第9話 新しいお家
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野盗たちを片づけたあと、ようやく村人たちが家の陰から出てきた。
最初は誰も近づいてこなかった。無理もない。ついさっきまで野盗に襲われていたところへ、今度は見たこともない規模の水魔法が空から降ってきたのだ。助かったことはわかっていても、状況が急すぎる。人は急に全部を飲み込めない。僕も逆の立場なら、たぶんちょっと固まる。
けれど、年配の男がひとり、意を決したように前へ出た。日に焼けた顔に深い皺を刻んだ、小柄だが芯の強そうな人だった。村長だろうか、とアルトは思う。
「……助けてくださった、のですな」
慎重な声だった。感謝もあるが、警戒も残っている。そんな響きだった。
「はい」
アルトは落ち着いた声で答えた。
「通りがかって、煙が見えたので」
「そう、ですか」
男の視線が広場の中央へ転がる野盗たちへ向き、それからアルトへ戻る。
「礼を言います。村を救ってくださった」
「いえ」
アルトは軽く首を振った。
「間に合ってよかったです」
それをきっかけに、少しずつ周囲の空気が動いた。子どもを抱えて泣いている女の人、倒れた荷車を起こそうとしている男たち、壊れた柵を見て呆然としている老人。被害は出ている。幸い、今のところひどい流血は見当たらないが、家屋はいくつか荒らされ、家畜を逃がされた家もあるようだった。
リナたちは村人の救護を手伝い、マリナは怪我人の確認をし、ノアは土魔法で崩れた足場を少し整えていた。なるほど、土魔法使いというのはこういうとき頼もしい。さっきの自己紹介が急に実感を伴ってきた。レオも野盗たちの武器を集めて一箇所へまとめている。四人ともよく動く。若いのにえらい。
やがて、先ほどの年配の男が改めて近づいてきた。
「わしはこの村のまとめ役をしておる、ベランと申します」
「アルトです」
アルトが名乗ると、ベランは一瞬だけ眉を動かした。
「アルト……」
そこでサラが一歩出て、穏やかに付け加える。
「新たにこの地を預かることになりました、アルト様でございます」
その瞬間、周囲の空気がまた少し変わった。
「……預かる?」
ベランの声が低くなる。
「それは、つまり」
「はい」
アルトは頷いた。
「これから、ルーウェン地方の領主として赴任してきました」
その言葉に、村人たちの顔には、安堵より先に複雑な色が浮かんだ。ああ、やっぱりそうか、とアルトは思った。歓迎一色にはならないだろうと思っていたが、実際にその表情を見ると少しだけ胸に刺さる。
ベランはしばらく黙ってから、慎重に言った。
「……失礼を承知で申し上げますが」
「はい」
「これまで、あまり良い領主がおられた土地ではありません」
周囲の村人たちも、口には出さないが同じことを思っている顔だった。警戒、不信、諦め。何度も期待して、何度も裏切られてきたのだろう。放置されてきた土地なのだから当然だ。新しい領主が来ると言われても、はいそうですかと信じられるはずがない。
アルトは、ゆっくり息を吸った。
「……申し訳ありません」
そう言って頭を下げると、村人たちが少しざわついた。貴族が頭を下げるとは思っていなかったのだろう。いや、僕も父なら絶対に下げないだろうなとは思う。
「これまでのことを、僕が全部どうにかできるとは言えません」
正直に言った。
「まだ僕も来たばかりで、この土地のことを全部知っているわけじゃないですし、できることにも限りがあります」
ベランは黙って聞いている。
「でも」
アルトは顔を上げた。
「これからは、できることをできるだけやっていきます」
言葉にしてみると、ひどく当たり前だった。けれど今の自分に言えるのは、たぶんそれしかない。立派な約束を並べても、守れなければ意味がない。だったら最初は、小さくても本当のことを言うほうがいい。
「時間はかかると思います」
アルトは続けた。
「すぐに全部よくなるとは言えません。でも、放っておくつもりはありません」
その言葉に、ベランはしばらく黙っていた。やがて深い皺の刻まれた顔のまま、小さく頷いた。
「……そうですか」
即座に信じたわけではない。信じられるはずもない。ただ、少なくとも話を聞く価値はあると思ってくれた、そんな頷きだった。今はそれで十分だろう。
そこからしばらく、アルトたちは村人たちと現状の確認をした。話を聞けば聞くほど、ルーウェンの状況はなかなか厳しかった。道は悪い。流通が弱い。村同士の行き来もあまり活発ではない。魔物や野盗の被害は定期的にあるのに、対処する戦力は少ない。館からの支援は薄く、税だけはきっちり取られる年もあったらしい。
「前の代官は?」
アルトが聞くと、ベランが苦い顔をした。
「おりましたが、ここ数年はほとんど館へ籠もったきりでしたな」
「村へは?」
「めったに」
それでよく回ると思ったのか。いや、回っていなかったのだからそういうことなのだろう。なるほど、父が余り領地と言うわけだ。
ひと通り話を聞き終えたころには、もう日が傾き始めていた。野盗たちは村人たちが縛り直し、明日には近くの詰所へ引き渡す段取りがついたらしい。リナたちとも、ここで別れることになる。
リナが肩をすくめる。
「いやー、なかなか濃い護衛でしたね」
「護衛されてたの、僕たちのほうだった気がしますけど」
ノアが困ったように笑う。
「それは言わないお約束では?」
「でも、わりと本当」
マリナの冷静な返しにレオまで頷いたので、リナが「裏切り!」と騒いでいた。元気でよろしい。
アルトは四人へ頭を下げた。
「ここまで本当に助かりました」
「いえいえ!」
リナが手を振る。
「また困ったことがあったら呼んでください!」
「そのときはお願いします」
ノアが少し言いにくそうにしながら口を開く。
「その、アルト様」
「はい」
「正直……アルト様の水魔法は怖いです」
「正直でいいですね」
「でも、すごかったです」
「ありがとう」
マリナも小さくうなずく。
「敵には回りたくありません」
「それ、褒め言葉ってことで受け取っていいですか」
「たぶん」
たぶんなんだ、と思ったが、まあ悪い意味ではないのだろう。
ルカがぶんぶんと手を振る。
「またな!」
フィオナも小さく裾を持ち上げて礼をした。
「ありがとうございました」
短い同行だったが、悪くない出会いだったと思う。また会えるだろうか。できれば次は、もう少し平和な状況で会いたいものである。
村を離れ、今度は本当に領主の館へ向かう。
ルーウェンの館は、村から少し離れた小高い場所に建っていた。見えてきたときの第一印象は、思っていたより小さい、だった。そして近づいてからの感想は、思っていたより古い、である。
「……年季入ってるね」
アルトがぽつりと言うと、サラが言葉を選ぶように返した。
「趣がございます」
「趣って便利な言葉だよね」
「便利でございます」
そこは否定しないらしい。
石造りの館は、侯爵家本邸に比べればかなり小ぶりだった。というか比べるのが間違っている。あちらは基準がおかしいのだ。だがそれを差し引いても、決して華やかな建物ではない。壁の一部には苔がつき、窓枠は少し歪み、玄関扉は重そうだ。荒れ果てているわけではないが、きちんと手をかけられていなかったことは一目でわかる。
中へ入ると、さらによくわかった。
埃。薄暗さ。使われていない部屋特有の、空気の止まった匂い。家具はあるが、どれも古い。大広間と呼ぶには少し慎ましい食堂、書斎、客間らしき部屋が二つ、あとは寝室がいくつか。最低限はある。だが、快適に暮らせるかと言われれば、首を傾げる。今のままでは少なくとも双子に優しい環境ではない。
「……掃除しよう」
アルトは真顔で言った。それに対してサラが深く頷く。
「そうでございますね」
「ええ。まずそこからです」
ミレイアとガレスは周囲を見回して短く言う。
「寝られる場所を確保する」
「うん、それも」
カイルは荷を下ろしながらぼそっと言った。
「台所も早めに使えるようにしないと、ご飯が作れませんね…」
なるほど、そうだった。寝るところだけあっても食べられなければ意味がない。いや、本当に。衣食住って大事だ。
そこから先は、ほとんど怒涛だった。
窓を開ける。空気を入れ替える。埃を払う。寝具の状態を確認する。使える部屋と使えない部屋を分ける。食器を洗う。竈を確認する。水場を見に行く。薪の残りを数える。サラを中心に全員が自然と動き出していた。リーダーが誰かといえば、この瞬間に限ってはたぶんサラだった。生活力のある人は強い。戦闘ではなく暮らしを回す局面において、サラは間違いなく一行最強である。
フィオナとルカも、できる範囲で手伝おうとしていた。もちろん大きな仕事は任せられないが、小さな布を運んだり、きれいな食器を並べたり、そのくらいなら十分できる。むしろ何かしていたほうが落ち着くのかもしれない。フィオナは真面目に動き、ルカは真面目に動こうとして、たまに布を落とした。そういうところまで含めてルカらしい。落としても前よりすぐ拾うようになったので、成長はしている。
アルトは書斎と食堂のあいだあたりを掃きながら、ふと息をついた。
「なんか、すごいね」
ついついこぼれた独り言を、ちょうど近くを通ったミレイアが拾い首をかしげる。
「何がですか?」
「何がっていうか…状況が?」
「それはそうですね」
あっさり認められた。
「でも、大事なことですよ」
「掃除が?」
「掃除もですし、暮らしを整えること全部が」
ミレイアは窓の桟の埃を布で拭きながら言う。
「魔術も政治も領地経営も、結局は人が生きるためのものです。衣食住が崩れていれば、まともな判断などできません」
「たしかに」
「だから、まずは暮らせるようにする。とても正しい順番です」
その言葉に、アルトは素直に頷いた。父ならたぶんこういう順番の大切さも、結果論としてしか見ないのだろう。けれど今の自分には、こういう話のほうがずっと実感がある。
夕食は、なんとか形になった。
簡素なスープと焼きパン、それに持ち込んだ保存食を少し。豪華ではない。だが、きちんと温かいものが食べられるだけでだいぶ違う。サラが手際よく盛りつけ、双子が席に着き、ミレイアとガレスもようやく腰を下ろした。カイルも、最初は遠慮して壁際にいようとしたが、サラに静かに席を勧められて渋々座った。まだぎこちない。だが、それでいいのだろう。急に馴染めるほうがたぶん珍しい。
湯気の立つ皿を前にして、ルカがぽつりと言った。
「おなかすいた」
アルトは少し笑った。
「うん、そうだね」
フィオナはスプーンを持ちながら、静かに言う。
「……ちゃんと、晩ごはんありつけましたね」
「ほんとによかったよ」
アルトが答えると、フィオナは少しだけ安心したように目を細めた。
その顔を見て、アルトは改めて思う。
衣食住って大事だ。
いや、本当に。ものすごく大事だ。強くなるとか、領地を立て直すとか、武勲を立てるとか、王に認められるとか、そういう大きな話はいろいろある。あるけれど、その前に今日ちゃんと眠れて、温かいごはんが食べられて、明日も起きられる場所が必要なのだ。人間はそこを飛ばせない。飛ばすとたぶん全部だめになる。少なくとも僕はだめになる気がする。双子はもっとだめだ。なので、まずは暮らす。そこからである。
「何か、変なこと考えてます?」
サラがスープをよそいながら訊いてきた。
「衣食住って大事だなって」
「今さらでございますね」
「今さらだけど、すごく思った」
「ええ。大事でございます」
サラは当然のように言った。屋敷のころから使用人って縁の下の力持ちだなとは思っていたが、この状況ではサラがいること自体が心強く感じるほどとは。貴族とは使用人がいなければ案外何もできないのではないだろうか。
「ですから、明日からも働きますよ」
「やっぱりそうなるよね」
「そうなります」
サラとのやり取りを聞いていたミレイアが横からくすりと笑う。
「領主のお仕事はまだ始まったばかりですものね」
「せめて今夜くらい、始まってないことにできないかな」
「できません」
即答だった。世の中は厳しい。
けれど、そのやり取りに少し笑う余裕があるだけでも、今日は悪くなかったのかもしれない。
外はもう暗くなっていた。館の窓の外には辺境の夜が広がり、風が少しだけ木々を鳴らしている。屋敷にいたころとは違う音だ。違う匂いだ。違う空気だ。
それでも今、自分たちはここにいて、食卓を囲んでいる。
怒涛の一日だった。見送りがあって、旅があって、村を助けて、領民と話して、館へ入って、掃除して、食事を用意した。詰め込みすぎではないだろうか。たぶん詰め込みすぎだ。だが、そんな日が本当に終わりへ向かっている。
アルトはスープを一口飲んで、そっと息を吐いた。
「今日は、長かったね」
その呟きに、双子が真顔で頷いた。
「ながかった」
「とても」
その双子の素直な言葉にサラはくすくすと笑い、食器の片づけを始めた。
「今日はお疲れでしょう。続きは明日また始めればよろしいのです」
その通りだった。
怒涛の一日は、こうしてようやく終わっていく。
問題は山ほどある。片づいていないことも、まだ何一つ始まっていないことも多い。けれど、とりあえず今夜は眠れる。温かい食事もある。双子もここにいる。
なら、今日はそれで十分だ。
そう思いながら、アルトはもう一口スープを飲んだ。温かくて、少し塩気が強くて、でもちゃんとおいしかった。今の自分たちには、それが何より大事だった。
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