39. いつかの約束
ウィンダムは首尾を、ロチェスターはガーカムの状況を報告し合う。
ウィンダムが話すのは警護に関わることだ。反対勢力が野放しになっていたことの責任を認めさせ、使節団がグルバハルの領海を出るまでツァマーグ籍の船の出港を制限する約束を得たということ。
ロチェスターは、ナディーンに対する不穏当な動きはなかったこと、予定通り明日の出港準備が進められていること、拘留されているツァマーグ族の男達は口を割り、ヒヅォーグはガーカム族の関与はないと主張していることを話す。
「私はこれを信用すべきではないと思っています。偶然で仕掛けを知るなど、話がうますぎる」
ヌースラが優先すべきはナディーンの通訳である為、全ての取調べに同席させることは叶わなかった。情報操作の隙があるのだ。
「そこを詰める時間はもうありませんね。仕方ありません、一先ずはそのまま持ち帰りましょう」
ウィンダムは、少なくともヒヅォーグの関与はないと見ている。仕掛けの情報を提供した人間が身内にいるならば、内密に突き止め、処分したいだろう。ただでさえ、ウィンダムがツァマーグに突撃する様を見ているのだ。あの臆病な男ならば、付け入られる隙を少しでも排除したい筈だ。脅しすぎたのかもしれなかったが、致し方ないことだ。
「それからイーノック・ガイルですが、捕らえました。男爵や殿下とは別の船で護送します」
「そうですか。面倒をかけます」
「此方は我々が吐かせましたが、話してもよろしいですか」
ロチェスターは顔色を窺うようにして問うが、心の準備を促す、前置きだ。
ウィンダムは命を失いかけている。裏切り者の話など不快なだけであろう。それが身近な、部下であるから尚更だろうと予想もつく。だが使節団の責任者としては知っておかなければならないことで、外務局として今後の対策を考える上でも同様であるから、拒絶されても話さねばならない。
ウィンダムは疲労を逃すように一つ、息を吐く間を置いただけだった。
「聞きましょう」
ロチェスターは頷き、口を開く。
イーノックは補佐官に昇進した当初から、ウィンダムの失脚を企む話を持ちかけられていた。そういったことが度々あると入局時に注意を受けていたので、初めは報告をし、ウィンダムの指示を仰いでいた。やがて新しい仕事にも慣れ、謀略への対処も自身でできるようになると、事後報告になった。
此処までは事実確認として語られ、ウィンダムが頷くことで裏取りは成される。そこからはウィンダムも知らない、イーノックの事情だ。
イーノックにとって煩わしくて不快なだけだったそれは、やがて魅力的な誘惑に感じるようになった。
貴方には能力がある。貴方ならウィンダムの代わりを務められる。そう言い続けられると、忙しさで放置することになっていた上昇志向が蘇り、有能であるが故に可能性を強く感じた。あんな、いつ裏切るかわからないザムルの血が入った男より、貴方の方が相応しい。その言葉をその通りだと思うようになった。
一度ウィンダムが未帰還者とされた時。代わりを務め、局長の座に手が届きそうになったことも大きかった。更には今回の渡航で、ツァマーグの領主を相手に手応えを得ると、自分は通用するのだと、明確な実感も胸に刻まれた。
だがどれだけ力を示し功績を挙げても、ウィンダムがいる限り局長の席には座れない。イーノックはウィンダムと五つと歳が離れていない。イーノックが働けるうちは、何事もない限りウィンダムが局長で居続けるに違いないのだ。
だからツァマーグで反対勢力と接触した時、簡単に魔が差した。直接手を下す必要はない。少しだけ、部屋の配置に口を出し、ちょっとした情報を流すだけだ。たったそれだけ。だから、簡単に。
「特定の誰かの手駒にされていたわけではないということですか」
「はい、誰の指示も受けていないとは言っています。その辺りは帰国後に調べますので、情報提供をお願いします」
「直ぐにでも」
ロチェスターは頷くと、他に話がないことを確認して立ち上がる。
「海軍への伝達は此方でしておきましょう」
最後にウィンダムの身体を気遣うように請け負って、ロチェスターは退室した。ウィンダムが吐き出した息には、疲労の色が濃い。
「休みますか」
タインはそっと声をかけた。ウィンダムの答え如何では、タインも辞した方が良いと思ったのだ。ウィンダムは下ろしかけていた瞼を持ち上げて、じっとタインを見上げた。無言の時間が続き、ウィンダムの右手がロチェスターの座っていた椅子に招くように動いた。タインはそこに腰を下ろしたが、代筆を頼むわけでもなければ、眼鏡を所望するわけでもない。病気で体が弱っている時などは、人恋しくなる時もある。それだろうかと思いかけたタインの耳に、ウィンダムの声が届いた。
「引き止めてすまない。矢張り、一人にしてくれるか」
その声の温度のなさに、タインはひやりとする。何かは判らない。判らないが、いい知れぬ不安を掻き立てられた。ウィンダムの望むようにすべきなのか、迷う。迷う気配を察したウィンダムは、言いにくそうに付け加えた。
「貴女を気遣う余裕がないのだ」
人恋しさではない。タインの為に引き止めたのだ。そう理解すると、尚更迷いが生まれた。宙に向けられているウィンダムの目には疲労はあるが、眠りたいようではない。身体的なことが原因ではないように見受けられた。
「構いませんよ。私も…貴方に甘えたんです。子供みたいに。仕返しされたって、おあいこですよ」
これで拒絶されたら、本当に引くべきだ。タインは重くならないよう、言葉を選んで最終確認をした。ウィンダムは笑いたいように頬を歪め、ややして。諦めたように目を閉じる。沈黙は長かったが、拒絶の反応ではないと解釈して、タインは居座ることにした。
「時々。……人間を見限りたい気分になるのだ」
やがて静かに吐き出された言葉は、想像以上に重い意味を持っていた。タインは息を呑んで、躊躇いがちに問う。
「ユールガルの人間を、ですか」
「何処に生きていようが、人間なんて皆同じだよ。ただ、まあ。だから。要するに私も同じなのだ。際どいことも、沢山してきたからね。私が思うように、他の誰かにそう思わせる人間でもあるのだから、大上段に構えて言うことでもない」
理屈に落とし込むことで虚無感に沈み込むまいとしているように、タインには思えた。うっすらと開いたウィンダムの目は、タインのいない空間に向けられる。
「目をかけていたつもりの人間に裏切られるのは、私でもまあまあ堪えるようだ。返ってきた、だけなのだがな」
軽口にしようとして、声音の重さで失敗している。返ってきただけというのは、その通りなのだろう。そういった世界で、ウィンダムは戦っている。タインは何度も躊躇して、口を開いた。
「局を、……辞めたいと、思ったことは」
そんなに辛いのなら辞めたらいいなどと、無責任なことは言えない。辛くとも投げ出さない理由が、ウィンダムにはあるのだろうから。だが好きで続けているのだとは、とても思えなかった。
「思うことはある。だが、ゴルデアを戦場にするわけにはいかないのだ」
嗚呼、と漏れそうになった吐息を、タインは呑み込んだ。
この人は、ウィンダムは。故郷を愛しているのだ。生まれた場所が、その場所の持つ事情が、外交官を、第二外務局を選ばせた。ユールガルとグルバハルが戦端を開けば、ザムルも呼応する。逆もまた然り。それこそ、途中で投げ出したりなどできないのだ。タインはかけるべき言葉を見つけられず、そっとウィンダムの右手に手を添える。ウィンダムは無反応に見えたが、やがてタインのその手を握り込んで、瞼を下ろす。
「こういうのは、いいな。まるで労られているみたいだ」
「労っているんですよ」
タインはそうすることしかできないもどかしさを声に乗せないように、気をつけなければならなかった。タインの手を握る力が、強くなる。
「またあれを言ってくれるかな」
「お仕事頑張ってください、ですか」
「うん」
「いくらでも言いますよ。お疲れ様でしたも言った方がいいですね」
「ああ」
「よく頑張りましたも言いましょう」
「いやそれは……子供のようではないか」
目を開いたウィンダムは、困惑したように眉を寄せる。
「そうでもないですよ。峠を越えた病人が大人でも、医者が言うこともあるでしょう」
「それは意味合いが違うのではないか?」
「似たようなものです」
「そうか……?」
ウィンダムは腑に落ちないように考え込んだ。それから迷うように瞳を揺らがせて、タインを見る。
「貴女は。私の傍にいてくれるだろうか」
ウィンダムはタインを置いて外交に出る。だからこれは、物理的な距離の話ではないのだと、タインは理解した。ウィンダムの手を、握り返す。
「ええ。夫婦になるのですから」
タインは妻の何たるかを、まだ理解できているわけではない。それでも。裏切らないと断言することはできる。添い遂げる約束は、できるのだ。ウィンダムは泣きたいような顔を一瞬だけしたかと思うと、喉奥に力を集約して、すぐに解放した。
「いつか」
発した声は、穏やかだった。
「私が職を辞す時が来たら。無人島に旅行に行かないか」
タインは瞬く。
「無人島、ですか」
「ああ。クォン島では随分情けない姿を晒してしまったが。あれはあれで、それまで考えられないほど伸び伸びとできていた。私は楽しかった。柵も、貴女以外の人間の目もない。ある意味、浮かれていたのだ。帰還を諦めていたわけではなかったが、もし帰れないのであれば、あのままずっと、二人きりで生きていくことになるのも悪くはないと思っていた」
ウィンダムは懐かしむような顔をした。
「貴女は? 楽しくはなかったかな。私というお荷物を抱えていたから、気を抜くことはできていなかったのだろうね。だが表情は豊かで、少なくとも、今よりずっと開放的な気分であったように見えたのだが」
「そう、……ですね」
タインは何度も瞬き、思い出すようにして考える。確かにあの時は、今日の食事は、明日の食事はどうしようか、危険生物はいないだろうか、どうしたら帰れるだろうかといったことに頭を悩ませはしたが、俗世の面倒な一切合切からは解放されていた。互いの立場など何の役にも立たない状況であったから、今より余程、遠慮もなかったように思う。
「遭難でなければ、私も楽しめると思います」
「では、決まりだな」
ウィンダムの目元が、満足そうに緩んだ。




