第10話 妹も弟もどうやらすごい子のようです
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辺境の館で迎える最初の朝は、思っていたよりずっと早く来た。
いや、正確に言うなら、あまり眠った気がしないまま朝になった。昨日は移動して、村を助けて、領民と話して、館へ入って、掃除して、夕食を食べて、気がつけば倒れるように寝ていたのだから無理もない。人間、限界まで動くと寝つきはよくなるが、翌朝の満足感は案外保証されないらしい。知りたくなかった知識である。
「アルト様、朝でございます」
サラの声だった。
「はぁい」と返事をすると、自分の声が思った以上に寝ぼけていた。だが、もうここは本邸ではない。寝起きだからもう少し丸まっていたいです、はたぶん通らない。いや、本邸でも通らなかった気はするが、それはそれとして、辺境の領主館で寝ぼけている新領主というのは絵面があまりよくない。
窓を開けると、薄い朝靄の向こうに村の屋根が見えた。昨日は暗くてよく見えなかった景色が、朝になるとちゃんと輪郭を持っている。森が近い。空が広い。風の匂いも、本邸とはまるで違う。
ここで暮らしていくのだ。
その事実が、ようやく少しだけ胸に落ちてきた。
朝食は簡素だった。パンとスープ、それから昨夜の残りを整えたもの。豪華ではないけれど、温かい。温かい食事というのは、それだけでかなり偉い。人の気持ちは案外、湯気に左右される。
フィオナとルカも起きてきて、まだ少し眠そうな顔のまま席についた。ルカはあくびをしながらスプーンを持ち、フィオナは眠そうなのに姿勢だけは妙にきちんとしている。その差が双子なのに双子っぽくなくて、見ていて少し面白い。
「今日は何するの?」
ルカがパンをちぎりながら聞く。
「まずは村を見て回ろうと思ってる」
そう。まずは問題点を把握するところからだ。先日少しだけ見ただけでも住居、インフラ、防衛と問題点が多いように見受けられたのだ。ギリギリで生きている村に、あれもこれもそれもと手を出してしまえば自滅するのは目に見えている。
「人の様子とか、土地の様子とか、見ておきたいから」
フィオナがこくりと頷く。
「大事ですものね」
「うん。困ってることが何かを知らないと、どう助ければいいかもわからないし」
「じゃあ、ぼくたちも行く」
ルカは当然のように言った。
「うん、一緒に来る?」
「行く!」
即答だった。
フィオナも少しだけ目を上げる。
「……わたくしたちも、ご一緒してもよろしいのですか?」
「もちろん」
アルトは笑った。
「ふたりにも、見ておいてほしいし」
実際、そのつもりだった。双子はまだ幼い。けれど、これから一緒にこの土地で生きていくのだ。守られるだけではなく、自分たちが今どこにいるのか、どんな場所で暮らすことになるのか、ちゃんと知っておいたほうがいい。
サラは少し心配そうな顔をしたが、結局は頷いた。
「無理のない範囲で、でございますよ」
「はい」
「はーい」
「はい」
ルカの返事だけ少し軽かったが、そのへんはもう彼の性格なのである。
朝食のあと、アルトはベランへ声をかけ、村を案内してもらうことにした。ついでにミレイアにも同行を頼む。領主として歩くなら、やはり村長が一緒のほうが話が早いし、双子がいるならミレイアもいたほうが安心だ。ガレスは館の周辺と守りを確認しておくと言って残り、カイルは少し遅れて合流することになった。
村を歩きはじめると、昨日の襲撃の跡がまだ残っていた。
壊れた柵、傾いた荷車、蹴破られた扉。けれど同時に、村人たちがすでに修繕へ取りかかっている姿もある。縄を引く者、木を運ぶ者、倒れた樽を起こす者。立ち止まっているものは誰もいない。無論、呆けている暇はないというのもあるのだろう。暮らしは待ってくれない。
ルカはきょろきょろと辺りを見回し、フィオナは黙って人々の顔を見ていた。二人とも、ただついて歩いているだけではなかった。ちゃんと見ている。そういうところは本当にえらいと思う。兄としてかなりえらいと思う。いけない、村人を見に来ているのに双子ばかり見てしまいそうだ。
「この家は昨日、野盗に戸を壊されましてな」
ベランが一軒の家を示す。
「中の食糧も少し持っていかれました」
「怪我人は?」
「大きな怪我は出ておりませぬ。そこは本当に助かりました」
「そうですか」
ひとまず胸を撫で下ろす。物は後から補えるが、人はそう簡単には戻らない。失われた魂を取り戻すことも、残った人々の喪失を補うこともできないのだ。
畑も見た。土は悪くない場所もあるのに、畝ごとの差が大きい。乾きすぎている区画と、逆に湿りすぎている区画が並んでいる。これでは収穫が安定しないだろう。道も見た。人が歩くにはいいが、荷車には少し厳しい。雨が降ればすぐに泥へ変わりそうだ。
「確認すればするほど問題点も増えてくね…」
アルトが小さく呟くと、ベランが苦笑した。
「もとより、豊かな村ではないのです」
「国の支援も受けられず、野盗の襲撃もあるとなると…大変でしたね」
「それはもう、残念なことに」
アルトは歩きながら、どうしたものかなと考えていた。
話を聞いて、目でも見て、だいたいの問題点はわかる。わかるが、広い。村だけでもこの有様なら、領地全体を見ようとしたらどれだけ時間がかかるかわからない。もちろん歩いて回るしかない部分もある。けれど、もっとこう、全体をざっとつかむ方法があれば――。
「う~ん…簡単に領地の状況を把握する術はないかな……」
つい口に出してしまった、そのときだった。
「だったらわかるよ!」
ぱっとルカが言った。
「え?」
ルカは当たり前のような顔をしている。
「わかるよ」
「何が?」
「土地のこととか、水のこととか、どこがどうなってるか」
アルトだけでなく、ベランもミレイアも思わずルカを見た。フィオナだけは少しだけ目を伏せて、ああやっぱり、とでも言いたげな顔をしている。
「ルカ?」
アルトはしゃがみこんで視線を合わせた。
「どういうこと?」
ルカはきょとんとした顔で言う。
「だって、いるし」
「いる?」
「うん。精霊たち」
その一言で、空気が止まった。
ミレイアの表情が、はっきりと変わる。
「……ルカ様」
普段より少し低い声だった。
「あなた、精霊が見えているのですか」
「うん?」
ルカは首を傾げた。
「見えてるよ? いっぱい」
今度はアルトが固まる番だった。
精霊魔術。四大元素とは別系統の魔術。属性適性がなくても、精霊が見え、その存在を認識し、交渉できる者なら道が開ける魔術体系。珍しい。かなり珍しい。たしかミレイアも理論としては教えてくれたが、「見える者は少ない」と言っていたはずだ。
「前から?」
アルトがそっと聞く。
「前から」
「言わなかったの?」
「え?」
ルカは本気で不思議そうな顔をした。
「だって、みんな知ってるのかと思ってた」
アルトは思わず片手で顔を覆った。子どもの“自分に見えているものは皆にも見えていると思っていた”は本当にある。あるのだが、今それをやられると兄の心臓にたいへん悪い。
ミレイアは完全に学者の顔になっていた。興奮を抑えてはいる。抑えてはいるが、目が明らかにきらきらしている。
「ルカ様」
「なに?」
「その精霊たちに、この土地のことを訊ねることはできますか?」
「できるよ」
また当たり前のように返ってくる。
「お願いしたら、たぶん教えてくれる」
「たぶん」
「うん。みんな気分屋だから」
すでに発言がそれっぽい。アルトはちょっと遠い目になりかけた。うちの弟、気づいたらとんでもないことをさらっと言っている。
「……やってみてもらってもいい?」
アルトが聞くと、ルカは元気よく頷いた。
「いいよ!」
ルカは村外れの少し開けた場所へ歩いていき、そこでふっと空を見上げた。何もないように見える。少なくとも、アルトの目には。けれどルカはそこに誰かがいる前提で話し始めた。
「ねえ、ちょっとお願いしてもいい?」
ふわっと風が動いた。
次の瞬間、ルカの金の髪が少し揺れる。本人はうれしそうに笑った。
「ありがと! えっとね、この辺の土地がどうなってるか知りたいんだ。水がどこを流れてるとか、土がどうなってるとか、森のほうがどうなってるかとか!」
少し間。
ルカは何かを聞くように頷いている。
「うん、うん。そう、それも」
また頷く。
「あと、危ないところも教えて!」
ベランはぽかんとしていた。無理もない。空中へ向かって元気に話しかける金髪の美少年七歳児、というだけでも情報量が多いのに、それが実際に会話として成立していそうなのだから、なおさらである。
しばらくして、ルカはぱっとアルトのほうを振り向いた。
「わかった!」
「早いね」
「うん!」
ルカは得意げだった。
「川から引いてる水、途中でうまく分かれてない。だから乾いてる畑と、逆にぬるぬるしてるとこがあるって」
「ぬるぬる」
「ぬるぬる」
言い方はちょっとかわいいが、内容はたぶんかなり深刻だ。
「あと、森の手前に、水が変なふうに集まってるとこがある」
アルトは思わずミレイアと顔を見合わせた。
「変なふう?」
「うん。精霊たちが、あそこ好きって言ってる」
「好き」
またずいぶんざっくりした情報だが、精霊基準ならそういう表現になるのかもしれない。
「道の向こうは、雨が降るとぐちゃぐちゃになるって」
「それも当たってますな……」
ベランが低く呟いた。
ルカはさらに続ける。
「あとね、北のほうの森で、最近あんまり機嫌よくないのがいるって」
「魔物でしょうか」
ミレイアがすぐに反応する。
「たぶん?」
ルカは首を傾げた。
「でも、まだ遠いから今すぐじゃないって」
それもだいぶ有用だった。ざっくりしているのに、必要な情報はちゃんとある。すごいな、精霊ネットワーク。
アルトが驚きと感心で少し言葉を失っていると、今度はフィオナが静かに口を開いた。
「……わたくしも、わかります」
今度こそ、本当にその場が静まった。
「フィオナ?」
アルトが呼ぶと、フィオナは少しだけ目を伏せた。
「ずっと言えなかったのですけれど」
その声音は落ち着いていた。けれど、少しだけ緊張しているのもわかった。
「わたくし、見えるんです」
「何が?」
「ここで亡くなった方々や、この土地に残っている方々が」
ベランが息を呑んだ。
アルトも、今度は本当に返事が一瞬遅れた。
幽霊。
降霊魔術。
こちらもまた、四大元素とは別系統。死者を認識し、その声を聞き、時に力を借りる道。珍しいどころではない。精霊魔術ですら珍しいのに、降霊魔術まで目の前にいるのか、と思う。うちの双子、どうなっているのだろう。いや、兄としては誇らしいが、情報量が多い。
「前から見えてたの?」
アルトがそっと尋ねる。
「……はい」
フィオナは小さく頷いた。
「でも、気味が悪いのではないかと思って」
「そんなことない!」
アルトは即座に言った。
「気味が悪いだなんて、絶対に思わないよ」
フィオナは少しだけ目を見開いて、それからほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「訊いてみます」
そう言ってフィオナは、村の古い井戸のそばへ歩いていった。誰もいないように見える場所で、彼女は丁寧に裾を整え、小さく頭を下げる。
「少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
風はない。なのに、空気がわずかに震えた気がした。
フィオナはじっと耳を澄ませるようにしている。相槌も打たない。ただ、聞いている。その横顔は、いつもの聡い妹の顔だったが、どこかひどく静かで、凛としていた。
しばらくして、フィオナが戻ってきた。
「……ここ数年で、だいぶ人が減ったそうです」
「減った?」
アルトが聞き返す。
「はい。冬を越せずに村を離れた者、魔物で亡くなった者、野盗に襲われた者。前の代官が館へ籠もるようになってから、道も水路もほとんど手が入らなかった、と」
「やはり、そうか……」
ベランが深く目を伏せた。
フィオナは続ける。
「税だけは帳面通りに取られていた年もあったそうです。でも、助けはほとんど来なかった、と」
アルトはゆっくり息を吐いた。だいたい予想はしていた。していたが、実際に“ここで死んだ者たち”からそう聞かされると、重みが違う。
「他には?」
「何年か前、館の裏手で働いていた者が倒れたとも」
「倒れた?」
「ええ。あまり手当てもされず、そのまま」
ベランの顔がさらに苦くなる。
「……記録にも残っておらぬ話ですな」
ミレイアは、しばらく無言だった。
それから、はっきりとした声で言った。
「……素晴らしい」
アルトは思わずそちらを見る。
先生の目は完全に本気だった。
「ルカ様」
「なに?」
「あなたには精霊魔導士の才があります。しかも、かなり強い」
ルカはきょとんとした。
「そうなの?」
「ええ。精霊が見えるだけではなく、自然に応答を引き出している。これは並のことではありません」
ルカは少し考えてから言った。
「じゃあ、すごい?」
「はい。かなり」
「やった」
素直でよろしい。
そしてミレイアはフィオナへ向き直る。
「フィオナ様」
「はい」
「あなたにも、降霊魔導士としての極めて高い素質があります」
フィオナは少しだけ目を伏せた。
「……気味が悪くは」
「まさか」
ミレイアはきっぱりと言った。
「死者の声を聞き、この土地に残った記憶を拾える。それがどれだけ希少で有用なことか」
フィオナの瞳が、わずかに揺れる。
「怖がるどころか、賞賛されるべき才です」
フィオナはすぐには返事をしなかった。けれど、ほんの少しだけ頬が赤くなったのを、アルトは見逃さなかった。
「……ありがとうございます」
小さな声だった。でも、ちゃんと届いた。
アルトは胸の奥がいっぱいになった。
適性なしと切り捨てられた双子が、本当はこんな才を持っていた。いや、持っていたどころではない。とんでもない。とんでもなくすごい。兄としては今すぐ抱きしめて褒め回したい気持ちでいっぱいだった。だがここでやるとフィオナはたぶん少し困り、ルカは調子に乗る。どちらもかわいいが、今は話を進めるべきだろう。たぶん。
「それで、精霊たちが好きな水場って?」
アルトがルカへ聞くと、ルカはすぐに森のほうを指した。
「あっち!」
「ざっくりだね」
「でもあるよ」
ルカは真顔だった。
「なんかね、あったかいの」
「あったかい?」
「うん。精霊たちが、あそこは気持ちいいって」
アルトはぴくりと眉を動かした。あったかくて気持ちいってもしかして、温泉では?
ベランが首をかしげる。ルカは続けて精霊の言葉を伝える。
「水がいっぱいあるのに、ふつうの水とちょっと違うって」
アルトは思わず森のほうを見た。
それは、かなり気になる。
普通ではない水場。しかも精霊が好む。あたたかい。村人たちは知らない。森の手前。条件だけ並べると、どう考えても気になる。領主としても、水属性持ちとしても、普通に気になる。かなり気になる。
「ベランさん」
「はい」
アルトが呼ぶと、ベランはすぐに応じた。
「森の手前のほうって、普段人は行きませんか?」
「あまり」
ベランは首を振る。
「足場が良くないのと、特に用もありませんでしたからな」
「そうですか」
アルトは頷いた。
「……じゃあ、あとで見に行きたいです」
ルカがぱっと顔を上げた。
「行く?」
「行こう」
「やった!」
フィオナも小さく息を吐く。
「お兄様ならそうおっしゃると思いました」
「え、そうかな?」
「はい」
どうやら妹には兄の思考回路が読まれつつあるらしい。少し照れくさいが、嫌ではなかった。
ミレイアは満足そうに頷いた。
「よろしいでしょう。領地の把握という意味でも、双子様の才の確認という意味でも、大きな一歩です」
「先生」
「何でしょう」
「うちの弟妹、すごくないですか」
「ええ。ものすごく」
即答だった。
アルトはそこで、ようやく少しだけ笑った。
問題は山ほどある。領地は荒れている。村人たちの暮らしも楽ではない。館も立て直さなければならない。父の課した条件も、無茶苦茶なままだ。
けれど。
今日、はっきりわかったことがある。
自分は一人ではない。
守りたい双子は、守られるだけの存在ではなかった。むしろ、自分の知らない力でこの土地を見て、この土地の声を拾い、この土地の未来へ手を伸ばしている。
兄としては誇らしい。誇らしいし、ちょっと複雑でもある。いや、かなり複雑かもしれない。かわいいかわいいと思っていたら、気づいたら才能がとんでもなかった。何だろう、この、うれしいのに少し置いていかれそうな感じ。兄はこういうときどういう顔をすればいいのだろう。とりあえず褒めればいい気もする。うん、たぶん褒めればいい。
「フィオナ、ルカ」
アルトが呼ぶと、双子が揃って顔を上げた。
「ふたりとも、すごいよ」
「うん!」
「……ありがとうございます」
ルカはぱぁっと笑顔を浮かべ、フィオナは少しだけ目を伏せて口元をやわらげた。
その様子を見て、ベランはまだ半信半疑の顔をしていたが、それでも、昨日までとは違う目で双子を見ていた。無理もない。精霊だの幽霊だのと言われて、すぐ信じろというほうが難しい。けれど少なくとも、アルトにはもう十分だった。
土地に残った記憶。見えない存在の好み。過去の痕跡。人の目に映らない道筋。
それを拾えるなら、問題の解決策だって出てくる。
アルトは森の手前を見た。まだ何も見えない。ただ木々の向こうに、少しだけ空気の違う場所がある気がした。
「じゃあ、次はそこを見に行こうか」
「うん!」
「はい」
双子が揃って頷く。
その返事が、妙に頼もしく聞こえた。
辺境の領地経営は、まだ始まったばかりだ。
けれどその最初の一歩は、思っていたよりずっと心強いものになりそうだった。
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