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40. ちゃんと見てたから


 使節団は無事に出港した。

 ヌースラはもう通訳の必要がないのだからと、船を別にする案が持ち上がっていたが、イーノック捕縛への協力で疑いの目は殆ど晴れて、ナディーンと船を同じくすることを許された。いくら疑惑があるからといって、女性一人を軍艦に乗せるのは危険だと主張していたタインは、これに安堵したものだ。

 使節団用に改装された武装商船は個室を増やされたが、それを与えられるのはナディーンと侍女達、艦長とロチェスターまでだ。他は皆、大砲の合間にハンモックを吊るして眠る。ヌースラは女性騎士に割り当てられた区画で寝ていた。これが軍艦となると、布で仕切る程度の、この女性に与えられる区画すらないだろう。嫌疑のかかる女に対して、配慮の意識が低くなるのは目に見えている。

 海軍とて規律はある。倫理観もあるだろう。だが、タインにとっては似非紳士集団とはいえ、体裁に厳しい近衛騎士達から見ると多分に荒くれ者で、航海の実態を知ると、女性の安全、まして見るからにグルバハル人であるヌースラの安全に関する信用は、とてもではないができなかったのだ。娼婦の経験があるからといって、性に対して奔放に見えるからといって、飢えた狼の巣窟に放り込んでいい理由にはならない。これにはそれまでヌースラと距離を置いていたジョセリンやブルックだけでなく、ミスティーも危機感を覚えていて反対していたから、共に胸を撫で下ろしている。そしてイーノックの件は、ジョセリン達の態度を軟化させるきっかけになった。功績を正当に評価する意識は、皆持っている。


「どうしよう。あの生き様はある意味格好良い気がしてきた」


 厳しい目に晒され、疑われることも承知で使節団に加わり海をも渡ったのだと知ったミスティーが、苦悩している。愛人という、男の不誠実の象徴であるその存在をミスティーが許せるはずもなく、ヌースラに対しても一際厳しい目を持っていたのだ。


「これから娼婦になるには少しとうが立ってない?」

「そういうことじゃないわ」


 ブルックがぎょっとし、ミスティーが顔を顰める。


「彼女の胆力は相当なものよ。生まれが違えば私達と肩を並べても引けをとらなかったでしょう。私達はただ、資質を認めただけよ。それでいいじゃない」


 ジョセリンも愛人を肯定はしないが、苦境にも折れず目的を見据えて立つ強靭さは、純粋に好ましいのだ。


「文化の違いっていうか…男性観? はちょっとよくわかんないけどね」


 ブルックが呟くと、皆しみじみと頷いた。

 完全に相容れたわけではないが、ヌースラはそれほど気にしていないようだった。


「スウェイズ様が撒き餌の提案をしてくださったおかげですわ。先程はカードゲームに混ぜていただきましたのよ」


 することのない退屈な船旅で話し相手が増えて、ご機嫌なのである。タインは曖昧に微笑んでおいた。提案はしたが、実行し完遂したのはヌースラなのだから。

 当然、誰もが態度を軟化させたわけではない。


「お前が面倒見てるのは知ってたけどさ、ミスティーまで……馴れ合いすぎじゃないか? どうなってんだ、おっかない女同士、気が合うのか?」


 不可解そうに問うのは、タイン達が危険性を指摘しても、娼婦から貴族の愛人に成り上がった女なのだから船乗りも上手く捌けるだろうと、軍艦送りを問題視していなかった男だ。普段から可愛げがないと見做した女には砕く心のない男なので、今更立つ腹もない。


「あんたは一生解らなくていいわ」


 タインは半眼で流し見て、太陽の当たる最上部の、露天甲板に上がる。

 本日は快晴。波は比較的穏やかで、三本ある帆柱に張っている帆は風を受けて弧を描いていた。船では警備場所が限定的で、多くの騎士が非番になる。天候に恵まれた日は殆どの人間が露天甲板に上がっていて、混雑していた。タインは艦長やナディーン達の個室がある為二層高くなっている船尾に足を運び、ウィンダムの乗る軍艦を確認するのが日課になっていた。

 変わりなく後に続く軍艦の姿には安心するが、ウィンダムの体調は見えないから不安は付きまとう。船医はいても、航海が長引けば衛生状態や食事事情が悪くなる。然りとてタインが同乗していたとしても、できることはない。このまま天候に恵まれ、順調に良い風が吹いてくれることを願うばかりだ。

 そうして特にすることもなく手摺に寄り掛かり、ぼんやりと軍艦や海を眺める。タインも非番が長いから、考えごとをする時間も増えた。

 例えばロチェスターのこと。

 ロチェスターはタイン達女性騎士にとっても、悪い指揮官というわけではない。今回のヌースラの件一つとってもそうだ。ただでさえ体験したことのない暑さの中での前例のない長期遠征任務、慣れない船旅、逃げ場のない船での共同生活。ロチェスターは、問題が起きる前に隊内の不満を一つでも解消しておきたかった筈だ。隊の維持の為に、少数の女性騎士より多数の男性騎士を優先するのは然程咎められることでもないのだが、タイン達の反発を無視しなかった。直接的に聞き入れたという姿勢をとったわけではない。ヌースラの貢献を強調し、その上で、女性騎士と行動を共にさせることで監視とすることを付け加え、同乗の決定とした。

 ロチェスターがタイン達の視点に立って物事を考えられるとは流石に思わないが、少なくとも、タイン達を隊の一員として公平に扱おうという姿勢が見える。統率者のこの姿勢が隊全体に伝わっているから、男性騎士と女性騎士の間に決定的な亀裂を生じさせることなく、ここまできたのだ。

 これが王子達の近衛隊であったなら。女性騎士を扱う必要のなかった隊長に、そんなバランス感覚はないだろうと簡単に思い至る。異動後は、今まで以上に忍耐を強いられるだろう。それは一体、何の為の忍耐か。疑問の生じていた拘りの五年が、随分と色褪せていた。


「そんなに見張ってなくても、この天候ではぐれたりはしないんじゃないか」


 いつの間にか上がってきたクレイグが、タインの隣で手摺に背を預けた。


「他に見るものもないじゃない」


 海を見たことがなかったタインは初めこそ物珍しかったが、沖に出れば見渡す限りの海、海、海で、一度目の航海時に既に飽きてしまっていた。


「雲の形なら毎日違うぞ」

「今日はないけど」

「船首の方向見ろよ」

「ああ、あるね」


 振り返ると薄く千切れた雲が遠くに見えた。タインはクレイグと同じように手摺に背を預ける。暫くは二人ともぼんやりと帆の横に見え隠れする雲を目で追っていた。


「そういえば。駆け引きが仕事みたいな人相手に、よく話引き出せたね」


 クレイグはどちらかといえば素直な気質で、尋問の類を任されることはなかったから、イーノックの取調べで役に立ったと聞いて、タインは意外に思っていたのだ。


「あー……。あれは、…」


 クレイグは歯切れ悪く、言葉を探すように目を泳がせる。


「相性だよ。それに尽きる。向こうも大分参ってたしな」

「良いようには見えないけど」


 タインはイーノックが参っている状態よりも、クレイグがのらりくらりと躱される姿の方が想像しやすかった。


「俺はあの人がいなくなれば得をする人間だからさ」


 クレイグは苦く、言葉をすり潰すように言った。タインはあの人というのが誰のことを指しているのかに気付いて、気まずさで黙り込む。タインが掘り下げるべき内容ではなかった。親近感があったのか、同類認識をされていたのか。どちらにしても、クレイグの事情がイーノックの装甲を脆くしたのだろうことは、理解した。


「おい勘違いするなよ。あの人が死んだらいいとかは思ってないからな」


 沈黙に耐えかねたクレイグが慌てて弁明する。


「解ってるよ。誰も見てないのに護りきってくれたじゃない」

「……もう、身内感覚なんだな」


 曇りない信頼と感謝の意を含む言葉を、クレイグは喜びだけでは受け取れない。複雑な気持ちが言葉に滲んでいた。タインが目を向けた先で、クレイグは足元に目線を落としていた。視線を外して、タインも足元を見る。


「クレイグ。私。あの人を怖いと思う日は、来ないと思う」


 入り込む隙を探っていたのか懐柔しようとしていたのか、はたまた破談を狙っていたのか。今となっては理由は判らないが、イーノックの言っていたウィンダムの怖さは、確かに存在するのだろう。クレイグが感じたという怖さも、間違いではないのだろう。だがそれは、何のために発揮されているものかを考えると、タインが警戒すべき怖さではないように思えた。少なくとも、彼らが思う種類の怖さにはならないように思うのだ。


「誰だって、大事なものを守りたかったら必死になるでしょう」

「……必死なのか、あの人」

「うん。見えないけどね」

「ああ、見えないな。全然」


 欠片も信じていない平坦な声で言ってすぐに、クレイグは口を噤んだ。死ねないと言った、あの時のウィンダムを思い出したのだ。

 タインはクレイグの様子を気に留めるでなく、続ける。


「恋かどうかは判らない」


 クレイグに抱いたような、少しでも自分を良く見てもらいたいというものではない。あれを恋と言うのなら、これは恋ではないのではないかと思う。


「でも。あの人を失いたくないと、思うんだ」


 結婚しなければならないのなら、ウィンダムがいい。時々人間に嫌気が差すらしきあの人の、支えになれたらいいと思う。敵の多いあの人を、物理的に護ることだってタインにはできる。その立場を得る為の契約が婚姻なのだと思えば、随分と魅力的なものにも思えてくるのだ。


「そうか。……そんな気はしてた」


 クレイグは顔を上げ、帆柱を伝うようにして目線を上げた。空の高い場所には雲がなく、底抜けに澄んでいる。覚悟のような、諦めのような。予期していたのだろう空気は、少し沈んでいる。タインが少し視線を上げると、二層低い露天甲板で取っ組み合いが始まっているのが見えた。娯楽不足と運動不足の解消、ストレス発散を兼ねた賭け試合。陸とは隔絶された場所故に、本来ならば野卑であると禁止されているその行いが目溢しされていた。


「うん。だから。待たなくて大丈夫」

「………そうか」

「うん」

「わかった」


 それから暫くは互いに何を言うでなく、クレイグは空を、タインは海を眺めていた。






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