42. それぞれの展望
婚姻の時期は、なるべく早くということしか決められなかった。見計らわねばならぬ時期というものもある。タインの父と協議の上で決めることだ。ただ、スウェイズ家の名に恥じない格式にすること、招待客が政治上の繋がりが多くなることは決まっていて、タインにも否やはなかった。強いて言うならドレスを着て見せ物になるのはごめんだという気持ちはあるが、ユールガル貴族にとっての結婚式というものは、そもそもが政治的見せ物なのだ。レナードもウィンダムも効果的に使いたいであろうから、避けられないことである。
王宮に帰り着けば、タインは日常に戻る。ウィンダムは忙しく、連絡が取れていない。ウィンダムの怪我は事故によるものとなり、王女の無事を以って、友好姿勢を示したとされた。国交に関しての条件の擦り合わせが始まっており、また反対勢力の策略を躱しながら会議に交渉にと奔走している。
イーノックは改めて内密に取調べられた。結局背後に特定の人物を確認できず、個人の犯行として公にはされないまま、病死として処理されている。
グルバハルへの輿入れを正式に断ったことは、ナディーンの婚姻の準備が始まったことで判明した。ナディーンはかねてより婚約を結んでいた次期バラガラル公に嫁ぎ、第一王女隊は解散することに決まった。ブルックやミスティーはナディーンに推薦状をもらい、女官の道への顔繋ぎを始めている。ジョセリンは第一外務局の局員、ダスティン・カーライルと順調に話を進められているという。
「王都に新居を構える予定だから、住所が決まったら連絡するわ」
「式は?」
「タインよりは細やかにするつもりよ。ダスティのご両親の交友関係は混み入ってないから、招待客も外務局の人間が中心になると思うわ。時期はタインの式が決まってからにしようと思ってる。うちの方が融通利くから」
「うわあ。もう愛称呼ぶほど仲が良い」
ミスティーが喜びたくはないが悲しむこともできない、嘆き寄りの顔をした。
「ミスティーにも招待状出すけど来てくれないの?」
「行くけど、行くけどぉ!ちゃんと祝えるけどぉ!」
「良かった。嫌がらせになるようなら流石に考えなきゃと思ってたから」
ジョセリンが微塵も悩んでいた様子のない微笑みで頷く。
「私も出していいの?」
タインもついでとばかりに訊いた。出欠はミスティーの自由であるから、矢張り訊くまでもなく招待状を出す予定だった。
「ちゃんと祝うからちょうだい」
ミスティーは複雑な顔のまま頷き、ややして、気遣うようにタインを見た。
「タインは祝われて嬉しい?」
タインはどう説明すべきか考えながら口を開く。
「私も。ミスティーみたいに結婚を人生の喪失みたいに思ってたんだけど」
夫に、婚家の両親に従い、子を産み、家の維持のためだけに一生を費やす。それまでタインが積み上げてきた経験は殆ど役に立たない。獲得した知見を仕舞いこみ、自分の意見を持たない、従順で淑やかな別の人間にならなければならない。別の人間であるならば、それがタインである必要はあるだろうか。ただ死ぬまで生きるために支払う対価として、タインを構成する殆どのものを捨ててしまえるだろうか。捨てることができたとして、それは生きていると言えるのだろうか。そうは思えなかった。
だからウィンダムとの婚姻を受け入れても、直ぐには婚姻後に想像を巡らせることができていなかったのだ。
「でも。そうじゃない結婚もあるのかもしれないと、今は思ってる」
ウィンダムはそれを、ずっと示してくれていた。不安はある。それでも、ウィンダムが共に歩む姿勢を見せ続けてくれるのであれば、悪いようにはならないと思えるのだ。
「くっ…! そうまで言わしめるなんて、どんだけいい男なの……!」
穏やかな、温かみのあるタインの表情に察するものがあったかのように、ミスティーは歯噛みした。素直には認められない、ある意味素直なミスティーに、タインは破顔した。
「祝ってよ。私、国外での警護を勝ち取ったの。最前線で国益を護ってくるわ。妻だからできる仕事よ」
「え。どういうこと」
「そのままの話よ」
「妻という名の護衛。なるほど、ラザフォード卿はタインの手懐け方を熟知していたか……」
初耳のミスティーは目を丸くし、ある程度聞いていたジョセリンの相槌を挟んで、ブルックが手早く要約して頷いた。
「ブルック、言い方。綺麗に裏返ってるから」
タインは軽く目を眇め、ブルックは悪びれずに笑う。
「相手は敏腕外交官。交渉の手法には事欠かない。つまりタインの攻略法だって簡単に組み立てられちゃう人間なんだよね。そんなの解ってた」
ミスティーがブルックに乗っかる形で深々と息を吐き、項垂れた。
「私が敗けたみたいになってるわ…微妙だわー」
「ミスティーなりにラザフォード卿を認めてるってことよ。きっとそう」
ジョセリンの手が慰めるようにタインの肩を叩いた。
国交は半年と経たず結ばれた。国内の会議は殆どの時間がリガラド侯の説得に費やされたそうで、「お陰で道筋が整った。あれがリガラド侯の援護の仕方なのだ」とウィンダムが言っていた。タインは何かの間違いで政治の場に出ることがあったら、敵味方の判別さえできずに踊らされる危険性を感じて、遠い目になったものだ。
ウィンダムは子爵に陞爵し、海岸沿いの領地を拝領する。
「マガトラム子爵領って、今一番荒れてるところじゃないか」
兵舎の食堂で共になったクレイグが、肉をつつきながら心配の滲む目をした。
使節団妨害の件で王家預かりとなっていた土地である。これといった特色のない漁村を中心とした地域で、決して裕福とは言えない財政状況だったのだが、いつの間にか栄えており、それはツァマーグとの密輸の結果だった。調査を終え、問題が明るみに出た状態で引き継ぐことになる。
「丁度良いところを貰ったって言ってたから、外交的に使えるんじゃないかな」
あの無茶なツァマーグ領への訪問でどういった関係性を築いてきたかは判らないが、関わりのある土地であるから、ウィンダムには好都合なのかもしれない。とはいえ領地経営も学ばねばならないのだ。ウィンダムとは陞爵の手続の際に一度会ったきり、また会えなくなっていた。連絡は取れるようにはなったが、結婚式など催している余裕があるのか疑問になるほどだ。手紙には会いたいの言葉が定型文のように必ず記されているのだが、稀に、会いたくて死にそうだと僅かに文脈が乱れるので、不安になる。
「丁度いい……のか。数字に強い奴とか、必要か? 立て直しからだろ?」
「必要でもクレイグに都合つけてもらうのは無しでしょ。立場考えなさいよ」
タインが断る前に、同じテーブルに合流してきたブルックが窘めた。タインはクレイグとのことは誰にも話していなかったのだが、グルバハルで揉めていた現場を目撃していた同僚から漏れているのだ。
クレイグは言葉に詰まる。
「し、心配するくらいいいだろ」
「未練がましいわ」
「そういうことじゃない。そりゃ、そんな直ぐは、あれだけど、だからって違うからな」
「ま、まあまあまあまあまあ。いざとなったらスウェイズ家から人出すこともできるから、大丈夫だよ。ありがとう」
タインは慌てて割って入った。笑い話にするには、まだ日が浅い。
「それよりクレイグ、異動の話蹴ったって聞いたけど、どうするの?」
「ああ、家に帰るんだ。元々解散を目処に家の軍の指導に入る予定だったからな」
話題が変わって、クレイグはほっとしたように食事を再開する。
「英雄のとこの兵に外からの指導が必要なことなんてあるの?」
ブルックもしつこい性質ではない。話の流れに乗った。
「あのなあ。爺さんの代の話だぞ。調練を怠っているわけじゃないが、戦だって暫くしてないし、新しい知識も必要だろ」
「近衛の知識なんて領兵に必要?」
ブルックの発した問いはタインも同じくするところだ。
新たな戦術などは戦場に近い方が生まれやすい。現場から一番遠い王宮で育まれるのは防衛に関するものが主で、更に軍勢に踏み込まれることもなく平穏が続いていれば、新たな防衛技術も生まれ難いというもの。
「要人警護に関しては、近衛騎士団が最先端だからな」
「それはそう?」
タインとブルックは顔を見合わせて首を傾げる。地方の領と比べる機会もなかったので、今一頷けないのだ。
「ボーデンもそうだぞ。ノックスは事情が違うけどな」
ノックスは三男だが急遽家を継ぐことになった。嫡男が家を継げなくなる事態はまま起こる。そんな時の為の次男なのだが、これも継げなくなったらしい。ノックスはタインと顔を合わせると、家を継ぐ話の流れで思い出したように今まで雑に扱っていたことの謝罪をし、ドレスを着た女性に対する礼儀正しさを見せた。将来子爵夫人としての付き合いが生じる可能性を意識したのだ。間違った対処ではないのだが、タインが思わず「気持ち悪」と口走ったとしても致し方ないことだったと、現場に居合わせた者達は語っている。




