第13話 降霊魔術
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防壁が立った翌朝、アルトは朝食を終えるなり、防壁の出入口になる場所へ向かった。
昨日のうちに壁そのものはできている。稜堡を持ち、上に人が立てて、巡回できるだけの通路もある。見た目としてはもう十分に「守るための壁」だった。だが、それだけではまだ足りない。
村と外をどう行き来するのか。誰がどこを見張るのか。夜のあいだ、どう異変に気づくのか。そういう細かな運用が決まって初めて、防壁は「ある」から「使える」へ変わる。
そのことは、昨夜のうちからわかっていた。わかっていたのだが、朝になって実際に壁を見上げると、思った以上にやることが多い。
「お兄様、難しいお顔ですわ」
少し後ろからフィオナが言った。
「してる?」
「はい」
ルカもすぐに頷いた。
「してる」
「だよね」
アルトは苦笑した。
「壁はできたけど、まだ終わってないから」
「門とか?」
「門とか、見張りとか、鐘とか」
「いっぱいある」
「いっぱいある」
ルカは感心したように壁を見上げた。
「でも、兄様なら考えられるでしょ?」
「考えるのはできる」
「じゃあだいじょうぶ」
「その信頼はうれしいけど、ちょっと雑だな」
フィオナが小さく息をつく。
「ルカは、お兄様を便利な存在だと思いすぎではなくて?」
「便利だよ?」
「本人の前でそれを言うのは少々」
「いや、まあ、役に立てるならうれしいけど」
「お兄様は甘いのです」
「フィオナもだいぶ兄に厳しいなあ」
「事実を申し上げているだけですわ」
防壁の前には、すでにベランと村人たちが集まっていた。昨日の壁づくりを見ていたせいか、もう誰も「本当にやるのか」とは言わない。言わないが、現実的な困り顔をしている者は多かった。村を守る壁は欲しかった。できたこともありがたい。だが、その先を整える人手が足りないのだ。
アルトはベランへ声をかけ、職人の人数を改めて確かめた。
「大工仕事がしっかりできる方は?」
「三人ですな」
「木こりは?」
「四人ほど」
「他に手伝える人は」
「若い者が何人かおりますが、皆、畑や家の修繕もございます」
やはり少ない。
少なくはない、という見方もできる。こんな村で、大工が三人、木こりが四人いるならむしろ頑張っているほうだ。だが、今ほしいのは「頑張っている」ではなく「足りている」である。残念ながらそこには届かない。
門扉をきちんと作るとなれば、木を切り出し、削り、組み、吊り、受けを整える必要がある。見張り台も同じだ。しかもそれを作るあいだ、村人たちの生活が止まるわけではない。畑もある。壊れた柵も直さなければならない。昨日の野盗の被害だって残っている。
「……人が足りないな」
アルトが小さく呟くと、ベランが苦い顔で頷いた。
「ええ」
「立派な門までは無理ですね」
「いまは厳しいですな」
大工のひとりが口を開いた。
「ただ、簡易的な柵なら作れます」
アルトは顔を上げた。
「簡易的な?」
「丸太を組んで、夜だけでも閉じられるようにするんです」
「手で開ける形ですか」
「ええ。横木を渡して留めるような」
別の男が続けた。
「見た目はだいぶ簡素ですが、何もないよりずっとましです」
「それで十分です」
アルトはすぐに言った。
「今はいきなり完璧を目指すより、回る形にしたい」
ベランも頷く。
「わしもそう思います」
「じゃあ、まずは簡易柵と、手動で開け閉めする仕組みを作りましょう」
「はい」
「昼のあいだは開けて、夜は閉じる」
「それがよろしいかと」
ガレスが防壁の上から声を落とした。
「問題は見張りですな」
「そうですね」
アルトは壁を見上げた。
「昼はまだ何とかなる」
「若い者を交代で立たせれば回せます」
「でも夜は厳しいですよね」
ベランは深く息をついた。
「ええ」
「毎晩となれば、翌日の仕事に響きます」
「やっぱりそうか……」
しばらくの間は交代の見張りが必要になる。
それは当然だった。壁ができたからといって、誰も見ていなければ意味がない。まして作りたての防壁だ。様子を見に来る者がいないとも限らない。夜間に人を立てなければならない。だが、その人手が足りない。
アルトは簡易柵の位置を見ながら考え込んだ。昼の作業だけでも人が足りないのに、夜まで若い者を削るのはきつい。村の規模からして、無理を続ければすぐに限界が来る。どうにか、夜だけでも人の負担を減らせないか。
そのとき、フィオナが静かに口を開いた。
「……それでしたら」
全員の視線がそちらへ向く。
「夜だけ、ゴーストたちに見張っていただくのはどうでしょう」
ベランが固まり、村人たちがざわめく。ルカは「それだ」という顔をした。ミレイアだけが真っ先に意味を理解したらしい。
「なるほど」
アルトはフィオナを見た。
「できるの?」
「はい」
フィオナは小さく頷いた。
「ゴーストたちへ魔力をお渡しして、一時的に姿を顕現させます」
「姿を?」
「はい。そうすれば、壁や出入口の近くにいていただけます」
「喋ることは?」
「……難しいかと」
フィオナは少し目を伏せた。
「顕現しても、言葉までは難しいと思います」
「でも見張りはできる?」
「できます」
その声は細かったが、迷いはなかった。
「何か異変があれば、わたくしにも伝わりますし、物音でも知らせられます」
ミレイアが静かに補足した。
「降霊魔導士としては、かなり高度ですが、不可能ではありません」
「高度なんですね」
「ええ。かなり」
アルトは少しだけ息を吐いた。
「フィオナ、無理はしないで」
「はい」
「ほんとにできそう?」
「できます」
ルカがぱっと前に出た。
「フィオナならできるよ」
「ルカ」
「だって、見えてるし」
「うん、それはわかってる」
「じゃあ大丈夫」
フィオナが少しだけ笑った。
「ルカは本当に単純ですわね」
「でも、そういうとき助かるでしょ?」
「……少しだけ」
「今のはかなり助かるほうだと思うな」
アルトがそう言うと、フィオナはほんの少しだけ頬を赤くした。
その日の昼、簡易柵づくりはすぐに始まった。木こりたちが丸太を運び、大工が位置を決め、若い者たちが土を掘って柱を立てる。立派な門には程遠い。だが、出入口に何もない状態よりはずっと良い。横木を差し込めば閉じ、外せば開く。いまのルーウェンには、それで十分意味があった。
作業のあいだ、アルトは周囲を歩きながら、こっそり防壁の内側へ水を薄く広げていた。
誰にも気づかれないように、ごく自然に。足元から這うように、防壁の通路、出入口の周辺、階段の足元、稜堡の内側。自分の魔力を込めた薄い水の膜を、見えないほど細く伸ばしていく。
大体のことを感知できるようにするためだ。
人の流れ。複数人がどこへ集まっているか。壁際に何かが近づいていないか。いざというとき、誰かが鐘のある位置へ向かったかどうか。それくらいなら、拾える。完璧ではない。だが、ないよりずっといい。
「お兄様」
フィオナがふとこちらを見た。
「何かしておられます?」
一瞬だけ心臓が跳ねた。
「どうして?」
「少しだけ、壁のほうを見ているお顔が違いましたので」
「置く場所を考えてただけだよ」
「そうですか」
フィオナはそれ以上言わなかった。助かった、と思う。妹は案外鋭い。
昼すぎには、簡易柵はどうにか形になった。太い柱を左右に立て、横木を差し込んで夜だけ閉じられるようにしただけのものだ。見た目は素朴で、むしろ質素と言っていい。だが、閉められるという一点で、それは十分価値があった。
「……ちゃんと閉まる」
ルカが感心したように言う。
「うん」
アルトも頷いた。
「ちゃんと閉まる」
「兄様、同じこと言った」
「大事だからね」
「そこは大人っぽい言い訳ですわ」
「ばれたか」
大工のひとりが笑った。
「立派じゃなくても、夜に閉じられりゃまずは十分です」
「ありがとうございます」
「いや、こっちは壁をもらったようなもんですから」
その言葉が、妙に胸へ残った。
夕方、防壁の内側で、フィオナがゴーストたちへ呼びかけることになった。
村人たちにも、最低限のことだけは伝えた。何かが現れても、騒がないでほしいこと。フィオナが夜の見張りを増やすために力を使うこと。それだけだ。全部を説明しても、今はむしろ混乱するだろう。
日が傾き、空が青く沈みはじめるころ、フィオナは防壁のそばへ立った。ルカはアルトの横で、珍しく落ち着いていた。ベランも村人たちも、少し離れて見守っている。
フィオナは目を閉じた。
両手を胸の前で重ね、深く息を吸う。
「お願いがございます」
小さく、けれど澄んだ声だった。
「この村を、夜のあいだ見守っていただけませんか」
空気がひやりと冷える。
「異変があれば、知らせてください」
静けさが降りる。
「その代わり、わたくしの魔力をお渡しします」
次の瞬間、アルトには見えた。
フィオナの内側から、一気に魔力が解き放たれる。細く継ぎ足すのではない。最初にまとめて渡す。澄んだ白金のような魔力だった。それが夕闇の中へ広がり、見えない存在たちへ届いていく。
そして、影が現れた。
人の形をしたゴーストたちだった。淡く、けれど確かにそこにいるとわかる。壁際だけではない。村人たちの近くへも、ゆっくりと歩いてくる。
村人たちが息を呑む。
老女の前に立つ影があった。戸口に立つ男のそばへ近づく影があった。子を抱いた母親の少し先で立ち止まる影があった。皆、喋らない。ただ、そこにいる。
「……母さん」
「兄貴」
「ああ……」
声が漏れる。
ゴーストたちは喋ることができない。だが、それでも十分だったのだろう。昔この村に住んでいた者たち。その面影を、残された人々はきちんと見つけた。
老女は震える手を伸ばし、影の前で泣いた。
「ちゃんと、言えなくてごめんねえ」
男は目を真っ赤にして立ち尽くしたあと、ようやく口を開いた。
「親父、畑、ちゃんとやってる」
若い母親は子を抱いたまま、涙を零した。
「会わせたかった」
アルトは胸が詰まった。
この村には、ずっと言えなかった別れが残っていたのだ。魔物で、病で、冬で、野盗で、急に途切れてしまった言葉があった。その続きが、いまようやく届いている。
フィオナは静かに立っていた。顔色は白い。だが倒れそうではない。最初にまとめて魔力を渡したぶん、いまは顕現が安定しているのだろう。アルトはそっと隣へ寄った。
「大丈夫?」
「……はい」
「ほんとに?」
「少し重いですが、問題ありません」
「ならよかった」
フィオナは小さく息を吐いた。
「役に立てて、うれしいです」
「うん」
アルトは笑った。
「すごく役に立ってる」
ルカも、珍しく静かな声で言った。
「フィオナ、すごい」
「ありがとう」
その返事はごく小さかった。でも、たしかにうれしそうだった。
別れを済ませたあと、ゴーストたちはそれぞれの持ち場へ散っていった。防壁の近くへ。出入口のそばへ。夜を見張る位置へ。生者の近くへ来て、未練のあった人々と別れを交わし、それから村を守る役目についた。
村人たちは、もう最初のようには怯えていなかった。驚きはある。戸惑いもある。けれど、それ以上に感謝があった。亡くなった家族や知人に、改めて別れを告げられたこと。そして、その者たちが今夜から村を守ってくれること。
ベランが深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その声は震えていた。誰へ向けた言葉なのか、一瞬わからなかった。フィオナへか、アルトへか、ゴーストたちへか。たぶん、その全部だったのだろう。
「しばらくは、これで夜を回せそうです」
アルトが言うと、ベランは何度も頷いた。
「ええ」
「昼は人、夜はゴーストたち」
「それで村の者も少し休める」
「はい」
ガレスも腕を組んで言った。
「これなら若い者を削りすぎずに済みますな」
「それがいちばん大きいです」
アルトは頷いた。
防壁を見上げる。
昼には土の壁と簡易柵だったものが、今は違って見えた。見張りがいる。しかもただの見張りではない。この村に生き、この村を想い、言えなかった別れを抱えていた者たちが、夜を守ってくれている。
まだ仮の守りだ。けれど、ちゃんと回る守りにはなった。
それは昨日より、ずっと大きな一歩だった。
ルカがまたアルトの袖を引いた。
「兄様」
「なに?」
「フィオナも、ゴーストたちも、すごいね」
「うん」
「兄様も」
「そこに僕も入るんだ」
「家族だから」
アルトは少しだけ笑った。
「そうだね」
夜のあいだ、ゴーストたちは静かに村を見守り続ける。
喋ることはできない。けれど、その沈黙のままでも、村人たちには十分に伝わっていた。
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