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34. お仕事頑張ってください


 ツァマーグはガーカムと隣り合っている。書簡が届くのも早く、日程は難なく組まれた。

 ウィンダムが出立する朝には、領主邸の前に神王の兵とガーカム領兵、二種類の騎馬隊が隊列を作っている。ウィンダムは椅子に座し、二人の騎士に担ぎあげられるようにして運ばれた。見送りに出ているナディーンの前まで来ると、椅子は地面に下ろされる。ウィンダムは騎士の手を借りて慎重に立ち上がった。


「殿下。このような姿で御前に失礼いたします」


 騎士に支えられた片足立ちで、胴部や片腕を固定されていれば、首を垂れるのが精々であった。


「まったくだわ」


 ナディーンは開いた扇子で口元を隠し、声量を抑えた。周囲の耳を気にしたのだ。


「まともな礼の一つも執れない状態で敵地に乗り込むなんて、どうかしているでしょう」


 馬車移動をするというのだから、ナディーンはもう少し良い状態だと思っていたのだ。


「この様だからこそ示せる礼儀というものがあるのですよ。これは先方に頂いたまたとない好機ですから、掴まないわけにはいかないのです」

「……何を言っているのか解らないのだけど」


 ナディーンは正気を疑う目をした。


「戻りましたら、ご説明いたします」


 ウィンダムは眉一つ動かさずにその視線を受け止める。無事戻ることを前提とした言葉には、不安の一つも見受けられない。ナディーンには強心臓なのか鉄仮面なのか判別ができないのだが、長々と問答をする場面ではないことは解っている。この場にはヒヅォーグやゴーウーボーを始めとした、グルバハル人だらけなのだ。幾つもの言葉を呑み込んで扇子を閉じると、長年鍛えた表情筋で何の憂いもない微笑みを作りあげる。


「待っているわ」


 少し離れた場所に佇むヒヅォーグの元へは、騎士に支えられながら進む。自らの足で歩いているとは言い難いその遅々とした進みに、苦言を呈する者はいない。


「本当に行くのだな」


 黒々と立派な髭をたくわえたヒヅォーグは上背も身体の厚みもある偉丈夫で、堂々と立っているように見えるが、目には不安の色が見え隠れしている。

 これまで言葉を交わしてきた領主達は、総じて豪然としていた。ヒヅォーグも例に漏れなかったが、港の封鎖は未遂にしても、使節団の中から手引きした者が出たというのに近衛騎士を捜査から排除し、使節団の行動を制限した。他に裏切り者が潜んでいることを警戒してのものともとれるが、それはお互い様である。何はなくとも守りに入ったこの男は、臆病なのだ。ウィンダムが死なないと知ると、即刻出港を勧めたほどに。

 だからウィンダムは仄めかしたのだ。このまま帰せばユールガルは、ツァマーグ同様、ウィンダムを守れなかったガーカムも、徹底的に叩き潰す対象にするだろうと。不安を煽り、それを避ける為に必要なものを示した。ガーカムの潔白である。現在の措置は未遂を含め、関与を疑われる行為でしかない。そう説き、捜査への参加とツァマーグ訪問を取りつけて今がある。腹を決めた筈であるのに、いざとなると不安が隠せていない様子には、ウィンダムをも不安な気分にさせた。何かのきっかけでまた臆病風に吹かれて、約束を反故にしかねないという不安だ。


「ええ。ご協力に感謝しますよ。王女殿下をくれぐれもよろしくお願いいたします」


 万一、期日中にウィンダムが戻らなかった場合でも、使節団を出港させるように。含みを持たせた言い方でヒヅォーグに釘を刺し、ゴーウーボーを見た。ゴーウーボーの方がまだ、信用ができる。解っている、とでもいうようにゴーウーボーが頷くのを確認し、再び椅子で隊列の中央に位置する馬車へと運ばれた。

 ウィンダムは座面へと移されると、窓に垂れ下がる簾を右手で持ち上げ、ナディーンのいる場所を見る。意識を取り戻した日以来、タインと顔を合わせていない。一目なり、姿を見ておきたかったのだ。だがタインは視線を送った先ではなく、馬車の直ぐ外にいて、ウィンダムを驚かせた。


「殿下からの伝言を預かって参りました」


 タインは少しの感情も窺わせない伝令兵の顔で、抑揚なく言葉を紡ぐ。


「殿下の騎士を泣かせるような結果を持ち帰ることは許さないとの仰せです」


 態々伝令を出すような内容ではない。ナディーンは出立の挨拶をする機会を作ってくれたのだ。


「心得ましたと」


 ウィンダムは感謝するようにナディーンへと目礼をした。タインに視線を戻すと、微かに口元を緩める。


「機会をいただけて良かった。行ってくるよ」


 ウィンダムはその姿を目に焼き付けるように見るが、タインの口が開かれる気配はない。ただ、彫像のように動かない表情とは別に、青い瞳が揺れるのを捉えた。


「……タイン?」

「私達には、話し合わねばならないことが沢山ありますね」


 促されて漸く、といった様子で発された声は、どこに感情を置き忘れたのかと思うほど硬質だった。


「ああ。帰ってきたらどうにかして時間を」


 ウィンダムは言葉を切った。様子のおかしさを問うている時間はない。それでも見過ごせなかった。


「タイン。何かあったのか」

「………何、を、……言うべきでしょうか」

「うん?」

「どのような言葉をお望みですか」


 タインは初めて出会った人間に対するように他人行儀で、注意深く観察すると、憤りのようなものを抑えつけているように見える。一拍置いて問い質そうとしたウィンダムの言葉は、鳴り響いた出発を告げる笛にかき消された。ウィンダムは一瞬眉を顰め、諦めたように表情を改める。


「いつもの、やる気の出るあれを言ってくれるか」

「……お仕事、頑張ってください」

「うん。必ず帰るよ」


 硬いままのタインの声音に、ウィンダムは口端で微笑んでみせる。隊列が動き出した。タインは伝令兵の素振りで礼をし踵を返す。ナディーンの元へ駆け戻るその背を、ウィンダムは見えなくなるまで見つめていた。






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