三者三様
午前六時十分。
ジャポネ北部、旧研究施設跡。
「……おらぁっ!!」
ドンッ!!
黒瀬迅の拳が、空を切った。
その先には、一人の少女。
白髪に白い瞳。
小柄な体。
ロージャ。
彼女は迅の拳を、ほんの数センチ横へ動くだけで避けていた。
「……遅いの」
「くそっ!」
迅は踏み込む。
右拳。左拳。回し蹴り。
さらに、背後へ回り込む。
しかし。
「……そこじゃ」
トン。
ロージャの指先が、迅の額に触れた。
次の瞬間。
「うおっ!?」
迅は自分の勢いを止められず、地面を転がった。
「いってぇ……!」
ロージャは腕を組んだ。
「……百一回目じゃ」
「また数えてんのかよ!!」
「暇じゃからな」
「俺は暇じゃねぇ!!」
少し離れた場所では、ラフバが巨大な鉄塊を持ち上げていた。
全長三メートル。
重さ、およそ八トン。
旧研究施設で使われていた大型機械の残骸である。
「……ぐおおおお!!」
ラフバの腕に力が入る。
ギギギ……。
鉄塊が持ち上がった。
「……よっしゃ!!」
ラフバは笑った。
「どうだ! 持ち上げたぞ!!」
ロージャは一瞥した。
「……ふむ」
そして。
「失格じゃ」
「はぁ!?」
ラフバが固まった。
「なんでだよ!!」
ロージャは鉄塊の下を指差した。
そこには、小さなガラス瓶が置かれていた。
瓶の口には、薄い紙が一枚。
ラフバが持ち上げた際の振動で、その紙は破れていた。
「……紙が破れた」
「だから何だよ!」
「破らずに持ち上げよと言ったじゃろ」
「無茶言うな!!」
ロージャは静かに答えた。
「無茶ではない」
そして。
片手を伸ばした。
巨大な鉄塊の端に指をかける。
「……ほれ」
ひょい。
八トンの鉄塊が、まるで空箱のように持ち上がった。
「…………」
ラフバが固まった。
迅も起き上がった。
「……は?」
ロージャは鉄塊を静かに下ろした。
ガラス瓶は揺れない。
紙も破れていない。
「……こうじゃ」
ラフバは鉄塊を見た。
ロージャを見た。
もう一度、鉄塊を見た。
「…………」
そして。
「……ははっ」
笑った。
「……最高じゃねぇか!!」
ロージャはため息をついた。
「……褒めておらぬぞ」
「俺もできるようになる!!」
「ならば、やってみるがよい」
その隣。
アギ・ハワーは、床に描かれた大きな円の中に立っていた。
円の外には、木製の人形が十二体。
それぞれが不規則に動き回っている。
アギは刀を抜かず、次々と人形を倒していた。
ドッ!
一体目。
バキッ!
二体目。
三体目の攻撃を避け、四体目を蹴り飛ばす。
五体目の腕を掴み、六体目へ投げつける。
「……これで!」
最後の一体を掌底で倒した。
十二体、全て停止。
アギは静かに息を吐いた。
「……終わりました」
ロージャは頷いた。
「……失格じゃ」
「……え?」
アギが固まった。
迅が吹き出した。
「ぶはっ! お前もかよ!」
ラフバも笑った。
「はははっ! 全員失格じゃねぇか!」
アギは二人を無視して尋ねた。
「……理由を教えていただけますか?」
ロージャは床を指差した。
円の中央。
そこには、小さな木箱が置かれていた。
「……守るべきものを忘れておる」
アギは目を見開いた。
木箱には、細い傷がついていた。
人形の一体が倒れる際、触れてしまったらしい。
「……ですが、敵は全て倒しました」
「そうじゃの」
「……それでも、失格ですか?」
ロージャは頷いた。
「敵を全て倒しても、守るべきものを失えば意味がない」
アギは黙った。
ロージャは続けた。
「お主は強い。頭も回る。技もある」
「…………」
「じゃが、全てを自分で片づけようとする癖がある」
アギは目を伏せた。
ロージャは静かに言った。
「一人で守れぬものも、あるのじゃぞ」
「…………」
しばらくの沈黙。
そして。
「……なるほど」
アギは小さく頷いた。
「もう一度、お願いします」
ロージャは微笑んだ。
「……よかろう」
迅が首を傾げた。
「……なあ、師匠」
「何じゃ?」
「俺ら、全員違うことやってんじゃん」
「そうじゃの」
「なんで?」
ロージャは三人を見た。
そして。
「……お主らは、三人とも違うからじゃ」
迅が眉をひそめた。
「……当たり前じゃね?」
「当たり前のことを忘れる者は多い」
ロージャは迅を指差した。
「迅。お主は速い。じゃが、速さを制御できておらぬ」
次に、ラフバ。
「ラフバ。お主は力が強い。じゃが、力の使い方が荒い」
そして、アギ。
「アギ。お主は優秀じゃ。じゃが、一人で背負いすぎる」
三人は黙っていた。
ロージャは腕を組んだ。
「……三人とも、まだまだじゃの」
迅は笑った。
「……ははっ」
ラフバも笑った。
「……言ってくれるじゃねぇか」
アギは小さく頷いた。
「……勉強になります」
ロージャは満足そうに頷いた。
「……うむ」
そして。
「では、宿題を再開するのじゃ」
「「「……はい」」」
三人の声が、珍しく揃った。
午前八時三十分。
旧研究施設、地下訓練場。
「……おい、師匠」
迅は目の前の通路を見た。
「……これ、何?」
そこには、細い通路があった。
幅はわずか一メートル。
左右には無数の柱。
天井からは、細い紐で吊るされた鈴が並んでいる。
ロージャは腕を組んだ。
「……通り抜けるのじゃ」
「……それだけ?」
「そうじゃ」
迅は笑った。
「余裕じゃん!」
「ただし」
ロージャは鈴を指差した。
「一つも鳴らしてはならぬ」
迅は首を傾げた。
「……鈴?」
「そうじゃ」
「……簡単だろ」
迅は軽く屈伸した。
そして。
「……よっ!」
一瞬で駆け抜けた。
いや。
駆け抜けようとした。
チリン。
チリンチリン。
チリンチリンチリン!!
「……うおっ!?」
迅は通路の出口で急停止した。
振り返る。
全ての鈴が、激しく揺れていた。
「…………」
ロージャは静かに言った。
「……失格じゃ」
迅は頭をかいた。
「……なんでだよ」
「速すぎる」
「……は?」
ロージャは通路へ入った。
「速さとは、ただ急ぐことではない」
ゆっくり歩き始める。
一歩。二歩。三歩。
鈴は鳴らない。
「……ほら」
迅は不満そうに言った。
「いや、歩いてるだけじゃん」
ロージャは振り返った。
「……ならば、速く行こうかの」
その瞬間。
姿が消えた。
「…………」
迅が瞬きをした。
次の瞬間。
ロージャは通路の出口に立っていた。
鈴は一つも鳴っていない。
「…………」
迅は固まった。
「……は?」
ロージャは小さく頷いた。
「……こんなものじゃ」
迅は鈴を見た。
全く揺れていない。
「……いやいやいや」
通路を見る。
ロージャを見る。
「……今、通った?」
「そうじゃ」
「……見えなかったんだけど」
「ならば、よく見るのじゃ」
迅は口元を吊り上げた。
「……ははっ」
そして。
「……やっぱ師匠、すげぇな!」
ロージャは静かに答えた。
「お主も、いずれできる」
迅の笑みが少しだけ変わった。
「……マジ?」
「修行を続ければの」
迅は通路を見た。
そして。
「……よっしゃ」
拳を握った。
「じゃあ、もう一回!」
ロージャは頷いた。
「……うむ」
迅は再び走った。
チリンチリンチリン!!
「……くそっ!!」
失敗。
もう一度。
チリンチリン!!
失敗。
さらにもう一度。
チリン!
「……あ」
迅の目が動いた。
さっきより、鳴った鈴が少ない。
ロージャは小さく頷いた。
「……今のは悪くない」
迅は笑った。
「……だろ?」
「じゃが、まだ失格じゃ」
「分かってるって!」
迅は再び構えた。
その顔には、疲労よりも楽しさが浮かんでいた。
午前十時。
旧研究施設、屋外訓練場。
「……ぐおおおお!!」
ラフバは巨大な鉄塊を持ち上げていた。
その下には、例のガラス瓶。
瓶の口には、新しい紙。
「……慎重に……!」
ラフバの腕が震える。
鉄塊がゆっくりと浮く。
「……よし……!」
その瞬間。
ビリッ。
紙が破れた。
「……ああああ!!」
ラフバが叫んだ。
「またかよ!!」
ロージャは静かに言った。
「……三十六回目じゃ」
「数えんな!!」
「暇じゃからな」
「暇なら手伝えよ!!」
ロージャは首を傾げた。
「……わしがやっては修行にならぬじゃろ」
「そりゃそうだけどよ!!」
ラフバは地面に座り込んだ。
「……くそっ」
ロージャは隣に腰を下ろした。
「……何をそんなに急いでおる?」
ラフバは顔を上げた。
「……あ?」
「力をつけるのに、焦りすぎじゃ」
ラフバは少し黙った。
そして。
「……迅に負けたくねぇんだよ」
ロージャは静かに聞いていた。
ラフバは続けた。
「……あいつ、速ぇだろ」
「そうじゃの」
「俺は力なら負けねぇ」
「……うむ」
「でも、あいつはどんどん速くなる」
ラフバは拳を握った。
「……だから、俺も強くなんねぇと」
ロージャは少しだけ目を細めた。
「……なるほどの」
ラフバは笑った。
「……あいつにだけは、絶対負けたくねぇんだ」
ロージャは静かに頷いた。
「……良いライバルじゃの」
ラフバは顔をしかめた。
「……別に、友達じゃねぇぞ」
「そうかの」
「ライバルだ!」
ロージャは小さく笑った。
「……ふふ」
そして。
「ならば、なおさらじゃ」
ラフバが首を傾げた。
「……何が?」
ロージャは鉄塊を指差した。
「力任せでは、いつか限界が来る」
「…………」
「強い拳を持つ者ほど、その拳を制御せねばならぬ」
ラフバは黙っていた。
ロージャは続けた。
「全力で殴ることだけが、強さではない」
「…………」
「守るために、力を抑えることも必要じゃ」
ラフバは少し考えた。
そして。
「……なるほどな」
ゆっくりと立ち上がる。
「……もう一回だ」
ロージャは頷いた。
「……うむ」
ラフバは鉄塊へ手を伸ばした。
今度は、ただ力を込めるのではない。
重心を確かめる。
力を分散させる。
必要な分だけ、持ち上げる。
ギギギ……。
鉄塊が浮いた。
ゆっくりと。
静かに。
そして。
「…………」
紙は、破れていなかった。
ラフバの目が見開かれた。
「……お」
ロージャは小さく頷いた。
「……合格じゃ」
ラフバは数秒黙った。
そして。
「……よっしゃぁぁぁ!!」
大声で叫んだ。
その瞬間。
ドゴォォン!!
喜びのあまり、鉄塊を地面に落としてしまった。
ガラス瓶が割れた。
「…………」
ロージャは静かに言った。
「……失格じゃ」
「なんでだよぉぉぉ!!」
廃墟に、ラフバの叫び声が響き渡った。
午後零時三十分。
旧研究施設、第三訓練室。
「……はぁ……はぁ……」
アギは息を整えていた。
目の前には、十二体の木製人形。
そして、中央には小さな木箱。
「……もう一度、お願いします」
ロージャは頷いた。
「……よかろう」
人形が動き出す。
一体目。アギは拳で止めた。
二体目。足払い。
三体目。投げ技。
四体目。回避。
しかし。
その瞬間。
別の人形が木箱へ迫った。
「……っ!」
アギは急いで戻る。
間に合わない。
カンッ。
木箱に傷がついた。
「……失格じゃ」
ロージャが言った。
アギは小さく息を吐いた。
「……また、ですか」
ロージャは静かに頷いた。
「……そうじゃの」
アギは床に座った。
「……難しいですね」
「そうじゃろ」
「敵を倒すだけなら、簡単なのですが」
「……うむ」
アギは木箱を見た。
「……守るとなると、途端に難しくなる」
ロージャは静かに言った。
「それが戦場じゃ」
アギは顔を上げた。
「……戦場?」
「敵を倒すだけなら、強い者が勝つ」
「…………」
「じゃが、戦争はそれだけでは終わらぬ」
ロージャは木箱を指差した。
「守るべき者がおる。助けるべき者がおる。逃がさねばならぬ者がおる」
アギは黙っていた。
「……お主は、全て一人でやろうとしておる」
「…………」
「それでは、いつか潰れるぞ」
アギは少しだけ目を伏せた。
「……ですが」
ロージャは静かに待った。
アギは続けた。
「……私が、しっかりしなければ」
「……ふむ」
「迅もラフバも、自由すぎますから」
ロージャは小さく笑った。
「……確かにの」
アギも苦笑した。
「……でしょう?」
「じゃが」
ロージャはアギを見た。
「お主は、あの二人を信じておるか?」
アギは目を丸くした。
「……え?」
「強いと思っておるか?」
アギは少し考えた。
そして。
「……はい」
静かに答えた。
「二人とも、強いです」
ロージャは頷いた。
「ならば、任せるのじゃ」
「…………」
「全てを自分で背負う必要はない」
アギは黙った。
ロージャは続けた。
「お主が守れぬ場所を、あの二人が守ればよい」
「…………」
「そして、あの二人が見落とすものを、お主が守ればよい」
アギは少しだけ目を細めた。
「……なるほど」
ロージャは微笑んだ。
「……三人おるのじゃからな」
アギは小さく笑った。
「……そうですね」
そして。
「……ありがとうございます、ロージャさん」
ロージャは頷いた。
「……うむ」
アギは立ち上がった。
「……もう一度、お願いします」
ロージャは首を傾げた。
「……一人でか?」
アギは少し考えた。
そして。
「……いいえ」
微笑んだ。
「次は、二人にも手伝ってもらいます」
ロージャは満足そうに頷いた。
「……それでよい」
午後三時。
旧研究施設、中央訓練場。
三人は、ロージャの前に立っていた。
迅。
ラフバ。
アギ。
全員が、朝からの修行で疲れ果てていた。
「……なあ、師匠」
迅が口を開いた。
「……まだやんの?」
ロージャは頷いた。
「そうじゃ」
ラフバは笑った。
「いいぜ! まだまだやれる!」
アギは小さく息を吐いた。
「……私は少し休みたいのですが」
ロージャは三人を見た。
「……最後の課題じゃ」
迅が首を傾げた。
「……最後?」
「そうじゃ」
ロージャは地面に一本の線を引いた。
そして、三人から十メートルほど離れた場所に立った。
「……この線を越えて、わしに触れるがよい」
迅は笑った。
「……それだけ?」
「そうじゃ」
ラフバも笑った。
「簡単じゃねぇか!」
アギは静かに構えた。
「……油断しないでください」
ロージャは腕を組んだ。
「……三人まとめて来るがよい」
迅は拳を握った。
ラフバも構える。
アギは二人を見た。
「……迅、ラフバ」
「ん?」
「なんだ?」
アギは静かに言った。
「……今度は、私の指示を聞いてください」
迅は少し考えた。
そして。
「……いいぜ」
ラフバも笑った。
「おう!」
アギは頷いた。
「……では、行きます」
三人が動いた。
迅が右へ。
ラフバが左へ。
アギが正面。
三方向からの同時攻撃。
しかし。
「……甘いの」
ロージャが一歩踏み出した。
次の瞬間。
ドンッ!!
迅の拳が空を切った。
ラフバの突進が止められた。
アギの足元が崩れた。
三人が、ほぼ同時に地面へ転がる。
「……っだぁ!!」
迅が叫んだ。
「……くそっ!」
ラフバも起き上がる。
アギは静かに息を吐いた。
「……やはり、強いですね」
ロージャは小さく頷いた。
「……うむ」
迅は笑った。
「……もう一回!」
ロージャは頷いた。
「よかろう」
二度目。
迅が先行。
ラフバが後方。
アギが側面。
しかし。
また失敗。
三度目。
四度目。
五度目。
全て、ロージャに触れることすらできなかった。
「……はぁ……はぁ……」
迅は膝に手をついた。
「……なんなんだよ、師匠……」
ラフバも息を荒げていた。
「……化け物かよ……」
アギは静かに考えていた。
ロージャは、ほとんど動いていない。
それなのに、三人の攻撃を全て避けている。
いや。
避けているだけではない。
こちらが動く前に、既に最適な位置へ移動している。
まるで。
「……未来が、見えているみたいですね」
アギが呟いた。
ロージャは小さく笑った。
「……占い師じゃからの」
迅が笑った。
「ははっ! 便利だな、それ!」
ラフバも笑った。
「じゃあ、未来が分かってても避けられねぇくらい速く殴りゃいいんだろ!」
ロージャは静かに答えた。
「……やってみるがよい」
ラフバが踏み込んだ。
ドンッ!!
全力の拳。
しかし。
ロージャは片手で受け止めた。
「…………」
ラフバが固まった。
「……は?」
ロージャは静かに言った。
「……力の向きが悪い」
そして。
トン。
ラフバの胸を軽く押した。
次の瞬間。
ドゴォォン!!
ラフバの体が、十メートル以上後方へ吹き飛ばされた。
「ぐおおっ!?」
地面を転がる。
迅が目を丸くした。
「……おいおい」
アギも息を呑んだ。
ロージャは何事もなかったように立っていた。
「……ふむ」
迅は笑った。
「……やっぱ、師匠すげぇわ」
ロージャは腕を組んだ。
「……まだまだじゃの」
そのとき。
アギが口を開いた。
「……迅」
「ん?」
「ラフバ」
「おう!」
アギは二人を見た。
「……少し、作戦を変えましょう」
迅は笑った。
「……いいねぇ」
ラフバも笑った。
「……何すんだ?」
アギは小さく微笑んだ。
「……三人で、勝ちに行きます」
「……師匠」
迅が口を開いた。
「……もう一回だ」
ロージャは頷いた。
「よかろう」
三人が構える。
しかし、今度は違った。
迅は動かない。
ラフバも動かない。
アギだけが、一歩前へ出た。
ロージャは首を傾げた。
「……ほう?」
アギは静かに言った。
「……私が先に行きます」
次の瞬間。
アギが踏み込んだ。
速い。
しかし、ロージャは簡単に避けた。
「……甘いの」
その瞬間。
「……迅!」
アギが叫んだ。
迅が動いた。
一瞬で、ロージャの背後へ回り込む。
「……おらっ!」
拳を振るう。
しかし。
ロージャは振り返らずに避けた。
「……遅いの」
その瞬間。
「……ラフバ!」
アギが叫んだ。
ラフバが踏み込んだ。
「うおらぁぁぁ!!」
全力の拳。
ロージャは片手で受け止めた。
しかし。
「……ふむ?」
ロージャの目が、わずかに動いた。
ラフバの拳は、先ほどよりも力が分散していた。
ただ押し込むのではなく、相手の体勢を崩すための一撃。
ロージャの体が、ほんの数センチ動いた。
その瞬間。
迅が踏み込んだ。
しかし。
今度は、全力ではない。
速度を抑える。
余計な動きを削る。
最短距離で。
「……そこだ!!」
迅の指先が、ロージャの袖へ伸びた。
そして。
トン。
触れた。
「…………」
迅が固まった。
ラフバも固まった。
アギも目を見開いた。
ロージャは静かに自分の袖を見た。
そして。
「……ふむ」
小さく頷いた。
「……合格じゃ」
数秒の沈黙。
そして。
「……よっしゃぁぁぁ!!」
迅が叫んだ。
ラフバも笑った。
「はははっ!! やったじゃねぇか!!」
アギも小さく微笑んだ。
「……成功しましたね」
迅は拳を握った。
「……ははっ!」
そして、ラフバを見た。
「おい、ラフ!」
「ラフバだ!!」
「やったな!」
「おう!!」
二人は拳を突き合わせた。
アギはその様子を見て、小さく笑った。
ロージャは静かに三人を眺めていた。
そして。
「……よいか」
三人が振り返る。
ロージャは言った。
「お主らは、一人でも強い」
「…………」
「じゃが、三人ならもっと強い」
迅は笑った。
「……当たり前だろ」
ラフバも笑った。
「俺ら、最強だからな!」
アギは苦笑した。
「……まだまだですけどね」
ロージャは小さく頷いた。
「……うむ」
そして。
「……それを忘れるでないぞ」
三人は頷いた。
「「「おう!」」」
アギだけ、少し遅れて言い直した。
「……はい」
同日。
午後五時。
アリス領、東部軍管区。
巨大な軍事施設の一室。
白い軍服を着た男が、立体映像を眺めていた。
そこには、旧市街での戦闘記録が映し出されている。
黒髪の少年。赤髪の青年。刀を持つ少女。
三人が、重力を操る超越者に敗北した映像だった。
「……なるほど」
男は静かに呟いた。
その背後から、別の士官が声をかけた。
「……いかがですか?」
男は振り返らずに答えた。
「面白い」
「……面白い?」
「この三人だ」
男は映像を拡大した。
「未覚醒でありながら、超越者の能力に耐えた」
士官は頷いた。
「……確かに、異常な身体能力です」
男は続けた。
「特に、黒瀬迅」
映像の中で、迅が立ち上がろうとしている。
「……この少年は、興味深い」
士官が尋ねた。
「……排除しますか?」
男は少し考えた。
そして。
「……いや」
静かに笑った。
「まだ早い」
士官は首を傾げた。
「……では?」
男は端末を操作した。
『観測対象:黒瀬迅』
『危険度:暫定C』
『監視継続』
男は静かに言った。
「……もう少し、育ててみよう」
士官は眉をひそめた。
「……育てる?」
男は笑った。
「強くなればなるほど、面白い」
「…………」
「そして」
男は映像を閉じた。
「……いずれ、使い道ができるかもしれない」
士官は黙っていた。
男は窓の外を見た。
遠くには、巨大なアリス教軍の基地群。
無数の機械兵。
巨大な軍用輸送機。
そして、白い旗。
女神アリスの紋章が、風に揺れていた。
男は静かに呟いた。
「……女神様のために」
その声は、どこか冷たかった。
翌日。
午前十時。
ジャポネ東部、国境警戒区域。
「……おい」
迅が口を開いた。
「……またここ?」
アギは端末を確認していた。
「はい。前回の戦闘区域に近い場所です」
ラフバが笑った。
「ははっ! 今度こそ勝つぞ!」
迅も笑った。
「おう!」
アギは二人を見た。
「……ただし、無理はしないでください」
「分かってるって!」
「おう!」
三人は、再び旧市街へ向かっていた。
今回の任務は、前回の戦闘で失われた監視装置の回収。
そして、周辺の安全確認。
同行するのは、運転兵の宮田。
さらに、旧式の軍用アンドロイドが一体。
JDA-24《鉄兵》。
前回故障していた機体を、整備班が何とか修理したものだった。
「……おい、宮田さん」
迅が尋ねた。
「こいつ、ちゃんと動くの?」
宮田は苦笑した。
「……たぶんな」
「たぶん!?」
「予備部品が足りねぇんだよ」
ラフバが笑った。
「ははっ! 無宗教軍らしいな!」
アギはため息をついた。
「……笑い事ではありません」
そのとき。
ピピッ。
アギの端末が鳴った。
「……?」
画面に、複数の反応。
『未確認機械反応、三』
アギの表情が変わった。
「……敵です」
迅が顔を上げた。
「……お?」
ラフバが拳を鳴らした。
「……来たか!」
廃墟の奥。
三体の機械兵が姿を現した。
黒い装甲。赤いセンサー。
AAR-17《巡礼者》。
アリス教軍の量産型戦闘アンドロイド。
機械兵たちが武装を構えた。
『敵対勢力確認』
『排除行動開始』
迅は笑った。
「……ちょうどいいじゃん」
ラフバも笑った。
「今度こそ、勝負だ!」
アギは二人を見た。
そして。
「……いいえ」
静かに言った。
「今回は、三人で勝ちます」
迅とラフバは顔を見合わせた。
「……お」
「……いいねぇ」
アギは端末を操作した。
「迅、右側の機体をお願いします」
「おう!」
「ラフバ、左側を」
「任せろ!」
「私は中央を担当します」
迅は笑った。
「……よし」
ラフバも笑った。
「……行くぞ!」
三人が動いた。
機械兵たちが発砲する。
ダダダダッ!!
しかし。
迅は、既に右側へ回り込んでいた。
「……遅ぇ!」
一瞬で機械兵の背後へ。
拳を握る。
「おらぁ!!」
ドンッ!!
機械兵の背部装甲に拳が命中した。
『駆動系異常』
機械兵がよろめく。
迅は追撃した。
「……もう一発!」
ドゴッ!!
機械兵が地面に倒れた。
一体目、停止。
「……よっしゃ!」
一方。
ラフバは左側の機械兵と対峙していた。
『目標捕捉』
機械兵が銃を構える。
しかし。
「……遅ぇんだよ!!」
ラフバは踏み込んだ。
拳を握る。
だが、今度は力任せではない。
相手の重心を見極める。
装甲の継ぎ目。
駆動部の位置。
そして。
「……そこだ!!」
ドンッ!!
拳が機械兵の胴体へ命中した。
機体が大きく傾く。
ラフバは、そのまま腕を掴んだ。
「……おらぁ!!」
投げ飛ばす。
ガシャァァン!!
機械兵が地面に叩きつけられた。
『姿勢制御不能』
『駆動系損傷』
二体目、停止。
ラフバは笑った。
「……ははっ!」
拳を握る。
「……やっぱ、面白ぇ!!」
そして。
中央。
アギは機械兵の前に立っていた。
『排除対象確認』
機械兵が武装を構える。
しかし。
「……遅いですね」
アギが踏み込んだ。
銃口の向きを見切り、射線から外れる。
次の瞬間。
ドンッ!!
掌底が機械兵の胸部へ命中した。
機械兵が後退する。
アギは続けて、脚部の駆動部を蹴り抜いた。
『歩行機能異常』
機械兵が膝をつく。
アギは静かに言った。
「……終わりです」
最後に、頭部へ一撃。
ガンッ!!
機械兵が停止した。
三体目、撃破。
静寂。
三人は、廃墟の中央に立っていた。
迅は拳を握った。
「……よっしゃ!!」
ラフバも笑った。
「はははっ! 勝ったぞ!!」
アギは小さく微笑んだ。
「……ええ」
迅はラフバを見た。
「おい、ラフ!」
「ラフバだ!!」
「俺の方が早かったな!」
「はぁ!? 俺だろ!」
「いや、俺!」
「俺!!」
二人は睨み合った。
アギはため息をついた。
「……また始まりましたね」
しかし。
その表情には、笑みが浮かんでいた。
三人は、初めてアリス教軍の部隊に勝利した。
超越者には、まだ届かない。
神など、遥か遠い存在だ。
それでも。
昨日より、確かに強くなっていた。
迅は空を見上げた。
巨大な月が、青空に浮かんでいる。
「……なあ」
迅が呟いた。
ラフバが振り返る。
「……あ?」
アギも顔を上げた。
迅は笑った。
「……俺ら、もっと強くなれるよな」
ラフバは笑った。
「当たり前だろ!」
アギも小さく頷いた。
「……ええ」
迅は拳を握った。
「……よし」
そして。
「次は、もっと強ぇ奴に勝つぞ!」
ラフバが笑った。
「上等!!」
アギも微笑んだ。
「……その前に、任務を終わらせましょうね」
迅とラフバは顔を見合わせた。
「……あ」
「……忘れてた」
アギは頭を抱えた。
「……もう!!」
三人の笑い声が、廃墟に響いた。
午後六時。
第七駐屯基地、司令官室。
「……ほう」
榊原宗一郎大佐は、報告書を見つめていた。
「アリス教軍の機械兵三体を撃破……」
アギが頷いた。
「はい」
「こちらの損害は?」
「軽微です」
「負傷者は?」
「いません」
榊原は少しだけ目を見開いた。
「……そうか」
迅が笑った。
「どうよ、おっさん!」
ラフバも笑った。
「俺ら、やるだろ!」
榊原は二人を見た。
そして。
「……よくやった」
静かに言った。
迅が固まった。
「……え?」
ラフバも目を丸くした。
「……あ?」
榊原は続けた。
「敵の機械兵三体を撃破し、味方の損害を抑えた」
「…………」
「立派な戦果だ」
迅は少し黙った。
そして。
「……ははっ」
笑った。
「……だろ?」
ラフバも笑った。
「当然だ!」
アギは軽く頭を下げた。
「ありがとうございます」
榊原は小さく頷いた。
「……ただし」
三人が顔を上げる。
「勝ったからといって、調子に乗るなよ」
迅は笑った。
「へいへい」
ラフバも笑った。
「分かってるって!」
アギはため息をついた。
「……この二人は、もう調子に乗っています」
榊原は深くため息をついた。
「……だろうな」
そして。
「……まあ、いい」
報告書を閉じた。
「今日は、少しだけ食堂の献立を良くしてやろう」
迅の目が輝いた。
「……マジ!?」
ラフバも笑った。
「肉か!?」
榊原は頷いた。
「……肉だ」
迅とラフバは顔を見合わせた。
そして。
「「よっしゃぁぁぁ!!」」
司令官室に、二人の叫び声が響いた。
アギは小さく笑った。
「……本当に、単純ですね」
榊原も苦笑した。
「……ああ」
しかし。
その表情は、どこか嬉しそうだった。
世界最弱の軍隊。
人手不足。
資金不足。
装備も古い。
戦力も足りない。
それでも。
この日。
第七駐屯基地に、小さな勝利が生まれた。
そして。
その勝利は、確かに次へと繋がっていく。
次回予告
アリス教軍との戦闘で初勝利を収めた三人。
基地ではささやかな祝勝会が開かれるが、迅とラフバは肉の取り合いで大喧嘩。
一方、アギは今回の戦闘で回収した機械兵の記録に、不審な命令履歴を発見する。
そして、ロージャのもとにも、ある知らせが届いていた。
勝利の喜びの裏で、アリス教軍の新たな計画が動き始める。




