第14話 人には人の事情がある
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防壁が立ち、簡易の出入口が整い、夜の見張りまで回りはじめてから、ルーウェンの村は少しずつ呼吸を取り戻しつつあった。
何もかもが解決したわけではない。家の修繕はまだ途中だし、畑の状態も急にはよくならない。水路の問題も、水場の扱いも、考えるべきことは山ほどある。けれど、人は守られている実感があるだけで少し息がしやすくなるらしい。防壁の内側で子どもが走り、夜に以前より深く眠れるようになったという話を聞いたとき、アルトは壁を作ってよかったと素直に思った。
そんな中で、もう一つ片づけなければならないことがあった。
初日に捕らえた野盗たちの引き渡しである。
ルーウェンには常駐の警備隊がいない。だが、数週間に一度、このあたりまで王立警備隊の巡回が来る。ベランによれば、それが唯一まともに罪人を外へ引き渡せる機会だった。だから野盗たちは、それまで納屋を牢代わりにして押し込み、見張りをつけておくしかなかったのである。
今日、その王立警備隊が来る。
朝のうちから村には張りつめた空気があった。長く棘のように引っかかっていたものが、ようやく外へ出ていく。その直前の緊張だった。
館の前で、アルトはベランと段取りを確認していた。
「人数は十五で間違いありませんね」
「ええ」
ベランは頷いた。
「逃げた者はおりませぬ」
「見張りは?」
「昨夜まで交代で」
「ありがとうございます」
「いえ」
ベランは少し目を伏せる。
「早く連れていってもらえるなら、それが一番です」
その気持ちはよくわかった。野盗たちが村の中にいるだけで、村人にとってはずっと傷を抉られ続けるようなものだったはずだ。怖さも、怒りも、憎しみも、全部そこへ向き続ける。終わらせたいと思うのは当然だった。
アルトの背後には双子と、カイル、ガレス、ミレイアがいた。サラは館に残っている。こういう場に双子を出すべきか、アルトは少し迷った。だがフィオナもルカも、自分たちも見るべきだと言った。逃げずに見ようとする二人を、無理に遠ざけるのも違う気がした。
「兄様」
ルカが小さく聞いた。
「警備隊って強い?」
「たぶん強いと思う」
「カイルより?」
カイルが低く言った。
「相手による」
「そうなんだ」
フィオナは納屋のほうを見たまま静かに言う。
「早く終わるとよいのですけれど」
「そうだね」
アルトは頷いた。
「長引かないといいな」
昼前、王立警備隊は予定通りやってきた。
青銀の装備に身を包んだ兵が六名。その先頭に立つのは三十代半ばほどの隊長格らしい男だった。鎧は実用本位で飾り気がなく、馬上の姿勢にも無駄がない。一目で、きちんと訓練された側の人間だとわかる。
「ルーウェンの仮領主殿か」
男が馬を下りながら言った。
「アルト・レーヴェンです」
アルトが一礼すると、男はわずかに目を細めた。
「報告は受けている。若いとは聞いていたが、本当に若いな」
「年齢は変えられませんので」
「違いない」
男は口元だけで少し笑った。
「俺は王立警備隊第三巡回隊の隊長、ハロルドだ。野盗どもを引き取りに来た」
「お願いします」
そこからは事務的だった。人数確認、拘束状態の確認、初日に捕縛した経緯、村人への被害、証言できる者の有無。アルトは淡々と答えた。怒りも嫌悪もある。だが、いま必要なのは感情をぶつけることではなく、確実に引き渡すことだった。
野盗たちは納屋から引き出された。数週間の拘束で、最初のころよりずいぶんみすぼらしくなっていた。髭も伸び、服も汚れ、目つきだけがぎらついている。村人たちが遠巻きに見守る中、警備隊の兵たちが次々に縄を確認し、列へ並べていく。
アルトはその様子を見ながら、胸の中に冷たいものがあるのを感じていた。
嫌悪だ。
この者たちはルーウェンの人間ではない。ベランから聞いた話では、別の領地から流れてきた者たちだという。しかも、その元いた村は少し前に瓦解しているらしかった。領地の管理が崩れ、人が散り、食い扶持を失い、まともに暮らせなくなった。その果てに、こうして武器を持って流れついた者たちがいる。
事情はわかる。
だが、だからといって許せるわけではない。
故郷が崩れたから。食うものがなくなったから。行き場を失ったから。そうした事情が、人を襲い、奪い、脅し、殺してよい理由になるはずがなかった。
だから、引き渡しは必要だった。
淡々と終わらせるつもりだった。
だが、野盗たちは最後まで醜く足掻いた。
「くそったれが……」
列の中のひとりが顔を上げ、唾を吐くように言った。
「こんなガキに捕まるとはな」
別の男が下卑た笑いを漏らす。
「領主ごっこは楽しいかよ」
アルトは返さなかった。警備隊の兵たちも眉ひとつ動かさず、縄を点検している。
すると、また別の男が怒鳴った。
「お前みてえな無能な領主がいるからだろうが!」
その声に、村人たちの空気がぴりついた。
ルカが小さく息を呑み、フィオナの目がすっと冷える。
男はなおも喚いた。
「俺たちの村がどうなったと思ってやがる!」
「領主が逃げて、兵も消えて、村ごと潰れたんだぞ!」
「食うもんも、守りも、何もなくなった!」
「だから俺たちはやったんだ!」
「そうだ!」
別の男も叫ぶ。
「てめえら上の連中が見捨てたからこうなったんだろうが!」
「お前らみてえな無能のせいで、俺たちはこうなるしかなかったんだ!」
責任転嫁だった。
だが、ただの見苦しい言い訳というだけでもなかった。そこには実際に、崩れた村と、見捨てられた人間たちの現実が混じっているのだろう。だからこそ余計に厄介だった。
アルトはほんの少しだけ目を細めた。怒りはあった。だがそれより先に、冷えた。事情があることと、罪が許されることは違う。それを、ここで曖昧にしてはいけないと思った。
「……それは」
アルトは静かに口を開いた。
「免罪符にはなりません」
野盗たちが一瞬黙る。
「あなたたちの村が崩れたこと」
アルトは続けた。
「領主に見捨てられたこと」
「っ……」
「それ自体は、たしかに気の毒です」
誰かが歯を食いしばる。
「ですが」
アルトは言葉を切った。
「だからといって、別の村を襲い、別の人々の暮らしを壊し、命を奪ってよい理由にはなりません」
空気が張る。
「自分たちが失ったから、他人から奪ってよい」
「そんな理屈はありません」
アルトの声は大きくなかった。むしろ静かだった。静かだったからこそ、よく響いた。
「あなたたちは見捨てられたかもしれない」
「なら、俺たちはどうすりゃ――」
「それでも」
アルトは遮った。
「他人の村を壊すことを選んだ時点で、あなたたちは罪を犯したんです」
男たちは睨み返してくる。だが、その目の奥には怒りだけでなく、どこか敗北のような色もあった。
「事情は事情です」
アルトは言った。
「罪は罪です」
「……」
「そこを混ぜるつもりはありません」
その瞬間だった。
列の中にいたひとりが急に身体を捩った。
縄を外したのではない。無理やり、こじ開けたのだ。手首の皮を擦り切らせてでも抜けようとしたのだろう。片腕が自由になった途端、その男は獣のようにアルトへ飛びかかった。
「アルト様!」
誰かが叫ぶより早く、一つの影が前へ出た。
カイルだった。
男の腕が伸びる、その手前で懐へ踏み込み、肘を払う。体勢が崩れたところへ脚を刈り、地面へ叩き落とす。さらに首元へ膝を乗せ、もう片腕もねじり上げた。無駄がなく、終わるまでほんの一瞬だった。
「ぎっ――!」
男が潰れた声を上げる。
カイルは低く言った。
「動くな」
それだけで、もう終わっていた。
警備隊の兵がすぐさま駆け寄り、野盗を押さえ直す。ハロルド隊長が眉を上げた。
「見事だな」
カイルは答えない。ただ男を押さえたまま、一度だけアルトのほうを見た。その目が「無事か」と言っていた。
アルトは小さく頷いた。
「ありがとう」
カイルもほんのわずかに顎を引く。それで十分だった。
だが、場の空気はそれで終わらなかった。
「今、兄様に」
ルカの声が低く落ちた。
「何をした」
フィオナも一歩前へ出ていた。声は静かだ。静かなのに、底がひどく冷たい。
「アルトお兄様に手を出しましたの?」
野盗の男は押さえつけられたまま、なおも悪態をつこうとした。だが、その前に双子のほうが早かった。
ルカの周囲で空気がざわつく。見えない精霊たちが一斉に寄ったのだとわかった。フィオナの足元には、影が濃く集まっている。息を呑むほど明確な殺意だった。
まずい、とアルトは思った。
「二人とも」
声をかける。
止まらない。
「フィオナ、ルカ」
今度は少し強く呼ぶ。
双子が、ぴたりと動きを止めた。
フィオナの目は冷えきっていた。ルカの顔にも、怒りがむき出しになっている。ふだんの二人からは考えられないくらい露骨だった。
「兄様」
ルカの声が震える。
「こいつ」
「だめ」
アルトは短く言った。
「でも」
「だめだよ」
フィオナも低い声で言う。
「許せません」
「うん」
「なら」
「それでもだめ」
アルトは双子の前へ一歩出た。
「その矛は下ろして」
沈黙があった。
やがて、ルカの周囲のざわめきが少しずつ引いた。フィオナの足元の影も薄くなる。二人とも、苦しそうな顔をしていた。怒りを呑み込んでいるのだとわかった。
「……わかった」
ルカがやっと言った。
「兄様がそう言うなら」
「お兄様が止めるのであれば」
フィオナも目を伏せた。
「従います」
アルトは小さく息を吐いた。
「ありがとう」
けれど、怒りは双子だけのものではなかった。
「ふざけるな!」
怒鳴り声が響いた。
村人の中から、一人の男が前へ出ていた。四十に届くかどうかという年頃だろう。痩せた頬、血の走った目、その手には刃物が握られている。ベランから話を聞いていた。以前、この村が襲われたとき――アルトたちが来る前の襲撃で、娘を失った父親だ。
その襲撃をした者たちが、いま目の前にいる野盗とまったく同じ面子だったとは限らない。だが、男にとっては同じだった。自分の村ではないどこかから流れてきて、守りの薄い村を襲い、奪い、殺す。そういう連中が娘を奪った。その憎しみは、目の前の野盗たちへまっすぐ繋がっていた。
「こいつらみたいなのが!」
刃先が震えながら向く。
「うちの子を……!」
誰もすぐには動けなかった。
気持ちはわかる。
あまりにも、わかりすぎた。
だからこそ、アルトが前へ出た。
「下ろしてください」
男は振り向きもしなかった。
「どけ」
「下ろしてください」
「どけと言ってる!」
その声は壊れかけていた。
「この手でやらなきゃ、気が済まねえんだよ!」
アルトはその背中を見た。怒りに呑まれている。だが、その怒りの先にあるものも見える気がした。喪失だ。どうしようもない喪失だ。
「気持ちはわかります」
アルトは静かに言った。
「わかるかよ!」
「全部ではなくても、少しは」
男の肩が震える。
「でも」
アルトは続けた。
「あなたには、まだ奥さんと息子さんがいるでしょう」
男の呼吸が止まったように見えた。
「……」
「ここであなたまで罪を犯したら、残された人たちはどうなりますか」
「っ……」
「娘さんを失って」
アルトは声を落とした。
「さらに夫まで、父親まで、犯罪者として連れていかれたら」
男の手の震えが大きくなる。
「残る人は、何を支えに生きればいいんですか」
「……うるせえ」
「うるさくても言います」
アルトは一歩、近づいた。
「あなたに、残った人たちを捨ててほしくない」
男の目から、ぼろりと涙が落ちた。
「俺は」
「はい」
「俺は、あの子に」
言葉が崩れる。
「何もしてやれなかった」
アルトは胸の奥が痛んだ。
「……そうですよね」
「せめて、せめて」
「それでも」
アルトは言った。
「あなたがここで刃を振るったら、残る人はまた増えるだけです」
男は泣いていた。声もなく、ただ肩を震わせていた。
アルトはそこで、深く頭を下げた。
「お願いです」
村人たちが息を呑む気配がした。
「自分に、あなたを犯罪者として引き渡させないでください」
沈黙が落ちた。
男の手から、刃物が落ちた。
乾いた音が地面へ響いた。
それを聞いて、アルトはようやくゆっくり息を吐いた。
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