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43. 解散、そして


 王家の紋章が描かれた黒塗りの箱馬車が、第一王女隊の騎士に先導され城門を出た。後には荷を乗せた馬車が続き、行列の左右、殿を護るように進むのも、儀礼服を纏い、装飾された馬に跨る第一王女隊である。

 ナディーンの嫁入り行列だった。

 このめでたく華やかな行列を一目見ようと、王都は人で溢れかえり、広いはずの大通りは半分程の道幅になっている。都の守備隊が総出で規制線を作るように並び立ち、行列の通り道を確保していなければ、幾度となく止まらねばならなかっただろうことが容易に想像できる混雑具合だった。使節団の一員として、海を渡る危険な公務を立派に果たした王女である。その幸多い人生を願って、祝福の声で満たされていた。第一王女隊は無表情の下に誇らしさと警戒を同居させたまま行進する。バラガラル公爵領との領境まで。それが第一王女隊の、最後の任務だった。


「皆、大儀でした」


 迎えに来たバラガラル公子と領兵へと引き継ぎを終え、整列した第一王女隊に向けて、ナディーンが凛として労いの言葉をかけた。短いその一言には、編成以来の八年間の全てが込められている。家族との別れは王宮で済んでいるが、ここから本当に、王女として持っていたものを手放していくのだ。第一王女隊は最敬礼を以って、ナディーンを見送った。


 帰投した第一王女隊を、国王と近衛騎士団長が待っていた。解散式が行われ、国王が退席すると会場は慰労の場へと様変わりする。式典に参列していた隊員達の身内も加わって各所で会話が生まれ、会場の緊張が緩んだ。タインも赤い羽の立つ儀礼帽を小脇に抱え、ジョセリン達と二言三言言葉を交わして父母の元へと歩み寄る。


「立派だった」


 レナードは満足そうに頷いた。タインは微笑みながら、凪いだ気持ちでその言葉を受け取る。

 タインにとって父とは、家長である。家族の役割を決め、最後に結果を見て評価を下す人物。だから平民の間では珍しくはないという、家族の情が育まれる機会はなかった。認められて嬉しい、といった感情は生まれてこない。

 強い反発を抱いていた時もあったのだ。どうして自分だけ。姉や妹は傷一つつかないように安全な場所で守られているのに、どうして自分だけ男の真似事をして、痛い思いや怖い思いを沢山しなければならないのか。スウェイズ家の為に皆それぞれの役割があるのだと、その説明を頭では理解できた。それでも。未成熟の、柔らかかった心は沢山傷ついてきたのだ。だがその反発をぶつけられる場所に父はなく、脆い少女だったタインを慰め導いてきたのも折々居合わせた者や指導者達であり、父ではない。結果的に、多くのことを知ったから、姉妹のように何も知らないまま嫁がされるよりずっと良かったのだと思えたから、主人に恵まれたから、やってきたことに誇りを持てたから、幼かった頃の反感を弔えているだけだ。


「無事今日を迎えられたのは、皆が支えてくれたお陰です」


 それが誰を指しているのかを示すように会場に視線を巡らせると、ジョセリンやミスティー、ブルックの様子も目に入ってきた。彼女達も各々、身内と言葉を交わしている。タインと同じような余所行きの微笑みで。


「そうだな、近衛騎士団長や第一王女隊の隊長にも、挨拶をしてこよう」


 にこやかに並び立っているリンディを伴って、レナードは人の間を縫って行く。また後でね、と示すようにリンディは目配せをしていった。後にはウィンダムが残る。


「来てくれたんですね」


 タインは一息入れて向き直った。


「来ないわけがないだろう。貴女の長年の献身が、労われる日だ。任務完遂、おめでとう」

「ありがとうございます」


 タインの表情が自然と緩む。


「ダンスに誘えれば良かったのだが。肝心な時に不自由をさせるな」


 会場の中央では、楽団が奏でる旋律に乗って男女が手を取り合って踊っていた。開放的な気分になった騎士達によって、一般的な夜会よりも雰囲気が砕けている。ウィンダムは難問に行き当たったかのような顔でそれを流し見た。ウィンダムの足には後遺症が残ったのである。処置が遅れた所為なのか、安静にできなかった所為なのか、ただ場所が悪かったのか。骨は繋がったが違和感が残り、ぎこちない歩行になるのだ。時折痛みもして、杖を持ち歩くようになった。


「それとなく圧力を加えられて良いと思っていたのだが、良いことばかりでもない」


 ゴーウーボー、或いはツァマーグに対して、ということなのは、訊かなくてもタインにも判る。本人がこの調子であるから、後遺症そのものに関しては慰める必要が全くない。故に呆れた目になる。


「ダンスなんてもう長いことしていませんから、忘れてしまいましたよ。それよりも座れる場所へ行きましょう」

「いや、今曲調が変わった。これならいけるのではないかと思う。今日は痛みがなくて調子が良いのだ。少し不恰好にはなるから、貴女は嫌かな」

「気持ちは嬉しいです。でもこんなことのために無理はしないでください」

「関節の問題は筋肉で補強すると良いと聞いた。私の足にも良いのだ」

「筋肉は一日にしてなりません。今日だけ頑張っても駄目ですよ。継続が必要です」

「今日から毎日貴女と踊ろう」

「何を言っているんですか。そんな暇ないでしょう」


 ウィンダムの目に不服が滲んだ。


「貴女の特別な日なのだ」


 ウィンダムは通りかかった給仕を呼び止める。タインは杖を預けようとするウィンダムの腕を押さえ、ゆっくりと首を振った。祝いたい、或いは労いたい気持ちがウィンダムを頑固にさせているのだと思うと、タインは呆れてばかりもいられなかった。


「一番来てほしい人が来てくれたんですから、もう十分ですよ」


 タインは身体を動かすことは嫌いではないが、踊り明かして祝うよりも、しみじみとこの日を味わいたかった。ウィンダムがいなくても、ジョセリン達と共に、第一王女隊の隊服を身に纏えるこの最後の日を、談笑しながら過ごしていたことだろう。


「貴女はいつの間にか私を喜ばせるのが上手くなったな」


 ウィンダムはもごもごと、らしからぬ滑舌の悪さになった。喜びと不満が喧嘩をして、険しい表情になっている。


「そうですか? それは良かったです」


 タインは可笑しさを隠さず笑い、用事を言いつけられるのを待っていた給仕からグラスを二つ受け取る。ウィンダムが片方を受け取ったことで、ダンスの件は決着がついた。


「少し、安心した」


 ウィンダムは喉を潤し一息つくと、表情を落ち着かせた。


「何がです?」

「消沈しているのではないかと思っていたのだ」

「……そうですね。意外と気持ちは落ち着いています。寂しさはあるんですけど、でも、そこまで気落ちしてはいないんですよ」


 タイン自身が予期していた虚脱感はやってきていない。会場の中央へ目を向けると、妻や婚約者、身内の女性達と踊る、第一王女隊の隊服が見える。彼らのその姿も、今日で見納めだ。


「最後に殿下が一人一人の顔を見て、お言葉をくださった時。泣きそうになったんですけどね。ただそれは、離れ難かったのではなくて。立派に育った殿下を見送れることが、誇らしかった」


 初めての公務で、緊張を必死に誤魔化していた初々しい少女の頃から、見守ってきたのだ。婚約者との関係は良好であったから、婚家での扱いにも不安なく見送れた。ある種、姉のような気持ちもあったのかもしれないと思うと、タインは眉を顰めた。


「不敬ですね」


 近衛騎士風情が、王女に対して立派に育ったなどと。ましてや姉のよう、とは。


「いいのではないか。王女殿下を支えてきた人間の内の、一人なのだ。それに聞いているのは私だけだ」


 タインが目線を戻すと、自分を認めてくれる人間の、穏やかな目がある。タインは微笑んだ。


「それにこれから、遣り甲斐のあることが控えていますから。多分それが、大きいんだと思います」


 ウィンダムは片眉を上げた。


「貴女の中で私がただの手のかかる人間になっていないか、心配になるな」

「違うんですか?」


 タインが揶揄うように声音を軽くすると、ウィンダムは苦笑いになる。


「挽回したかったのだがな」


 タインは短く笑うと直ぐに表情を改めて、半歩進んでウィンダムとの距離を詰めた。周囲の耳を気にするように素早く視線を巡らせ、声を潜める。


「近いうちに、また渡航予定なのでしょう?」


 グルバハル関連で、きな臭い噂が密やかに流れているのだ。ツァマーグが独立するのではないかと。真偽や、ユールガルがこれにどういう態度を取るのかまではタインは知らない。それでも最低限、接触を図るだろうことは判る。ウィンダムは目線だけで頷いて見せた。


「結婚式を早めるよう、父を説得してください」


 一人で行ってしまう前に、同行できる立場を得なければ。格式や体面などより、タインにはそちらの方が重要だった。

 ウィンダムは呻き、天を仰いだ。


「ウェン?」

「解ってはいるのだが。そのおねだりは凶悪だな」

「えっ。駄目ですか?」

「そうではない」


 ウィンダムは深く深く吐息して、杖を持つ手をタインの腰に添えて引き寄せた。近くにきた肩口に顎を置くようにして首を垂れる。苦悩を示すように眉間の皺は深い。


「私も早く、貴女が欲しいからね。頑張るよ」


 何かしらの感情を抑えているかのような声に、タインはそわそわと落ち着かない気分になる。


「ウェンのそれは、恋ですか」

「ああ。偽りなく」


 この期に及んでただの生理的事情と思われてはたまらないと、ウィンダムは力強く答えた。だがそうではない。タインは何も言わずにいるのは公平ではないと思ったのだ。


「私のはきっと、愛の方です」


 ウィンダムの喉が締まったような音がした。


「貴方のように、利己的なものではありませんからね」


 それが何故だか誇らしく、なんとなく勝った気分になるタインである。


「これはなんの拷問なのだ。離し難くなるではないか」


 ウィンダムは苦々しげに呟き、それでも一度腕の力を強めてからタインを解放した。


「良かった。このまま二人の世界に引きこもられたらどうしようかと思いましたよ」


 思わぬ近さからの声にぎょっとしてタインが振り返ると、グラスを持ったクレイグが数歩の距離にいた。


「長年苦楽を共にしてきた仲間との別れの会だからね、弁えているよ」


 ウィンダムは微かに口角をあげた。そこに皮肉な色はなく、クレイグも初めこそ仏頂面ではあったが、マガトラム子爵領の状況を中心に話題は穏やかなもので、互いに蟠りがあるようには見えなかった。男性騎士達はウィンダムが傍にいる為か、いつもの無神経さを発揮せず、タインは白々しい気持ちで応対することになった。ひと踊りしてきたジョセリンとダスティンが加わると、いつの間にか外交官同士の情報交換が始まったり、合流したミスティーがそれを見て、今日の主役はタインとジョスなんですけどね、と嫌味を飛ばしたり、ブルックが外務局に伝手を作ろうとしたりと、そこそこに騒がしい、日常の延長のような最後の夜が更けていった。


 そうしてタインは騎士服を脱ぐ。

 翌日には隊舎を引き払い、スウェイズ家に帰る。家政について教えを乞い、準備が整い次第マガトラム子爵領に向かう予定でいた。王都よりは、ゴルデアに近い。どこかの段階で、せめて式を挙げる前に一度なり、辺境伯に挨拶に行きたいと思っている。子爵領に着いてからも領地について学ばねばならない。日程が随分と詰まるだろうから、これが一番の悩みどころだ。

 今までは全ての生活が王女を中心に回っていた。これからは多種多様な事柄を捌く、時間的余裕のない人生になるだろう。外交官の妻になるのだから、ついていくと決めたのはタインであるから、何も不満はなかった。納得して受け入れてほしいと言っていたウィンダムの言葉通りになったことに気付いたが、術中にはまった感覚はない。なるべくしてそうなっただけだ。だから悔しさだってない。そして驚くべきことに、気落ちの気配など露程もなかった。タインは来るべき忙しさを、楽しみにしているのだ。

 皺にならないように騎士服を畳みながら、タインの気持ちはもう、予定よりも早く始まることになった、第二の人生に向かっていた。






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