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LOST LOG 4617 Re:Log  作者: 臥裳斗真


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第02話 風は、スキルじゃない ①

 道を、二度間違えた。


 一度なら偶然で済ませていい。二度なら、前提の方が間違っている。


「カイ、そっちじゃない」


「分かってる」


「今、完全に曲がろうとしてたけど」


「確認しただけだ」


「何を」


「道を」


「間違ってることを?」


「結果的には」


 少し前を歩いていたセラが笑った。森の外で会ってから、まだ数時間しか経っていない。その短い間に外套を貸されて、道を二度訂正されている。どう考えても助けられている側だ。


 そこは分かりやすい。分かりにくいのは、セラ本人がそれをほとんど恩として扱っていないことだった。


 魚と煙と人の匂いが混ざっている。見たことのない町のはずなのに、ところどころ妙に見覚えがあった。


 港湾都市なら、市場は海側だ。工房は煙と音を嫌われるから風下へ寄る。宿泊区は港の騒音から離れる。そこまで組み立てて、カイは角を曲がった。


 そこにあったのは、大きな共同洗濯場だった。


 水路から引かれた水が石の洗い場を流れて、何人もの女が布を洗っている。軒下の洗濯物には、白いものも普通に混ざっていた。


 カイは一瞬だけ視線を逸らす。


「どうしたの」


「いや」


「今止まったよね」


「予測と違った」


「何の」


「町の構造」


「……?」


 説明しても伝わらない。そのまま歩いた。


 二度目は、広場があるだろうと思った場所だった。あったのは小さな鍛冶工房と細い水路で、広場はどこにもない。


 カイは頭の中で作り始めていた地図を、一度消した。


 建物も道具も道路幅も、見覚えのあるものばかりだ。だが置かれている場所が違うし、人の流れも違う。同じ部品が揃っていても、同じ町にはならない。


 似ているだけだ。知っている場所ではない。


 当たり前のことなのに、安心した。町の形まで一致していたら、その方が怖い。


「着いたよ」


 セラが足を止めた先は、小さな建物だった。入口には乾燥させた薬草が吊られ、窓際には洗った布が並んでいる。扉を開ける前から、青臭い匂いがした。


「診療所?」


「そう」


「歩けるけど」


「歩けるかどうかは聞いてない」


「……」


 それはそうだ。セラと話していると、たまに、ものすごく簡単な理屈で負ける。


「そこ座って」


 中にいたのは五十歳前後の女だった。派手な法衣も宝石の付いた杖もなく、薄いシャツの袖を肘までまくって、洗った治療道具を布の上へ並べている。ゲームで見慣れた治癒職の記号からは、かなり遠い姿だった。


 カイは足を止めた。


 同じ言い方を知っている。もっと短くて、もっと容赦のない言い方だった。断れたことは一度もない。


「聞こえてる?」


「……聞こえてる」


「なら座る」


「はい」


 素直に腰を下ろす。横にいたセラがこちらを見たが、何も聞かなかった。それがありがたかった。


「包帯取るよ」


「ああ」


 布が外れると、思っていたより赤い。傷の周囲も腫れていた。


「よくこれで歩いたね」


「傷は浅い」


「そういう人が一番悪化させるの」


「……」


「何」


「何でもない」


「じゃあ洗うよ」


 水が傷へ触れた瞬間、息が詰まる。


「痛い?」


「痛い」


「なら正常」


「基準が雑じゃないか」


「痛くない方が怖い時もあるよ」


 もっともだったので、黙った。


 洗浄が終わると、治療師が傷の周囲へ手を添えた。カイはその手元をじっと見る。


 ゲームなら、ここで光る。白か緑の光が走って、回復音が鳴って、HPバーが戻って傷が消える。そういうものだった。


 だが、何も光らない。よく見れば手の周囲で空気がごくわずかに揺れているだけで、あとは暖かい。それだけだ。やがて滲んでいた血が止まり始め、赤く膨らんでいた部分も少しずつ落ち着いていく。


 それでも、傷そのものは残っていた。


「……治った?」


「治ってないよ」


「?」


「治りやすくしただけ」


「……治すんじゃないのか」


 治療師が新しい布を巻きながら言う。


「治すのは、あんたの身体」


 カイは傷を見た。


 結果を直接作っているわけではない。身体が元々持っている働きへ、少しだけ力を足している。治すのではなく、治る方向へ押している。


 ゲームでは回復は結果だった。HPが増えて、それで終わり。こっちは違う。


「面白いな」


「怪我人が何を面白がってるんだい」


「仕組みが」


「そういうのは治ってから考えな。あと今日は右腕使わない」


「動く」


「動くかどうかじゃない」


 後ろでセラが吹き出した。


「何だ」


「ううん」


「笑っただろ」


「ちょっとだけ」


「何がおかしい」


「ちゃんと怒られてるなって」


 治療師まで頷いた。


「この子、放っとくと悪化させるタイプだね」


「分かります?」


「見れば分かる」


 二対一。状況、不利。ここは撤退だ、とカイは黙った。


「で。支払い」


 治療が終わった直後に言われた。


 カイは止まる。腰のポーチへ手をやる。装備はある。だが、金はない。


「……ない」


「何が」


「金」


「え?」


 セラがこちらを見た。


「持ってない」


「一枚も?」


「一枚も」


 セラの視線が、顔から肩、腰、靴へ落ちて、最後にまた顔へ戻ってくる。


「……ほんとに何もないんだね」


「俺も今確認した」


「今?」


「必要になったから」


「普通、必要になる前に確認するの」


「今までは困らなかった」


「でしょうね」


 セラがため息をついて、それから財布を出した。硬貨を一枚、二枚。一度数えて、もう一度数える。指先が慎重だった。


 カイはその動きを見ていた。余裕があるわけではない。雑に出せる金額ではない。それでも払う。


「足りないなら――」


「足りる」


「でも」


「貸しだから」


 言葉を切られる。


「返してもらうからね」


「返す」


「絶対?」


「絶対」


「どうやって?」


「……」


 そこで止まった。セラが指を折り始める。


「お金ない」


「ない」


「仕事」


「ない」


「知り合い」


 カイは考えた。


「……お前くらいだな」


 セラの指が止まって、顔が上がる。


「……そういうの急に言うのやめて」


「?」


「なんでもない」


 白々しい咳払いが挟まった。


「で、何で返すつもり?」


「働けばいい」


「仕事ないでしょ」


「探す」


「そこからなんだ」


「何とかなる」


「その自信どこから来るの」


「生きてるからだ」


 セラが黙る。


 目を逸らされた。何だ、と聞いたが、なんでもないと返ってきた。さっきは自分に聞いたのに、と思ったが、追わなかった。財布をしまう横顔が、さっきより少しだけ静かに見えたからだ。


 診療所を出たあと、水路沿いの人通りが少ない場所でカイは足を止めた。右腕は使うなと言われたので、左を試す。


 指を動かす。エリオや他の術者が低位術式を使う時の指の動き、呼吸、意識の向け方。何千回も見た。手順は一つも抜けていない。


 何も起きなかった。もう一度やっても、やはり何もない。


「何してるの?」


「魔法」


「……出てないけど」


「知ってる」


「知っててやってるの?」


「確認だ」


「何の」


「使えないことの」


 セラが変な顔をした。


「変なの」


「一回目は失敗かもしれない」


「二回目は?」


「再現性の確認」


「三回目は?」


「やる前提か」


「やりそうだから」


 否定できない。


「……魔力、動かしてる?」


「動かす?」


「……そこから?」


「何をどう動かすんだ」


 そこで、セラの顔から呆れが消えた。


「ほんとにどこで育ったの?」


「遠く」


「便利だね、その遠く」


「説明しなくて済む」


「それ、信用なくすからね」


「今さらじゃないか」


「それもそう」


 納得された。思ったより切り替えが早い。そういうところは、見ていて飽きない。


 港へ戻ると、荷揚げ場には木箱と滑車と縄が並んで、作業員たちが絶えず荷を動かしていた。


 歩いているだけなのに、カイの目は自然と構造を追っている。単滑車が二つに補助が一つ、荷重は分散されていて、縄の太さも支点の位置も、見た限りでは問題ない。


 その時、ギッ、と嫌な音がした。


 視線が一本の縄へ向く。表面の繊維がほつれている。まずい、と思った次の瞬間、バツン、と縄が切れた。


「危ない!」


 吊られていた木箱が傾く。真下には子供と母親。距離を測るまでもなく、間に合わない。走っても飛び込んでも、二人まとめて巻き込まれる。


 その瞬間、セラの手が上がった。


 風が走る。強くはない。カイの髪と服の裾、それから地面の砂が横へ流れる程度。それでも落下していた木箱は、横へずれた。


 止めない。浮かせない。落下そのものを消すのではなく、落ちる場所だけを変えている。


 ドンッ、と石畳が震えて、木箱は子供のすぐ横へ落ちた。


「大丈夫!?」


 母親が駆け寄る。セラもすぐしゃがみ込んだ。


「どこか痛い?」


 子供が首を振ると、セラは笑った。礼を言わせもしなかった。


 カイはその横顔を見て、すぐ箱へ視線を戻す。


 止めるなら大きな力がいる。だが、落下方向を変えるだけなら、必要な力はずっと小さい。さっきの治療が頭をよぎった。治すのではなく、治る方へ押す。これも似ている。


「……今の」


「何?」


「風」


「うん」


「魔法か」


「そうだけど」


「スキルじゃないのか」


「……スキル?」


 失言だった。


「何それ」


「いや」


「また、いや」


「言葉が違うだけかもしれない」


「故郷の言葉と?」


「多分」


「そこは否定してよ」


 セラが立ち上がる。カイは木箱を見た。元の軌道、落下地点、ずれた距離。


「効率いいな」


「……」


「何だ」


「今の褒めてる?」


「かなり」


「それが?」


「かなり」


「もっと分かりやすくできない?」


 カイは少し考えた。


「わぁすごい」


「急に雑」


「難しいな」


「褒め方が?」


「ああ」


「……ふふ」


 セラが笑う。さっきより嬉しそうだった。褒められるのは嫌いじゃないらしい、と覚えておく。今のところ使い道はない。

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