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35. 主権、侵すべからず


 タインはとるべき態度など判っていた。笑顔でとはいかずとも、快く、何の憂えも残させぬ態度で送り出すべきだと、解っていた。にも拘らず。送り出す言葉が出てこなかった。口を開けば、自分の言葉で話そうとすれば、責めてしまいそうだった。

 ウィンダムはタインを置いて行くのだ。タインの人生を欲したくせに、いざとなれば置いて行くような男なのだ。否、違う。今タインが護るべきはナディーンであるから、この場合当然のことで、そこに憤っていい道理はどこにもない。だが結婚しても、近衛騎士ではなくなっても置いて行くのだ。タインには戦える力がある。なのに置いて行くのだ。何故なら妻だから。妻とは子を産む生き物で、守るべきものだから。おかしなことではない。解っている。だが折り合いがつかない。どこに向けても正解ではない理不尽な憤りを抱えた状態で、急遽、ウィンダムの前に立つことになってしまったのだ。

 もどかしさと腹立たしさと、心配と。タインの中で激しく主張しあうそれらを、焦げついている胸の内を、無いもののように振る舞うだけで手一杯だった。

 ウィンダムは言った。騎士の妻達を尊敬すると。本当にそうだと思う。現場に立つ力がないからそうせざるを得ないのだとしても、それでも。

 これから行うべきことに支障をきたすほど、ウィンダムの心を乱したとは思わない。そんなに脆い男だとは思っていない。だが、これではまるで、足手纏いではないかと思う。過去最高に愚かしい自分を、縊り殺してしまいたい気持ちが収まらないでいる。


「スウェイズ様」


 直ぐ横からの呼びかけに、タインは目を移す。ナディーンの部屋から帰るヌースラとタインの交代時間が重なり、ヌースラを客室に送り届ける最中であった。グルバハル人であるために一時客室に軟禁状態であったが、尋問を終え、関与が見られないと判断されたことで業務に戻っていた。それでもこうして、さりげなく監視は続けられている。


「怖いお顔をなさっていますわ。男爵様のことを考えていらっしゃいましたの?」

「ああ、いや…」

「隠さなくてもいいのですよ。私も心配ですもの」


 ヌースラの憂いを帯びた溜息に、偽りが含まれているようには感じられない。


「……貴女は恩義に厚いのだな」


 タインは注意深く観察しているが、あからさまに疑われたというのに、蟠りも残していないような態度だ。ヌースラは愉快そうに目を細める。


「申し上げたではないですか。私はこの使節団の成功を誰よりも願っているのです。多少疑われたところで、その気持ちに変わりはありませんわ」


 問いの意図に気付いたかのような返答に、タインの眉間から力が抜けた。ヌースラは、嫌疑をかけられた時も動揺を見せなかったという話だ。こういった場合に疑われることも覚悟の上で通訳の話を受けたのだろう。国交反対派の伯爵の懐に入り込んだ時から、ヌースラはウィンダムの工作員のようなものだったのだと思うと、馴染みのない感情が胸の奥で燻った。悔しい、に似た、何か別の感情だ。ヌースラはタインがウィンダムと知り合う前から、ウィンダムの仕事の助けになっていたのだ。


「それもこれも、ただただイーノック・ガイルの所為ですもの。こうなると判っていたら、籠絡の一つもしておきましたのに」


 ヌースラは悔しげな息を零す。

 こうなると判っていたらという思いは、タインにもある。タインのウィンダムに対する心証を探ろうとでもしていたかのような言動や、ジョセリンからタインの情報を聞き出そうとしていたこと。事が起こった後であるから結びつけることのできる微妙なものばかりだから疑惑の域を出ないが、ジョセリンと確認しあい、もしかしたら利用価値を探っていたのではと、ロチェスターには報告している。


「男爵様が戻ってくるまでに捕まえて、ぎったんぎったんにして差し上げたいですわ。私にできることはありませんの?」


 今目の前にイーノックがいたら飛びつきかねない目力で見つめられて、タインはそっと距離を空けた。


「……引き続き、担当業務を行なってくれ」


 第一王女隊は取調べに立ち会えるようにはなったが、イーノックの捜索には人員を出していない。土地勘や語学力だけでなく、権限の問題があり、ガーカム領兵に任せざるを得ないのだ。

 領主夫人達は安全のためとの名目で出歩くことのできないナディーンをもてなし、ご機嫌取りをしているかのようだった。だからといって、タイン達は気が抜けない。万一の時にはナディーンは人質として機能する。いつ手のひらを返されるか判らないのだ。港でも、ユールガル海軍はガーカムの動向を注視し、最悪の事態への警戒を怠らない。

 土地勘もなければ知り合いもいない場所である筈なのに、イーノックはなかなか見つからなかった。使節団内では、もうガーカム領にはいないのでは、ツァマーグ領に身を寄せているのではと囁かれ始めている。ガーカムの捜査責任者、ゾングークはそれだけはあり得ない、陸路にしろ海路にしろ、見逃すわけがないと断言している。


「北大陸人の顔の見分けがつかず、見落としたのでは?」


 ロチェスターは個人識別能力を疑った。


「ここをどこだと思っている。貿易港を持つガーカムの地だぞ。北大陸人など見慣れている。見たことのある顔ぐらい見分けられるわ」


 ゾングークは不快感も露わに顔を歪める。ただでさえ厳つい顔が威圧感を増すが、ロチェスターは気にも留めない。


「ならば何故ここまで時間がかかっている」

「事が起こるまで悟らせない男なのだ。余程狡猾なのだろう」


 ゾングークは面白くもないように鼻を鳴らした。ユールガルの察知能力を当て擦っているようにも聞こえる。ロチェスターはこれを受け流し、曲解することにした。


「そちらの人間だけでは足りないということだな。領内を主張するならうちの人間が捜索できるよう取り計らってくれ」

「それはできん」

「何故だ」

「ここはガーカムの地だ。そちらに捜索していい道理はない」

「ユールガルの国賊だ。我々にも捜索する権利、いや、義務がある」


 ロチェスターとゾングークは毎日似たような押し問答を繰り返し、ウィンダムもイーノックも不在の為、この通訳はヌースラが行わざるを得ない状況になっていた。


「ゾングーク様ったら石頭なんですのよ。人手は多いにこしたことはありませんのに!」


 そしてヌースラのもどかしさが詰まった愚痴は、必然的にタインが聞くことになる。


「友好国同士でさえ、捜査権など許し合っていないのだ。ゾングーク殿は主権を守れる真っ当な方だよ」


 どちらかと言えば、ロチェスターが無理を通そうとしているのだ。


「まあ! スウェイズ様はイーノック・ガイルが見つからなくてもよろしいんですの!?」

「そうは言っていない」


 タインは怒れるヌースラを宥めるのに四苦八苦しながら、ウィンダムがいたら主張を通せたのだろうかと、考えてみる。答えは否ではなかろうかと思った。いくらウィンダムでも、口だけでは主権に関わることは動かせまい。一番力のある手札はツァマーグ行きに使ってしまったのだ。


「だいたい、探されることなんて判りきっているのですから、隠れるに決まっていますでしょ。ただ探し回るからいけないんですのよ。餌でも放って、誘き出すなりすればよろしいんですわ」

「餌……」

「何か、イーノック・ガイルが飛びつきそうなものに心当たりはございませんの?」

「趣味嗜好を知るほど親しくはないからなんとも……もし本当にガーカム領で動けずにいるのなら、欲しいものなど逃走手段くらいのものだろう」

「それはそうですわね」


 ヌースラは深く息を吐いて黙り込んだ。タインは粗方吐き出しただろうかとその顔を盗み見たが、険しい表情だった。全く気が済んでいるようには見えない。タインとて、イーノックを許す気は毛頭ない。イーノックの背後関係が不明であるから、なんとしても捕まえねばならないとも思っている。ただ、ここ最近のタインの激情はウィンダムに対して使い切ってしまっていて、他に振り分ける容量が減っているだけなのだ。その分、冷静な思考ができる。

 どの道、第一王女隊は堂々と探し回れはしない。ならば。


「貴女が協力できるというのなら、撒き餌の提案をしてみよう」

「いたしますわ。何をすればよろしいんですの」


 ヌースラは眼光も鋭く即答した。タインはせめて内容を確認してから返事をするように注意すべきか、迷った。






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