんだかすごそうなので」

「実際すごい」

「そこは否定しないんですね」

「事実だからな」


 わずかに得意そうな顔をした兄を見て、アルトは少し笑った。火の適性を持つ兄は、この家の中ではわりと高評価だった。父があからさまに満足げな顔をしたことも、一度や二度ではない。兄自身、それを鼻にかけることはほとんどないけれど、まるきり自覚がないわけでもないのだろう。ほんの少しだけ胸を張っている感じが、なんだか年相応で可笑しかった。


 食堂へ戻る道すがら、父は一度だけアルトを見て言った。


「水は火や風に比べ、戦場での即効性に劣ると見られがちだ」

「……はい」

「補助や支援に回る術が多い。見栄えも地味だ」

 アルトは黙って聞いた。そこで父がわざわざそう言う時点で、まあ、そういうことなのだろう。

「だが、適性そのものは変えられん。ならば使い方を誤るな」

「はい、父上」

「半端に終われば、水は凡庸でしかない。理解したな」

「……はい」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ冷えた。やっぱりそういう見方なのだと思う。水は地味、補助向き、火や風より目立たない。たしかにこの国ではそういう印象があるし、父はそういう一般論をかなり素直に信じる。たぶん土属性だったとしても似たようなことを言われただろう。


 いっそここまで偏りが明快だと、ある意味わかりやすい。ありがたいかどうかは別として。


 ただ、アルトが落ち込みきる前に、母エレノアが静かに口を開いた。


「レオンハルト様、水は繊細な制御に優れた属性です。治癒補助も、環境制御も、扱いようによってはどの属性より幅が広い」

「だからこそ、半端では埋もれる」

「それは火も風も同じでしょう」


 ぴしゃり、とは言わない。母はそんなふうに感情を露骨に乗せる人ではない。けれど、その声音にはたしかに釘が含まれていた。父は一瞬だけ黙り、それ以上は言わなかった。完全に納得した顔ではなかったが、少なくともこの場で追い打ちをかける気はなくしたらしい。


 ありがたい、と思う。母は普段厳しいが、父ほど雑に決めつけたりはしない。だからこういうときの一言が、案外ずしりと効く。


 その日の午後、アルトはミレイアの教室へ呼ばれた。適性が判明した以上、これからは水属性としての学びが始まるのだという。部屋へ入ると、机の上にはこれまで使っていた理論書のほかに、青い背表紙の少し厚い本が何冊か積まれていた。表紙には《水属術式基礎》と刻まれている。


「いよいよですね、アルト様」

「はい」

「浮かない顔をしていますね」

「……少しだけ」

「侯爵閣下のお言葉ですか?」

「わかりますか?」

「だいたい想像はつきます」


 そこでミレイアは軽く肩をすくめた。教師にしては珍しく、ちょっとだけ世慣れた顔だった。


「火や風が攻撃向きで、水や土が補助向き、という印象はたしかに広くあります。ですが、それはあくまで印象です」

「印象」

「ええ。一般に火と風は、攻撃魔法としての見栄えがよい。ゆえに高く評価されがちです。でも、水は流動と圧力、冷却と循環、霧化と拡散、結合と変化に関わる術が多い。土は固定と圧縮、構築と支えに長ける。つまり水も土も、目立たないのではなく、できることが広すぎて一言で雑に片づけられやすいのです」

「父上みたいに?」

「……ええ、まあ、率直に申し上げれば」


 少し言いにくそうにしながらも肯定したので、アルトは思わず小さく笑った。ミレイア先生は礼儀があるぶん、言葉を選ぶのに少し苦労しているらしい。


「でも、本当は違うんですよね」

「ええ。魔法の本質は元素名ではなく、現象の理解とイメージです」

「イメージ」

「はい。この世界の現代魔術は、術式に強く依存しています。決まった構文、決まった手順、決まった流し方で安定させる。だから再現性は高い。ですが、元来の魔法はもっと自由なものです。何をしたいか、どういう現象を起こすのか、その像が明確であればあるほど、同じ元素でもできることは広がります」

「じゃあ、水を使って何ができるか、ちゃんと考えられれば……」

「ええ。浮かせることも、流すことも、包むことも、切ることも、隠すこともできるでしょう」


 その言葉に、アルトは少し身を乗り出した。


 ミレイアは本を開き、図解された術式の頁を見せた。


「まず一般的な分類をお教えします。初歩水術で多いのは、水を集める、水を浮かべる、空中に少量の水を出現させる、温度を少し変える、汚れを落とす、そうしたものです」

「生活に便利そうです」

「ええ。実際に便利です。魔術というものは、まず生活に食い込むところから始まります。戦場だけで使われるわけではありません」

「たしかに」

「中級になれば、水蒸気や霧を扱った幻惑が入ってきます。光を屈折させて像をぶらす、輪郭をぼかす、湿度差で感覚を狂わせる。一般には“幻術”とまとめられがちですが、実際にはかなり理屈っぽい術です」

「……水で幻術ができるんですか」

「できます。霧は目を惑わせますから。見せたいものを見せず、見えなくていいものを見せる。水はそういうことも得意です」

「なんだか、急にずるい感じがしてきました」

「戦いにおいては、ずるいはだいたい褒め言葉です」

「なるほど」


 ちょっと納得した。たしかに真正面から殴り合うだけが戦いではない。


「さらに上級となれば、高圧噴射による切断、瞬間凍結、広域霧化、激流の形成なども可能になります」

「高圧噴射」

「ええ。細く、強く、圧をかけて放てば、鋼にすら食い込む。水は柔らかいだけではありません」

「……水って、思っていたよりだいぶ怖いですね」

「攻撃魔法とは、だいたいそういうものです」

「それもそうでした」


 ミレイアは頷いた。


「火のほうが攻撃的、風のほうが華やか、というのは半分本当で半分間違いです。目立つだけで、本質ではありません」


 そこでミレイアは別の頁を開いた。そこには術式図の横に、読み慣れない音の並びが書かれている。


「そして今日は、初歩の水術を始めます。なお、詠唱に用いるのは古い魔術語です」

「魔術語」

「ええ。今の諸国で日常的に話される言葉ではありませんが、古い術式体系に組み込まれた定型句として使われています」

「なるほど」

「まず、水を呼び寄せる句です。水よ(イドール)集まれ(シュナトロイゼステ)

「イドール・シュナトロイゼステ」

「“水よ、集まれ”に近い意味です。そして保持の句。 保て(メネトー)

「メネトー」

「留まれ、保て、崩れるな。そうした意味合いです」

「水よ、集まれ。留まれ、ですね」

「ええ。今はその理解で十分です」


 机の上には浅い銀の皿が置かれており、その中に少量の水が張られていた。ミレイアはまず手本を見せる。指先を軽くかざし、静かな声で詠む。


水よ(イドール)集まりて(シュナトロイゼステ) 保て(メネトー)


 すると皿の水面がふるりと揺れ、小さな球のように中央へ集まった。ほんの玉一つ分の水だが、たしかに形を持って宙へ浮いている。


「すごい」

「これがごく初歩です。水属性にとっては、呼び寄せる、まとめる、保つ。この感覚が土台になります」

「……やってみたいです」

「もちろん。そのための授業ですから」


 アルトは皿の前に立ち、呼吸を整えた。前世では魔法など当然なかった。いや、あったらだいぶ楽だったのではないかと思わなくもないが、たぶん会社で変な方向に酷使されるだけな気もするので、なくてよかったのかもしれない。


 今はそんな余計な考えを脇へ置き、意識を手のひらへ集める。


水よ(イドール)集まれ(シュナトロイゼステ)


 最初の一回では何も起きなかった。皿の水はぴくりともしない。

 ミレイアが落ち着いた声で言う。


「焦らず。詠唱を読むのではなく、集まる水を思い描いて」

「はい」


 アルトはもう一度、水を見た。ただの水ではない。自分が寄せ、集め、形を持たせる対象。流れ、まとまり、ここに来るもの。そう意識して、もう一度唱える。


水よ(イドール)集まれ(シュナトロイゼステ)


 今度は水面がかすかに震えた。


「動きました」

「ええ。いま、ちゃんと触れましたよ」


 褒められると、少しだけ嬉しくなる。単純かもしれないが、人は嬉しいともう一回やろうと思えるので、単純なのはたぶん悪いことではない。


 三度目で、水はほんの少しだけ中央へ寄った。米粒を十粒くらい集めたような、控えめすぎる変化だったが、それでもアルトにとっては十分に大事件だった。


「ちょっと集まりました?」

「ええ。見事です」

「なんだか、少しだけ仲良くなれた気がします」

「良い感覚です。水属性は無理やり掴むより、どう動くかを理解して導くほうがうまくいきますから」

「じゃあ、静かに言うことを聞かせる感じじゃなくて」

「むしろ、どうすれば思った形に動いてくれるかを探る感じですね」

「……水って、けっこう気分屋ですか」

「ええ。かなり」

「ちょっと親近感があります」

「どなたにですか」

「ルカに」

「なるほど、それはわかりやすいですね」


 続けて、ミレイアはもう一つ初歩の術を見せた。


「次は空中へ少量の水を呼ぶ術です。すでにある水を寄せるのとは少し違います。周囲の湿気と自分の魔力を媒介にして、形を作る。句は短いですよ。水よ(イドール)現れよ(ファネー)

「イドール・ファネー」

「“水よ、現れよ”です。もちろん、大量には出せません。初歩ではせいぜい指先を濡らす程度です」

「それでも便利そうです」

「ええ。喉が渇いたときに期待しすぎると悲しくなりますが」

「ちょっと夢が壊れました」

「夢はほどほどがよろしいのです」


 そう言いながらミレイアが術を使うと、空中に小さな水滴がいくつか現れた。光を受けてきらりと光る。


「わあ」

「派手ではありませんが、大事な基礎です」

「やってみます」


 アルトが同じように唱えると、最初は何も起きない。二回目で、指先の少し先に、霧とも水滴ともつかない小さな潤みがふわっと現れた。ほんの一瞬で消えたが、たしかにそこにあった。


「出ました」

「ええ。初日でそこまでいけば十分です」


 授業が終わるころには、アルトは小さな水の粒を二息ほど保てるようになっていた。二息といっても、本当に二息だ。瞬きして、ふう、と息を吐いたらもう終わる程度の時間である。だが、何もなかったところから考えれば、とんでもない進歩だった。


「今日はここまでにしましょう」

「はい」

「初日としては十分以上です。あなたは水との相性がよい」

「……うれしいです」

「でしょうね」

 ミレイアは少し笑った。

「その顔を見ればわかります」


 部屋を出ると、廊下の向こうにエドガーがいた。偶然を装っているが、どう見ても待っていた。


「兄様」

「終わったか」

「はい」

「どうだった」


 アルトは少し考えて、それから正直に答えた。


「思っていたより、ずっと面白かった」

「そうか」

「地味って言われるの、ちょっともったいないかもしれません」

 兄はそこで少しだけ口元を緩めた。


「わかっただろう」

「兄様、最初からそう思ってたんですか?」

「ああ。少なくとも、父上ほど単純ではない」

「……ちょっと言い方が強いです」

「事実だ」


 兄にしては珍しく、ずいぶんはっきりした物言いだった。アルトは少し驚いたが、同時に嬉しくもあった。兄はちゃんと、水を軽く見ていない。


「それに」

 エドガーは少しだけ間を置いて続けた。

「お前は、水のほうが合っている気がする」

「そうでしょうか」

「ああ。火だったら、たぶんお前は毎回びっくりして終わる」

「それは否定できません」

「風なら飛ばされそうだ」

「兄様の中の僕、ちょっと弱くないですか?」

「まだ七歳だろう」

「それもそうでした」


 その日の夕食で、父はアルトに向かって言った。


「水術は支援に回れば有用だ。だが前に出る力では見劣りする」


 やっぱりそう来るか、とアルトは思った。


「はい、父上」

「だからこそ、他で補え。制御を磨き、無駄をなくせ。中途半端な水術師に価値はない」

「……はい」


 父としてはたぶん純粋に評価なのだろう。ひやりとしているが、少なくとも完全に見放しているわけでもないらしい。そう思うことにした。そうでもしないと少し寒い。実際、父の言葉はだいたい気温が低い。


 そのあとで、母が静かに言った。


「水は柔らかく見えて、もっとも形を変えられるものです。侮ると足元をすくわれますよ」


 父は何も答えなかったが、否定もしなかった。エドガーは黙ってスープを飲みながら、テーブルの下でほんの一度だけ足先を軽く当ててきた。たぶん、気にするな、のつもりなのだろう。もう少しわかりやすい方法もあると思うが、兄様なので仕方ない。


 その晩、アルトはいつものようにフィオナとルカの部屋をのぞきに行った。ふたりはまだ起きていて、マルタに見守られながら、よちよちと危なっかしい移動をしていた。ルカは相変わらず勢い優先で、二歩進んで一回転びそうになる。危ない。支える。軽い。ついでにフィオナもこちらへ寄ってきたので、結局ふたりまとめて構うことになる。今日も兄は大忙しである。だが、不思議と嫌ではなかった。


「今日ね、僕、水だったんです」

 もちろん言葉の意味はまだわからないだろう。それでも言いたくなった。

「水の魔法が使えるみたいです」

 フィオナは首をかしげ、ルカはアルトの袖を引っ張った。どちらにせよ、話は聞いていない。だがまあ、幼い弟妹との会話など、たいていそんなものである。会話というより空気だ。かわいいので問題ない。


 マルタがやわらかく笑った。

「よろしゅうございましたね、アルト様」

「はい。なんだか、すごくしっくりきました」

「それは何よりです」

「父上はあんまり嬉しそうじゃなかったですけど」

 つい本音がこぼれると、マルタは少しだけ困った顔をしたあと、でもすぐにいつものやさしい目に戻った。

「侯爵様は、物事を狭くご覧になるところがおありです」

「狭く」

「ええ。ですが、狭いところから見える景色が、すべてではありません」

 その言葉は、なんだかとてもマルタらしかった。優しいのに、ちゃんと芯がある。

「アルト様は、ご自分の見えるところを広げていかれればよろしいのです」

「……はい」

「きっと、そうなさるのでしょう?」

「そうしたいです」


 腕の中の小さなぬくもりを感じながら、アルトは胸の中で静かに思う。火のほうが目立つかもしれない。風のほうが派手かもしれない。父がそちらを好むのも、たぶんこの国では珍しくないのだろう。


 けれど、自分の手の中にあるこの水は、流れ、集まり、霧になり、刃にもなりうる。見栄えではなく、広がりとして信じられるものだ。


 なら、きっと大丈夫だ。


 水でも、いや、水だからこそできることがある。

 静かに見えても、実際にはいくらでも姿を変えられる。

 どう使うか次第で、届く場所はきっと増える。


 フィオナの髪を撫で、ルカの背を軽く叩きながら、アルトはそっと目を細めた。


「ちゃんと使えるようになるからね」


 それは双子へ向けた言葉であり、自分への誓いでもあった。


 こうしてレーヴェン侯爵家次男アルト・レーヴェンの水術は始まった。まだ小さな水の粒ひとつ、空中の雫ひとつからの出発だったが、それでもアルトには、これが自分の道なのだと不思議なくらい素直に思えた。


 火のように派手ではなくても、風のように目を引かなくてもいい。水は形を変える。流れを変える。見方ひとつで、どこまでも化ける。


 それを、いつか父にも思い知らせてやりたい。

 ほんの少しだけ、そう思ったのは秘密だった。


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別サイトにて掲載もありますのでそちらも気になる方は見てくださると嬉しいです!


Xでは作品にかかわるイラストや関係ないこともつぶやいてますのでよかったら見てみてね!

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