第02話 風は、スキルじゃない ②
町の外縁へ出る。セラは途中で荷物を届けるらしく、カイはついていった。暇だから、というより、他に行く場所がない。
しばらく歩いたところで、草むらが揺れた。
「止まって」
セラの声から軽さが消える。カイも止まった。
草の向こうから現れたのは、犬より少し大きい四足の魔獣だった。背中には短い棘が並んで、喉の奥から低い唸り声を上げている。
似ている、とカイは思った。EIDOLON FRONTIERにも近いものがいた。だが名前は出ないし、HPも敵対表示も何もない。
セラが荷物を下ろして、短槍を抜く。
先ほど見た使い方から考えれば、距離を取って風で牽制し、そこから安全に削るはずだ。そう予測した。
だが、セラは前へ出た。
普通に走る。魔獣が飛び込んでくると、身体を半分だけ外して爪を空振らせ、直後に槍を反転させた。石突きが魔獣の前脚の内側へ入って、ガッ、と軸が崩れる。
(魔法は?)
使わない。セラは一度だけ距離を取り、魔獣も体勢を立て直す。互いに、ほんの一瞬止まった。
次にセラが踏み込んで、槍を突く。わずかに足りない。数センチ。その瞬間だけ風が走って、地面の砂が後ろへ流れ、セラの身体が半歩だけ伸びた。穂先が肩口を捉えて、魔獣の軸がまた崩れる。
風で戦っているんじゃない。
槍で崩して、槍で届くところまで作る。それでも少しだけ足りない時、そこだけを風で埋めている。風は主役ではなく、足りない半歩を補うだけだ。セラが戦っているのは、槍だ。
魔獣が低く唸って、地面を蹴る。左脚、重心、肩。
(次は左脚を軸に右へ薙ぐ)
カイの口が動いた。
「右――」
セラは左へ踏んだ。
次の瞬間、魔獣の前脚が右側を薙いだ。風圧と砂が舞って、カイが安全だと言いかけた場所を爪が通る。
声が出なかった。
口の中が乾いていて、舌が上顎に貼りついている。右腕の傷が脈に合わせて鳴っているのが分かるくらい、ほかに何も聞こえなかった。
もし聞いていたら。あの子が、言われた通りに右へ出ていたら。
そこで考えるのをやめた。
やめて、魔獣を見た。
記憶は引かない。目の前のものだけを見る。
地面の掻き跡。右の前脚だけが浅い。さっき薙いだ時も、軸にしていたのは左だった。
右へ出す時、体重が乗り切っていない。乗らないから、その前に一度沈んで作る。
沈めば、遅れる。
「セラ」
「なに!」
「右へ来る前に、一回沈む」
「それだけ!?」
「それだけだ。沈んだら入れ」
返事はなかった。
魔獣が地面を掻いた。前脚が沈む。
セラが入った。
風は使わない。普通に踏み込んで腰を落として、槍を突き出す。穂先が深く入って、魔獣の身体から力が抜け、そのまま地面へ倒れた。
倒れてから、自分の指が震えているのが見えた。
セラは数秒、魔獣を見たまま動かなかった。それから槍を引いた。
「ふう」
カイは魔獣ではなく、地面を見ていた。
傾斜。露出した根。右側の岩。後脚の踏み跡。
条件が違う。似た外見に似た初動だったから、同じだと思った。だがこいつはこの場所で生きてきた個体だ。似ていたのは外見と最初の挙動だけで、そこから先まで当てはめる方が危ない。
「今なんか言った?」
「右が安全だと思った」
「左だったけど」
「そうだな」
「……あっさり認めるね」
「間違ってたからな」
「でも、そのあとすぐ言った」
「一回見たからな」
「一回で分かるの」
「一回だと分からない。二回目が同じなら分かる」
「それ、何回やったら分かるようになるの」
カイは答えなかった。
答えは四千六百十七時間だが、言ったところで単位が通じない。
「……」
「何?」
「いや」
セラが槍についた汚れを払う。その手つきにも迷いがなくて、慣れているのが分かった。
「手」
「何だ」
「震えてる」
「寒いんだ」
「……そう」
セラは聞き返さなかった。
カイはその動きを見ながら、認識を一つ修正する。
自分の知識が役に立たないわけではない。観察する癖も、距離を測る癖も、危険を先に読む癖も使える。ただ、過去に得た答えまでそのまま持ってくるのは違う。知っているつもりで動く方が、多分危ない。
「今の、強いな」
セラが止まった。
「……」
「何だ」
「急にちゃんと褒めるじゃん」
「駄目だったか」
「別に」
目が逸れる。
「駄目じゃないけど」
照れるのか、とこれも覚えておく。今のところ、やはり使い道はない。




