閑話 フィオナは思うのです
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私は、あの手の人間が嫌いだ。
いいえ、嫌いという言葉では足りないのかもしれない。見ているだけで不快で、耳に入る声だけで吐き気がして、存在そのものが汚らわしいと思う。けれど、それでもなお「嫌い」という言葉を使うのは、もっとはっきりした言葉を口にすると、お兄様が悲しそうなお顔をなさる気がするからだ。
だから、嫌い。
そういうことにしている。
王立警備隊が来る日、私は朝からずっと気分が悪かった。
野盗たちはようやく引き渡される。もう村の中に置いておかなくて済む。そう考えれば、もっと安堵してよかったはずだ。けれど胸の内は少しも軽くならなかった。あの者たちがまだここにいて、まだ息をしていて、まだお兄様の目に入る場所にいる。それだけで、ずっと神経のどこかが逆立っているようだった。
お兄様は、淡々としておられた。
怒鳴りもしない。苛立ちを見せもしない。警備隊の隊長へ必要なことだけを静かに伝え、人数や経緯を整えて説明していく。その横顔は穏やかにすら見えた。
どうしてそんなふうに立っていられるのだろう、と私は思う。
この方は、いつだってそうだ。理不尽を前にしても、自分が踏みにじられても、まず他人のことを考える。怒りより先に、どうすれば事が収まるかを考える。だから尊くて、だから危うい。
私は、それがひどく好きで、ひどく恐ろしい。
野盗たちが罵り始めたとき、私は最初から、何を言われても許すつもりはなかった。
自分たちの村が潰れたのだと言っていた。見捨てられたのだと言っていた。食うものがなくなったのだと言っていた。そうなのでしょう。きっとそれは事実なのでしょう。
けれど、それが何だというのだ。
だからお兄様を罵っていい理由になるとでも?
だから他人の村を襲っていい理由になるとでも?
だからルーウェンの人々の命や暮らしを奪ってよいとでも?
そんなわけがない。
お兄様は悪くない。
お兄様はこの地へ来てから、ずっと、眠る間も惜しんで考えておられる。村人へ頭を下げ、壁を作り、守りを整え、少しでも多くの者が安心して眠れるように動いておられる。誰もやらなかったことを、たった一人で背負って立っている。
その人へ向かって、無能だと吐く。
その口で。
その汚れた口で。
私はその瞬間、相手の顔を見ていなかったと思う。見ていたのは、お兄様が罵倒を正面から受け止めている、その姿だけだった。
ああ、まただ、と思った。
お兄様はいつもこうして、悪意の前に立つ。
あの日もそうだった。父上の前に立った。私たちを庇って。震えていたのに、それでも退かなかった。
そして今も、同じだ。
目の前にいるのは父ではない。けれど、お兄様へ向けられる害意という意味では何も変わらない。あのときと同じだ。お兄様はまた、自分の身を盾にして立っている。
私はまた、見ているだけなのか。
そう思った瞬間、胸の奥で何かが切れた。
ーーああ、潰してしまおう。
大丈夫。犯罪者なんてどうやって消したってだれも気にしない。そもそもここから先この人たちには未来はないんだから。それが誰の意思だったかなんて気にも留められない。やりようはいくらでもある。手を汚さずに誰にも気づかれずにことを済ませる方法なんて、自分たちの能力を考えればできるはずだ。たとえばそう、この人たちが殺めた人たちにでも力を与えてあげたっていい。ルカに精霊にちょっとしたいたずらをしてもらったっていい。精霊の仕業だとしてもルカ以上の精霊魔法士でもなきゃばれることはない。この人がこれ以上口を開くことがないように、この人がこれ以上息をすることがないように、この人がこれ以上自分たちの前にいられなくなるように。大丈夫お兄様を今度こそ守るの。
その思考は、あまりにも自然だった。
恐ろしいほどに滑らかで、迷いも躊躇いもなかった。自分で自分の考えに驚く間もなかった。ただ、どう始末するかだけが鮮やかに浮かんだ。喋れないように。息をできなくして。痕跡も残さず。気づかれずに。苦しみだけはきちんと与えて。
ああ、私はこんなふうに考えられるのだな、と、どこか冷静な自分が見ていた。
けれどそれでも構わないと思っていた。
お兄様を守れるのなら。
今度こそ。
そのときだった。
野盗の一人が縄をこじ開けて、お兄様へ飛びかかった。
視界が凍った。
私は、動けなかった。
動こうとはした。間違いなくした。けれど、身体が動くより前に、光景のほうが進んでいた。お兄様へ伸びる腕。それを前に、私の中で時間だけが鈍くなる。
まただ、と思った。
あの日と同じだ。
また、私は間に合わない。
また、お兄様の前へ出られない。
次の瞬間には、カイルがその男を地面へ叩き伏せていた。
鮮やかだった。
無駄がなく、迷いもなく、当たり前のように制圧した。
それがひどく腹立たしかった。
感謝していないわけではない。むしろ、感謝すべきなのだと頭ではわかっている。お兄様を守ってくれたのだから。けれど、それでもなお腹が立った。私では間に合わなかったのに、カイルは間に合った。その事実が、喉の奥へ鉛のように沈んだ。
私は、何も守れていない。
お兄様を守ると、今度こそ守ると、ずっと思ってきたのに。
何も守れていない。
その悔しさが、そのまま殺意へ変わった。
あの男を殺そうと思った。
いえ、正確には「どう殺そうか」と考えた。すぐに息の根を止めるのでは足りない。恐怖を与え、苦しめ、後悔させ、最後まで自分が何に踏みつぶされたのかわからないまま消してしまえばいいと思った。
影が集まる。
私の足元に、夜より濃いものが寄る。
そのとき、お兄様の声がした。
「フィオナ、ルカ」
たったそれだけで、私は止まってしまった。
どうしてあの方は、そんな声を出せるのだろう。
怒鳴るでもなく、恐れるでもなく、ただ静かに呼ぶ。その声に、私は逆らえない。逆らいたくない。だから止まる。止まってしまう。
それが、情けなかった。
守るための怒りだったはずなのに、結局はお兄様に止められる。殺意を向けることしかできず、実際にはお兄様の手を煩わせるだけ。なんて不甲斐ないのだろうと、私はその場で思い知った。
さらにそのあと、娘を失った村人の方が刃を向けたとき、私はなおさら打ちのめされた。
あの方の気持ちは、わかった。
あまりにもわかりやすかった。愛しいものを奪われた怒り。もう戻らないものへの絶望。せめて目の前の憎い相手に刃を向けたいという衝動。わかる。わかりすぎる。
だから、止められなかった。
止めたのは、やはりお兄様だった。
残された妻と息子のことを考えろと諭し、あなたまで罪を犯すなと訴え、自分にあなたを犯罪者として引き渡させないでくれと頭を下げた。
私はその光景を見て、ほとんど息ができなかった。
なぜ、そこまでできるのだろう。
怒りを抱えた者の前で、なおその人の未来を守ろうとする。自分へ刃が向くかもしれない場面で、なお他人の家族を思える。そんなこと、私にはできない。やろうと思っても、その前に冷たい怒りが邪魔をする。
つまり、私はまた、お兄様に届いていないのだ。
強さでも、優しさでも、覚悟でも。
何一つ。
私はただ、壊すことばかり考えていた。
どう苦しめるか、どう消すか、どう黙らせるか。そんなことばかりが頭を満たしていた。お兄様はその先にいる。残された人のことを考える。終わったあとのことまで見る。私にはまだ、その視点がない。
惨めだった。
悔しかった。
情けなかった。
その後、私は少し離れた場所で黙って立っていた。ルカも同じだった。あの子の気配はわかりやすい。怒りを呑み込めず、けれどお兄様に止められたからこそ従っている。たぶん私と同じようなことを思っているのだろう。
カイルがこちらを見ていた。
あの人は、無駄に喋らない。目つきは悪いし、黙っていると本当に近寄りがたい。けれど今は明らかに、私たちへ何か言いたげだった。
責めるのかと思った。
あるいは、「次は先に動け」とでも言うのかと。
けれど、カイルは何も言わなかった。
ほんのわずかに眉を寄せ、口を開きかけて、結局閉じた。
その沈黙に、私は少しだけ苛立った。
いま、お兄様を守れたのはカイルだ。
私ではなく。
ルカでもなく。
カイルだ。
その現実が、どうしようもなく腹立たしい。あの人のほうが現状では強い。速い。迷いなくお兄様の前へ出られる。それを認めるのは、ひどく悔しい。
けれど同時に、信頼もしていた。
お兄様を守ってくれた。
それだけは揺るがない。
だから私は、腹が立つまま、その信頼を否定しなかった。したくなかった。お兄様のそばに立つ者として、カイルは必要だ。現時点では、悔しいほどに。
そのことを、たぶんカイルもわかっているのだろう。
だから何も言わなかったのかもしれない。
私は野盗たちが連れていかれるのを見ながら、心の中で静かに誓った。
次は、動く。
お兄様が呼ぶより前に。
お兄様が止めるより前に。
お兄様に頭を下げさせるより前に。
今度こそ守る。
守ってみせる。
そのためなら、私はもっと冷たくなってもいいし、もっと汚くなっても構わない。お兄様がきれいなままでいてくださるなら、汚いことは私が引き受ければいい。
そう思ったところで、ふと気づいた。
たぶん、その考え方自体が、お兄様なら悲しむのだろうと。
それでも。
それでもまだ、私はその考えを捨てられなかった。
お兄様はあまりにも優しい。あまりにもまっすぐだ。だからこそ、その背中の影になる誰かが必要だと、私は思ってしまう。
その役目を、誰にも渡したくなかった。
カイルにも。
誰にも。
私がやりたい。
そう思う自分の重さを抱えたまま、私はただ静かに、連れていかれる野盗たちの後ろ姿を見送った。
だいぶフィオナちゃんはわりとヤンデレ気質はあると思います。
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